楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

政教分離の必要性

2009-01-30 15:55:54 | Weblog
 最近経済を書こうにも世界の経済自体が日々悪化するだけで良くなる兆しは見当たらない。アメリカが莫大な公的資金を注入したとしても、リストラ旋風が吹き荒れた中で個人消費が伸びず、銀行がローン目的で貸し付けようとしても申込者の返済を疑いこれも貸付に回らない。

 アメリカが今まで内需拡大というスローガンの下、国民をローン付けにしてきた政策が裏目に出ている感じになっている。この結果更なる消費不足を起こし、作っても売れない状態から工場閉鎖リストラという逆スパイルに陥っている。この状態がいつまで続くのか、いつこの逆スパイルを断ち切れるのか。

 これが現在世界的に起きている事柄だ。

 良くメディアが伝えるニュースがないと、動物を取り上げると言う。そこで動物というわけにはいかないので昨年ホームページを終了するということで、二十代のとき、ある大企業の機関紙(その当時大企業に勤めていた)の文芸欄に載せた文章 をこのブログに移し変えた。それを一つずつ当時を振り返って解説をつけていってみよう。今回は下記の文章になる。

歴史

 君たちは罪を犯している
人間の歴史を逆に進ませようとする大きな罪を…
何百年、何千年後かには罪を犯していたことにより罰に処せられるだろう
二千年、三千年前、そして一万年以上前の人間が
自然に対し、人間に対し無知であった時代ならともかく
人間が、自然が解りかけてきたこの時代に
君たちの行いは、また盲目の中へと人間を進ませていく

 君たちの犯した罪は大きい
人間が自由というものに向かって進んでいくなかで
また過去の暗い無の中に人間を連れて行く
君たちが持っている偶像
人間が何であるかを理解できる者たちにとっては
そこに何もないということを解る者たちにとっては
そのことに盲目となっている君たちがあまりにも哀しい
そして無いということには、無いという証明はいらない

 もし君たちが、そこに何か在るというなら
現在の生物学、現在の考古学、心理学を越えてでも
在るということを証明しなければならない
そして歴史を見、人間が自由と平等という目的に向かい進んできた歴史を
もう一度目を大きく見開き理解して欲しい

 生命の起源、そこから人間の歴史が始まっていたのだということを
観念を捏ね回さずに、純粋に受け取って欲しい

                         1968年3月

 この詩は私が二十歳後半になった当時書いた詩である、創価学会の信者が四人ほど折伏のため来ていた。こちらの都合には関係なく夜中の二時三時まで、何とか入会させようと変わりばんこに私をせめて来た。だが私は学会が発行していた本を「確か折伏経典」「科学と宗教」とか何冊か読んでいたのでそれを話題に上げようとしたが。彼らは読んでいなかったため話を逸らそうとする。

 その中に「生命は宇宙と共に存在し(?)後でもなければ先でもない」と言う一文を取り上げ、この文章「生命論」が学会を支えている。と言っても彼らには解らなかった。「生命論」はかってヨーロッパで何度が取り上げられてきたが、キリスト教の「魂論」に対し異端として退けられてきた歴史がある。

 私は無神論者(神の存在も信じないし、死後魂となって存在するはずもない)であり死は脳の破壊によって「我思うゆえにわれ存在す」と言うことを掴みきれないもの。それが死である。
 現代では政治に宗教をいれないということが政教分離というかたちで推し進められている。自民党と同じことを公明党がやっていたのでは今度の衆院選では浮動票(多分民社に入れる)の前に議席を減らすのではないだろうか。そのとき国民は政教分離を選んだことになる。
 説明が長くなったが、詩はこのようなことから書いていた。



イスラエル軍はハマスとの地上戦で弱さを露呈した

2009-01-27 16:41:07 | Weblog
 以前私の書き込みでイスラエルがガザにおいて地上戦に踏み込むとき、アメリカがベトナムで敗れたことと同じことがガザでも起こり、イスラエルは地上戦では戦えないと書いた。

 昨日の朝日新聞の夕刊記事によると『ハマス地下から奇襲作戦』という見出しでその辺のことを伝えている。以下新聞引用

 パレスチナ自治区ガザを支配するイスラム過激派ハマスの小隊司令官は23日、朝日新聞の取材に応じ、イスラエル軍との戦闘でハマスがとった戦術の一端を語った。圧等的な武力の差があるため、正面対決を避け、地下トンネルに潜りながら、時々奇襲攻撃をしたという。

