≪ピケティ『21世紀の資本』にみえるバルザックの『ゴリオ爺さん』 その1≫
(2021年4月29日投稿)
前回のブログで、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の目次を日本語版とフランス語版で紹介してみた。
〇トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年
〇Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013.
今回のブログでは、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の中で、重要なフランス文学作品として随所に登場するバルザックの『ゴリオ爺さん』について考えてみたい。
まず、一般的に『ゴリオ爺さん』はどのような文学作品であるのかについて、そのあらすじ、登場人物、時代背景などについて紹介しておこう。
その際に、次のような文献を参考にした。
〇饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]
〇バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)(下)』岩波文庫、1997年
そして、ピケティ氏自身、『21世紀の資本』の中で、この小説のあらすじについて、どのように記述しているのかを検討してみたい。
【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】
21世紀の資本
【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】
Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
饗庭孝男ほか『フランス文学史』(白水社、1979年[1986年版])を参考にして、『ゴリオ爺さん』のあらすじについて紹介してみよう。
1819年のパリ。安下宿屋ヴォーケ館に住む元製粉業者のゴリオ爺さんは、昔は百万長者だった。
しかし、貴族に嫁がせた溺愛する2人の娘の度重なる無心に、今では無一文である。
同じ下宿人の貧しい法学生、ウジェーヌ・ド・ラスチニャック Eugène de Rastignacは野心家で、学問と女性の両道から栄達をはかろうとして、ゴリオの妹娘ヌッシンゲン男爵夫人に近づく。
やはり同宿の謎の男ヴォートラン、実は脱獄囚ジャック・コランは彼の意図を見抜き、シニックな反抗の哲学を説いて、悪事に加担するよう、青年の動揺した心に誘いかける。
悪事の計画はヴォートランの逮捕によって中断し、一方、ゴリオは利己的な娘たちの振舞いに心痛のあまり倒れ、2人を恨みながら貧窮のうちに死ぬ。
彼の死をみとりつつ、青年期の人生修業を完了したラスチニャックは、ペール=ラシェーズの墓地にゴリオを埋葬すると、パリの町に向かって、次のような挑戦の言葉を投げつける。
≪彼は墓穴を見つめ、そこに青年としての最後の涙を、純粋な心が神聖な感動のためにどうにも抑えきれずにこぼすあの涙を埋めた…そして彼は次のような壮大な言葉を吐いた。――さあ、今度は、おまえと一騎打ちだ!≫
――Le Père Goriot
(…) il regarda la tombe et y ensevelit sa dernière larme de jeune
homme, cette larme arrachée par les saintes émotions d’un cœur pur (...) et
[il] dit ces mots grandioses : « A nous deux maintenant ! »
バルザックは、この『ゴリオ爺さん』という作品において、複数のテーマ、すなわち個人を破滅に導く「情熱」のテーマ(父性愛)と、妥協しつつ社会に適応していく堕落のテーマ(青年の立身出世)とを緊密に絡み合わせて、金銭が原動力となった近代ブルジョワ社会の一局面を浮き彫りにすることに成功したとされる。
これは、典型的なバルザック小説の最初の頂点をなす作品である。それと同時に、人物たちがいくつもの作品にまたがって登場する「人物再登場」(retour des personnages)の手法によって、はじめていくつもの作品間を空間的・時間的に連繋させたという意味で、「人間喜劇」の出発点となったと位置づけられている。
(饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]、185頁、306頁の引用原文を参照のこと)
【饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社はこちらから】
フランス文学史
バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)(下)』(岩波文庫、1997年)において、『ゴリオ爺さん』の登場人物のラスティニャックとヴォートランは、どのように捉えられているのか。この点を解説しておこう。
ここで登場するウージェーヌ・ド・ラスティニャックは、ゴリオとならんで、この小説の主人公であるだけでなく、600人に及ぶ『人間喜劇』再登場人物のなかでも、もっとも重要な人物の一人である。その経歴を大略記すと、1798年、シャラント県ラスティニャックの貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学んだのち、ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの愛人となり、パリきっての伊達男と目された。のち、デルフィーヌの娘と結婚し、七月王政下では二度も大臣をつとめ、年収4万フランの資産収入をうるほどの大金持ちとなる。バルザックは、彼を成功した立身出世主義者の典型として描いている。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)』岩波文庫、1997年、313頁~314頁)
このように、訳注にある。ラスティニャックという人物について、要点を箇条書きにしてみる。
・ゴリオとならんで、この小説の主人公。600人に及ぶバルザックの『人間喜劇』再登場人物のなかでも、もっとも重要な人物の一人
・1798年、シャラント県ラスティニャックの貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学ぶ
・ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの愛人となり、パリきっての伊達男と目された
・デルフィーヌの娘と結婚し、七月王政下では二度も大臣をつとめ、年収4万フランの資産収入をうるほどの大金持ちとなる
・バルザックは、彼を成功した立身出世主義者の典型として描いている
同様に訳注には、ヴォートランについて、次のような内容を訳者は記している。
・ヴォートランは、『人間喜劇』のあまたの登場人物のなかでも、もっとも驚くべき人物である。
・ヴォートランは、1779年生まれ、本名をジャック・コランという。
・はじめ銀行員であったが、愛する美青年、フランケシーニの犯した文書偽造の罪を背負って、徒刑場送りとなった。
・徒刑場から脱出したあと、ヴォートランを名乗ったが、『ゴリオ爺さん』に記されているようないきさつで、1820年に逮捕され、ロシュフォールの徒刑場に送られた。
・しかし、再びそこから脱走すると、スペインに行き、カルロス・ヘレラ神父を殺害して、同神父になりすました。
