歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




小仏峠から底沢、美女谷を通って小原宿の中心地に到着です。

【小原の郷】


小原地区の自然環境の紹介、小原宿本陣に保管されていた古文書の展示などをしている、この辺り一帯の観光拠点としての施設です。お土産の売店もあります。
そして峠の東側の小仏バス停から初めてのトイレ。途中に1ヶ所くらいトイレを作ってもいいと思うのですが、やはり維持が大変なのでしょうね。

【パンフレット】


ここでパンフレット「小原宿散策ガイド」と「小原宿本陣」を手に入れました(無料)。「小原宿散策ガイド」は広げると観光案内のマップになっていて、宿場めぐりにはとても参考になります。

【小原宿の案内標識】


この一帯は甲州街道と小原宿を観光の目玉としているようで、写真のような案内標識も随所に建てられています。峠の向こう側の小仏宿も、もう少し頑張ってアピールすればいいのに…って思います。
毎年11月3日には「小原宿本陣祭り」が開催され、江戸時代の風情を偲ぶことができるそうです。来年は見に来ようかな~。

【高札場】


本陣の脇に設置されていたという高札場が復元されています。

【小原宿からの駄賃・人足賃】


正徳元(1711)年のものが高札場に復元されています。
片継ぎだった小原宿なので、西隣の与瀬宿を越えて吉野宿までの駄賃・人足賃となります。馬1頭につき、

・荷物のみ(40貫=150キロまで)を運べば、76文(約1520円)
・人が乗って20貫(=75キロ)の荷物をつけても、同じく76文
・人が乗るだけで荷物がなければ、49文(約980円)
※1文=20円で計算

吉野宿までの距離は約1里(4キロ)。人が乗るだけなら、現在のタクシーとほぼ同じ金額でしょうか。荷物だけにしろ、人と荷物合わせてにしろ、150キロまでの重量になったら、割高でも仕方ないでしょうね。

【小原宿本陣】


そして小原宿本陣に到着です。神奈川県で唯一現存する本陣の建物で、県の重要文化財に指定されています。
小田原北条氏の家臣だった清水家が、代々名主と本陣を兼任していました。
私たちと同じように、小仏峠を越えてきたと思われる旅人が数人、見学に訪れていました。

【小原宿本陣・玄関】


現在の建物は1800年代初頭に建てられたと推定されるそうです。
小原宿の本陣を利用したのは、参勤交代で甲州街道を往来した信濃の高遠藩、高島藩、飯田藩。それと甲府勤番(甲府城の守備が主任務)の役人でした。
ただ、本陣のボランティアの方のお話だと、大名が宿泊したという明確な記録は残っていないそうで、たぶん、休憩に立ち寄った程度なのでは…とのことでした。

【小原宿本陣・室内】


本陣だけあって広いですね。
写真の部屋は、土間から観た広間。その右側が茶の間です。

【旅籠・小松屋】


本陣を出て宿内を西へ進むと、街道沿いには古民家が軒を連ねています。この辺りが
「民家相対し軒を並べること廿九(29軒)」
と記されている、まさに宿場の中心街だったのでしょう。
小原宿は明治時代に大火にあい、江戸時代からの家屋はほとんどが焼失しています(本陣は運よく残ったのですね)。大火後に建て直されたとはいえ、屋号は江戸時代の旅籠からそのまま引き継いでいるようです。
小松屋は本陣、脇本陣の控えの旅籠でした。控えというだけあって本陣からすぐの場所です。

【旅籠・伊勢屋】


再建された家屋は養蚕に適するように造られたとのこと。私の出身地(長野県上田市)も養蚕が盛んだった地域なので、家屋の雰囲気がなんとも懐かしさを覚えます。よく見ると旅籠と養蚕農家の折衷のような建築です。築100年の古民家として、今では小原宿を風情ある景色にしています。

【旅籠・機屋】


まさに養蚕、機織りを髣髴とさせる屋号です。
明治の再建後の建物は、1階が住居、2階は宿泊の他、養蚕、機織りなどに使用されることが多かったとのことです。

【旅籠・永楽屋】


ここの古民家の建築様式は、2階部分が迫り出す「出桁(だしげた)造り」が特徴です。必ずしも2階が迫り出しているわけではないようですが、どの家屋も梁が街道に向かって突き出ています。

【宿場から小仏峠方面】


今歩いてきた宿場の中心街を振り返ってみました。
「小仏峠の険阻に続き…」
と記されている、まさにその景色です。

【南無阿弥陀仏の石碑】


文政2(1819)年の建立。小原宿を守る魔除けの意味があったようです。
宿場のはずれに位置している…とパンフレットに記載されているので、この辺りで小原宿を出るという感じでしょうか。

【小原宿・西端辺り?】


国道20号線に標識が建っています。この辺りが宿場の西端ということですかね。

…そういうことにしておきましょう。

ところで、写真を撮りながらゆっくり歩いていたら、仲間たちは随分先へ行ってしまいました。それも、旧道を通らず20号線を驀進しています。
お~い、ルートじゃないよぉ~と、必死に追いついたものの、疲れからか、誰ひとり、引き返して旧道を歩こうとは言い出さなかったのでした。
ま、仕方ないでしょう。
以前、東海道を歩いたときは、是が非でも旧道に沿って歩くぞ!と強い意志のもと、何度も道を逆戻りしたものでしたが…。

【相模ダム】


そんなわけで、相模ダムを左手に見ながら、一行は相模湖駅を目指したのでした。

【JR相模湖駅】


本日のゴール、相模湖駅に到着しました。
時刻は15時。お疲れ様でした。

それでは、少々早いけど反省会でも…って、駅前には飲み屋らしきものが見当たらない…。
この辺りの人は、どこへ飲みに行くのかな?
結局、八王子へ出ようということになったのですが、やはり電車の本数は高尾までと比べると激減ですね。


といったところで、今年最後の甲州街道歩く旅も無事終了しました。
次回は暖かくなってからとのことなので、3月か4月でしょうか(お互い、仕事も繁忙期に突入するので)。
忘年会を兼ねた反省会は大いに盛り上がり、この日も八王子の夜は気づかぬうちに更けていくのでした…。


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