 以下のタイトルは以前書いた文章

ちょっと寄り道 イスラエルの地上戦について
2009-01-08 09:26:04 | Weblog

イスラエルの地上戦について Ⅱ
2009-01-09 09:53:24 | Weblog

またイスラエルがハマス側の兵士を300人以上殺害したという報道も自分達が殉教者として葬った兵士は48人だったという。
 戦闘で戦い、死亡した兵は神に祝福されるかたちで手厚く葬られる。そこに数を少なくする理由はないという。

 イスラエルは今、恒久的な和平を結ばなくては最新の武器を持っていたとしてもやがては底をつく。そのとき誰がイスラエルを守ってくれるのか、エジプト頼みなのか、エジプト人も根には1967年6月の第3次中東戦争。イスラエルが、エジプト、ヨルダン、シリアの3カ国に先制攻撃をしかけ、わずか6日間の戦争で、エジプトからガザとシナイ半島を、ヨルダンからヨルダン川西岸地域を、シリアからゴラン高原を奪取し、現在まで占領している。

 ガザを空爆した当時エジプトに停戦の仲介役になってもらいたいと虫のいいことを考えていたのだろう。だがハマスの抵抗は強かった。結局はガザとエジプト間の地下トンネルを破壊するべく地上戦に出なくてはならなかった。

 そしてアメリカ大統領が変わるという何か解らない理由を付け一方的な停戦。地上戦で戦いを挑んでもイスラエル兵の死者の数を増やす。またハマスに休戦の時間を与えることはより多くの武器を持たせることになる結果となった。

 そこで最後の頼みはオバマ大統領を入れ、ハマスを除いた恒久停戦の道を探ろうとしている。そこには明らかに焦りがみえる。

 やがてはまたハマスがどこに落ちるか解らないロケット砲で挑発に出るだろう。そしてイスラエルが空爆、その繰り返しによってイスラエルは疲弊していく。


オバマ大統領の支持率は今後如何に

2009-01-26 11:15:07 | Weblog
 金曜日のブログに書き込みを入れたがタイトルは入ったが、コメントは何回やっても入らなかった。またその前の日にも一つの記事を入れたにも関わらず同じものが三本、同じ時間で入っていた。今回これがうまく入るか疑問だが送ってみたい。

 アメリカ大統領演説全文を読んでというタイトルで以下の文章に書いた。だが金曜日朝日放送のテレビ、報道ステーションでオバマ大統領のイスラエルに対しての演説の中で、これまでアメリカがイスラエルにとってきた役割を継続していく。それは今までの政権と同じようにイスラエルを守り抜くと言う発言だった。この演説を聴いたアラブ系の人たちはオバマ支持から遠ざかってしまうだろう。これではイスラエルとアラブ諸国との溝はいつまで経っても埋めることはできないだろう。

 イスラエルがその領土を守りきるとしたなら武力ではなくパレスチナ人の合意をなんとしても取る努力をすべきだと考える。振り返ってみても西側の武力を背景とした強制力でイスラエルの領土とした、この事実は歴然としてアラブ人の心の中に残っていく。
 
 そして以下の文章はブログに載らなかった文章の部分である。

 ニュース番組で見たが原稿も読まずソラであれだけの演説ができた才能には驚かされた。日本の政治家には残念ながら十分の一の才能もないと感じた次第だ。
 やはり国全体から選ばれる大統領制と派閥の論理から選ばれる日本国首相との差が歴然としていると感じた。

 そして新大統領に期待されている一番の事柄はいかにして現在の金融危機を乗り切るかと言う一言に尽きると言える。金融危機を克服しさえすれば失業者の減少になり、そこから目に見える現象として株価の値上がりから世界経済にも波及していく。そこに強いアメリカを世界に印象できるはずだ。

 だが現在の状況から判断すると、今までのローン付け社会の反動として高額商品(住宅・自動車)のローンが組めないと言う現象が起きている。オバマ新大統領が多額の公的資金を銀行につぎ込み、銀行に貸し出しを促したとしても、その川下ではリストラによる失業者が日々増えているのが現状だ。これでは銀行が貸付をおこなったとしても失業による支払不能、金融機関の不良債権の上積みになるだけだと言える。

