歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




標高548メートルの小仏峠頂上で昼食をとった私たち。パワーも回復したところで、泥濘に足を取られながらも、小原宿へ向けて再び歩き出します。
峠道を下る前に、頂上での観光スポットをもう幾つかご紹介。

【明治天皇小仏峠御小休所趾及御野立所碑】


明治天皇が小仏峠を越えたのは、明治13(1880)年6月17日のこと。小仏宿から板輿で頂上に到着したのが9時45分。小休止の後、出発したのが10時15分。僅か30分足らずの休息だったそうです。
板輿で峠越えか…ちょっと怖い気がしますが…。

【三条実美の歌碑】


明治時代前期に活躍した太政大臣・三条実美が、高尾山の薬王院で詠んだとされる歌の碑。明治天皇の碑の左側に建っています。

「来てみれば こかひはた織いとまなし 
甲斐のたび路の 野のべやまのべ」

八王子の養蚕業の繁栄ぶりを詠んだ歌のようです。

【高尾山道標】


寛政7(1795)年建立の道標。

【昔は国境、今は県境】


峠の頂上は江戸時代には武蔵の国と相模の国の国境でした。
今は東京都と神奈川県の県境。これから神奈川県相模原市へと入ります(もう入りました、かな)。標識にも相模原市と記されています。

それでは、峠の後半戦、下り坂へと向かいましょう。

【小仏峠・下り坂1】


道の途中、こういった案内が随所に出ています。

【小仏峠・下り坂2】


下り坂なので、ついついスピードが出てしまいがちですが、枯葉や石が濡れていて滑りやすいので、慎重に進んでいきます。

【小仏峠・下り坂3】


切通しのような、土の壁の間を下っていくような感じです。足元も木の根や石などでつまずきやすいので要注意です。

【中峠の茶屋跡辺り】


しばらく進むと、道の両端が野原のように開けた場所に出ます。大きな鉄塔が建っているこの辺りに、かつて中峠茶屋があったとのこと。とくに痕跡は見当たりませんでした。この茶屋がいつのものなのか、調べてみましたがはっきりしません。この道が街道として機能していた江戸から明治時代前半くらいでしょうか?
私たちも、ちょっとここで小休止です。

【小仏峠・下り坂4】


再び坂を下り始めます。
ところで、小仏宿方面から登るのと、小原宿方面から登るのと、どちらがよりきつかったのでしょうか?
事前に、あるネットの記事を読んでみたら、小原宿から登る方が楽、ということが書いてありましたが、どちらかというと小原宿からの方が辛いんじゃない?というのが旅の仲間の一致した見解でした。
もちろん、じゃあ、反対側から登って確かめてみようか?などと言い出す、元気のある輩はいませんでしたが…。

【小仏峠・下り坂5】


そのうちに、道路を走る車の音が聞こえてくるようになります。谷間に反響しているような感じです。
麓も近し!と、元気になってきます。

【小仏峠を越えました】


ついに麓に到着しました。
頂上を出発してから約40分でした。
登りも下りも、もっと時間がかかるかと思っていたので、ちょっと予想外でした。

【小原宿を目指します】


無事、難所の小仏峠を越えました。
時間的には大したことなかったのですが、足元の悪さには要注意です。とくに石ころと濡れた枯葉。山道に慣れている人にとっては何でもないのでしょうけれど…。
勾配は小原宿から登る方がきついと感じました。実際はどうなのでしょうか?
小仏峠と箱根八里、やはり天下の険と言われるだけあって、箱根の方がスケールが大きいですね。規模が全然違うといったらそれまでですが…。
では、小仏峠は楽勝だったのか?というと、けしてそんなことはありません。きっと明日は足がパンパンに張って、筋肉痛に苦しむんだろうなぁ…というのは、この段階で火を見るよりも明らかなのでした。


ま、何はともあれ無事に峠を越えて、あとはゆっくりと小原宿を目指します。案内標識のガイド通り、相模湖駅方面へと向かいます。


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