≪浦島物語とケルト伝説≫
(2022年1月19日投稿)
今回のブログでは、「浦島物語とケルト伝説」というテーマで考えてみたい。
次の文献がこのテーマに取り組むきっかけとなった。
原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]
≪原英一氏の略歴≫
1948年生まれで、東北大学大学院修士課程修了し、出版当時、東北大学文学部英文学科教授であった。専門は、英国小説、英国演劇および比較文化論である。
浦島物語とケルト伝説の類似性については、ユーラシア大陸の東西の両端に位置する国の物語・伝説に関するもので、一見、不思議で信じられない気もするが、研究史的にも蓄積ある分野であるようだ。
・土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
・和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月
和田寛子論文は、ネットでも閲覧可能なので、興味ある人は一読をお勧めしたい。
また、ケルト文化は日本人になじみにくい分野にも感じるが、例えば、エンヤ(Enya)の音楽には、ケルト文化を反映しているとはよく言われるところである。ケルトの国アイルランド出身であるエンヤは、神の国へ誘う声と評されるヒーリング的な歌声である。神秘的なケルト音楽の影響を受けているとされる。
また、ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)は、アイルランド出身の女性で構成される4人組の音楽グループである。2006年2月に行なわれたトリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを受賞した荒川静香さんが、エキシビションで「You Raise Me Up」を使用し、日本で知られるきっかけになったことは、よく知られている。
浦島物語は、壮大で悠久な物語であることに気づく。ユーラシア大陸をまたぐという意味で「壮大」であり、古代、中世、近代にわたり日本の文化史を貫くという意味で「悠久」なのである。
【原英一『お伽話による比較文化論』(松柏社)はこちらから】
お伽話による比較文化論
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ペイント・ザ・スカイ ~ザ・ベスト・オブ・エンヤ
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
文化を捉えるにあたって、基本的にどのような態度をもって臨むのか?
原氏は、比較文化研究の基礎として、20世紀後半の思想の流れの中で、次の2つの考え方があるという。
①構造主義的な考え方
②伝統的な歴史主義的考え方
その題材として、第Ⅴ章では、「浦島物語」を取り上げている。
「浦島物語」は、お伽話として知られたものであるが、多くの有名なお伽話がそうであるように、これもまた本来は神話ないし伝説であったものである。
不思議なことに、日本の浦島物語と酷似した物語が、スコットランドやアイルランドのケルト人の間に伝わっているのである。
それはどのような理由によるのだろうか?
このように、原英一氏は問いかけている。
原氏によれば、その解答を求めるにあたって、先の歴史主義的仮説と構造主義的仮説の2つを立てることができるとする。
ところで、英文学者であった土居光知氏は、その著書
〇土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
の中で、このことを取り上げた。つまり、「伝播」という概念による特異な歴史主義的文化研究の可能性を示した。
すなわち、約1万年ほど前に、中央アジア、コーカサス山脈の南方あたりに、人類の原初の楽園が実際に存在していた。そこは自然の果樹園であり、温暖で食料が豊富で、人類は安全に幸福に暮らすことができた。
しかし、何らかの理由でその楽園を追われることになった人類は、各地に四散していった。楽園の記憶も同時に移動して、やがて伝説となっていった。
数千年の時を経て、この物語は日本において「浦島」の物語となり、ユーラシア大陸西端のケルト民族の世界においては、「歌人トマス」や「永遠の青春の島」の伝説となったという。
以上が、土居光知氏の壮大な仮説である。
この仮説は、構造主義的神話研究が主流の時代にあって、独自の歴史主義的立場を示したものとして、一定の評価が与えられた。
ただ、批判もある。
・この仮説を学問的に立証するとなれば、膨大な調査を必要とする
・数千年にわたる口承伝説の歴史をたどるのは、現実には全く不可能である
・同時に、構造主義的な考え方によって、浦島伝説とケルトの「歌人トマス」やアシーンの伝説との類似を説明できる可能性を考慮しなければならない
原英一氏は、次のようにコメントしている。
・現実に楽園があったかなかったかは別にしても、楽園への憧れは人類普遍のものである。それが基本的な物語構造を準備し、それぞれの地域で似通った物語が生まれたということは、十分にあり得る
・しかし、構造主義的説明には、歴史的実証を省略できるという安易さが常につきまとうので、土居氏の仮説を一つの挑戦として受けとめておく必要は残る
そして、原氏は、アイルランドとアシーンの伝説について、次のように解説している。
〇浦島物語とケルト伝説の類似には驚くべきものがある。
スコットランドの「歌人トマス」のバラッドでもそれは顕著だが、アイルランドのアシーン伝説の方は、さらに類似点が多い。
・ケルトの英雄アシーン(Oisin)が、一族の者たちと狩りをしていると、白馬に乗った美しい女がやってくる。彼女は青春の国の王女ニーアヴ(Niamh)であると名乗り、アシーンに求愛する。
・彼女の美しさに魅せられたアシーンは、父が引きとめるのを振り切り、彼女と共に馬に乗り、海の彼方に去ってしまう。
・やがて二人が着いたのが、ケルト伝説の楽園、不老不死の「永遠の青春の島」であった。
この島でアシーンはニーアヴと300年の時を過ごす。
・しかし、アシーンは望郷の思いに駆られ、帰国を望む。
ニーアヴは思いとどまらせようとするが、ついに彼が故国に戻ることを許す。
・あの白馬に乗って帰ろうとするアシーンに、彼女はこう警告する。
「もしもう一度私の許に戻ってきたければ、決してこの馬から降りてはいけません。」
・アシーンが故国に帰り着いてみると、すべてがすっかり変わってしまっており、ケルトの伝統的な文化は失われ、キリスト教が入り込んでいた。
・勇猛果敢な戦士であった彼の一族の末裔たちが、重い石の下敷きになって苦しんでいるをの見てあきれたアシーンが、手を伸ばしてその石を投げ捨てたとき、彼は馬からすべり落ちてしまう。
・すると白馬は煙のごとく消え去り、彼自身もたちまち300歳の老人となってしまった。
以上が、アイルランドのアシーン伝説である。
(浦島物語とのこれほどの類似を、構造主義的神話論やナラトロジー(物語論)で説明することが、はたしてできるのであろうかと、原氏は付言している)
ケルト人とケルト文化についても、原氏は解説している。
・ケルト人は、かつては西アジアからアイルランドに至る広大な地域を支配した有力な民族であった。
ゲルマン諸部族の民族大移動によって、彼らは滅亡するか、辺境に追いやられるかの運命をたどった。
・しかし、その文化は連綿と受け継がれ、今日のアイルランドやスコットランドに残されている。ヨーロッパ文化の一つの底流として生きていると言える。
⇒約3000年にわたる複雑な歴史を持ったケルト文化の世界は、広く深い。
(これをきっかけに、その世界を探求してみることにも意義があろう。ケルト文化の世界は、遠く離れた世界でありながら、もしかしたら日本と意外に近いかもしれない)
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、115頁~117頁)
和田寛子氏は、先の原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』(松柏社、1997年)を参考文献として、「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」のあらすじについて、まとめている。
アシーンはエリン(アイルランド)の国、随一の勇者で優れた詩人だった。
常若の国の王女である美女ニーアヴがやってきて、アシーンを夫に迎えたいといい、二人は伝説の楽園常若の国へと旅立つ。
白馬で海を越え、楽園にたどり着いたアシーンとニーアヴは300年間夢のような暮らしを送るが、やがて望郷の想いに駆られたアシーンが帰郷を望むと、ニーアヴは、
「戻ってきたければ、決して馬から降りてはいけない」と忠告し、帰郷を許す。
故国に帰ったアシーンは、不注意から大地に降りてしまう。すると、馬は一瞬のうちに消え去り、とたんにアシーンの体は300歳の老人になってしまう。
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、63頁)
ケルトは文字化された知識体系を残さなかったが、神話や伝承は口承によって多く伝えられている。
(しかし、口承のためか、現代に至るまでにもとの話からさまざまに変形した。古い伝承では、ニーアヴが豚の顔であらわれる話などもあるようだ)
Oisin in the Land of Youth
An Irish Legend
Retold by Marie Heany
☆ニーアヴと「ティルナヌオーグ」について
The woman reined in her horse and came up to
where Finn stood, moon-struck and silent. “I’ve
traveled a great distance to find you,” she said, and Finn
found his voice.
“Who are you and where have you come from?” he
asked. “Tell us your name and the name of your
kingdom.”
“I am called Niamh of Golden Hair and my father
is the king of Tir na n-Og, the Land of Youth,” the girl
replied.