 まずなんとしても失業者増を食い止めること、それが最大の課題になるはずだが、果たしてうまくいくのだろうか。雇用不安がある限り人々はリストラを恐れより財布を占めてしまう。



 私の持論は経済とは貨幣を介した人と人の労働の交換からの出発であり、商品価格はその労働から算出される。その交換比率は自然と、一対一の比率になるはずである。もしよろしければ拙著『新・貨幣論』「悠久の貨幣の謎に挑む」を読んでいただければその辺のことは理解できるのではないかと思う。

 世界各国で採っている今回の公的資金注入は私の持論からすればありえないことになる。現在のオバマ大統領が公的資金を注入してもザルから水がこぼれるようになんの効果も現れてはいない。ただそこから新聞報道によって見えることは欲の張った人間の現実の危機よりも既得権益を守ろうとする姿でしかない。

昨日池田信夫先生にコメントを入れたのですが削除されてしまいました

2009-01-22 07:36:18 | Weblog
 『池田信夫 blog』

 部族社会と大きな社会

 私は労働と貨幣の関係を研究しているものですが、以下の文章がちょっと気になりましたのでコメントを入れさせていただきます。

>ハイエクが見抜いたように、大きな社会を維持するシステムとして唯一それなりに機能しているのが、価格メカニズムである。それは富を増大させるという点では人類の歴史に類をみない成功を収めたが、所得が増える代わりにストレスも増え、

>それは富を増大させるという点では人類の歴史に類をみない成功を収めたが、所得が増える代わりにストレスも増え、

 ここの文章では富を増大させると言っておりますが、確かに全体としては増大したかもしれません。ただ分配に問題が出ているわけです。つまり偏った分配方法が、現在所得がほとんどない人(ホームレス・派遣社員切りにあった人)等を生んでいるわけです。その反面金に金を生ませて高額所得者になった人も多数いるわけです。

 私はこのように考えています。今までの経済学は貨幣を研究してこなかった。そして漠然と考えているのが『富』は現在の生活の中にある便利さと考えているのではないでしょうか。

 我田引水になりますが私のブログでは富とは何かも書いております。例えば『富とは』貨幣であるとも書いております。なぜなら貨幣さえあれば全てが手に入る、金銀財宝、レジャーボートから贅を尽くした邸宅、若い女性ですら貨幣の力で自分の意のままにできます。

 お互いに研究できましたらお付き合いをお願いいたします。

 結局は私、楢篠賢司のコメントは削除されてしまった。何か私が大きな間違いでも犯していたのかも知れませんが…

 考え方に間違いがあれば指摘して欲しい。それとも自分の考え方に近い人のコメントは大事にするが反論的な文章は即削除する方針なのでしょうか。

 かって私はスケップティックスという科学を追及する大学教授を中心とする団体に所属したことがありますが。その会である公演がありました。秋葉原の交通博物館に何百人という会員を前に東大名誉教授のOO先生が宇宙についてホーキング論をまじえて語りました。

 その中で宇宙はビックバンという大爆発から生まれたということを語っておりましたが。それ以前は時間空間もなかったということでした。その当時の私は哲学的に宇宙を考えていましたので、ふと疑問になり、何人目課の質問者の後私も質問をしました。
「先生がおっしゃられた宇宙の始まり、ビックバーン以前は無であったと言っておりましたが、時間空間の無い状態というのはどのような状態なのでしょうか」

 私はその当時時間と空間を考えていたことから、どのように思惟したとしても時間と空間がない状態はありえないという結論に達していましたので質問した訳です。

 ただそのときの先生は大勢の会員を前に考え込んでしまいました。私はありがとうございましたとお礼を言い席に座りましたが。それ以後違う会合で質問で手を挙げたとしても司会者は私を指しませんでした。

 今回池田先生にコメントしたことで、そのときの情景とダブって考えてしまいます。

 日本は自分の意見にあわなければ消してしまう。たとえそれが未来に対しまた人間社会に対し有効な考え方であったとしても、自分の考え方と相容れないものであれば削除してしまう。

 そのように考えてしまいますが。なんと日本は小さいのかという気もしますが。
以下の文章は池田先生にコメントした人に対して警告文を出したものと思われます。私と同じように答えることができなかったのかと考えますが。

