これから私が書きたいこと、上記のタイトルで書いていこうと考えている。
まず第一に言えることは今の社会、グローバル的に世界を見渡しても、人間が人間らしく生きているという実感があると言い切れる人はいないのではないだろうか。それは人間らしく生きるということの答えが解っていなくても、なんとなく今の社会は人間として生かされていいないという感覚が、全ての人が感じているのではないだろうか。
当然それは住むところも無く、自己の労働によって毎日の食事にありつけることも無く家族さえ捨て路上で暮らしている人達、現在の職場では雇用は守られているが将来は約束されていない人達、自分の努力とは関係なく企業の業績如何によって路上の住人に落とされてしまう恐れを抱いている人達、高齢なるがゆえに何の贅沢も無くつつましく生きても先の見えない生活を送らざるを得ない人達。やむ終えず生活保護を受け、生を永らえている人達さえもその反面自分たちの税金がその人たちに使われていることに不満を感じている人達。巨万の富を持ちなに不自由なく暮らしている人達、2012年までのデフレ政策からの転換という名目で経済の活性が必要として大量の資金を市中にばら撒くというアベノミクス、その結果、株の値上がり、株の売買によって大量の資金移動が起こり多くのマネーを手にした人達。しかしそれはほんの一握りの人達を潤したに過ぎない。その裏では円安によって物価上昇が起こってしまった。その結果老人は入るマネーが決まっているため出る金をセーブしなくてはならない。今までたまに菓子パンを食べていたのを止め、安くあがる食パンにしざるを得ないと考える。なぜなら7月からパンが小麦粉の上昇で値上げになるということから(これは私の家の家計の結果に過ぎないが)
何かが狂っている。はたしてこれが人間らしく生きる人間の社会といえるのだろうか。
そこで時間は掛かるが少しずつ原因を追究していきたい。
これは私ごとですが後期高齢者になったことで自分に対しあまくなり、自分の好きなようにこれからは生きていきたいと言うことで書くことから手を引いていました。しかしその代わりボランティアとして紙芝居と朗読の世界に足を踏み入れました。しかしこの世界では自分が初歩であるということを見せ付けられました。それは「奇跡」という「秦 忠雄さん」の書いた原爆に関する「詩」が私に割り当てられました。録音し残るということでした。何回読んでも思うようにいかない自分、あまく考えていた自分を思い知らされました。この詩はネットで探しましたが出てきませんでした。そこで時間が掛かりますが素晴らしい詩ですので著作権の関係から途中まで紹介いたします。
奇跡 秦 忠雄
昨夜の夢に母子が帰ってきた
もとやまという所にのがれたと言う
もとやまとは山のふもとかも知れない
今日はまず駅の向こうを探してみよう
昨日から火葬場の臭いのする
余燼をくぐり
戦慄と焦燥にかりたてられ
救護所や死傷者の名を
うわさをさがし求め
なんの手がかりも無く
重い足をひきずって帰った夜の道
こなごなの窓ガラスと明かしたわが家の一夜
夢をたよりに着物など用意して
あわただしい救出のトラックに便乗
眼前にひろがる生き地獄の悲惨が
ひしひしと胸にこみ上げる
ふもとにしんぎん(PCでは漢字が出ない)する人々 運ばれた死体
くまなく巡っても 姿は無く もとの道にでる
ふと死傷者を積みころがしたかたわらに
居た居た たしかに純子だ
かわいそうに死んでいる
歩哨に立った兵隊さんが
おおその子ならまだ生きている
今さっき人が連れてきたばかりだ
丁度そこへ府中の兄たちも来る
よう見つかったなあと声がつまる
薬もつけないカリホウタイ
名を呼べばかすかに目をひらき
チャチャをくれと言う
水筒の茶を一口やれば
さも生きついたように
マダと声はほそい
この後まだ続きますが著作権の関係からここで終えときます。
まず第一に言えることは今の社会、グローバル的に世界を見渡しても、人間が人間らしく生きているという実感があると言い切れる人はいないのではないだろうか。それは人間らしく生きるということの答えが解っていなくても、なんとなく今の社会は人間として生かされていいないという感覚が、全ての人が感じているのではないだろうか。
当然それは住むところも無く、自己の労働によって毎日の食事にありつけることも無く家族さえ捨て路上で暮らしている人達、現在の職場では雇用は守られているが将来は約束されていない人達、自分の努力とは関係なく企業の業績如何によって路上の住人に落とされてしまう恐れを抱いている人達、高齢なるがゆえに何の贅沢も無くつつましく生きても先の見えない生活を送らざるを得ない人達。やむ終えず生活保護を受け、生を永らえている人達さえもその反面自分たちの税金がその人たちに使われていることに不満を感じている人達。巨万の富を持ちなに不自由なく暮らしている人達、2012年までのデフレ政策からの転換という名目で経済の活性が必要として大量の資金を市中にばら撒くというアベノミクス、その結果、株の値上がり、株の売買によって大量の資金移動が起こり多くのマネーを手にした人達。しかしそれはほんの一握りの人達を潤したに過ぎない。その裏では円安によって物価上昇が起こってしまった。その結果老人は入るマネーが決まっているため出る金をセーブしなくてはならない。今までたまに菓子パンを食べていたのを止め、安くあがる食パンにしざるを得ないと考える。なぜなら7月からパンが小麦粉の上昇で値上げになるということから(これは私の家の家計の結果に過ぎないが)
何かが狂っている。はたしてこれが人間らしく生きる人間の社会といえるのだろうか。
そこで時間は掛かるが少しずつ原因を追究していきたい。
これは私ごとですが後期高齢者になったことで自分に対しあまくなり、自分の好きなようにこれからは生きていきたいと言うことで書くことから手を引いていました。しかしその代わりボランティアとして紙芝居と朗読の世界に足を踏み入れました。しかしこの世界では自分が初歩であるということを見せ付けられました。それは「奇跡」という「秦 忠雄さん」の書いた原爆に関する「詩」が私に割り当てられました。録音し残るということでした。何回読んでも思うようにいかない自分、あまく考えていた自分を思い知らされました。この詩はネットで探しましたが出てきませんでした。そこで時間が掛かりますが素晴らしい詩ですので著作権の関係から途中まで紹介いたします。
奇跡 秦 忠雄
昨夜の夢に母子が帰ってきた
もとやまという所にのがれたと言う
もとやまとは山のふもとかも知れない
今日はまず駅の向こうを探してみよう
昨日から火葬場の臭いのする
余燼をくぐり
戦慄と焦燥にかりたてられ
救護所や死傷者の名を
うわさをさがし求め
なんの手がかりも無く
重い足をひきずって帰った夜の道
こなごなの窓ガラスと明かしたわが家の一夜
夢をたよりに着物など用意して
あわただしい救出のトラックに便乗
眼前にひろがる生き地獄の悲惨が
ひしひしと胸にこみ上げる
ふもとにしんぎん(PCでは漢字が出ない)する人々 運ばれた死体
くまなく巡っても 姿は無く もとの道にでる
ふと死傷者を積みころがしたかたわらに
居た居た たしかに純子だ
かわいそうに死んでいる
歩哨に立った兵隊さんが
おおその子ならまだ生きている
今さっき人が連れてきたばかりだ
丁度そこへ府中の兄たちも来る
よう見つかったなあと声がつまる
薬もつけないカリホウタイ
名を呼べばかすかに目をひらき
チャチャをくれと言う
水筒の茶を一口やれば
さも生きついたように
マダと声はほそい
この後まだ続きますが著作権の関係からここで終えときます。