【NOTES】
Finn:Oisinの父でFiannaの指導者。勇猛果敢な戦士。
the Fianna:「フィーアナ戦士団」Conn of the Hundred Battlesがアイルランド王であったときに組織された戦士と狩人の集団。
Oisin:アシーンは、悪のドルイド僧によって鹿の姿に変えられた美女ソイーヴ(Sadb)とフィンとの間に生まれた。
Niamh:ニーアヴ
Tir na n-Og:「ティルナヌオーグ」ケルト伝説の永遠の青春の国。
☆「ティルナヌオーグ」(ケルト伝説の永遠の青春の国)について
As Niamh and Oisin approached
the fortress a troop of a hundred of the most famous
champions came out to meet them.
“This land is the most beautiful place I have ever
seen!” Oisin exclaimed. “Have we arrived at the Land
of Youth?”
“Indeed we have. This is Tir na n-Og,” Niamh
replied. “I told you the truth when I told you how
beautiful it was. Everything I promised you, you will
receive.”
【NOTES】
☆アシーンの帰郷について
Three hundred years went by, though to Oisin they
seemed as short as three. He began to get homesick for
Ireland and longed to see Finn and his friends, so he
asked Niamh and her father to allow him to return
home. The king consented but Niamh was perturbed by
his request.
【NOTES】
perturbed 「動揺した」
☆馬から降りてはいけないという禁忌について
So Niamh consented, but she gave Oisin a most
solemn warning.
“Listen to me well, Oisin,” she implored him, “and
remember what I’m saying. If you dismount from the
horse you will not be able to return to this happy
country. I tell you again, if your foot as much as
touches the ground, you will be lost for ever to the Land
of Youth.”
Then Niamh began to sob and wail in great distress.
“Oisin, for the third time I warn you: do not set foot on
the soil of Ireland or you can never come back to me
again! Everything is changed there. You will not see
Finn or the Fianna, you will find only a crowd of monks
and holy men.”
【NOTES】
solemn warning 「厳粛な警告」
implored 「懇願した」
if your foot as much as touches the ground 「あなたの足がほんのわずかでも地面に触れれば」
sob and wail in great distress 「非常に嘆き悲しんで泣き叫ぶ」
a crowd of monks and holy men 「大勢の修道僧や聖職者たち」
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、128頁~145頁)
ある日、浦島太郎という漁師が浜辺で亀を助け、そのお礼として竜宮城へ案内される。
竜宮城では美しい乙姫にもてなされ、毎日うっとりと暮らしていたが、三日目に家に残してきた母親を思い出して急に帰りたくなってしまった。
乙姫は引き止めても聞かない太郎に、美しい箱を渡して、
「これは玉手箱です。どんなことがあっても開けてはいけません」と言った。
太郎は浜辺に戻ると、竜宮城にいたあいだに地上では百年も経ってしまったことがわかり、さびしさのあまり玉手箱を開けてしまう。
すると、箱の中から煙が立ちのぼり、太郎はあっというまに、よぼよぼの老人になってしまった。
さて、「常若の国のアシーン」と浦島太郎伝説の3つの共通点を和田寛子氏は指摘している。
①美しい女性の登場
②この世とは時間の流れが異なる世界への訪問
③主人公が禁忌を犯す
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、63頁)
浦島、アシーンの伝説は、異界訪問(異なる時間が流れる世界を訪れること)という点で共通している。
土居光知論文「うた人トマスと浦島の子の伝説――比較文学的研究の試み」(土居光知・工藤好美『無意識の世界――創造と批評』研究社、1966年、所収)では、土居光知氏は次のように指摘している。
浦島、トマス、アシーンはともに、郷里において契りを結び、女神に伴われて神仙郷に入り、女神に奉仕する。その結婚は、世俗からの絶縁を意味し、父母に再会したいという念願を口にすることによっても、神人の関係が危機に当面するというのである。
また、かつて豊穣を祈願するために大地の女神に若者をささげる儀式があり、女性が迎えにくる伝説は、その宗教儀礼を反映したものと、土居氏は考えている。
ところで、昔話や伝説は日常生活の中に非日常的世界が介入するところからドラマが始まる。浦島太郎やアシーンが訪れた異界に共通しているのは、時間の流れの異常性である。「常若の国のアシーン」では、ティル・ナ・ノーグ(Tir na n-Og)と呼ばれる国がそれにあたり、そこでは老いている者は次第に若返り、死も苦しみもない。
浦島物語では、男が海の中の宮へ行くが、帰郷して初めて時間の流れが食い違っていることを知る。
そして、禁忌の問題が出てくる。
浦島太郎は現世に戻り、300年の時が経ってしまったことを知り、寂しさのあまり「開けてはいけない」と手渡された玉手箱を開けてしまった。アシーンは、自分と比べてあまりに弱々しい人々に手を貸そうとしたところ、「降りてはいけない」といわれていたのに、馬から大地に降り立ってしまった。
どちらも、帰郷を願った主人公に女神が「してはいけないこと」をひとつ与え、その禁忌を犯した主人公が老人になってしまうという同じ結果で物語は終わる。つまり、浦島が玉手箱を開けて老人になってしまったように、アシーンも馬からおりて老人になってしまう。
老人になったのは、浦島とアシーンの人間としての時間が一気に正常に戻ったためである。この禁忌のモチーフは、異界とこの世の時の壁とも考えられる。
アシーンの物語は、死と再生の物語であるとも考えられる。主人公は異世界との接触によって死ぬが、そこから再び人間界へ立ち返る。
死者が神の国へ行くという考え方は古くから日本にもある。『古事記』にもイザナギ、イザナミの話として伝えられている。海が信仰の対象であったのもケルトと日本と共通するところであり、二つの文化の異界観、死生観に似通ったところがあると、和田寛子氏は指摘している。
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、71頁~74頁)
浦島物語の典拠として、原英一氏は次のものを史料として挙げている。
①『日本書記』(雄略天皇22年(AD478)の項)
②高橋虫麿『万葉集』巻九
①『日本書記』(雄略天皇22年(AD478)の項)
丹波国余社郡、菅川の人、水江浦島子は、船に乗りて釣し、遂に大亀を得たり、便(すなは)ち化して女となる。ここに浦島子感じて婦(つま)となす。相遂(あいともな)ひて海に入り、蓬莱山に到り、仙衆を歴(めぐ)り覩(み)る。語は別巻にあり。
※「別巻」とは、丹波の国の国守馬養(うまかい)の連(むらじ)によって書かれたもので、これが最古の文献のはずであるが、すでに散逸している。
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、118頁)
②高橋虫麿『万葉集』巻九
春の日の 霞める時に
墨吉(すみよし)の 岸に出でゐて
釣舟の とをらふ見れば
古(いにしへ)の事そ思ほゆる
水江(みずのへ)の 浦島の子が
堅魚(かつお)釣り 鯛釣り矜(ほこ)り
七日まで 家にも来ずて
海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
海若(わだつみ)の 神の女(をとめ)に
たまさかに い漕ぎ向ひ
相誂(あひあとら)ひ こと成りしかば
かき結び 常世(とこよ)に至り
海若の 神の宮の
内の重(へ)の 妙なる殿に
携(たづさ)はり 二人入り居て
老いもせず 死にもせずして
永き世にありけるものを
世の中の 愚人(おろかひと)の
吾妹子(わぎもこ)に 告げて語らく
須臾(しましく)は 家に帰りて
父母(ちちはは)に 事も告(かた)らひ
明日のごと われは来なむと
言ひければ 妹(いも)がいへらく
常世辺(べ)に また帰り来て
今のごと 逢はむとならば
この篋(くしげ) 開くな勤(ゆめ)と
そこらくに 堅めし言(こと)を
墨江(すみのへ)に 帰り来(きた)りて
家見れど 家も見かねて
里見れど 里も見かねて
恠(あや)しと そこに思はく
家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間(ほど)に
垣も無く 家滅(う)せめやと
この箱を 開きて見てば
もとの如(ごと) 家はあらむと
玉篋 少し開くに
白雲の 箱より出でて
常世辺に 棚引きぬれば
立ち走り 叫び袖振り
反側(こひまろ)び 足ずりしつつ
たちまちに 情(こころ)消失(けう)せぬ
若かりし 膚もしわみぬ
黒かりし 髪も白けぬ
ゆなゆなは 気(いき)さへ絶えて
後つひに 命死にける
水江の 浦島の子が
家地(いえどころ)見ゆ
常世辺に 住むべきものを
剣刀(つるぎたち) 己が心から
鈍(おそ)やこの君
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、118頁~120頁)