警告 (池田信夫)

2009-01-21 14:23:17

「前に投稿したコメントに答えろ」という類のコメントは削除し、そのIDは投稿禁止にします。私はコメントなんかいちいち読んでないし、それに答える義務もない。


 

イスラエル、一方的停戦。ハマスも一週間停止(新聞報道より)

2009-01-19 09:12:02 | Weblog
 今回のガザでの戦闘ではパレスチナ側には非戦闘員である女子子供を含め1300人超の死者を出した。またイスラエル側の死者は13人だと言う。これはイスラエルが禁止されている白流弾を使ったと言われているガザ住民の空爆による被害である。

 最終的にハマス壊滅を狙いイスラエルは地上戦による戦いに挑んだが、勝算的に不利と判断したのであろう、今回の一方的な停戦に踏み切ったとみるべきだろう。

 こんな戦闘方法が有効だとしたらどのような国の戦いでもおこなわれてしまうだろう。

 日本が真珠湾攻撃で戦果を大々的に報道し、そのままで停戦ができたら世界のどこに正義があるのかと、戦いを挑んだ日本人の我々でさえ考える。

 今後イスラエルにとってさらに不利な状況が生まれている。それはウサマ・ビンラディンが聖戦を布告していること、レバノンで活動しているシリヤとイランが後押しをしているヒズボラがイスラエル弱しみたとき参戦してくることだ。

 頼みのアメリカのユダヤ資本がアメリカという国を動かし、豊富な空爆用武器(地上戦では不利なため)の貸与してくれることしか方法がないのではないか。だがユダヤ資本といえども今回の金融危機では、世界の金融関係を動かしていたことからみて、相当な損失を蒙っているはずだ。

 予断だがアメリカの失業率はダントツに多いのが金融関係者だと新聞の報道にあった。

 何年か前のブームになった予言では新約聖書に記されたハルマゲドン(世界最終戦争)と関連が深い ことになる。同国北部メギドで6日までに、3-4世紀のものとみられるキリスト教会跡が見つかったとイスラエル考古学庁が明らかにした。
これまで発見された中で世界最古の教会跡という。

単なるこれらは予言であるが最終戦争に発展してしまうのではないかと一抹の危惧がある。

定額給付金は家庭をもませる元になる

2009-01-17 08:42:12 | Weblog
 1月16日の日経から『給付金もう一度議論を』
 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)15日の会合で二兆円の定額給付金に付いて政府に再考を求める決定をした。とある。

 単なる国民だけが反対しているわけではなかった。政府の審議官が政府の決定事項の撤回を求めるのは極めて異例とある。その内容は景気刺激効果を疑問視する意見、財政への悪影響等をあげている。

 私は再度給付金を家庭というかたちの中で考えてみたい。18歳未満2万円、65歳以上が2万円、その他は1万2千円。どのような方法で渡すのかは今の所解らないが、各家庭に配られることは事実。

 だがその家庭に配布されたとき、家庭内でどのように配分されるのかが疑問になる。政策者としては18歳未満の子供に、貴方に与えたのだから貴方の必要な物を買いなさい。また65歳以上のお年寄りに対しても、そのお年寄りが息子または娘の世話になっているときも、貴方のお金ですよ貴方が自由に使ってくだされば景気浮揚の効果が出るのですよ。と言う意味合いが強い金のばら撒きである。

 だが今の家庭で子供一人に2万円、老人一人に2万円と言う金額が入ったとしても、その本来の目的に沿って使えるだろうか、その家庭が生活費に追われていれば配布された金は子供や老人に行かずに生活費の補填に回されるはずである。もしくは国民保険税が払えない家庭で家族が病気になっていればまずそちらに使われてしまうだろう。

 だがここで問題が起こる、子供は学校等仲間の中で2万円が配布されたことを知ることになる。そのなかのある友達は家庭に余裕があることから新しい自転車等を買い与えられた。その情報はあっという間に子供達に伝わる。親が生活費にもしくは税金の支払いに当ててしまったとき、子供は家の貧しさを友達の前でさらすことになる。

 扶養されている老人についても同じことが言える、息子または娘が生活費に当ててしまえば扶養されている老人の手元には届かないことになる。そこには嫁がネコババしたのではないかという猜疑心が心に残る。

