歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




「小仏宿より峠の上までは凡そ17町ほどもあるべし。絶頂に民家4、5軒あり、この所はすなわち武相の堺なり」
「昇降2里。絶頂は往来を挟みて国境なり。ここに茶店2、3軒あり。古えより名産と号して、赤飯を製す。行旅の貴賤かならず憩ふ」

【小仏峠登り口・一里塚跡】


いよいよ小仏峠に挑みます。
頂上まで約1.8キロ、峠を下るまでだと4キロの行程ということでしょうか。
以前、旅の仲間で東海道を歩いた際に、天下の険・箱根を越えた経験があるとはいえ、やはり普段の運動不足が否めない我々、身も心も引き締めてかかります。

駐車場から登っていきますが、この辺りに、日本橋から14番目の小仏の一里塚があったと言われています。今は痕跡などありません。

【水準点標石】


登り始めてすぐのところにあります。
水準点とは、測量されたその土地の標高のことで、その地点に標石を置いたようです。地図製作の基準点として使われたのでしょうね。

【水準点の案内板】


帰ってからネットで調べたところ、ここの水準点は明治20(1887)年頃、甲州街道の道筋が変更になった際に廃止された…とあります。

【小仏峠・登り道1】


冷たい湧き水。コップも備えられているので、さあ、飲んでください…ということですね。夏場は一服の涼、とても美味しく感じることかと。ただし、この日は冷たい水で喉を潤すという雰囲気ではありませんでした。

【小仏峠・登り道2】


雪は残っているものの、歩くにはとくに障害とはなりませんでした。そうは言っても、道に積もった枯葉が濡れていて滑るのと、案外、石ころが多くて歩きにくかったです。

【小仏峠・登り道3】


ずいぶん古い時代に舗装した部分でしょうか。でも基本はやはり舗装なしの山道です。

【小仏峠・登り道4】


昔の峠道はこんな感じだったのかな?と想像させるような山道。草木が覆いかぶさってくる中、頂上を目指します。

【小仏峠・頂上1】


駒木野宿・荒井のバス停から2時間15分、峠下の駐車場から山道を登ること30分。
突然左手に視界が開けました。小仏峠頂上に到着です!
もっと時間がかかったのかと思いましたが、駐車場から30分だったのですね。
結構、必死に歩きました。アレ?膝ガ、ワラッテイルゾ…。

【小仏峠・頂上2】


頂上では、陣馬山や城山へ向かう、あるいはそこから来たハイカーたちがひと休みしていました。私たちと逆方面(小原宿方面)から登ってきた人たちもいるようでした。
それにしても…頂上の泥濘はすごい。くるぶしまでズブッとはまってしまうような、そんな感じです。泥田の中を歩くようです。

【小仏峠・頂上3】


古い石仏。

小仏の地名の由来にはいくつか説があるようです。
1.峠に石地蔵があったから
2.奈良時代の僧・行基が寺を建て、小さな仏を安置したから
3.付近で小さな大日如来像が出現し、これを祀ったから

このお地蔵様は、地名の由来になったお地蔵様ではないでしょうが、こんな感じだったのかなぁ…と想像してみるのもいいのでは。

【小仏峠・頂上4】


さて、ここでお昼です。
名物の赤飯を出してくれる茶店も今はなし。
そんなわけで、旅の仲間Mさんがおもむろにリュックから取り出したのは、アウトドア用の簡易コンロ。そしてWさんが高尾駅前のコンビニから担いできた水(2L)を沸かします。これでおにぎりとカップラーメンのランチセットの出来上がり。
こういう場所で食べるおにぎりとカップラーメン、格別ですね~。在りし日の赤飯にも負けず劣らずです。
ランチ後にはコーヒーまで付いて、寒かったこの日、とても嬉しかったのでした。
昔の旅人も、ここで眼下の景色を楽しみながら、名物の赤飯とお茶で一息入れたのでしょう。峠道は今よりもずっと条件が悪かったでしょうし、しかも草鞋。昔の旅人が、ここで一服するときの安堵の表情が目に浮かぶようです。

さ、エネルギーが充填されたところで、再び歩き始めましょう。今度は頂上から小原宿を目指して下り坂です。
実は、下り坂のほうがきついのでは?と、密かに私は心配していたのですが、さて、どんなものだったのかはあらためて。


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