日日の幻燈

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【note】甲州街道・駒木野宿から小原宿まで歩いてみた(1)-駒木野宿を往く(後編)-

2016-12-02 | 旧甲州街道を往く

11月26日。
東京で11月としては観測史上初の積雪を記録した日から2日後。
いざ、往かん!駒木野宿から難所小仏峠を越えて小原宿へ!!

そんなわけで、峠道のコンディションは大丈夫だろうか?と不安を抱えながら、今年最後の甲州街道歩く旅の開催となりました。

9時に高尾駅に集合。旅の仲間はいつもの4人です。
昼食・飲み物を調達して(途中、コンビニなんてありません)、タクシーで前回の終着地点、駒木野宿へと向かいます。タクシーでも1000円程度だったので、旅の仲間4人で割れば、バスに乗ったのと、そう運賃に違いはありませんでした。

【荒井バス停】


スタート地点は前回の続き、駒木野宿内、荒井のバス停。10時ちょうどでした。
荒井は江戸時代には新井と表記され、家屋26軒の集落だったと記録されています。

【荒井の石仏石塔】


荒井のバス停前。
左から庚申の塔、お地蔵様、戦没者供養塔。庚申の塔は宝永3(1706)年の建立とのこと。真ん中のお地蔵様も古い時代に建てられた感じでした。

【駒木野の一里塚辺り】


荒井バス停付近に江戸から13番目の一里塚があったらしいです。
この辺りから西側が上宿になるようですが、なんの案内も痕跡も見当たらないので、ガイドブックなどから推測するばかり…。

【蛇滝旅籠】


蛇滝茶屋とか蛇滝小屋とか、あるいは蛇滝の行者宿とか、ガイドブックや資料によって呼び名がいろいろ。
江戸後期には「ふじや新兵衛」という旅籠で、蛇滝信仰の講中の定宿だったとのこと。今でも建物を管理されている方がいて、時折、板戸を開けて風を通しているようです。
蛇滝は、高尾山中に江戸時代に整備された滝行の道場で、命を助けられた白蛇の化身という伝説が残っています。

【蛇滝旅籠の講札(はね札)】


軒下に掛かっている講札。75枚あるそうです。

【蛇滝への道標】


蛇滝旅籠の傍らに建てられた道標。
読み取りにくいのですが、
「上行講 是より蛇滝まで八丁」
と、刻まれているそうです。

【圏央道】


蛇滝旅籠をあとにして歩き出すと、ほどなく頭上を圏央道が横切ります。なんだか不思議な眺めでした。

【甲州街道と高尾山道の分岐点】


左折すると、高尾山、蛇滝へと向かいます。
甲州街道は、そのまま直進していきます。だいぶ山奥に来たなぁ…という感じがします。

【高尾山への道標】


高尾山への分岐点に建っています(上の写真の左端)。
建立されたのは享和3(1803)年。
「是より高尾山道」
と、刻まれています。

【甲州街道と中央道】


道端に前々日の雪が残っていたものの、道路状態は普通でした。最悪、積雪の中を進むのか…なんて覚悟していたので。
前方には中央道が見えます。下から見上げると、随分と高いところを車は走っているんですね。

【高尾の幸】


道端の畑では、柿や柚子、大根、サトイモ、梅干し(!)などなど、山の幸を売っていました。100円だって。安いですよね~。私は買いませんでしたが、旅の仲間は家族へのお土産に、とのことでした。

【摺指辺り】


摺指と書いて「するさし」と読みます。もちろん、私は読めませんでしたとも。「○指」という地名は、昔、焼畑を行っていた地域にみられるそうです。江戸後期、32軒の家があったと記録されています。
この辺りが駒木野宿と小仏宿の境界…という記事もありましたが、よくわかりません…。

【常林寺】


曹洞宗のお寺です。
ガイドブックによると、南朝側の小山氏の子孫、峰尾氏が開いたお寺とのこと。
この辺り、峰尾さんという苗字が多いそうです。江戸後期の記録によると、この地の民家32軒はすべて峰尾姓である…だって。

【小山神社】


常林寺のすぐそば、街道からちょっとだけ中央道寄りに入ったところにあります。
室町時代、下野国の小山氏が足利氏に討伐された際、一族の者がこの地に落ち延びて建てた神社で、当初は峰尾明神と称したとのこと。江戸時代の記録には小山明神と記されています。
この小山神社といい、常林寺といい、峰尾姓といい、平家の落人伝説のように、この辺り一帯は小山一族・峰尾氏の隠れ里のような感じだったのでしょうか。

【木下沢橋】


木下沢と書いて「こげさわ」と読みます。
江戸時代の地誌「武蔵名所図会」に、木下沢川と小仏川がこの橋の下で合流して流れていく…と記されています。また、この辺りで川を渡って奥に入っていくと、昔、鉱石を採掘していた古い穴があったとも記されていますが、この書物が書かれた当時、すでに廃坑となっていたそうです。
「何百年前に朽ちたのか、知る人はいない」(「武蔵名勝図会」)

【木下沢橋辺りの甲州街道】


さらに山奥めいてきました。
気温もあがらず、指先が冷たかったです(耐えられないほどではありませんでしたが)。
川からは湯気(川霧かな?)がたつほどでした。

【小仏宿入り口】


ガイドブックによると、このJRの赤レンガを潜ると小仏宿とのこと。案内板くらいあってもいいのにね。
それにしても、この赤レンガも古そうですね。中央線開通時のものでしょうか。

ということで、駒木野宿はなんとなく終わってしまって、武蔵国最後の宿場、小仏宿に入ります。


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