オヤジのひとり言

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鷹が峰の光悦寺

2012年04月02日 | オヤジのひとり言

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千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その404

 

鷹が峰光悦の屋敷は、光悦町のほぼ中心にあったが、

これとは別に現在光悦寺のある場所に、

先祖の位牌所とともに「 太虚庵 」という庵を結んだという。

彼はこの鷹ヶ峰で書を認めたり、茶を嗜んだり、

或は土地の土を捏ねて楽焼を楽しんだり、

と悠々自適の生活を送っていたようで、

寛永7年 ( 1630 ) 板倉勝重と林羅山がこの地に光悦を訪ね、

羅山は「 鷹峰記 」を書いてその景勝を愛でている。

そして、

寛永14年2月、光悦は80歳の生涯をこの地で終えているのです。

 光悦は、徳川家康から裁判権や年貢徴収の権利まで与えられたが、

領主としての支配権には余り関心を持たなかったようで、

そのため光悦の死後、

領地を接する鹿苑寺 ( 金閣寺 )との間で境界紛争が起こったり、

百姓との間に領有権争いを引き起こすことになる。

その結果、

天和元年 ( 1681 )、光悦町は幕府の直轄領に収公され、

鷹ヶ峯村の一部となってしまった。

現在の鷹ヶ峰は、

かっての本阿弥家の位牌所のあった光悦寺、

岩戸妙見と呼ばれる円成寺、

六条三筋町の花魁吉野太夫の墓がある常照寺など、

かっての法華宗寺院が残るばかりで、

芸術村の面影はない。

しかし、

かってと同じ町筋が残されていて、

街道筋らしい風情を漂わせています。

 

今回はここまで・・   

続きは次回に・・    

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