楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

自公政権の景気浮揚策は功を奏するのか

2012-12-31 06:11:39 | Weblog
 
 今の日本社会が陥っている不況からの脱出策とした衆院選後の新政権が掲げた不況対策。アメリカが陥っている「財政の崖」に日本もやがてはそれを上回る規模で陥ってしまうと私は考えるが。その政策自体が自公政権によって打つ手が無いからやってみようといっているだけだと見える。

 以下の記事はネットで調べた引用文

 26日発足した第2次安倍晋三内閣は経済再生に向けて積極財政に舵を切る。10兆円規模の平成24年度補正予算案と25年度予算案を切れ目なく編成し、景気刺激に即効性のある公共事業を拡大する方針だ。ただ、財源を確保するために国債発行が増えれば財政規律が緩む恐れもあり、中長期的な財政健全化への道筋を示せるかが課題となる。
 国債発行額は、24年度予算で約44兆円に拡大。国と地方の長期債務残高は約940兆円に上る見通しだ。国の財政運営に対する市場の信認が低下すれば、金利上昇によって利払い費は増大し、財政悪化が加速しかねない。
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20121226-00000517-biz_san-nb 


 公明党がまとめた「防災・減災ニューディール」の推進基本法案の骨子は、10年間で100兆円を投じるインフラ整備策だ。http://ajimura.blog39.fc2.com/blog-entry-2335.html 


 なぜこのように二つの記事を載せたのか。それは私が書いた貨幣の機能の中で貨幣は労働と労働の仲介物「AEの関係(参照)」でしかない。また貨幣が持っている保存機能は人間の私欲から出たものであり、たんなる小さな私欲の範囲で済めば何の問題も起こらないのだが、現代のようにあまりにもひどい私欲では多くの人々にその影響が及ぶことになる。

 そのいい例が阿部内閣の補正予算として10兆円の投入で景気浮揚を測るというものだ。AEの関係で書いた市中に貨幣が投入され労働と労働の交換だけに回っていけば新たな投入は必要ないことになる。

 また市中に貨幣が減少してしまったことから今回の景気対策として10兆円を投入しなければならないということは、根本にあるものが市中から誰かが貨幣を懐にしまってしまうということになっている結果のことであり。つまり貨幣が持つ保存機能にメスを入れない限り、何度景気浮揚という名で国債を発行しても、誰かさんが懐にしまってしまい、いつまでもその誰かさんに金利をつけ借りてこなくてはならない。それは国債残高を膨らませるだけということになる。

 根本から変えるしかない!!
貨幣が持つ交換機能を生かし、保存機能にメスを入れない限り根本からの解決にはならない。

 貨幣が人間社会で使われだして数千年、私欲が貨幣を動かしてきた。それは現代社会においては権力(溜め込んだ貨幣の力と武力を含めて)が民主主義という前では過去の権力は発揮できず、国債発行という手段で貨幣を貯め、より多く持っていることで人を動かすという権力行使という手段に変わってきた。

 そしてさらに国債を発行して一部の人間の懐を肥やしていくことになる。

なぜ私はブログ更新をしないのか

2012-12-30 07:27:37 | Weblog
 最近自身のブログ更新を休んでいます。理由としては切れのある文章が書けなくなってきたこと(今までも切れはなかったかも?)それとある程度全てを書いてしまったこと、これ以上書いても以前の文章がかすんでしまう恐れが感じられるからという理由もあります。
 そしてもう一つ私個人の独断ですが
 人間社会の不平等を問題にしてきた、今までの歴史上の人、大きく分けると最初にキリストであり、次に皆さんのご存知のようにカール・マルクスです。

 キリストは「富者(金持ち)が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通るほうが易しい」と人々を説得し貧富(現代風に言えば格差)を問題にしていました。だがしかしキリストの教えは権力と結びつき貧者の救済どころか富者を救済してしまっている。そして与えるものは貧者はあの世、つまり死後天国で平和に暮らすことができるのであるからこの世は神様が下さった試練であると、あなたがそれを耐え忍んだとき天国に救いが待っていると。マッチ売りの少女がその代表作かもしれません。

 そしてやはり不平等を問題にしたのが、かの有名なマルクスです。彼は不平等を解消する方法として原因を資本に求めました。資本家が労働者を搾取している、そこから資本を動かしているもの(富者)が労働者(貧者)の労働を搾取していると糾弾したわけです。

