楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

もう少し『通貨発行益』を

2010-06-03 07:12:52 | Weblog
 本日はめでたく家に帰れることになった。家に帰れるといっても捕まって留置場に入っていたわけではない。それなりの事情があってのことだが。

 家に帰れるとなるとなんだかんだと庭の手入れ等忙しくなり、今までのようにブログを書く時間も制限されてしまう。やはり文章を書くということはそれなりの緊張感を持たなくてはならないため、緊張感を作り出す時間に制限されてしまう。ただ単に机に向かってパソコンを打てばいいというものでもない。明日から書けるのかどうか、今までは9時消灯で朝4時には目が覚めてしまうことによって、やむ終えずパソコンに向かっていたが、明日からはどうなるやら…
 
 以前書いたブログの中で通貨発行益に触れたが、もう少し書いてみたい。まず通貨を発行する者、もしくは国家が発行することによって得る利益ということになる。

 その前に貨幣が市中で使われることで、商品の製造から消費にいたるまで貨幣がその中間に介在してスムースな交換を成立させる。本当に素晴らしい物を人間は開発したものだと思う。
 
 そこで市中で人々によって貨幣を使わせるためには、まず人々に貨幣を持たせなくてはならない。そこで持たせる方法として現在での考え方は減税という方法を取ることもあるが、手っ取り早い方法は物を市中の人民から買い上げる方法がある。当然その中には宮殿を造らせることによって人民の労働に対価として貨幣を渡せば、その貨幣が人々の貨幣による労働と労働の交換を促し経済は活況を呈することになる(A・Eの関係参照)
 
 そうしてもう一つ人々に貨幣を持たせ、なおかつ潤う方法、まず紙幣を発行してそれで『金』を買う方法である、以前にも書いたが金が値上がりする方法とは100人の人がキンを保有していたとして、その内の2人の取引が値を吊り上げていく、するとキンの価格は2人の取引によってあとの残りの98人の分まで値が上がったことになる。

 印刷した紙幣でキンを先物で買っていけば莫大な資産を形成できる。それが現代版の通貨発行益であるといえる。

 また、貿易決済である通過が世界的に必要とするならば、紙幣を印刷しそれを貿易決済として使わせればいいのである。ただし、ただではその紙幣を持たせない。持たせる方法とはその国から物を買い入れればよいのである。その結果その紙幣は世界の国が使うことになる。ここにも通貨発行益が厳然と存在することになる。

 通貨ではインフレの恐れを感じるなら国債に変えさせれば良いということになる。国債は国債市場を通さなくてはマネーに換えられないから安泰というわけだ。その裏づけに大量のキン保有が武器になる。

 ただしデフレ(不況)はマネーを持つことが重要になるので、キンを売ってマネーを持つ動きとなる。そのときキンを買う人間が、売る人間より少なければそこで値が付いてしまい全体を押し下げてしまう。つまり金価格は下落することになる。それを抑えるにはインフレに持ち込む何らかの手を打つことになる。

これからの世界はどうなるのか

2010-06-02 06:36:32 | Weblog
 このところ毎日書いてきたことによって考えが雑になってきた自分を感じるようになってきた。

 ただ今後書かなくてはならないとしたら、貨幣の使われ方が大きなテーマとなると考えている。

 本当に人々がインフレも無く、デフレも無い社会を望むものであるとするならば、また雇用においても全ての働きたい人が職業につくことができる社会を望むなら、貨幣が持つある部分を切り捨てなくてはならない覚悟が必要となる。

 今まで書いてきたマルクスでありケインズ等の経済学では上記書いた社会を作ることは不可能であると現在の人々はうすうす感ずいていると思われる。

 ただ言えることは現在の経済政策ではやがては市中に出てしまう貨幣量によって押しつぶされてしまうと断言できる。

 例としてあげるなら、現在投資先として貨幣が先進国から新興国に大量に流れ新興国のインフラ整備として使われていく。やがてそれらの国がインフラから始まり、最終的には工業国として仲間入りし、その国で自動化された設備が作り出す製品が世界中に流れていく、

 現新興国が先進国の仲間入りをしたとき、次なる新興国を目指しての投資先として貨幣がさらに流れていく。同じことの繰り返しからやがては世界中が工業国化しそこで作られた製品が世界中に溢れていくことになる。

