中畑監督よ、長嶋さん&王さんから学べ!厳しさの先に栄光
横浜DeNAは8日の広島戦の9回に、47イニングぶりの得点。
それでも5連敗で、早々に定位置の最下位に座っている。
キャンプ、オープン戦中に吹き荒れた中畑清監督の過熱気味の熱風は
あっという間に冷めてしまった。
ここからが本当の正念場だが、今こそONの教えを学べばどうだろうか?。
永遠のスーパースター、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督、
ソフトバンク・王貞治球団会長も監督として苦しんだ経験を持つ。
1975年、V9を達成した川上哲治監督の後を受け、
日本中が熱狂する中で長嶋巨人は誕生した。
だがいきなり球団史上初の最下位。
数々のワースト記録を更新し、
スポーツ紙には背番号90をもじって『苦汁番』『苦重番』などの見出しが躍った。
「V9時代に 貯まったアカを洗い落とし、若い選手を育て新時代を築き上げないといけない」
こう宣言した長嶋監督は
名古屋、大阪は当然、広島からの移動日でも東京駅から多摩川グラウンドへ直行。年中無休の猛練習を繰り返した。
「勝てないチームに移動日休みなどとんでもない。ファンに失礼だ」というスパルタ練習だったという。
オフには、日本ハムから強打者の張本勲をトレードで獲得。
「ワンちゃんひとりがマークされ負担がかかりすぎた。
ライバル意識をもたせ、発奮させることができるのは張本しかいない」と、
新たに“OH砲”を誕生させ、翌76年にはリーグ優勝を果した。
ダイエー時代の王監督も、
移動バスにファンから生卵を投げつけられたのは有名な話。
しかし本当の敵は、20年近くBクラスに低迷したチーム内にいた。
「負け犬根性を一掃しようとミーティングで連日、厳しくミスを指摘した。
ところがBクラスに浸りきったコーチが、
選手を飲みに連れて行き『監督は厳しいことをいうが、
あまり気にするな』と慰めるのだから話にならなかった」
就任した95年から5位、6位、4位。それでも姿勢を変えず、
V9時代の盟友・黒江透修氏を助監督に招いた98年に3位。
契約最終年の99年、ついにリーグ優勝と日本一を手にし、
現在の常勝チームを作り上げた。
長嶋、王両監督とも王道を貫いた。
中畑監督は偉大な先達の後を追えるだろうか。
必ず勝利の女神が微笑んでくれる時は来る・・
それをひたすら信じて・・ガンバレ中畑監督。
キミは底抜けに明るい笑顔が似合う男だ!!