ひろさちや氏は、次の著作で、浦島物語について、言及し検討している。
〇ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年
まず、浦島太郎の物語を文部省唱歌から検討している。
それは、「昔々浦島は助けた亀に連れられて 龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ」から始まる。
最後の五番では、
「心細さに蓋とれば、あけて悔しき玉手箱 中からぱっと白烟、たちまち太郎はお爺さん」とある。
玉手箱をあけて浦島は、いったい何になったのかと、問い直す。
文部省唱歌にあるように、お爺さんではないと念を押している。鶴になったのである!と強調している。
(そこのところに、文部省唱歌の決定的な誤りがあるとする)
その理由は、「浦島太郎」の物語の典拠にあると主張している。
この物語は、『御伽草子』の中の、浦嶋太郎が基本テキストである。
『万葉集』『丹後風土記逸文』などにも、浦嶋子(うらのしまこ)が登場するが、『御伽草子』のほうが一般的であるとみる。
浦嶋は、龍宮城で美しい女性を妻とし、3年を送った。
≪三年(とせ)が程は、鴛鴦(ゑんあう)の衾(ふすま)の下に比翼の契(ちぎり)をなし≫
と、『御伽草子』に記している。
ところで、3年になったとき、浦嶋は妻に一時休暇を願い出る。国に帰って、父母にこのことを報告してくるというのだ。それで、女は夫に一つの箱を持たせて国に帰らせた。
浦嶋がふるさとに帰るとふるさとは一変している。あまりの変わりように、彼はびっくりする。
そこで、老人をつかまえて、問うてみる。すると老人は、
≪その浦嶋とやらんは、はや七百年以前の事と申し伝へ候(そうらふ)≫と言う。
ここのところが重要であると、ひろさちや氏は強調している。
浦嶋太郎は龍宮城で3年を送った。彼は3年のつもりでいた。だが、ふるさとに帰って来ると、それが700年だったのである。
で、問題は玉手箱である。≪あけて悔しき玉手箱≫である。
浦嶋太郎は玉手箱の蓋をあけて、どうなったか。
文部省唱歌だと、≪中からぱっと白烟≫であるが、『御伽草子』は、
≪中より紫の雲三すぢ上(のぼ)りけり≫とある。
そのあとが肝腎である。
文部省唱歌は、≪たちまち太郎はお爺さん≫である。
しかし、『御伽草子』は、
≪扨(さて)浦嶋は鶴になりて、虚空に飛び上りける≫と記す。
お爺さんではなく、鶴になったのである。
この鶴のほうが、合理的であるとひろさちや氏は考えている。
人間はどう考えても、700歳まで生きることができない。しかし、鶴であれば、700歳まで生きられる。なぜなら、「鶴は千年、亀は万年」といわれていたから。
(鶴は千年、生きられるのであるから、浦嶋太郎は700歳の鶴になっても、あと300年は生きられるとも考えられえるという。龍宮城の乙姫は、いとしの浦嶋太郎に300年も寿命をプレゼントしたとも。それが玉手箱の秘密であると、ひろさちや氏は説いている)
(ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年、29頁~38頁)
【ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫はこちらから】
昔話にはウラがある (新潮文庫)
まず、『御伽草子』とはどのようなものであるのか。
参考にしたのは、次の文献である。
〇大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]
『浦島太郎』や『一寸法師』などを収めた御伽草子は、南北朝から江戸初期にかけて、わかりやすい散文体で書かれた読物である。多くの作品は、おおむね室町時代を中心になったと考えられている。
御伽草子の中で、人間以外の動植物などを擬人化した作品は、一般に異類物と呼ばれて、かなり多く作られている。そのような異類物の流行は、おもに民間説話の文芸化ともかかわることであり、また仏説や歌論などの影響をもうけたと考えられている。
人間と異類との交渉をのべた作品としては、『浦島太郎』『蛤の草紙』『木幡狐』『鼠の草子』などが挙げられ、異類婚姻譚の代表とされる。
ところで、大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』(小学館、1974年[1985年版])の口絵には、京都府与謝郡伊根町の宇良神社所蔵の「浦島明神縁起絵巻」が載っている。宇良神社は、浦島太郎を祭る神社として知られている。
この絵巻は、室町初期の制作といわれており、浦島関係の絵としては、もっとも古い例と認められている。この絵巻の筋書は、御伽草子の『浦島太郎』とも、ほぼ一致するようである。
(ただし、最後の部分で、浦島明神の祭礼について、かなり細かに描かれており、よく縁起の特色を示しているという)
この口絵は、浦島太郎が故郷に帰ってから、玉手箱をあけたために、老翁と化するという場面である。浦島は木の下にすわって、玉手箱をいだいている。その後方には、龍宮の女と思われる者が、玉手箱を持って現れている。
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、解説、特に5頁~7頁、13頁)
それでは、実際に『御伽草子』には、浦島太郎物語の結末はどのように記されているのか。
この点について、述べておきたいが、まず、始まりは次のように記してある。
「昔、丹後国に浦島といふ者侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年の齢(よはひ)二十四五の男(をのこ)ありけり。」
(昔、丹後国に浦島という者がおったが、その子に浦島太郎と申して、年のころ、二十四、五の男がいた)
【注釈】
丹後国~京都府北部。
浦島太郎~『万葉集』1740に「水江(みずのえ)の浦島子(うらしまのこ)とあって、古くから「浦島子」として知られていたが、ここに至って「太郎」という名をつけられたものである。
浦島太郎は、海の魚を取って、父母を養っていたが、ある日のこと、「ゑしまが磯」という所で、亀を一匹釣り上げた。
そして、浦島太郎は、この亀に向かい、次のように言っているのが注目される。
浦島太郎、この亀に言ふやう、
「なんぢ、生(しやう)あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。
【現代語訳】
浦島太郎は、この亀に向かい、
「おまえは、命のあるものの中でも、鶴は千年、亀は万年といって、寿命の長いものだ。今すぐ、ここで命を奪うことはかわいそうなので、助けるのだ。日ごろ、この恩を思い出すがよい」と言って、この亀をもとの海に返した。
その後、女人に連れられて、女人の故郷の龍宮城に行き、契りを結んで、しあわせに過ごした。そして三年たって、故郷に戻ることになる。
【注釈】
龍宮城~龍宮城に当たるものは『万葉集』1740・1741に「常世(とこよ)」とおあり、『日本書紀』雄略紀に「蓬莱国(とこよのくに)」とある。ここで龍宮城というのも、常世や蓬莱に通ずる海中の異郷として語られている。
『御伽草子』にみられる浦島物語の結末部分を抽出してみたい。
太郎思ふやう、亀が与へしかたみの箱、あひかまへてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせん、あけて見ばやと思ひ、見るこそくやしかりけれ。この箱をあけて見れば、中より紫の雲三すぢ上りけり。これを見れば、二十四五の齢も、たちまちに変りはてにける。
さて、浦島は鶴になりて、虚空に飛び上りける。そもそも、この浦島が年を、亀がはからひとして、箱の中にたたみ入れにけり。さてこそ、七百年の齢を保ちける。あけて見るなとありしを、あけにけるこそよしなけれ。
君に逢ふ夜は浦島が玉手箱あけて悔しきわが涙かな
と、歌にも詠まれてこそ候へ。
生あるもの、いづれも情(なさけ)を知らぬといふことなし。いはんや、人間の身として、恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり。情深き夫婦は、二世の契りと申すが、まことにありがたきことどもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。亀は、甲に三せきのいわゐをそなへ、万代(よろづよ)を経しとなり。さてこそめでたきためしにも、鶴亀をこそ申し候へ。ただ人には情あれ、情のある人は、行く末めでたきよし申し伝へたり。
その後、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神とあらはれ、衆生済度し給へり。亀も、同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。
【注釈】
・今は何かせん~今はどうしようか、もうしかたがない。
・よしなけれ~かいがない、くだらない。
・浦島が玉手箱~「浦島が玉手箱」は序詞のように「あけて悔しき」にかかる。「あけて」は、箱をあける意と夜が明ける意とをかける。
・「恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり」は、室町時代のことわざ。
幸若舞『屋島軍』に「恩を見て恩を知らざるをば鬼畜木石にたとへたり」、同『信太』に「恩を知らぬ者はただ木石のごとし」とある。
・蓬莱の山~中国の想像上の山
・「三せきのいわゐ」は未詳、「いわゐ」は「祝(いはひ)」か。
【現代語訳】
太郎が思うには亀がくれた形見の箱はけっしておあけなさいますなと言っていたが、今となっては何としようか、あけて見ようというので、見るはめになったのは残念なことである。この箱をあけて見ると、中から紫の雲が三すじ上った。これを見ると、二十四、五の年齢も、たちまちに変わりはててしまった。
そして、浦島は鶴の姿になって、大空に飛び上がっていった。そもそも、この浦島の年齢を、亀のはからいによって、箱の中にたたみ入れてあったのだ。だからこそ、七百年の寿命を保っていたのだった。
あけて見るなと言われたのを、あけてしまったのはかいのないことであった。
(あなたに逢う夜は、浦島の玉手箱をあけてくやしい思いをしたように、明けてくやしく思われ、涙が流れることだ)
と歌にも詠まれている。
命のあるものは、どれも情けを知らないということはない。まして、人間の身として、恩をうけて恩を知らないのは、木や石にたとえられている。情愛の深い夫婦は二世の契りというが、まったくめったにないことであるよ。浦島は鶴になり、蓬莱の山に遊んでいる。亀は、甲に三せきのいわゐをそなえ、万年を経たということである。そうだからこそ、めでたいことのたとえにも、鶴や亀のことを申すのである。ひとえに人には情けがあってほしい、情けのある人は行く末めでたいというように申し伝えている。