 その中で生き残りをかけ熾烈な資本の競争が始まる。効率化を求めたコスト競争から人件費の削減へと競争が進む。そこには人は資本の前で単なる使い捨て人間とかす。

 投資という考え方には世界中が工業化できるというメリットもあるが、反面資本が支配している社会では競争原理が優先されてしまい、雇用という考えから遠ざかってしまう。そこでは失業者が大量化し不安定な社会に対する治安という名目の雇用が増大することになる。

 この意見に反論できる人がいたなら、またこの問題を政治的に解決できる人がいたなら意見を聞かせてもらいたい。



昨日の文章で訂正します

2010-06-02 05:37:45 | Weblog
 昨日書いた文章の中に誤りがありました。>明治4年、明治政府が藩札回収令により、藩札は紙切れになったというものですが、実際は正貨と藩札の実際の相場での交換でした。

明治4年、明治政府は廃藩置県の際に藩札回収令を行い、藩が発行していた藩札を正貨との実際の相場で交換し回収を行った。が正解でした。

ケインズが捉えた社会

2010-06-01 07:11:22 | Weblog
 ケインズが置かれていた社会的背景、それは昨日の引用文で書いたが、1929年のウオール街の株式暴落に端を発した恐慌、やがて世界恐慌へと発展していくことになり、銀行や企業の倒産、そして雇用の減少から失業者の増大という、深刻な社会問題化になっていった。
 
 そこでケインズが考えたことは、企業に活力を与え雇用を増やすことができる施策はどういうものであろうかということであったといえる。
 
 現代でもよく言われるように経済を活性化させるには失業対策にもなるピラミッドを作ればいいという人がいるのと同じだが、しかしそこには財源が必要になるということを忘れているのではないだろうか。
 
 私が以前何らかの文章で書いた『通貨発行益』(シニョレッジ)が通貨を発行できる者にはあるということ。ただしそれは一つの条件下で有効になるということになる。その条件とは市中に貨幣(通貨)が充足していない時という条件になる。このような条件とはそれまでの社会とは違った人物が国を統一したとき、例えば日本に例を挙げれば江戸時代から明治に変わったときということにもなる。

 それまで江戸時代で通用していた貨幣が明治政府になったとき、紙幣として発行されていた藩札は1871年(明治4年)の明治政府による藩札処分令が発せられ、藩札は廃止された。

 つまりここではそれまで通用していた藩が発行していた紙幣が紙切れになってしまったことになる。これに変わるものは新しい政府が発行する貨幣ということになり、古い藩札と新しい政府発行の貨幣を交換するというものではない。
 
 藩の庶民が物の売買をするとき必要とするものは新政府の発行した貨幣を手に入れなくてはならない。その貨幣を手に入れる方法は発行元(新政府)に物を売って貨幣を手に入れなくてはならない。つまり新政府は貨幣を発行し、それを庶民に持たせるには庶民が作り出した物(商品)を自己が発行した貨幣と交換することになる。ここに貨幣発行費用が僅かであるならば多額の通貨発行利益を得ることになる。

 ただこの辺のいきさつ(通貨発行益)を研究している人が少ないため充分な資料がないというのが現状である。

 また別のほんの小さな文章であるが引用しておこう。

 家斉の治世は、はじめ質素倹約の政策が引き継がれたが、貨幣悪鋳による出目の収益で幕府財政が一旦潤うと、大奥での華美な生活に流れ、幕政は放漫経営に陥った。              ウィキペディア江戸時代より引用

 なぜこのような文章を持ち出すのかというと。ケインズの考え方が「ピらミット建設が失業対策」という発想からではないかと考えるからである。

 市中に貨幣が充分行き渡らない状態では貨幣量を増やすことによって経済は活発になる。そのとき市中に貨幣を行き渡らせるにはピらミットであるならば庶民の労働と交換に貨幣を渡す。その貨幣が他の者が作った商品と交換される(A・Eの関係参照)

 ただ貨幣が充足されている社会ではこのような政策は経済を一時的には活性させることができるが長い目で見たとき疲弊させてしまう。そこでどこに原因があるのかということになる。