前の文章からの続き
なぜこのようなことを書くのかと言うと、今まで言われているのは余剰生産物があって、そこから自然発生的に上に立つ者と、生産に従事する者が分かれてきた。そのことが階級社会に移行していった。つまり上に立つ者が現在流に言えば資本家ということになり。生産に従事する者が現在流にいうところの労働者ということになる。
しかし日本列島に生活していた縄文人。彼らが生活していたことが理解できる縄文遺跡といわれる場所には、いたるところ食物を保存していた大きな貯蔵穴がある。そこから余剰生産物がこの日本列島に豊富にあったと考えられる。しかし貧富の差といえる階級は発生していない。
そこで考えられることは家族関係の延長線上でその社会がピラミット形式の社会構造を作っていたと言える。平たく言えば最初一組の夫婦がいて、やがて子供ができその子が成長して孫ができる。そこに最初の夫婦の子供たちを入れた、その子供たちの子供、つまり孫たちを入れた何家族かの人々が今では老人になってしまったが最初の夫婦の父親をその家の家長としてその集落を構成していく。
現在の家においても核家族化が進まなければ子供たち、孫たちがおじいさんといえる老人を長として一家を構成していく。その姿は数十年前には当たり前のことだった。経済優先社会が誰でも長期ローンを組めば家を持てるということから核家族化が進んでしまったが、かつての社会では長となるものを頂点として家族関係を構成していた。当然そのような構造の下では。上に立つものが私利私欲で家族を纏めるということは考えられない。それが大きな集落になったとしても家族関係の延長線であり個人の私利私欲でトップに立とうなどと考える者はいなかったと言える。逆に呪術者なり一部の者が装飾品を持っていたということは限られた生産物であったとしても交易があったということになる。しかしその交易が階級社会(他の者の労働の生産物を私的に利用する層)のために行われていたということはあり得ない。
このように考えていくと狩猟採集社会では家族関係の延長線上の社会があり、そこには他の者の労働を私的に所有することはなかったと言えるのではないか。この日本列島においては余剰生産物を私利私欲のために動かし、富を個人的な物として私有していった痕跡は認められない。今まで読んできた中では階層と階級が理解されていないのではないかと思われる。
そこから階級発生はこの日本列島の縄文社会からではなく、海を隔てた大陸において発生したと言える。そこから最初一人のもしくは少数の人間が何らかの口実を付け他人の労働を私有していった。それが貨幣以前の貧富の差を作り出した源だと言える。
階級と階層は違うということ。例えてみれば部長がいて課長がいて係長がいてヒラがいる。それなりに上下関係が成立している。それは階層といえる。階級とは部長の上にいる社長他株主ということになる。資本を投じたとしても部長の上に存在している社長なり資本家のために利益を得るという目的を持って会社を動かしている。部長といえども社長や株主に使われている身であり、やがては定年を迎えてその地位を去らなくてはならない。つまり現在の社会(資本主義社会)は階級社会ということになる。
それが過去の人間社会でほんの少数の者が他人の労働で得たものを私的に利用したという小さな出来事から始まりその社会を継続するがため、臭いものには蓋をしてきたのが現在の階級社会ではなかったか。やがては主権在民、民主主義がそれらを壊していく。
次回は貨幣社会の貧富の成り立ちを書いていきます。
ある意味考えてみれば人間の本質的な性質が平等(貧富の差のない)な社会生活を望んでいるのではないかということを訴えたかった。
いくばくかの副葬品があったとしてもそこに階級社会という段階で考えるのはおかしいと思われる。それは家族関係の頂点としての長老に対する敬意であり、階層社会といえるものだと考えられる。