仕事でもよく行く宇治田原町
お茶の産地としても有名ですが、
もう一つ宇治田原町の「ころ柿」
お正月によくいただく縁起物なのだそうですが。
こんな言い伝えがあります。??
真っ白に粉がふいた宇治田原町特産の干し柿「古老(ころ)柿」。
十一月から十二月にかけ、柿屋と呼ばれる台で二十日間、
わらの上で一週間干して作る。
この独特の製法について、
「観音様が娘の姿になって村人の前に現れ、
伝授してくれた」という伝承が同町に残っている。
伝承によると、宇治田原町周辺には
「鶴の子」と呼ばれる品種の柿が自生していたが、
渋柿のため食べられず村人は放置していた。
いつのころからか、
美しい娘が年末になると白い干し柿を売りに現れるようになった。
「どうしたらこんなに甘くておいしいものができるのか」と村人が尋ねると
、娘は丁寧に製法を教えてくれた。 「役に立たない鶴の子がこんな菓子になるとは」。
村人は驚くとともに、娘がどこから来てどこへ帰っていくのか、
何者なのかを知りたくなった。
ある日、村人が娘のあとをつけると、
娘は禅定寺の奥の谷で姿を消した。
辺りを探しても見つからず、
その後、娘は二度と村に現れなかった。
村人は「娘は禅定寺の観音様だった」と考え、
娘が姿を消した辺りの岩を「美女石」と名づけた。
干し柿は、孤独そうな娘だったことにちなみ
「孤娘(ころ)柿」と名づけたという。 この伝承は、
禅定寺と古老柿農家などに口伝えでほそぼそと受け継がれてきた。
由来を示す文書は残っておらず、
いつごろ生まれた話なのかはっきりしない。
「孤娘」が「古老」になった理由も、
「古老が作り方を伝えてきたから」
「長寿を象徴する鶴の名が付いた柿だから」-など諸説ある。
美女石は、
禅定寺の裏山の岩肌がむき出しになった場所として伝わってきたが、
近年まで訪れる人は少なかったという。 禅定寺は「伝承を知らない人が地元に多すぎる」と、
1991年に美女石へ向かう山道を整備した。
久保住職は
「この伝承には信仰のロマンがある」と語る。
また、
代々古老柿を作る宇治田原立川の下岡さんは
「自分は祖父、父から聞いたが、
若い人たちはほとんど知らないようだ。
イベントなどで古老柿を出すときは必ず、この話も添える」という。
地元の特産品にまつわる美しい伝承を後世に伝える姿には、
郷土への誇りがにじみ出ている。
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