・フランスへの帰国の途中で、死に場所を求めてシャラント川のほとりをさまよう、リュシアン・ド・リュバンプレを救って、自分の腹心とした。リュシアンをパリ上流社会で出世させようとしたが、リュシアンの自殺によって、計画が水泡に帰してしまう。
・その後、一転して、パリ警察に勤め、1830年には刑事部長となっている。
・ヴォートランは、悪と犯罪の象徴である。それと同時に、作者の社会批判を代弁する人物であり、かつ作者の内面にひそむ権力への意志を反映する人物でもあるとされる。
・またヴォートランは、『ゴリオ爺さん』をはじめとして、『幻滅』『浮かれ女(め)盛衰記』などで重要な役割を演じている。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、241頁)
【バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)』岩波文庫はこちらから】
ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)
【バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫はこちらから】
ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)
訳者・高山鉄男氏は、『ゴリオ爺さん』の「解説」(下巻、1997年、249~262頁)において、『ゴリオ爺さん』の登場人物ラスティニャックとヴォートランについて、さらに掘り下げて、その人物像を捉えている。以下、それを紹介しておこう。
・田舎の貧乏貴族の長男に生まれたラスティニャックは、いかにも青年らしい夢をいだいて、パリにやって来る。
・ラスティニャックの夢とは、青年における人生への渇望そのものといってもよく、その渇望ゆえに社交界に出入りし、立身出世を願う。
・しかし、やがて社会の恐るべき実態に触れ、その苛酷な法則を知る。彼が知る現実とは、人々が金と快楽を求めて狂奔する世界、虚偽と虚栄に満ちた場所である。弱者は強者によって踏みつけられ、成功とは優雅に装われた悪徳にすぎないような世界である。
・そのことをもっとも露骨に語るのは、ヴォートランである(ヴォートランについては後述)
・ラスティニャックが見るものは、各人がそれぞれの夢を追いつつ、敗北していく姿である。
⇒ヴォートランは逮捕され、ボーセアン夫人は恋人に裏切られて田舎にひきこもり、ゴリオは死ぬ。
・ラスティニャックにたいして教育的な役割をはたした人々がすべて敗れて、物語の舞台から退場したとき、ラスティニャックの「教育」は完成したと言ってよいようだ。
・だからこそ、小説の末尾でラスティニャックは、ペール・ラシェーズの丘から、眼下にひろがるパリにむかって、叫ぶ。
「さあ、こんどはおれとおまえの勝負だぞ」と。
そして「社会にたいする挑戦の最初の行為として」、ニュシンゲーヌ夫人の晩餐会に出かける。
(このとき、ラスティニャックがニュシンゲーヌ夫人の生き方を批判し、パリの上流社会に背を向けていれば、その人生はまったく別のものになっていただろう。しかし、ゴリオの死のあと、ラスティニャックは社会をあるがままに受け入れる覚悟をかため、ニュシンゲーヌ夫人の恋人として生きる道を選んだ。
その後、ラスティニャックは、出世の階段をのぼりつめ、莫大な資産を手中にし、大臣にまでなる。ただ、打算から、ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの娘と結婚し、人生のあらゆる感動を失い、パリのサロンをさまようことにもなる。ラスティニャックもまた人生の真の勝利者ではなかった……)
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、253~256頁)
・ヴォートランは、社会制度の不合理を説き、悪と反抗の道を歩めと言って、ラスティニャックを誘惑する。
・しかし、「おれとおれの人生とは、青年とその婚約者のような間柄なんだ」(上巻、218~219頁)と思うラスティニャックは、ヴォートランの誘惑をかろうじてしりぞける。
・ヴォートランの言葉が、作者自身の社会観をそのまま表わしているわけではない。しかし、その社会批判のいくぶんかが、バルザック自身のものであることも否定できないようだ。
・なぜなら、ラスティニャックに処世の道を教えるボーセアン夫人もまた、ヴォートランとまったく違うことを語っているわけではないから。
・ボーセアン夫人は、ラスティニャックに「容赦なく打撃を与えなさい。そうすればあなたは人に恐れられるでしょう。宿駅ごとに乗りつぶしては捨てていく駅馬のように、男も女も扱うことです」と述べる。
また、「騙す人間と騙される人間の集まりであるこの世間というものを理解したうえで、騙す人間にも騙される人間にもなってはいけません」と語る(上巻、151頁、155頁)
〇要するに、ヴォートランもボーセアン夫人も、社会というものは、世間の醜悪な法則を利用して成功する強者と、法則を知らないために敗北する弱者からなるということを言っている。
(このような悲劇的な社会観は、バルザックの『人間喜劇』[全91篇]全体に見られるものである。そこでは個人は、しばしば社会の被害者である。しかもその個人が、純粋な心情の持ち主であればあるほどそうなのである)
〇ゴリオの死は、このような現実をラスティニャックに、はっきりと示す役割をはたしているとされる。
ゴリオのように、ひたむきに娘たちを愛し、自分の感情に忠実に生きるものに、この世間は生きる場所を与えないのである。
・ゴリオだけでなく、ラスティニャックが見聞するものには、すべて教育的な価値があると、高山氏はみている。
・ヴォートランの言葉は社会の暗部をうかがわせ、ボーセアン夫人の人生は、上流社交界の裏面を教えているという。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、253~255頁)
【バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫はこちらから】
ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)
訳者・高山鉄男氏は、「解説」(下、1997年、249~262頁)において、『ゴリオ爺さん』の執筆年代について記している。
『ゴリオ爺さん』は、1834年12月から、翌35年の2月にかけ、『パリ評論』誌に4回にわたって連載された。単行本になったのは、1835年3月である。版元はヴェルデ書店、「パリ物語」という副題がつけられていた。
当時、バルザックは35歳で、小説家としてもっとも充実した時期にさしかかりつつあった。
『ゴリオ爺さん』は、1834年9月末から翌年の1月末まで、ほぼ4ヵ月をかけて書かれたようだ。長編小説を書き上げる時間としては、決して長いわけではない。しかし、これはときには1日20時間にも及ぶ、苛酷な労働に満たされた4ヵ月であった。
なお、小説の末尾には、「1834年9月、サッシェにて」と記されている。この記述は、作品の完成ではなく、たんにその着手を示すものと解すべきであると、高山鉄男氏は付言している。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、249~251頁)
高山氏は、この小説の主題を2つ挙げている。
①父性愛
・バルザックの当初の意図が、娘たちによって裏切られる父親の悲劇を描くことにあったのは、その創作ノートの覚え書きからも明らかであるようだ。