さてそののちに、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神(みょうじん)としてあらわれ、いっさいの生物をお救いになっている。亀も、同じ所に神としてあらわれ、夫婦の明神とおなりなさる。まことにめでたかった先例である。
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、414頁~424頁)
ところで、注釈には、次のようにある。
丹後国の浦島太郎は、釣り上げた亀を放してやり、その化身の女と契りを結んで、龍宮城でしあわせに過ごした。
三年たって故郷に帰ってみると、こちらでは七百年がたっており、すっかり変わっていた。
そこで、亀からの形見の箱をあけてみると、たちまち老いて鶴となり、龍宮城の亀とともに神として現われたという。
龍宮女房型の異類婚姻譚であるが、『日本書紀』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝』など、かなり多くの文献に伝えられている。
この御伽草子に至って動物報恩譚の要素を加えて、本地物の傾向をも示しているという。
<ポイント>
・浦島太郎の物語は、龍宮女房型の異類婚姻譚
・『日本書紀』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝』など、多くの文献に伝えられている
・この御伽草子に至って、動物報恩譚の要素が加わった
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、414頁)
【大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館はこちらから】
日本古典文学全集 36 御伽草子集
【蓬莱山について】
さて、『御伽草子集』の注釈の「蓬莱山」は説明が少ないので、補足しておく。
・中国古代の戦国時代(前5~前3世紀)、燕、斉の国の方士(神仙術を行う人)によって説かれた神仙境の一つ。普通、渤海湾中にあるといわれ、ここに仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられていた。
・この薬を手に入れようとして、燕、斉の諸王は海上にこの神山を探させ、秦の始皇帝が方士の徐福を遣わしたことは有名である。
・三神山中で蓬莱山だけが名高いのはかなり古くからで、漢の武帝のとき方士の李少君が上疏して蓬莱山について述べ、のちに渤海沿岸に蓬莱城を築いている。
・また、唐代には、蓬莱県が設置され、李白、白居易、杜甫、王維などの詩人たちによって、蓬莱山が福・禄・寿の象徴として歌われている。
⇒日本でももっぱら蓬莱山のみ詩歌や絵画の題材として用いられ、庭園様式にもみられるのは、おそらく唐代ころの普遍化された蓬莱像がそのまま伝わったためであろうと考えられる。
【「鶴は千年、亀は万年」について】
日本で「縁起の良い生き物」として、鶴と亀があげられる。そして、「鶴は千年、亀は万年」といわれる。『御伽草子集』にも、浦島太郎が亀を助けて、海に返すときのも、この文言がでてきた。すなわち、
浦島太郎、この亀に言ふやう、
「なんぢ、生(しやう)あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。
この「鶴は千年、亀は万年」は、日本独自の考え方ではなく、中国から伝えられたものである。
古く中国前漢時代の思想書に、鶴は千年、亀は万年の寿命を持つという言い伝えがあることが記されている。つまり、鶴と亀がセットで長寿で縁起の良い生き物であるという考え方は、中国から日本へ伝わった。
また、室町時代以降に日本で演じられるようになった能の演目の一つに「鶴亀」がある。
(これはおめでたい演目とされる)
この演目は、中国の皇帝の長寿を祝って、鶴と亀の冠を着けた舞人が舞うという内容である。
(このことからも、鶴と亀が長寿であるという思想が中国から伝わったものであることがうかがえる。また、「鶴亀」に登場する皇帝は、唐の玄宗とは限らないが、玄宗に擬せられることが多い。)
能の演目の「鶴亀」には、次のようにある。
「地 亀ハ万年の齢を経て。鶴も千代をや。重ぬらん。」
【現代語訳】
「地 亀は万年の齢を経て、鶴も千代の歳を重ねる。
【英訳】
「Reciters It is said that a tortoise lives ten thousand years and a crane lives one thousand years.」
「四 鶴と亀に触発された皇帝が舞う
亀が瑞祥を現(ママ)し、鶴が千年の齢を皇帝に捧げようと庭に入ってきたので、皇帝も大いに喜び、自ら舞楽の秘曲の舞を舞う。
【英訳】
4 Emperor Who Is Inspired by the Dance of Crane and Tortoise Dances
The Emperor is greatly pleased with the Tortoise which expresses an omen
for auspicious future and the Crane which comes in the garden to offer
one thousand years of longevity to the Emperor. The Emperor voluntarily
performs a secret dance.
亀は古代中国では仙人が住む蓬莱山の使いとされ、知恵と長寿を象徴する動物とされていた。この象徴が日本にも伝わり、鶴とともに長寿を象徴する吉祥の動物とされた。
室町時代の中世思想である、輪廻転生、衆生済度という仏教思想、蓬莱山という神仙思想、「鶴は千年、亀は万年」という道教的瑞祥思想が、御伽草子に収められた『浦島太郎』に読み取ることができた。そこには、室町時代の民衆のメンタリティ(フランス語のマンタリテ、心性)が反映されていた。
ところが、近代になって作られた文部省唱歌としての「浦島太郎」はどうか。
自我に目覚め、合理的科学思想の普及にともなって、近代人にとっては、文部省唱歌に具現された浦島太郎の結末は、悲観的要素におおわれていた。みじめさ、あわれさ、身寄りのない孤独……
現代に生きる子どもは、浦島太郎の結末を読んで、こう感じるのも無理はない。はたまた、せっかく竜宮城で乙姫様と楽しくすごしていたのに、それを自ら放棄するとは何と愚かなことをしたのかと非難する人もいるかもしれない。せめて、乙姫様の告げた禁忌を守っていれば、悲劇的な結末にならずにすんだのにと同情するかもしれない。
たしかに、そうであろう。
近代では、宗教的なものや伝統的な慣習などが非合理であるとして否定され、理屈で説明できる科学的なものだけが価値を持つという傾向が生まれるようになったのだから。理性は人間を無知や迷信から目覚めさせたのだ。
ヨーロッパの近代合理主義に洗脳された「文部省唱歌」には、輪廻転生や神仙思想、そして「鶴は千年、亀は万年」などといった生物学的に見てありえない見解を盛り込むことなどできなかった。明治政府にとって、輪廻転生といった仏教思想、蓬莱山などという道教思想は、前近代的な無知蒙昧で幻想的な思想として排除すべきものであった。結果的に、中世の『御伽草子』にみられる楽観的な浦島太郎像とは違って、近代の浦島太郎像は悲観的で現実的で、幼い子どもたちには、“かわいそう”“あわれ”“みじめ”といった同情と憐憫の対象となってしまった。
おそらく、中世の人々、とりわけ民衆は、そうは考えなかったであろう。
老人となっても、転生して、蓬莱山にいける。少々、禁忌を犯しても、救いの道があると楽観的に捉えていたのではなかろうか。
≪参考文献≫
・土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
・和田寛子「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」
・ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年
・大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]
(2022年1月19日投稿)
【はじめに】
今回のブログでは、「浦島物語とケルト伝説」というテーマで考えてみたい。
次の文献がこのテーマに取り組むきっかけとなった。
原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]
≪原英一氏の略歴≫
1948年生まれで、東北大学大学院修士課程修了し、出版当時、東北大学文学部英文学科教授であった。専門は、英国小説、英国演劇および比較文化論である。
浦島物語とケルト伝説の類似性については、ユーラシア大陸の東西の両端に位置する国の物語・伝説に関するもので、一見、不思議で信じられない気もするが、研究史的にも蓄積ある分野であるようだ。
・土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
・和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月
和田寛子論文は、ネットでも閲覧可能なので、興味ある人は一読をお勧めしたい。
また、ケルト文化は日本人になじみにくい分野にも感じるが、例えば、エンヤ(Enya)の音楽には、ケルト文化を反映しているとはよく言われるところである。ケルトの国アイルランド出身であるエンヤは、神の国へ誘う声と評されるヒーリング的な歌声である。神秘的なケルト音楽の影響を受けているとされる。
また、ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)は、アイルランド出身の女性で構成される4人組の音楽グループである。2006年2月に行なわれたトリノオリンピックのフィギュアスケートで金メダルを受賞した荒川静香さんが、エキシビションで「You Raise Me Up」を使用し、日本で知られるきっかけになったことは、よく知られている。
浦島物語は、壮大で悠久な物語であることに気づく。ユーラシア大陸をまたぐという意味で「壮大」であり、古代、中世、近代にわたり日本の文化史を貫くという意味で「悠久」なのである。
【原英一『お伽話による比較文化論』(松柏社)はこちらから】
お伽話による比較文化論
【エンヤのCDはこちらから】
ペイント・ザ・スカイ ~ザ・ベスト・オブ・エンヤ
原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]
【目次】
Ⅰ赤いずきんが覆うものは何か?
