わたしが「愛と心理療法」に出会ったのは九年前、ちょうど母の大腸癌の発症(00年3月)、手術(同年5月)、そして闘病生活。父の二度目の大きな脳梗塞(01年4月)と前後する頃だった。今から思えば人生の転機だったのだろう。行き詰ったように感じて仕事を辞め、父母の介護・看護にすんなりかかることができた。
「愛と心理療法」の引用を続けよう。
「精神科医を訪れる人の多くは、いわゆる神経症か性格障害に悩まされている。簡単に言えばこの二つは責任感の障害であり、それ自体としては、外界や問題への関わり方が正反対のものである。つまり、神経症は責任を取りすぎ、性格障害はとらなさすぎる。神経症の人は外界ともめると自動的に自分が悪いと思う。性格障害の場合は外界が誤っているとする。
神経症と性格障害とは、言葉のパターンまで違っている。神経症の人のことばには、『私は・・・・・すべきだ』とか『・・・・・すべきでない』という表現が目立っており、つねに基準に達しないたえず誤った選択をする劣等者という彼らのセルフ・イメージを示している。一方、性格障害の場合は、『私は・・・・・できない』『できなかった』『私は・・・・・するしかない』『・・・・・するしかなかった』という表現が多く使われ、その行動がどうしようもない外的な力によって左右され、自分には選択する力がないとする、彼らのセルフ・イメージを表している。想像されるように、性格障害に比べて神経症の方が、心理治療では扱いやすい。というのは、彼らは自分の困難は自分の責任であるとして、自分に問題のあることを認めるからである。性格障害の治療は、不可能とは言わないまでも一層困難である。彼らは自分自身を問題の根源と見ていない。変化しなければならないのは自分でなく外界だと思っているので、自省する必要性を認めることができない。実際には、多くの人々が神経症と性格障害の両面をもっており、『性格神経症』と呼ばれている」
(「愛と心理療法」M・スコット・ペック)
この部分を読んで母のことが瞬時に理解できた。母は「自分の人生は不幸な人生だった」と、夫婦喧嘩の後や突然脈絡もなく愚痴っていた。振り返った人生でなにもかもが不本意で意に沿わなかったようだ。「私のせいではない」と言い張り、悪かったのはすべて誰かであり、そこには自分の選択による責任というものの入る余地がなかった。大腸癌に罹って手術したが一年後再発。その後一年半の闘病生活を送ったが、このような艱難辛苦にあっても精神的成長は見られず、腸のほとんどが閉塞して、まさに腹幅るる思いをしながら旅立った。せめて、悪いことばかりではなかった。多くの恩寵(Amazing Grace)を受けていたのだと悟って欲しかった。そうすれば母としっかり和解できたと思うのだが・・・。
神経症の傾向を強くもって育った彼女の子どもたちは、長女は賢明に育ち有名私立大学の教授になったが、長男は強迫神経症を撥ね返すことができず27で自死してしまった。次男は平凡なキャリアを辿り57にして漂泊の後半生を送っている。
ああこの人生、なかなか大変だぁ
「愛と心理療法」の引用を続けよう。
「精神科医を訪れる人の多くは、いわゆる神経症か性格障害に悩まされている。簡単に言えばこの二つは責任感の障害であり、それ自体としては、外界や問題への関わり方が正反対のものである。つまり、神経症は責任を取りすぎ、性格障害はとらなさすぎる。神経症の人は外界ともめると自動的に自分が悪いと思う。性格障害の場合は外界が誤っているとする。
神経症と性格障害とは、言葉のパターンまで違っている。神経症の人のことばには、『私は・・・・・すべきだ』とか『・・・・・すべきでない』という表現が目立っており、つねに基準に達しないたえず誤った選択をする劣等者という彼らのセルフ・イメージを示している。一方、性格障害の場合は、『私は・・・・・できない』『できなかった』『私は・・・・・するしかない』『・・・・・するしかなかった』という表現が多く使われ、その行動がどうしようもない外的な力によって左右され、自分には選択する力がないとする、彼らのセルフ・イメージを表している。想像されるように、性格障害に比べて神経症の方が、心理治療では扱いやすい。というのは、彼らは自分の困難は自分の責任であるとして、自分に問題のあることを認めるからである。性格障害の治療は、不可能とは言わないまでも一層困難である。彼らは自分自身を問題の根源と見ていない。変化しなければならないのは自分でなく外界だと思っているので、自省する必要性を認めることができない。実際には、多くの人々が神経症と性格障害の両面をもっており、『性格神経症』と呼ばれている」
(「愛と心理療法」M・スコット・ペック)
この部分を読んで母のことが瞬時に理解できた。母は「自分の人生は不幸な人生だった」と、夫婦喧嘩の後や突然脈絡もなく愚痴っていた。振り返った人生でなにもかもが不本意で意に沿わなかったようだ。「私のせいではない」と言い張り、悪かったのはすべて誰かであり、そこには自分の選択による責任というものの入る余地がなかった。大腸癌に罹って手術したが一年後再発。その後一年半の闘病生活を送ったが、このような艱難辛苦にあっても精神的成長は見られず、腸のほとんどが閉塞して、まさに腹幅るる思いをしながら旅立った。せめて、悪いことばかりではなかった。多くの恩寵(Amazing Grace)を受けていたのだと悟って欲しかった。そうすれば母としっかり和解できたと思うのだが・・・。
神経症の傾向を強くもって育った彼女の子どもたちは、長女は賢明に育ち有名私立大学の教授になったが、長男は強迫神経症を撥ね返すことができず27で自死してしまった。次男は平凡なキャリアを辿り57にして漂泊の後半生を送っている。
ああこの人生、なかなか大変だぁ
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