「善良な男――下宿屋――600フランの収入――それぞれ5万フランの収入のある娘たちのために無一文となる――犬のように死ぬ」とある。
・この主題はすでにシェークスピアの『リヤ王』などで扱われた主題で、バルザックは決して独創的なテーマを発見したわけではなかったようだ。
・バルザックの独創はどこか? 父性愛というこの日常的な感情を、恐るべき情念にまでたかめてみせたことにあると、高山氏はみている。
ゴリオの父性愛は強大な情熱となり、ゴリオの生活をむしばみ、結局、この感情のせいで死ぬ。
・バルザックの多くの作品において見られるように、この小説もまた激しい情熱と、その情熱によってほろぼされる人間を描いている。
②ラスティニャックの青春
・ゴリオの物語とラスティニャックの物語は、緊密に結びつき、主題の分裂は感じられないようだ。
・ラスティニャックの観察を通じて、ゴリオの父性愛が明らかにされ、ゴリオの生活を知ることで、ラスティニャックの社会への開眼が完成するといった構成がとられている。
このように、この小説には、ゴリオとラスティニャックという二人の主人公がいると言ってもよい。
つまり、ゴリオを中心とする父性愛の物語として理解するか、ラスティニャックを主人公とする青春の物語として味わうかで、作品の読み方はことなってくる。
訳者・高山鉄男氏は、この小説を、ラスティニャックを中心とする教養小説、もしくは青春小説として読みたいとしている。
この小説は、父性愛の物語から、パリ社会の暗部を示す作品へと変化したとき、長編小説にならざるを得なかったようだ。中編から長編へのこうした量的変化は、ラスティニャックを中心とする教養小説への質的変貌の過程でもあったと解している。つまり、これは青年における社会と人生の発見の物語だというのである。
青春小説としての『ゴリオ爺さん』は、若き日のバルザックが人生にたいしていだいた、みずみずしい熱情を伝えているとする。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、252~256頁)
バルザックは、近代社会の最初の描き手であったと同時に、その最初の批判者の一人でもあった。
『ゴリオ爺さん』が描きだしているのは、1819年11月末に始まり、翌1820年2月に終わる。この物語を、作者バルザックは、その社会的枠組みの中で描いている。
・時代は王政復古時代である。
ナポレオンの敗北以後、ふたたび権力を手中にした国王と旧貴族が社会の支配者である。
・しかし、歴史の歯車の回転をとめることはだれにもできず、フランス革命以後の新しい社会的現実のなかで、出世主義と拝金思想がはびこり、貴族階級と新興市民階級の対立も激化して行く。
・この階級対立が『ゴリオ爺さん』の内容にも反映されていると、高山氏はみている。つまり、ゴリオの二人の娘、姉のレストー夫人と妹のニュシンゲーヌ夫人の感情的軋轢の背後には、レストー伯爵の属する旧貴族階級と、銀行家ニュシンゲーヌ男爵が属する、市民から成り上がった新貴族階級の対立が隠されているとみる。
〇『ゴリオ爺さん』は、ある意味では出世主義の小説であるといわれる。
・その点、スタンダールの『赤と黒』に似ているといってよい。
ただ、忘れてはならないのは、最終的には敗北者であるゴリオですら、じつは成功し、成り上がった商人だということである。
⇒ゴリオは、麺類の製造職人であった。フランス革命の混乱と食糧不足を利用して、小麦粉の売買で資産を築いた。
・ゴリオは、『ウージェニー・グランデ』に描かれたフェリックス・グランデと同じく、まぎれもなく成功した新興市民の一人であった。ただ、金はあっても教養も処世術もない男であるゴリオが、上流階級に嫁いだ二人の娘の父親だったところに、悲劇が胚胎したと、高山氏はこの小説を解説している。
〇こうしてバルザックは、ゴリオの父性愛を描きつつ、革命以後のフランス社会に生じた激しい動きを、人々の心の深層にまで及んで表現した。
・これは、「パリの精神的暗部を示す」作品であるとされる。
例えば、バルザックは当時の恋人ハンスカ夫人あての書簡(1834年11月26日付)には、次のように記している。
「『ゴリオ爺さん』は、美しい作品ですが、おそろしく暗いのです。完全なものにするために、パリの精神的暗部を示さなければなりませんでした。それはおぞましい傷のような印象を与えます」
〇この小説には初版刊行時において、「パリ物語」という副題がつけられていた。これは作品の内容にふさわしい副題であった。
・さらに、1843年、いわゆるフュルヌ版『人間喜劇』第9巻に収録されたとき、この作品が、『風俗研究』の部の『パリ生活情景』に組み入れられた。
・舞台はもっぱらパリだし、小説の冒頭、「この物語がパリ以外の土地において理解してもらえるかどうか」分からないと、作者みずから言っているそうだ。
〇にもかかわらず、バルザックは『人間喜劇』の再版を計画した際、「1845年の目録」という作品目録のなかで、『ゴリオ爺さん』を『パリ生活情景』から『私生活情景』に移した。その結果、『パリ生活情景』にこそふさわしいこの小説が、『私生活情景』の中の一編として今日にいたっているという。
・一見すると奇異に思えるこのような組み替えには、作者の深い考えがあったように思われると、高山氏は推察している。『私生活情景』は、人生の出発点に立つ若い男女を描き、個人の運命を、その始まりにおいて示す作品群であると作者は考えていた。とすれば、まさに人生の門出にあたって、自分の運命の選択を行なわねばならなかったラスティニャックの物語として、この小説は、『私生活情景』にこそふさわしいと、高山氏は考えている。
・この作品を、ゴリオの父性愛の物語としてよりも、むしろラスティニャックの現実発見の物語として読むことを、作者みずから、作品の組み替えによってうながしたのではないかというのである。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、251頁、256~259頁)
第7章において、ピケティ氏は次のように述べる。
すべての社会で所得格差は、三つの要素に分解可能だとする。
①労働所得の格差
②所有資本とそれが生む所得の格差
③それら二つの相互作用
バルザックの『ゴリオ爺さん』で、ヴォートランがラスティニャックに与えた有名なお説教は、これらの問題への導入となると、ピケティ氏はみなす。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、248頁~249頁)
【バルザックの『ゴリオ爺さん』(1835年出版)のあらすじ】
〇かつてパスタ製造業を営んでいたゴリオ爺さんは、革命時代とナポレオン時代にパスタと穀物で財を成した。
・男やもめのゴリオは持てるすべてをつぎ込んで、1810年代のパリ最上級社交界で娘のデルフィーヌとアナスタジーの婿を探した。
・手元に残ったのは、粗末な下宿屋で暮らすための部屋代と食事代だけだった。
原文には次のようにある。
Publié en 1835, Le Père Goriot est l’un des romans les
plus célèbres de Balzac. Il s’agit sans doute de l’expression
littéraire la plus aboutie de la structure des inégalités dans la
société du XIXe siècle, et du rôle central joué par l’héritage
et le patrimoine.
