貧富の差が歴史の中でどのように変わってきたか、そのやり方は二つあるかと言える。一つは貨幣の発生以前の貧富の差であり、またもう一つは貨幣の発生後の貧富の差と言える。そこから貨幣の発生以前であれば、そこには階級があり武力的な要素で貧富の差が作られたと言われている。極端な例としていえば富める者としての主人があり、貧としての奴隷制の下の奴隷ということになる。それは地主と農奴ということであり、そこには力による支配のもと貧富の差が決定付けられてきた。
そのような状況の中での救いとなるやり方として支配するものが考え出した方法として、生きていることこそ神の御心であり、どのような境遇に置かれても死後天国で幸せに暮らせるという人間が代弁した神の心である。そこに宗教を利用した貧富の差の解消方法を作り出し、その教えを守らせるために武力が使われたことは言うまでもない。はからずも大変失礼な言い方であるが、弁護士から衆議院議員となった人がアメリカの現大統領の祖先は奴隷であったと世界を驚かせた発言は同じ日本人として恥ずかしい限りだ。
『奴隷(どれい)とは、人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた[1]。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。』ウィキペディア奴隷より引用
そしてもう一つの貧富の差となるのは、その貧富は治安という武力は持っているが表面だった武力ではなく民主主義という名を被り貧富の差を作り出し拡大させている。それを可能にさせたものが物々交換社会から幾多の進歩を経て、貨幣を主体とした社会、現在の貨幣経済社会ということになる。