1 ペローの「赤ずきん」
2 猟師の登場
3 グリム兄弟による赤ずきんの「救出」?
4 「金ずきん」と「緑ずきん」
5 お婆ちゃんのお話し
Ⅱ 「白雪姫」――ジェンダーの寓話――
Ⅲ 英語文化の基底としてのマザー・グース
Ⅳ 笛吹き男の謎
Ⅴ 浦島物語とケルト伝説
Ⅵ ガラスの靴は木靴だった?
Ⅶ 退屈した悪い子たちのためのよい子のお話し
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・原英一氏による比較文化論の考え方
・「常若の国のアシーン」のあらすじ
・「常若の国のアシーン」の英文
・浦島物語のあらすじ
・浦島物語の典拠
・ひろさちや氏の浦島物語の検討
・『御伽草子』にみられる浦島物語の結末
・蓬莱山と鶴と亀
・おわりに~コメントと感想
原英一氏による比較文化論の考え方
文化を捉えるにあたって、基本的にどのような態度をもって臨むのか?
原氏は、比較文化研究の基礎として、20世紀後半の思想の流れの中で、次の2つの考え方があるという。
①構造主義的な考え方
②伝統的な歴史主義的考え方
その題材として、第Ⅴ章では、「浦島物語」を取り上げている。
「浦島物語」は、お伽話として知られたものであるが、多くの有名なお伽話がそうであるように、これもまた本来は神話ないし伝説であったものである。
不思議なことに、日本の浦島物語と酷似した物語が、スコットランドやアイルランドのケルト人の間に伝わっているのである。
それはどのような理由によるのだろうか?
このように、原英一氏は問いかけている。
原氏によれば、その解答を求めるにあたって、先の歴史主義的仮説と構造主義的仮説の2つを立てることができるとする。
ところで、英文学者であった土居光知氏は、その著書
〇土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
の中で、このことを取り上げた。つまり、「伝播」という概念による特異な歴史主義的文化研究の可能性を示した。
すなわち、約1万年ほど前に、中央アジア、コーカサス山脈の南方あたりに、人類の原初の楽園が実際に存在していた。そこは自然の果樹園であり、温暖で食料が豊富で、人類は安全に幸福に暮らすことができた。
しかし、何らかの理由でその楽園を追われることになった人類は、各地に四散していった。楽園の記憶も同時に移動して、やがて伝説となっていった。
数千年の時を経て、この物語は日本において「浦島」の物語となり、ユーラシア大陸西端のケルト民族の世界においては、「歌人トマス」や「永遠の青春の島」の伝説となったという。
以上が、土居光知氏の壮大な仮説である。
この仮説は、構造主義的神話研究が主流の時代にあって、独自の歴史主義的立場を示したものとして、一定の評価が与えられた。
ただ、批判もある。
・この仮説を学問的に立証するとなれば、膨大な調査を必要とする
・数千年にわたる口承伝説の歴史をたどるのは、現実には全く不可能である
・同時に、構造主義的な考え方によって、浦島伝説とケルトの「歌人トマス」やアシーンの伝説との類似を説明できる可能性を考慮しなければならない
原英一氏は、次のようにコメントしている。
・現実に楽園があったかなかったかは別にしても、楽園への憧れは人類普遍のものである。それが基本的な物語構造を準備し、それぞれの地域で似通った物語が生まれたということは、十分にあり得る
・しかし、構造主義的説明には、歴史的実証を省略できるという安易さが常につきまとうので、土居氏の仮説を一つの挑戦として受けとめておく必要は残る
そして、原氏は、アイルランドとアシーンの伝説について、次のように解説している。
〇浦島物語とケルト伝説の類似には驚くべきものがある。
スコットランドの「歌人トマス」のバラッドでもそれは顕著だが、アイルランドのアシーン伝説の方は、さらに類似点が多い。
・ケルトの英雄アシーン(Oisin)が、一族の者たちと狩りをしていると、白馬に乗った美しい女がやってくる。彼女は青春の国の王女ニーアヴ(Niamh)であると名乗り、アシーンに求愛する。
・彼女の美しさに魅せられたアシーンは、父が引きとめるのを振り切り、彼女と共に馬に乗り、海の彼方に去ってしまう。
・やがて二人が着いたのが、ケルト伝説の楽園、不老不死の「永遠の青春の島」であった。
この島でアシーンはニーアヴと300年の時を過ごす。
・しかし、アシーンは望郷の思いに駆られ、帰国を望む。
ニーアヴは思いとどまらせようとするが、ついに彼が故国に戻ることを許す。
・あの白馬に乗って帰ろうとするアシーンに、彼女はこう警告する。
「もしもう一度私の許に戻ってきたければ、決してこの馬から降りてはいけません。」
・アシーンが故国に帰り着いてみると、すべてがすっかり変わってしまっており、ケルトの伝統的な文化は失われ、キリスト教が入り込んでいた。
・勇猛果敢な戦士であった彼の一族の末裔たちが、重い石の下敷きになって苦しんでいるをの見てあきれたアシーンが、手を伸ばしてその石を投げ捨てたとき、彼は馬からすべり落ちてしまう。
・すると白馬は煙のごとく消え去り、彼自身もたちまち300歳の老人となってしまった。
以上が、アイルランドのアシーン伝説である。
(浦島物語とのこれほどの類似を、構造主義的神話論やナラトロジー(物語論)で説明することが、はたしてできるのであろうかと、原氏は付言している)
ケルト人とケルト文化についても、原氏は解説している。
・ケルト人は、かつては西アジアからアイルランドに至る広大な地域を支配した有力な民族であった。
ゲルマン諸部族の民族大移動によって、彼らは滅亡するか、辺境に追いやられるかの運命をたどった。
・しかし、その文化は連綿と受け継がれ、今日のアイルランドやスコットランドに残されている。ヨーロッパ文化の一つの底流として生きていると言える。
⇒約3000年にわたる複雑な歴史を持ったケルト文化の世界は、広く深い。
(これをきっかけに、その世界を探求してみることにも意義があろう。ケルト文化の世界は、遠く離れた世界でありながら、もしかしたら日本と意外に近いかもしれない)
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、115頁~117頁)
「常若の国のアシーン」のあらすじ
和田寛子氏は、先の原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』(松柏社、1997年)を参考文献として、「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」のあらすじについて、まとめている。
アシーンはエリン(アイルランド)の国、随一の勇者で優れた詩人だった。
常若の国の王女である美女ニーアヴがやってきて、アシーンを夫に迎えたいといい、二人は伝説の楽園常若の国へと旅立つ。
白馬で海を越え、楽園にたどり着いたアシーンとニーアヴは300年間夢のような暮らしを送るが、やがて望郷の想いに駆られたアシーンが帰郷を望むと、ニーアヴは、
「戻ってきたければ、決して馬から降りてはいけない」と忠告し、帰郷を許す。
故国に帰ったアシーンは、不注意から大地に降りてしまう。すると、馬は一瞬のうちに消え去り、とたんにアシーンの体は300歳の老人になってしまう。
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、63頁)
ケルトは文字化された知識体系を残さなかったが、神話や伝承は口承によって多く伝えられている。
(しかし、口承のためか、現代に至るまでにもとの話からさまざまに変形した。古い伝承では、ニーアヴが豚の顔であらわれる話などもあるようだ)
「常若の国のアシーン」の英文
Oisin in the Land of Youth
An Irish Legend
Retold by Marie Heany
☆ニーアヴと「ティルナヌオーグ」について
The woman reined in her horse and came up to
where Finn stood, moon-struck and silent. “I’ve
traveled a great distance to find you,” she said, and Finn
found his voice.
“Who are you and where have you come from?” he
asked. “Tell us your name and the name of your
kingdom.”
“I am called Niamh of Golden Hair and my father
is the king of Tir na n-Og, the Land of Youth,” the girl
replied.