〇 La trame du Père Goriot est limpide. Ancien ouvrier vermi-
cellier, le père Goriot a fait fortune dans les pâtes et les grains
pendant la période révolutionnaire et napoléonienne.
・Veuf, il a tout sacrifié pour marier ses filles, Delphine et Anastasie,
dans la meilleure société parisienne des années 1810-1820.
・Il a tout juste conservé de quoi se loger et se nourrir dans
une pension crasseuse,...
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)
〇その下宿屋で、地方から法律を学ぶためにパリにやってきた文無しの若き貴族、ウージェーヌ・ド・ラスティニャックと出会う。
・野望に満ち、貧しさを恥じているウージェーヌは、遠縁の親族の助けを借りて、貴族階級、大ブルジョワジー、そして復古王政時代の巨額の金がうごめく高級サロンにもぐりこむ。
・...dans laquelle il rencontre Eugène de
Rastignac, jeune noble désargenté venu de sa province pour
étudier le droit à Paris. Plein d’ambition, meurtri par sa pau-
vreté, Eugène tente grâce à une cousine éloignée de pénétrer
dans les salons huppés où se côtoient l’aristocratie, la grande
bourgeoisie et la haute finance de la Restauration.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)
〇そして、すぐに夫から相手にされなくなったデルフィーヌと恋に落ちる。
・ニュシンゲン男爵(デルフィーヌの夫で銀行家)は、妻の持参金を投機につぎ込んで使い果たしていた。
・ラスティニャックは、金で完全に堕落した社会のシニシズムに気がついて、やがて幻滅する。また、ゴリオ爺さんが娘たちに見捨てられているのを知って、愕然とする。
・社会的成功に夢中の彼女たちは、父親を恥じ、その財産を利用するだけ利用したあとは、ほとんど会おうともしなかった。
〇 Il ne tarde pas à tomber amoureux de Delphine, délaissée par son époux,
le baron de Nucingen, un banquier qui a déjà utilisé la dot
de sa femme dans de multiples spéculations.
・Rastignac va vite perdre ses illusions en découvrant le cynisme d’une société
entièrement corrompue par l’argent. Il découvre avec effroi
comment le père Goriot a été abandonné par ses filles, qui
en ont honte et ne le voient plus guère depuis qu’elles ont
touché sa fortune, toutes préoccupées qu’elles sont pas leurs
succès dans le monde.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)
〇老人は極貧の中で孤独に死んだ。その葬儀に出席したのは、ラスティニャックだけだった。
・ラスティニャックはペール・ラシェーズ墓地を離れるやいなや、セーヌ川沿いに並ぶ裕福なパリの景色に圧倒される。ラスティニャックはパリ征服に乗り出そうと決意する。
「今度は俺とおまえの番だ!」
ラスティニャックはそう街に語りかける。
〇 Le vieil homme meurt dans la misère
sordide et la solitude. Rastignac ira seul à son enterrement.
Mais à peine sorti du cimetière du Père-Lachaise, subjugué par
la vue des richesses de Paris qui s’étalent au loin le long de
la Seine, il décide de se lancer à la conquête de la capitale :
« À nous deux, maintenant ! »
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377-378. )
感情教育、社会教育は終わった。これからは、ラスティニャックもまた冷酷に生きていくのだ。
Son éducation sentimentale et sociale est terminée, désormais il sera lui aussi sans pitié.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.378. )
【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】
Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)
(2021年4月29日投稿)
【はじめに】
前回のブログで、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の目次を日本語版とフランス語版で紹介してみた。
〇トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年
〇Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013.