 そして共産主義社会が人間の理想社会でありその担い手が労働者であり労働者こそ社会の主人公であると、やはり人間社会の貧富の問題を解消する方法として考えたわけです。
 
 ただその思想も現代の社会ではかみ合わなくなってしまいました。例えば労働者が団結し労働組合をつくり資本家と交渉して賃金を引き上げる。現在ではそのことが国際競争力の前で賃上げイコール国際競争力に負けてしまい、多くの企業が安い労働力を求め海外に製造拠点を移してしまう。その結果国内では失業者の増加となり安く労働力を得る方法として契約社員、派遣社員という正規雇用ではない、いつでも解雇できる人間を作り出してしまった。この傾向はさらに増加していくことが予想されます。

 そして自画自賛のそしりは免れませんが、あらゆることに興味を持ち、20代のときから哲学にのめりこみ、人間とは何かをいくらかは理解することができるようになったことから違う角度から思索を重ねてきました。その結果が本を書いたことであり、ブログに発表してきたことです。

 そして最後に阿部内閣がやろうとしていること税収を上げるためとしか言いようが無い政策、その結果インフレに導くという方法、弱者はより弱者になるということしか考えられません。私も含めて老人はこれからの生活を考えると財布の紐を締めざるを得ません。また言えることはかってのように設備投資が伸びるか否かということだといえます。
 
 そこからやがては出てくる政策として何としてでもオリムピックを日本で行う、そこから公共投資を伸ばし景気浮揚をはかる。そのためには国債を増刷し市中に金をばら撒く。
 しかし銀行自体が金利上昇を望んではいないでしょう。なぜなら金が必要な中小企業に資金を貸し出すよりも、リスクの少ない国債を多く抱え込んでいる。そのため国債の金利が上がる(今まで溜め込んだ国債の額面が下がる)ことを望まないでしょう。

 暫くは新内閣の様子見と行きましょう。ただ第三の道を考え出した私がいるということは何かが起こるのでしょうか。そのつもりはありませんが老人のたわごととして読んでください。

昨日1日だけのテンプレート消失でした

2012-12-09 08:29:46 | Weblog
 拙い文章で申し訳なく思っています。このところ自分の生活態度が今までとは違った状態でした。まず入間の老人センターへ通いだしたことです。ゆっくりとした時間が過ごせます。夫婦で持込の弁当を食べ、タブレットで無料の囲碁を楽しんで時間が止まったかのような時を過ごしています。そしてゆったりとした、体がいつまでも冷えることの無い人口温泉に浸かり家に帰ってきます。

 その次の生活態度が変わったのは子供と家を別にしたことです、そのことによって今まで一番先に読んでいた新聞を子供が先に開いてから読むというのに抵抗を感じ、タブレットでデジタル新聞を読み出したことです。だが紙面で読むのとは違い日々の情報を得にくくなったこと、あくまでも電子版ですから贅沢はいえませんが、その結果新聞から遠ざかってしまったことです。

 そしてなんとなく自分なりに後期高齢者ですから老人並みに生きようと考えてしまったことです。
 前都知事の石原さんには80歳になって維新の代表で力強く生きている姿には思想的には180度以上の違いを感じますが敬服しています。ただ黒川紀章さんのように高齢で選挙活動をし、アドレナリンを使い切ったとき後の受け皿としての人物には恐れを感じています。

 伸びてほしいのは私なりの意見になりますが、民主党の最後には支持する気持ちも失せました。

昨日(12年12月7日)まで私のお気に入りのブログテンプレートが消えてしまいました

2012-12-08 20:51:22 | Weblog
 上記タイトルに書き込みました、お気に入りのブログテンプレートが消えてしまいました。ブログでは私が追い求めている未来社会を今まで書いてきましたが、最近は自分に甘えがでて更新をしなかったことが原因かと思っています。

 私が今まで書いたことは10年後、20年後、はたまた50年100年後にはそのような格差の無い社会が実現されているものと信じて書いてきたつもりです。そしてそれを現実にするための私なりの努力として、今まで書いてきたことをより多くの人に読んでもらうことだと考えそれなりの行動をとってきました。その結果として訪問者が毎日来てくれました。

 私なりに考えたことは新しく更新することではなく、今まで書いてきたことを読んで理解してくれる人を増やすことだといえます。

 まずは貨幣の理解として「AEの関係」という文章だといえます。

 これから今までのお気に入りのテンプレートに戻す努力をしていきます。そして訪問者(未来社会を理解する)を私なりのやり方で増やす努力をしていきます。

 最後に今回の衆議院選自民党の景気対策、それは人間社会の破滅(より借金を増やすこと)であり貨幣が持つ保存機能が私欲から出たものの結果であり、やがては終末を迎えることになると言えます。その日は国債残高が持ちこたえることのできない額になっている日だといえます。