【NOTES】
Finn:Oisinの父でFiannaの指導者。勇猛果敢な戦士。
the Fianna:「フィーアナ戦士団」Conn of the Hundred Battlesがアイルランド王であったときに組織された戦士と狩人の集団。
Oisin:アシーンは、悪のドルイド僧によって鹿の姿に変えられた美女ソイーヴ(Sadb)とフィンとの間に生まれた。
Niamh:ニーアヴ
Tir na n-Og:「ティルナヌオーグ」ケルト伝説の永遠の青春の国。
☆「ティルナヌオーグ」(ケルト伝説の永遠の青春の国)について
As Niamh and Oisin approached
the fortress a troop of a hundred of the most famous
champions came out to meet them.
“This land is the most beautiful place I have ever
seen!” Oisin exclaimed. “Have we arrived at the Land
of Youth?”
“Indeed we have. This is Tir na n-Og,” Niamh
replied. “I told you the truth when I told you how
beautiful it was. Everything I promised you, you will
receive.”
【NOTES】
☆アシーンの帰郷について
Three hundred years went by, though to Oisin they
seemed as short as three. He began to get homesick for
Ireland and longed to see Finn and his friends, so he
asked Niamh and her father to allow him to return
home. The king consented but Niamh was perturbed by
his request.
【NOTES】
perturbed 「動揺した」
☆馬から降りてはいけないという禁忌について
So Niamh consented, but she gave Oisin a most
solemn warning.
“Listen to me well, Oisin,” she implored him, “and
remember what I’m saying. If you dismount from the
horse you will not be able to return to this happy
country. I tell you again, if your foot as much as
touches the ground, you will be lost for ever to the Land
of Youth.”
Then Niamh began to sob and wail in great distress.
“Oisin, for the third time I warn you: do not set foot on
the soil of Ireland or you can never come back to me
again! Everything is changed there. You will not see
Finn or the Fianna, you will find only a crowd of monks
and holy men.”
【NOTES】
solemn warning 「厳粛な警告」
implored 「懇願した」
if your foot as much as touches the ground 「あなたの足がほんのわずかでも地面に触れれば」
sob and wail in great distress 「非常に嘆き悲しんで泣き叫ぶ」
a crowd of monks and holy men 「大勢の修道僧や聖職者たち」
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、128頁~145頁)
浦島物語のあらすじ
ある日、浦島太郎という漁師が浜辺で亀を助け、そのお礼として竜宮城へ案内される。
竜宮城では美しい乙姫にもてなされ、毎日うっとりと暮らしていたが、三日目に家に残してきた母親を思い出して急に帰りたくなってしまった。
乙姫は引き止めても聞かない太郎に、美しい箱を渡して、
「これは玉手箱です。どんなことがあっても開けてはいけません」と言った。
太郎は浜辺に戻ると、竜宮城にいたあいだに地上では百年も経ってしまったことがわかり、さびしさのあまり玉手箱を開けてしまう。
すると、箱の中から煙が立ちのぼり、太郎はあっというまに、よぼよぼの老人になってしまった。
さて、「常若の国のアシーン」と浦島太郎伝説の3つの共通点を和田寛子氏は指摘している。
①美しい女性の登場
②この世とは時間の流れが異なる世界への訪問
③主人公が禁忌を犯す
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、63頁)
浦島、アシーンの伝説は、異界訪問(異なる時間が流れる世界を訪れること)という点で共通している。
土居光知論文「うた人トマスと浦島の子の伝説――比較文学的研究の試み」(土居光知・工藤好美『無意識の世界――創造と批評』研究社、1966年、所収)では、土居光知氏は次のように指摘している。
浦島、トマス、アシーンはともに、郷里において契りを結び、女神に伴われて神仙郷に入り、女神に奉仕する。その結婚は、世俗からの絶縁を意味し、父母に再会したいという念願を口にすることによっても、神人の関係が危機に当面するというのである。
また、かつて豊穣を祈願するために大地の女神に若者をささげる儀式があり、女性が迎えにくる伝説は、その宗教儀礼を反映したものと、土居氏は考えている。
ところで、昔話や伝説は日常生活の中に非日常的世界が介入するところからドラマが始まる。浦島太郎やアシーンが訪れた異界に共通しているのは、時間の流れの異常性である。「常若の国のアシーン」では、ティル・ナ・ノーグ(Tir na n-Og)と呼ばれる国がそれにあたり、そこでは老いている者は次第に若返り、死も苦しみもない。
浦島物語では、男が海の中の宮へ行くが、帰郷して初めて時間の流れが食い違っていることを知る。
そして、禁忌の問題が出てくる。
浦島太郎は現世に戻り、300年の時が経ってしまったことを知り、寂しさのあまり「開けてはいけない」と手渡された玉手箱を開けてしまった。アシーンは、自分と比べてあまりに弱々しい人々に手を貸そうとしたところ、「降りてはいけない」といわれていたのに、馬から大地に降り立ってしまった。
どちらも、帰郷を願った主人公に女神が「してはいけないこと」をひとつ与え、その禁忌を犯した主人公が老人になってしまうという同じ結果で物語は終わる。つまり、浦島が玉手箱を開けて老人になってしまったように、アシーンも馬からおりて老人になってしまう。
老人になったのは、浦島とアシーンの人間としての時間が一気に正常に戻ったためである。この禁忌のモチーフは、異界とこの世の時の壁とも考えられる。
アシーンの物語は、死と再生の物語であるとも考えられる。主人公は異世界との接触によって死ぬが、そこから再び人間界へ立ち返る。
死者が神の国へ行くという考え方は古くから日本にもある。『古事記』にもイザナギ、イザナミの話として伝えられている。海が信仰の対象であったのもケルトと日本と共通するところであり、二つの文化の異界観、死生観に似通ったところがあると、和田寛子氏は指摘している。
(和田寛子(英語英文学科)「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」」敬和学園大学『VERITAS』学生論文・レポート集、第12号、2005年7月、71頁~74頁)
浦島物語の典拠
浦島物語の典拠として、原英一氏は次のものを史料として挙げている。
①『日本書記』(雄略天皇22年(AD478)の項)
②高橋虫麿『万葉集』巻九
①『日本書記』(雄略天皇22年(AD478)の項)
丹波国余社郡、菅川の人、水江浦島子は、船に乗りて釣し、遂に大亀を得たり、便(すなは)ち化して女となる。ここに浦島子感じて婦(つま)となす。相遂(あいともな)ひて海に入り、蓬莱山に到り、仙衆を歴(めぐ)り覩(み)る。語は別巻にあり。
※「別巻」とは、丹波の国の国守馬養(うまかい)の連(むらじ)によって書かれたもので、これが最古の文献のはずであるが、すでに散逸している。
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、118頁)
②高橋虫麿『万葉集』巻九
春の日の 霞める時に
墨吉(すみよし)の 岸に出でゐて
釣舟の とをらふ見れば
古(いにしへ)の事そ思ほゆる
水江(みずのへ)の 浦島の子が
堅魚(かつお)釣り 鯛釣り矜(ほこ)り
七日まで 家にも来ずて
海界(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
海若(わだつみ)の 神の女(をとめ)に
たまさかに い漕ぎ向ひ
相誂(あひあとら)ひ こと成りしかば
かき結び 常世(とこよ)に至り
海若の 神の宮の
内の重(へ)の 妙なる殿に
携(たづさ)はり 二人入り居て
老いもせず 死にもせずして
永き世にありけるものを
世の中の 愚人(おろかひと)の
吾妹子(わぎもこ)に 告げて語らく
須臾(しましく)は 家に帰りて
父母(ちちはは)に 事も告(かた)らひ
明日のごと われは来なむと
言ひければ 妹(いも)がいへらく
常世辺(べ)に また帰り来て