今回のブログでは、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の中で、重要なフランス文学作品として随所に登場するバルザックの『ゴリオ爺さん』について考えてみたい。
まず、一般的に『ゴリオ爺さん』はどのような文学作品であるのかについて、そのあらすじ、登場人物、時代背景などについて紹介しておこう。
その際に、次のような文献を参考にした。
〇饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]
〇バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)(下)』岩波文庫、1997年
そして、ピケティ氏自身、『21世紀の資本』の中で、この小説のあらすじについて、どのように記述しているのかを検討してみたい。
【トマ・ピケティ(山形ほか訳)『21世紀の資本』みすず書房はこちらから】
21世紀の資本
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Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)
さて、今回の執筆項目は次のようになる。
・バルザック『ゴリオ爺さん』( Le Père Goriot)のあらすじ
・登場人物について ラスティニャックとヴォートラン
・ラスティニャックとヴォートラン 高山鉄男による解説
・『ゴリオ爺さん』の執筆年代
・『ゴリオ爺さん』の主題について
・『ゴリオ爺さん』の時代背景
・バルザック『ゴリオ爺さん』のピケティによるあらすじ
バルザック『ゴリオ爺さん』( Le Père Goriot)のあらすじ
饗庭孝男ほか『フランス文学史』(白水社、1979年[1986年版])を参考にして、『ゴリオ爺さん』のあらすじについて紹介してみよう。
1819年のパリ。安下宿屋ヴォーケ館に住む元製粉業者のゴリオ爺さんは、昔は百万長者だった。
しかし、貴族に嫁がせた溺愛する2人の娘の度重なる無心に、今では無一文である。
同じ下宿人の貧しい法学生、ウジェーヌ・ド・ラスチニャック Eugène de Rastignacは野心家で、学問と女性の両道から栄達をはかろうとして、ゴリオの妹娘ヌッシンゲン男爵夫人に近づく。
やはり同宿の謎の男ヴォートラン、実は脱獄囚ジャック・コランは彼の意図を見抜き、シニックな反抗の哲学を説いて、悪事に加担するよう、青年の動揺した心に誘いかける。
悪事の計画はヴォートランの逮捕によって中断し、一方、ゴリオは利己的な娘たちの振舞いに心痛のあまり倒れ、2人を恨みながら貧窮のうちに死ぬ。
彼の死をみとりつつ、青年期の人生修業を完了したラスチニャックは、ペール=ラシェーズの墓地にゴリオを埋葬すると、パリの町に向かって、次のような挑戦の言葉を投げつける。
≪彼は墓穴を見つめ、そこに青年としての最後の涙を、純粋な心が神聖な感動のためにどうにも抑えきれずにこぼすあの涙を埋めた…そして彼は次のような壮大な言葉を吐いた。――さあ、今度は、おまえと一騎打ちだ!≫
――Le Père Goriot
(…) il regarda la tombe et y ensevelit sa dernière larme de jeune
homme, cette larme arrachée par les saintes émotions d’un cœur pur (...) et
[il] dit ces mots grandioses : « A nous deux maintenant ! »
バルザックは、この『ゴリオ爺さん』という作品において、複数のテーマ、すなわち個人を破滅に導く「情熱」のテーマ(父性愛)と、妥協しつつ社会に適応していく堕落のテーマ(青年の立身出世)とを緊密に絡み合わせて、金銭が原動力となった近代ブルジョワ社会の一局面を浮き彫りにすることに成功したとされる。
これは、典型的なバルザック小説の最初の頂点をなす作品である。それと同時に、人物たちがいくつもの作品にまたがって登場する「人物再登場」(retour des personnages)の手法によって、はじめていくつもの作品間を空間的・時間的に連繋させたという意味で、「人間喜劇」の出発点となったと位置づけられている。
(饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社、1979年[1986年版]、185頁、306頁の引用原文を参照のこと)
【饗庭孝男ほか『フランス文学史』白水社はこちらから】
フランス文学史
登場人物について ラスティニャックとヴォートラン
バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)(下)』(岩波文庫、1997年)において、『ゴリオ爺さん』の登場人物のラスティニャックとヴォートランは、どのように捉えられているのか。この点を解説しておこう。
ウージェーヌ・ド・ラスティニャック
ここで登場するウージェーヌ・ド・ラスティニャックは、ゴリオとならんで、この小説の主人公であるだけでなく、600人に及ぶ『人間喜劇』再登場人物のなかでも、もっとも重要な人物の一人である。その経歴を大略記すと、1798年、シャラント県ラスティニャックの貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学んだのち、ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの愛人となり、パリきっての伊達男と目された。のち、デルフィーヌの娘と結婚し、七月王政下では二度も大臣をつとめ、年収4万フランの資産収入をうるほどの大金持ちとなる。バルザックは、彼を成功した立身出世主義者の典型として描いている。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(上)』岩波文庫、1997年、313頁~314頁)
このように、訳注にある。ラスティニャックという人物について、要点を箇条書きにしてみる。
・ゴリオとならんで、この小説の主人公。600人に及ぶバルザックの『人間喜劇』再登場人物のなかでも、もっとも重要な人物の一人
・1798年、シャラント県ラスティニャックの貧乏貴族の長男として生まれ、パリに出て法律を学ぶ
・ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの愛人となり、パリきっての伊達男と目された
・デルフィーヌの娘と結婚し、七月王政下では二度も大臣をつとめ、年収4万フランの資産収入をうるほどの大金持ちとなる
・バルザックは、彼を成功した立身出世主義者の典型として描いている
ヴォートラン
同様に訳注には、ヴォートランについて、次のような内容を訳者は記している。
・ヴォートランは、『人間喜劇』のあまたの登場人物のなかでも、もっとも驚くべき人物である。
・ヴォートランは、1779年生まれ、本名をジャック・コランという。
・はじめ銀行員であったが、愛する美青年、フランケシーニの犯した文書偽造の罪を背負って、徒刑場送りとなった。