 それらを考えるとこの発案者は、現在の家庭状況を理解していないのではないかと思える。自分が善政を敷いたと勘違いしているようだが。これはまさに悪政である。

 このような給付金は無いに越したことはない。
 
 ちなみに私はくれると言うのであれば断る理由も無いことから、値上がりした地方税の支払いに回すと宣言する。景気浮揚効果はゼロになるが。

 

今回の金融危機は100年に1度と言うよりも、人類の歴史始まって以来の暴挙からと考える

2009-01-16 11:04:05 | Weblog
 グリーンスパン前(FRB)議長が「100年に1度の危機」と言ったのは、1929年の世界大恐慌以来の深刻な金融危機を指した言葉である。
だがそのときと今回の金融危機は100年に一度の金融危機であるといってしまっていいのかを考えてみたい。

 むしろ1929年から始まった世界恐慌と今回の金融危機はどのように違うのかをまず考えてみたい。1929年当時の恐慌の発生の原因は株式市場の暴落に始まり銀行の倒産にいたる過程では今回と同じであるが、その後の詳細が明らかになった時点では今回の金融危機は1929年とは違った側面を持っている。それは証券化商品の大量発行と言う今まで歴史上前例のなかったことから起こっていると言うことだ。

 金融機関が貸付をするとき、貨幣は回りまわって戻ってくると言う性質を、ある意味理解し金融機関の無制限な貸し出しを政策的に抑制するシステム(預金準備率)があるが、証券化商品にはそのシステムが無いと言うことが今回の最大の問題点としてあげることができる。

 貨幣は必ず人の手から人の手へと交換を通しその価値をなんら下げることなく無限に回転するものである。今回のように金融機関が住宅ローン・自動車ローンとして貸し付けた債権を即証券化して一般投資家・世界中の金融機関に売却した。その売却した資金は即証券を発行した企業の手元に現金として集まる。これをこのまま手元に置くことはないという判断から新たな借入先を探してローン貸付をおこなう。それを再度証券化して投資家に売却する。

 このようなことを繰り返していたことが今回の不良債権大量発生に繋がる。この不良債権の中身には発行元の高額な手数料も含まれている。

 ローン貸付とは、貸し付けた金額を返済してもらうことによって成り立つ。貸し付けた相手が支払い不能になったとき、その債務を貸付先が背負わなくてはならない。それを証券化し投資化に売却したとき貸付先はリスクを背負う必要が無くなってしまう。これならいくらでもローン貸付がおこなえることになる。ただ本来ローンの前提になるものが相手先から担保として取るものが単なる売った物ではなく、毎月幾ら幾らという返済金の保証が担保になっているはずである。つまり家もしくは車を買った者の未来の労働が担保となっているわけだ。

 未来の労働によって返せるあてもない者にまで幾らでも貸してしまうという社会に問題があることになる。当然未来の労働を担保として取るなら未来に対し労働を保証してやらなくてはならない。現在はあまりにもローン付けしてしまったために、新たな商品を買う資金の貸し手が無くなってしまったため、購入意欲があったとしても買うことができず、それが現在の消費不況に繋がっていることになる。

 100年に1度の危機ではなく人類の歴史の中でローン付けといったようなことがあったのであろうか。ならば100年に1度ではなく人類史上始まって以来の暴挙と言える。

 

定額給付金支給に経済の浮揚効果があるのか?

2009-01-14 09:48:27 | Weblog
 内閣不支持70%の中で 上杉隆氏が以下の文章を投稿したというのは、勇気があることと、文章に自身の勢いをぶっつけていると印象が文面から読み取れる。

 >いくら杜撰であろうと、給付金は結果、国民の懐を潤す政策である。渡辺元大臣は「定額給付金の反対を国民運動に盛り上げていきたい」というが、それはあまりにナンセンスな見解だ。「私に1万2千円をくれるな」という運動を起こす人間がいったい日本のどこにいるのか。もらえるものはもらうというのが人情ではないか。

 さらにいえば、そもそも政府がもったいぶって支給するという今回の定額給付金の原資は私たちの税金である。それは国有財産でもなければ、ましてや麻生首相の個人資産でもない。国に預けた自分たちの「資産」が少し戻ってくるだけなのだ。