今のごと 逢はむとならば
この篋(くしげ) 開くな勤(ゆめ)と
そこらくに 堅めし言(こと)を
墨江(すみのへ)に 帰り来(きた)りて
家見れど 家も見かねて
里見れど 里も見かねて
恠(あや)しと そこに思はく
家ゆ出でて 三歳(みとせ)の間(ほど)に
垣も無く 家滅(う)せめやと
この箱を 開きて見てば
もとの如(ごと) 家はあらむと
玉篋 少し開くに
白雲の 箱より出でて
常世辺に 棚引きぬれば
立ち走り 叫び袖振り
反側(こひまろ)び 足ずりしつつ
たちまちに 情(こころ)消失(けう)せぬ
若かりし 膚もしわみぬ
黒かりし 髪も白けぬ
ゆなゆなは 気(いき)さへ絶えて
後つひに 命死にける
水江の 浦島の子が
家地(いえどころ)見ゆ
常世辺に 住むべきものを
剣刀(つるぎたち) 己が心から
鈍(おそ)やこの君
(原英一『お伽話による比較文化論(An Introduction to Comparative Culture through Fairy Tales)』松柏社、1997年[2005年版]、118頁~120頁)
ひろさちや氏の浦島物語の検討
ひろさちや氏は、次の著作で、浦島物語について、言及し検討している。
〇ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年
まず、浦島太郎の物語を文部省唱歌から検討している。
それは、「昔々浦島は助けた亀に連れられて 龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ」から始まる。
最後の五番では、
「心細さに蓋とれば、あけて悔しき玉手箱 中からぱっと白烟、たちまち太郎はお爺さん」とある。
玉手箱をあけて浦島は、いったい何になったのかと、問い直す。
文部省唱歌にあるように、お爺さんではないと念を押している。鶴になったのである!と強調している。
(そこのところに、文部省唱歌の決定的な誤りがあるとする)
その理由は、「浦島太郎」の物語の典拠にあると主張している。
この物語は、『御伽草子』の中の、浦嶋太郎が基本テキストである。
『万葉集』『丹後風土記逸文』などにも、浦嶋子(うらのしまこ)が登場するが、『御伽草子』のほうが一般的であるとみる。
浦嶋は、龍宮城で美しい女性を妻とし、3年を送った。
≪三年(とせ)が程は、鴛鴦(ゑんあう)の衾(ふすま)の下に比翼の契(ちぎり)をなし≫
と、『御伽草子』に記している。
ところで、3年になったとき、浦嶋は妻に一時休暇を願い出る。国に帰って、父母にこのことを報告してくるというのだ。それで、女は夫に一つの箱を持たせて国に帰らせた。
浦嶋がふるさとに帰るとふるさとは一変している。あまりの変わりように、彼はびっくりする。
そこで、老人をつかまえて、問うてみる。すると老人は、
≪その浦嶋とやらんは、はや七百年以前の事と申し伝へ候(そうらふ)≫と言う。
ここのところが重要であると、ひろさちや氏は強調している。
浦嶋太郎は龍宮城で3年を送った。彼は3年のつもりでいた。だが、ふるさとに帰って来ると、それが700年だったのである。
で、問題は玉手箱である。≪あけて悔しき玉手箱≫である。
浦嶋太郎は玉手箱の蓋をあけて、どうなったか。
文部省唱歌だと、≪中からぱっと白烟≫であるが、『御伽草子』は、
≪中より紫の雲三すぢ上(のぼ)りけり≫とある。
そのあとが肝腎である。
文部省唱歌は、≪たちまち太郎はお爺さん≫である。
しかし、『御伽草子』は、
≪扨(さて)浦嶋は鶴になりて、虚空に飛び上りける≫と記す。
お爺さんではなく、鶴になったのである。
この鶴のほうが、合理的であるとひろさちや氏は考えている。
人間はどう考えても、700歳まで生きることができない。しかし、鶴であれば、700歳まで生きられる。なぜなら、「鶴は千年、亀は万年」といわれていたから。
(鶴は千年、生きられるのであるから、浦嶋太郎は700歳の鶴になっても、あと300年は生きられるとも考えられえるという。龍宮城の乙姫は、いとしの浦嶋太郎に300年も寿命をプレゼントしたとも。それが玉手箱の秘密であると、ひろさちや氏は説いている)
(ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年、29頁~38頁)
【ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫はこちらから】
昔話にはウラがある (新潮文庫)
『御伽草子』にみられる浦島物語の結末
まず、『御伽草子』とはどのようなものであるのか。
参考にしたのは、次の文献である。
〇大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]
『浦島太郎』や『一寸法師』などを収めた御伽草子は、南北朝から江戸初期にかけて、わかりやすい散文体で書かれた読物である。多くの作品は、おおむね室町時代を中心になったと考えられている。
御伽草子の中で、人間以外の動植物などを擬人化した作品は、一般に異類物と呼ばれて、かなり多く作られている。そのような異類物の流行は、おもに民間説話の文芸化ともかかわることであり、また仏説や歌論などの影響をもうけたと考えられている。
人間と異類との交渉をのべた作品としては、『浦島太郎』『蛤の草紙』『木幡狐』『鼠の草子』などが挙げられ、異類婚姻譚の代表とされる。
ところで、大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』(小学館、1974年[1985年版])の口絵には、京都府与謝郡伊根町の宇良神社所蔵の「浦島明神縁起絵巻」が載っている。宇良神社は、浦島太郎を祭る神社として知られている。
この絵巻は、室町初期の制作といわれており、浦島関係の絵としては、もっとも古い例と認められている。この絵巻の筋書は、御伽草子の『浦島太郎』とも、ほぼ一致するようである。
(ただし、最後の部分で、浦島明神の祭礼について、かなり細かに描かれており、よく縁起の特色を示しているという)
この口絵は、浦島太郎が故郷に帰ってから、玉手箱をあけたために、老翁と化するという場面である。浦島は木の下にすわって、玉手箱をいだいている。その後方には、龍宮の女と思われる者が、玉手箱を持って現れている。
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、解説、特に5頁~7頁、13頁)
それでは、実際に『御伽草子』には、浦島太郎物語の結末はどのように記されているのか。
この点について、述べておきたいが、まず、始まりは次のように記してある。
「昔、丹後国に浦島といふ者侍りしに、その子に浦島太郎と申して、年の齢(よはひ)二十四五の男(をのこ)ありけり。」
(昔、丹後国に浦島という者がおったが、その子に浦島太郎と申して、年のころ、二十四、五の男がいた)
【注釈】
丹後国~京都府北部。
浦島太郎~『万葉集』1740に「水江(みずのえ)の浦島子(うらしまのこ)とあって、古くから「浦島子」として知られていたが、ここに至って「太郎」という名をつけられたものである。
浦島太郎は、海の魚を取って、父母を養っていたが、ある日のこと、「ゑしまが磯」という所で、亀を一匹釣り上げた。
そして、浦島太郎は、この亀に向かい、次のように言っているのが注目される。
浦島太郎、この亀に言ふやう、
「なんぢ、生(しやう)あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。
【現代語訳】
浦島太郎は、この亀に向かい、
「おまえは、命のあるものの中でも、鶴は千年、亀は万年といって、寿命の長いものだ。今すぐ、ここで命を奪うことはかわいそうなので、助けるのだ。日ごろ、この恩を思い出すがよい」と言って、この亀をもとの海に返した。
その後、女人に連れられて、女人の故郷の龍宮城に行き、契りを結んで、しあわせに過ごした。そして三年たって、故郷に戻ることになる。
【注釈】
龍宮城~龍宮城に当たるものは『万葉集』1740・1741に「常世(とこよ)」とおあり、『日本書紀』雄略紀に「蓬莱国(とこよのくに)」とある。ここで龍宮城というのも、常世や蓬莱に通ずる海中の異郷として語られている。
『御伽草子』にみられる浦島物語の結末部分を抽出してみたい。
太郎思ふやう、亀が与へしかたみの箱、あひかまへてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせん、あけて見ばやと思ひ、見るこそくやしかりけれ。この箱をあけて見れば、中より紫の雲三すぢ上りけり。これを見れば、二十四五の齢も、たちまちに変りはてにける。
さて、浦島は鶴になりて、虚空に飛び上りける。そもそも、この浦島が年を、亀がはからひとして、箱の中にたたみ入れにけり。さてこそ、七百年の齢を保ちける。あけて見るなとありしを、あけにけるこそよしなけれ。
君に逢ふ夜は浦島が玉手箱あけて悔しきわが涙かな
と、歌にも詠まれてこそ候へ。
生あるもの、いづれも情(なさけ)を知らぬといふことなし。いはんや、人間の身として、恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり。情深き夫婦は、二世の契りと申すが、まことにありがたきことどもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。亀は、甲に三せきのいわゐをそなへ、万代(よろづよ)を経しとなり。さてこそめでたきためしにも、鶴亀をこそ申し候へ。ただ人には情あれ、情のある人は、行く末めでたきよし申し伝へたり。
その後、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神とあらはれ、衆生済度し給へり。亀も、同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。
【注釈】
・今は何かせん~今はどうしようか、もうしかたがない。