・徒刑場から脱出したあと、ヴォートランを名乗ったが、『ゴリオ爺さん』に記されているようないきさつで、1820年に逮捕され、ロシュフォールの徒刑場に送られた。
・しかし、再びそこから脱走すると、スペインに行き、カルロス・ヘレラ神父を殺害して、同神父になりすました。
・フランスへの帰国の途中で、死に場所を求めてシャラント川のほとりをさまよう、リュシアン・ド・リュバンプレを救って、自分の腹心とした。リュシアンをパリ上流社会で出世させようとしたが、リュシアンの自殺によって、計画が水泡に帰してしまう。
・その後、一転して、パリ警察に勤め、1830年には刑事部長となっている。
・ヴォートランは、悪と犯罪の象徴である。それと同時に、作者の社会批判を代弁する人物であり、かつ作者の内面にひそむ権力への意志を反映する人物でもあるとされる。
・またヴォートランは、『ゴリオ爺さん』をはじめとして、『幻滅』『浮かれ女(め)盛衰記』などで重要な役割を演じている。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、241頁)
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ゴリオ爺さん (上) (岩波文庫)
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ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)
ラスティニャックとヴォートラン 高山鉄男による解説
訳者・高山鉄男氏は、『ゴリオ爺さん』の「解説」(下巻、1997年、249~262頁)において、『ゴリオ爺さん』の登場人物ラスティニャックとヴォートランについて、さらに掘り下げて、その人物像を捉えている。以下、それを紹介しておこう。
ラスティニャックについて
・田舎の貧乏貴族の長男に生まれたラスティニャックは、いかにも青年らしい夢をいだいて、パリにやって来る。
・ラスティニャックの夢とは、青年における人生への渇望そのものといってもよく、その渇望ゆえに社交界に出入りし、立身出世を願う。
・しかし、やがて社会の恐るべき実態に触れ、その苛酷な法則を知る。彼が知る現実とは、人々が金と快楽を求めて狂奔する世界、虚偽と虚栄に満ちた場所である。弱者は強者によって踏みつけられ、成功とは優雅に装われた悪徳にすぎないような世界である。
・そのことをもっとも露骨に語るのは、ヴォートランである(ヴォートランについては後述)
・ラスティニャックが見るものは、各人がそれぞれの夢を追いつつ、敗北していく姿である。
⇒ヴォートランは逮捕され、ボーセアン夫人は恋人に裏切られて田舎にひきこもり、ゴリオは死ぬ。
・ラスティニャックにたいして教育的な役割をはたした人々がすべて敗れて、物語の舞台から退場したとき、ラスティニャックの「教育」は完成したと言ってよいようだ。
・だからこそ、小説の末尾でラスティニャックは、ペール・ラシェーズの丘から、眼下にひろがるパリにむかって、叫ぶ。
「さあ、こんどはおれとおまえの勝負だぞ」と。
そして「社会にたいする挑戦の最初の行為として」、ニュシンゲーヌ夫人の晩餐会に出かける。
(このとき、ラスティニャックがニュシンゲーヌ夫人の生き方を批判し、パリの上流社会に背を向けていれば、その人生はまったく別のものになっていただろう。しかし、ゴリオの死のあと、ラスティニャックは社会をあるがままに受け入れる覚悟をかため、ニュシンゲーヌ夫人の恋人として生きる道を選んだ。
その後、ラスティニャックは、出世の階段をのぼりつめ、莫大な資産を手中にし、大臣にまでなる。ただ、打算から、ニュシンゲーヌ男爵夫人デルフィーヌの娘と結婚し、人生のあらゆる感動を失い、パリのサロンをさまようことにもなる。ラスティニャックもまた人生の真の勝利者ではなかった……)
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、253~256頁)
ヴォートランについて
・ヴォートランは、社会制度の不合理を説き、悪と反抗の道を歩めと言って、ラスティニャックを誘惑する。
・しかし、「おれとおれの人生とは、青年とその婚約者のような間柄なんだ」(上巻、218~219頁)と思うラスティニャックは、ヴォートランの誘惑をかろうじてしりぞける。
・ヴォートランの言葉が、作者自身の社会観をそのまま表わしているわけではない。しかし、その社会批判のいくぶんかが、バルザック自身のものであることも否定できないようだ。
・なぜなら、ラスティニャックに処世の道を教えるボーセアン夫人もまた、ヴォートランとまったく違うことを語っているわけではないから。
・ボーセアン夫人は、ラスティニャックに「容赦なく打撃を与えなさい。そうすればあなたは人に恐れられるでしょう。宿駅ごとに乗りつぶしては捨てていく駅馬のように、男も女も扱うことです」と述べる。
また、「騙す人間と騙される人間の集まりであるこの世間というものを理解したうえで、騙す人間にも騙される人間にもなってはいけません」と語る(上巻、151頁、155頁)
〇要するに、ヴォートランもボーセアン夫人も、社会というものは、世間の醜悪な法則を利用して成功する強者と、法則を知らないために敗北する弱者からなるということを言っている。
(このような悲劇的な社会観は、バルザックの『人間喜劇』[全91篇]全体に見られるものである。そこでは個人は、しばしば社会の被害者である。しかもその個人が、純粋な心情の持ち主であればあるほどそうなのである)
〇ゴリオの死は、このような現実をラスティニャックに、はっきりと示す役割をはたしているとされる。
ゴリオのように、ひたむきに娘たちを愛し、自分の感情に忠実に生きるものに、この世間は生きる場所を与えないのである。
・ゴリオだけでなく、ラスティニャックが見聞するものには、すべて教育的な価値があると、高山氏はみている。
・ヴォートランの言葉は社会の暗部をうかがわせ、ボーセアン夫人の人生は、上流社交界の裏面を教えているという。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、253~255頁)
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ゴリオ爺さん (下) (岩波文庫)
『ゴリオ爺さん』の執筆年代
訳者・高山鉄男氏は、「解説」(下、1997年、249~262頁)において、『ゴリオ爺さん』の執筆年代について記している。
『ゴリオ爺さん』は、1834年12月から、翌35年の2月にかけ、『パリ評論』誌に4回にわたって連載された。単行本になったのは、1835年3月である。版元はヴェルデ書店、「パリ物語」という副題がつけられていた。
当時、バルザックは35歳で、小説家としてもっとも充実した時期にさしかかりつつあった。
『ゴリオ爺さん』は、1834年9月末から翌年の1月末まで、ほぼ4ヵ月をかけて書かれたようだ。長編小説を書き上げる時間としては、決して長いわけではない。しかし、これはときには1日20時間にも及ぶ、苛酷な労働に満たされた4ヵ月であった。