 私自身は定額給付金に対しいくらの生活費にはなるだろうと考えるが、せめてその金額分を地方税と相殺してくれたらと考える。どの道役所が関与することであるならばかえって手間が半減するのではないだろうか。

 所得税が減税になったとはいえ地方税がいきなり上がってしまったのを考えると憂鬱な気持ちになる、これが将来続くのである。

 私は経済を勉強している者として、定額給付金支給においては経済の浮揚効果は期待するほどのことはないと考える。これらの政策を考えた人たちは本当に経済を理解ししているのかといつも疑問を感じる。

 一度定額給付金の支給として市中に下ろした金は、支給された人たちが預金することなく、また借金の返済に回すことなく使ってはじめて経済の浮揚効果が現れるものである。その使途が未定であるならば、確実に使途が解っている状態のところに2億円を使うべきである。

 使途が解っているところとは、現在派遣切りにあった人達、これからますます増えるであろう金融危機の犠牲者である失業者に、当面の生活費・住居費としてまたは住居を失った人たちに簡易住居を提供し、三度の食事を食させる炊き出し等、または何らかの技能を身につけさせる(新卒者)等にに使えば、市中に下ろした金額は確実に回りまわって多くの労働に変換されていく。それこそ最大の経済の浮揚効果になる。

 申し訳ないが麻生総理は経済音痴、政治音痴としてしか私には映らないが、このままではやがて来るであろう総選挙に相当な数の自民党の議席を減らすのではないかと思える。

 今回の定額給付金込みの補正予算強行採決。小泉チルドレンの皆さん方が政治生命を本当に賭けるのであればこの法案(定額給付金)に反対してよかったのではないか、なぜなら自民党が今のままでは議員の相当数の数を減らすとき、チルドレンの皆さんもただの人になってしまうからである。 



デフレはなぜ起きるのか

2009-01-10 07:52:36 | Weblog
 昨日・一昨日とイスラエルのガザでの戦闘のことを書いたが、経済を勉強している身としてやはり経済的なことを書きたくなってしまう。

 題して『デフレはなぜ起きるのか?』
この題名でネットを調べたが本の販売はあっても題名そのものの回答は見当たらなかった。そこで私なりに考えているデフレはなぜ起こるのかを書いてみたい。

 第一に挙げられることは貨幣が市中から消えてしまうことと言える。つまり市中全体に貨幣が行き渡らなくなった状態がデフレである。物(商品)と貨幣(お金)の交換において貨幣が少なく,逆に物が溢れている状態がデフレである。そこで二つの問題に行き着く。一つはなぜ市中に物が溢れてしまうのかということと、二つ目はなぜ貨幣(お金)が少ない状態が市中に現れるのかと言うことに尽きる。

 一つ目は金余り(流動性の増加)の中で世界的な低賃金国に投資がおこなわれ、安い労働力を利用した商品が世界中の消費経済を加速させてしまった。
 その状態では人々は物(商品)に群がりだした。そこで労働力には問題が無かったが資源的に問題が起きると感じた一部の投資家が有り余る貨幣(市中に出回る貨幣では無く数字上だけの貨幣(デフレと関係がある))を資源への買占めへと投資先を移していった。
 
 これが原油、金属、穀物の資源インフレを作り出し、世界が驚愕したのは一昨年の出来事である。

 だが米国で起こったいつまでも値上がりしていくと思って購入した住宅が下がりだしたとき、ローンの支払い不能をきっかけとしてサブプライム問題が起こり、やがて世界的な金融不安から金融危機へと発展してしまった。

 ここではデフレの前兆となったのがインフレである。市中に貨幣(お金)が溢れていた状態が、いつの間にかデフレと言う状態に入ったとき、溢れていたはずのお金はどこに消えたのか。またあらゆる所に膨大な損失だけを残し、有り余っていた貨幣がいつの間にか消えてしまい、このままの状態を放置していけば手に負えなくなると考えてか、公的資金注入で何とか切り抜けようとしている。

 この状態で各国が一番困惑しているのが失業者の増大である。経済情勢からいつ暴動に発展するかも知れない社会を何とか良い方向へ向かわせるべく、未知数だらけの状況、財政赤字覚悟の政策を採らざるを得ないと言うのが現在までの状況である。

 続きは『なぜデフレが起きるのか』を分析してみたい。