・よしなけれ~かいがない、くだらない。
・浦島が玉手箱~「浦島が玉手箱」は序詞のように「あけて悔しき」にかかる。「あけて」は、箱をあける意と夜が明ける意とをかける。
・「恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり」は、室町時代のことわざ。
幸若舞『屋島軍』に「恩を見て恩を知らざるをば鬼畜木石にたとへたり」、同『信太』に「恩を知らぬ者はただ木石のごとし」とある。
・蓬莱の山~中国の想像上の山
・「三せきのいわゐ」は未詳、「いわゐ」は「祝(いはひ)」か。
【現代語訳】
太郎が思うには亀がくれた形見の箱はけっしておあけなさいますなと言っていたが、今となっては何としようか、あけて見ようというので、見るはめになったのは残念なことである。この箱をあけて見ると、中から紫の雲が三すじ上った。これを見ると、二十四、五の年齢も、たちまちに変わりはててしまった。
そして、浦島は鶴の姿になって、大空に飛び上がっていった。そもそも、この浦島の年齢を、亀のはからいによって、箱の中にたたみ入れてあったのだ。だからこそ、七百年の寿命を保っていたのだった。
あけて見るなと言われたのを、あけてしまったのはかいのないことであった。
(あなたに逢う夜は、浦島の玉手箱をあけてくやしい思いをしたように、明けてくやしく思われ、涙が流れることだ)
と歌にも詠まれている。
命のあるものは、どれも情けを知らないということはない。まして、人間の身として、恩をうけて恩を知らないのは、木や石にたとえられている。情愛の深い夫婦は二世の契りというが、まったくめったにないことであるよ。浦島は鶴になり、蓬莱の山に遊んでいる。亀は、甲に三せきのいわゐをそなえ、万年を経たということである。そうだからこそ、めでたいことのたとえにも、鶴や亀のことを申すのである。ひとえに人には情けがあってほしい、情けのある人は行く末めでたいというように申し伝えている。
さてそののちに、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神(みょうじん)としてあらわれ、いっさいの生物をお救いになっている。亀も、同じ所に神としてあらわれ、夫婦の明神とおなりなさる。まことにめでたかった先例である。
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、414頁~424頁)
ところで、注釈には、次のようにある。
丹後国の浦島太郎は、釣り上げた亀を放してやり、その化身の女と契りを結んで、龍宮城でしあわせに過ごした。
三年たって故郷に帰ってみると、こちらでは七百年がたっており、すっかり変わっていた。
そこで、亀からの形見の箱をあけてみると、たちまち老いて鶴となり、龍宮城の亀とともに神として現われたという。
龍宮女房型の異類婚姻譚であるが、『日本書紀』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝』など、かなり多くの文献に伝えられている。
この御伽草子に至って動物報恩譚の要素を加えて、本地物の傾向をも示しているという。
<ポイント>
・浦島太郎の物語は、龍宮女房型の異類婚姻譚
・『日本書紀』『万葉集』『浦島子伝』『続浦島子伝』など、多くの文献に伝えられている
・この御伽草子に至って、動物報恩譚の要素が加わった
(大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]、414頁)
【大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館はこちらから】
日本古典文学全集 36 御伽草子集
蓬莱山と鶴と亀
【蓬莱山について】
さて、『御伽草子集』の注釈の「蓬莱山」は説明が少ないので、補足しておく。
・中国古代の戦国時代(前5~前3世紀)、燕、斉の国の方士(神仙術を行う人)によって説かれた神仙境の一つ。普通、渤海湾中にあるといわれ、ここに仙人が住み、不老不死の神薬があると信じられていた。
・この薬を手に入れようとして、燕、斉の諸王は海上にこの神山を探させ、秦の始皇帝が方士の徐福を遣わしたことは有名である。
・三神山中で蓬莱山だけが名高いのはかなり古くからで、漢の武帝のとき方士の李少君が上疏して蓬莱山について述べ、のちに渤海沿岸に蓬莱城を築いている。
・また、唐代には、蓬莱県が設置され、李白、白居易、杜甫、王維などの詩人たちによって、蓬莱山が福・禄・寿の象徴として歌われている。
⇒日本でももっぱら蓬莱山のみ詩歌や絵画の題材として用いられ、庭園様式にもみられるのは、おそらく唐代ころの普遍化された蓬莱像がそのまま伝わったためであろうと考えられる。
【「鶴は千年、亀は万年」について】
日本で「縁起の良い生き物」として、鶴と亀があげられる。そして、「鶴は千年、亀は万年」といわれる。『御伽草子集』にも、浦島太郎が亀を助けて、海に返すときのも、この文言がでてきた。すなわち、
浦島太郎、この亀に言ふやう、
「なんぢ、生(しやう)あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。
この「鶴は千年、亀は万年」は、日本独自の考え方ではなく、中国から伝えられたものである。
古く中国前漢時代の思想書に、鶴は千年、亀は万年の寿命を持つという言い伝えがあることが記されている。つまり、鶴と亀がセットで長寿で縁起の良い生き物であるという考え方は、中国から日本へ伝わった。
また、室町時代以降に日本で演じられるようになった能の演目の一つに「鶴亀」がある。
(これはおめでたい演目とされる)
この演目は、中国の皇帝の長寿を祝って、鶴と亀の冠を着けた舞人が舞うという内容である。
(このことからも、鶴と亀が長寿であるという思想が中国から伝わったものであることがうかがえる。また、「鶴亀」に登場する皇帝は、唐の玄宗とは限らないが、玄宗に擬せられることが多い。)
能の演目の「鶴亀」には、次のようにある。
「地 亀ハ万年の齢を経て。鶴も千代をや。重ぬらん。」
【現代語訳】
「地 亀は万年の齢を経て、鶴も千代の歳を重ねる。
【英訳】
「Reciters It is said that a tortoise lives ten thousand years and a crane lives one thousand years.」
「四 鶴と亀に触発された皇帝が舞う
亀が瑞祥を現(ママ)し、鶴が千年の齢を皇帝に捧げようと庭に入ってきたので、皇帝も大いに喜び、自ら舞楽の秘曲の舞を舞う。
【英訳】
4 Emperor Who Is Inspired by the Dance of Crane and Tortoise Dances
The Emperor is greatly pleased with the Tortoise which expresses an omen
for auspicious future and the Crane which comes in the garden to offer
one thousand years of longevity to the Emperor. The Emperor voluntarily
performs a secret dance.
亀は古代中国では仙人が住む蓬莱山の使いとされ、知恵と長寿を象徴する動物とされていた。この象徴が日本にも伝わり、鶴とともに長寿を象徴する吉祥の動物とされた。
【おわりに~コメントと感想】
室町時代の中世思想である、輪廻転生、衆生済度という仏教思想、蓬莱山という神仙思想、「鶴は千年、亀は万年」という道教的瑞祥思想が、御伽草子に収められた『浦島太郎』に読み取ることができた。そこには、室町時代の民衆のメンタリティ(フランス語のマンタリテ、心性)が反映されていた。
ところが、近代になって作られた文部省唱歌としての「浦島太郎」はどうか。
自我に目覚め、合理的科学思想の普及にともなって、近代人にとっては、文部省唱歌に具現された浦島太郎の結末は、悲観的要素におおわれていた。みじめさ、あわれさ、身寄りのない孤独……
現代に生きる子どもは、浦島太郎の結末を読んで、こう感じるのも無理はない。はたまた、せっかく竜宮城で乙姫様と楽しくすごしていたのに、それを自ら放棄するとは何と愚かなことをしたのかと非難する人もいるかもしれない。せめて、乙姫様の告げた禁忌を守っていれば、悲劇的な結末にならずにすんだのにと同情するかもしれない。
たしかに、そうであろう。
近代では、宗教的なものや伝統的な慣習などが非合理であるとして否定され、理屈で説明できる科学的なものだけが価値を持つという傾向が生まれるようになったのだから。理性は人間を無知や迷信から目覚めさせたのだ。
ヨーロッパの近代合理主義に洗脳された「文部省唱歌」には、輪廻転生や神仙思想、そして「鶴は千年、亀は万年」などといった生物学的に見てありえない見解を盛り込むことなどできなかった。明治政府にとって、輪廻転生といった仏教思想、蓬莱山などという道教思想は、前近代的な無知蒙昧で幻想的な思想として排除すべきものであった。結果的に、中世の『御伽草子』にみられる楽観的な浦島太郎像とは違って、近代の浦島太郎像は悲観的で現実的で、幼い子どもたちには、“かわいそう”“あわれ”“みじめ”といった同情と憐憫の対象となってしまった。
おそらく、中世の人々、とりわけ民衆は、そうは考えなかったであろう。
老人となっても、転生して、蓬莱山にいける。少々、禁忌を犯しても、救いの道があると楽観的に捉えていたのではなかろうか。
≪参考文献≫
・土居光知『神話・伝説の研究』岩波書店、昭和48年
・和田寛子「ケルトの浦島物語「常若の国アシーン」
・ひろさちや『昔話にはウラがある』新潮文庫、2000年
・大島建彦『日本古典文学全集36 御伽草子集』小学館、1974年[1985年版]
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