なお、小説の末尾には、「1834年9月、サッシェにて」と記されている。この記述は、作品の完成ではなく、たんにその着手を示すものと解すべきであると、高山鉄男氏は付言している。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、249~251頁)
『ゴリオ爺さん』の主題について
高山氏は、この小説の主題を2つ挙げている。
①父性愛
・バルザックの当初の意図が、娘たちによって裏切られる父親の悲劇を描くことにあったのは、その創作ノートの覚え書きからも明らかであるようだ。
「善良な男――下宿屋――600フランの収入――それぞれ5万フランの収入のある娘たちのために無一文となる――犬のように死ぬ」とある。
・この主題はすでにシェークスピアの『リヤ王』などで扱われた主題で、バルザックは決して独創的なテーマを発見したわけではなかったようだ。
・バルザックの独創はどこか? 父性愛というこの日常的な感情を、恐るべき情念にまでたかめてみせたことにあると、高山氏はみている。
ゴリオの父性愛は強大な情熱となり、ゴリオの生活をむしばみ、結局、この感情のせいで死ぬ。
・バルザックの多くの作品において見られるように、この小説もまた激しい情熱と、その情熱によってほろぼされる人間を描いている。
②ラスティニャックの青春
・ゴリオの物語とラスティニャックの物語は、緊密に結びつき、主題の分裂は感じられないようだ。
・ラスティニャックの観察を通じて、ゴリオの父性愛が明らかにされ、ゴリオの生活を知ることで、ラスティニャックの社会への開眼が完成するといった構成がとられている。
このように、この小説には、ゴリオとラスティニャックという二人の主人公がいると言ってもよい。
つまり、ゴリオを中心とする父性愛の物語として理解するか、ラスティニャックを主人公とする青春の物語として味わうかで、作品の読み方はことなってくる。
訳者・高山鉄男氏は、この小説を、ラスティニャックを中心とする教養小説、もしくは青春小説として読みたいとしている。
この小説は、父性愛の物語から、パリ社会の暗部を示す作品へと変化したとき、長編小説にならざるを得なかったようだ。中編から長編へのこうした量的変化は、ラスティニャックを中心とする教養小説への質的変貌の過程でもあったと解している。つまり、これは青年における社会と人生の発見の物語だというのである。
青春小説としての『ゴリオ爺さん』は、若き日のバルザックが人生にたいしていだいた、みずみずしい熱情を伝えているとする。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、252~256頁)
『ゴリオ爺さん』の時代背景
バルザックは、近代社会の最初の描き手であったと同時に、その最初の批判者の一人でもあった。
『ゴリオ爺さん』が描きだしているのは、1819年11月末に始まり、翌1820年2月に終わる。この物語を、作者バルザックは、その社会的枠組みの中で描いている。
・時代は王政復古時代である。
ナポレオンの敗北以後、ふたたび権力を手中にした国王と旧貴族が社会の支配者である。
・しかし、歴史の歯車の回転をとめることはだれにもできず、フランス革命以後の新しい社会的現実のなかで、出世主義と拝金思想がはびこり、貴族階級と新興市民階級の対立も激化して行く。
・この階級対立が『ゴリオ爺さん』の内容にも反映されていると、高山氏はみている。つまり、ゴリオの二人の娘、姉のレストー夫人と妹のニュシンゲーヌ夫人の感情的軋轢の背後には、レストー伯爵の属する旧貴族階級と、銀行家ニュシンゲーヌ男爵が属する、市民から成り上がった新貴族階級の対立が隠されているとみる。
〇『ゴリオ爺さん』は、ある意味では出世主義の小説であるといわれる。
・その点、スタンダールの『赤と黒』に似ているといってよい。
ただ、忘れてはならないのは、最終的には敗北者であるゴリオですら、じつは成功し、成り上がった商人だということである。
⇒ゴリオは、麺類の製造職人であった。フランス革命の混乱と食糧不足を利用して、小麦粉の売買で資産を築いた。
・ゴリオは、『ウージェニー・グランデ』に描かれたフェリックス・グランデと同じく、まぎれもなく成功した新興市民の一人であった。ただ、金はあっても教養も処世術もない男であるゴリオが、上流階級に嫁いだ二人の娘の父親だったところに、悲劇が胚胎したと、高山氏はこの小説を解説している。
〇こうしてバルザックは、ゴリオの父性愛を描きつつ、革命以後のフランス社会に生じた激しい動きを、人々の心の深層にまで及んで表現した。
・これは、「パリの精神的暗部を示す」作品であるとされる。
例えば、バルザックは当時の恋人ハンスカ夫人あての書簡(1834年11月26日付)には、次のように記している。
「『ゴリオ爺さん』は、美しい作品ですが、おそろしく暗いのです。完全なものにするために、パリの精神的暗部を示さなければなりませんでした。それはおぞましい傷のような印象を与えます」
〇この小説には初版刊行時において、「パリ物語」という副題がつけられていた。これは作品の内容にふさわしい副題であった。
・さらに、1843年、いわゆるフュルヌ版『人間喜劇』第9巻に収録されたとき、この作品が、『風俗研究』の部の『パリ生活情景』に組み入れられた。
・舞台はもっぱらパリだし、小説の冒頭、「この物語がパリ以外の土地において理解してもらえるかどうか」分からないと、作者みずから言っているそうだ。
〇にもかかわらず、バルザックは『人間喜劇』の再版を計画した際、「1845年の目録」という作品目録のなかで、『ゴリオ爺さん』を『パリ生活情景』から『私生活情景』に移した。その結果、『パリ生活情景』にこそふさわしいこの小説が、『私生活情景』の中の一編として今日にいたっているという。
・一見すると奇異に思えるこのような組み替えには、作者の深い考えがあったように思われると、高山氏は推察している。『私生活情景』は、人生の出発点に立つ若い男女を描き、個人の運命を、その始まりにおいて示す作品群であると作者は考えていた。とすれば、まさに人生の門出にあたって、自分の運命の選択を行なわねばならなかったラスティニャックの物語として、この小説は、『私生活情景』にこそふさわしいと、高山氏は考えている。
・この作品を、ゴリオの父性愛の物語としてよりも、むしろラスティニャックの現実発見の物語として読むことを、作者みずから、作品の組み替えによってうながしたのではないかというのである。
(バルザック(高山鉄男訳)『ゴリオ爺さん(下)』岩波文庫、1997年、251頁、256~259頁)
バルザック『ゴリオ爺さん』のピケティによるあらすじ
第7章において、ピケティ氏は次のように述べる。
すべての社会で所得格差は、三つの要素に分解可能だとする。
①労働所得の格差
②所有資本とそれが生む所得の格差
③それら二つの相互作用
バルザックの『ゴリオ爺さん』で、ヴォートランがラスティニャックに与えた有名なお説教は、これらの問題への導入となると、ピケティ氏はみなす。
(トマ・ピケティ(山形浩生・守岡桜・森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年、248頁~249頁)
【バルザックの『ゴリオ爺さん』(1835年出版)のあらすじ】
〇かつてパスタ製造業を営んでいたゴリオ爺さんは、革命時代とナポレオン時代にパスタと穀物で財を成した。
・男やもめのゴリオは持てるすべてをつぎ込んで、1810年代のパリ最上級社交界で娘のデルフィーヌとアナスタジーの婿を探した。
・手元に残ったのは、粗末な下宿屋で暮らすための部屋代と食事代だけだった。
原文には次のようにある。
Publié en 1835, Le Père Goriot est l’un des romans les
plus célèbres de Balzac. Il s’agit sans doute de l’expression
littéraire la plus aboutie de la structure des inégalités dans la
société du XIXe siècle, et du rôle central joué par l’héritage
et le patrimoine.
〇 La trame du Père Goriot est limpide. Ancien ouvrier vermi-
cellier, le père Goriot a fait fortune dans les pâtes et les grains
pendant la période révolutionnaire et napoléonienne.
・Veuf, il a tout sacrifié pour marier ses filles, Delphine et Anastasie,
dans la meilleure société parisienne des années 1810-1820.
・Il a tout juste conservé de quoi se loger et se nourrir dans
une pension crasseuse,...
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)
〇その下宿屋で、地方から法律を学ぶためにパリにやってきた文無しの若き貴族、ウージェーヌ・ド・ラスティニャックと出会う。
・野望に満ち、貧しさを恥じているウージェーヌは、遠縁の親族の助けを借りて、貴族階級、大ブルジョワジー、そして復古王政時代の巨額の金がうごめく高級サロンにもぐりこむ。
・...dans laquelle il rencontre Eugène de
Rastignac, jeune noble désargenté venu de sa province pour
étudier le droit à Paris. Plein d’ambition, meurtri par sa pau-
vreté, Eugène tente grâce à une cousine éloignée de pénétrer
dans les salons huppés où se côtoient l’aristocratie, la grande
bourgeoisie et la haute finance de la Restauration.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)
〇そして、すぐに夫から相手にされなくなったデルフィーヌと恋に落ちる。
・ニュシンゲン男爵(デルフィーヌの夫で銀行家)は、妻の持参金を投機につぎ込んで使い果たしていた。
・ラスティニャックは、金で完全に堕落した社会のシニシズムに気がついて、やがて幻滅する。また、ゴリオ爺さんが娘たちに見捨てられているのを知って、愕然とする。
・社会的成功に夢中の彼女たちは、父親を恥じ、その財産を利用するだけ利用したあとは、ほとんど会おうともしなかった。
〇 Il ne tarde pas à tomber amoureux de Delphine, délaissée par son époux,
le baron de Nucingen, un banquier qui a déjà utilisé la dot
de sa femme dans de multiples spéculations.
・Rastignac va vite perdre ses illusions en découvrant le cynisme d’une société
entièrement corrompue par l’argent. Il découvre avec effroi
comment le père Goriot a été abandonné par ses filles, qui
en ont honte et ne le voient plus guère depuis qu’elles ont
touché sa fortune, toutes préoccupées qu’elles sont pas leurs
succès dans le monde.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377.)
〇老人は極貧の中で孤独に死んだ。その葬儀に出席したのは、ラスティニャックだけだった。
・ラスティニャックはペール・ラシェーズ墓地を離れるやいなや、セーヌ川沿いに並ぶ裕福なパリの景色に圧倒される。ラスティニャックはパリ征服に乗り出そうと決意する。
「今度は俺とおまえの番だ!」
ラスティニャックはそう街に語りかける。
〇 Le vieil homme meurt dans la misère
sordide et la solitude. Rastignac ira seul à son enterrement.
Mais à peine sorti du cimetière du Père-Lachaise, subjugué par
la vue des richesses de Paris qui s’étalent au loin le long de
la Seine, il décide de se lancer à la conquête de la capitale :
« À nous deux, maintenant ! »
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.377-378. )
感情教育、社会教育は終わった。これからは、ラスティニャックもまた冷酷に生きていくのだ。
Son éducation sentimentale et sociale est terminée, désormais il sera lui aussi sans pitié.
(Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Éditions du Seuil, 2013, p.378. )
【Thomas Piketty, Le capital au XXIe siècle, Seuilはこちらから】
Le Capital au XXIe siècle (Les Livres du nouveau monde) (French Edition)
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