地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

全身の光【コプト教徒、暫定政権に期待 エジプト】

2013-07-17 07:36:05 | 今日の御言葉

濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、
その暗さはどれほどであろう。

「マタイによる福音書」/ 6章 23節
新約聖書 新共同訳


あなたは
この世にのぞまれて生まれてきた
たいせつな人。

あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと
貧乏であろうと
それは問題ではありません。
あなたは
同じ神さまがおつくりになった
同じ神さまのこどもです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)




http://blog.livedoor.jp/wien2006/lite/archives/52032211.html
▲40年ぶりに
バチカンを訪問したエジプトのコプト教皇タワドロス2世。
(写真左側 2013年5月10日)


★動乱エジプト:「政治と宗教、分けて」
少数派・コプト教徒、暫定政権に期待
- 毎日jp(毎日新聞)


◆毎日新聞 2013年7月12日



▲カイロ市のコプト教徒集住地区。スカーフを着用しない女性が目立つ=2013年7月7日、宮川裕章撮影



▲エジプトの首都カイロ市内の地図


【カイロ宮川裕章】エジプトの軍事クーデターでイスラム組織「ムスリム同胞団」出身のモルシ前大統領が解任されたことで、全人口の約1割の少数派・コプト教徒(キリスト教の一派)は同胞団の影響力低下に胸をなでおろしている。カイロのコプト教徒集住地区を歩くと、軍事クーデターによる暫定政権に期待し、政治と宗教の分離を求める住民の切実な声が聞こえる。

カイロ中心部ショブラ地区。イスラム教のスカーフを着用しない女性が目立つ。約8万人の地区人口の約半数がコプト教徒という集住地域だ。6日、サントマリア教会の建物を撮影すると警備員が駆けてきた。「微妙な時期。信者を刺激しないでほしい」。前日、同胞団最高指導者のバディア氏が演説でコプト教を批判。別の地域ではコプト教会の聖職者が射殺される事件が起きていた。各教会は身分チェックを厳格化しているという。

昨年6月からのモルシ政権下では、イスラム教色を強めた憲法案が承認されるなど、政治のイスラム化が進みつつあった。コプト教徒がイスラム主義者の中傷の対象となるケースも増え、イスラム主義者が運営するテレビ局では「少数派のコプト教徒は2日間で殺せる」などと発言する出演者も現れた。米国やカナダに移住するコプト教徒が相次いだ。

同地区に住む医師、アタ・ソライメンさん(44)の両親、兄弟も既に米国に移住した。自分も、家族連れで出国しようとしたが、米大使館でビザが出なかったという。

ソライメンさんは、今回のクーデターを歓迎していた。「今は混乱が続いているが、ムスリム同胞団以外のイスラム教徒にもコプト教徒にも、団結して危機を乗り越えようとする空気が生まれている。新政府には政治に宗教を持ち込まない大統領を求めたい」と語る。

教会近くに住むイスラム教徒の主婦、スマード・ホスニさん(45)も思いは同じだ。「これまでイスラム、コプト両教徒は地域で兄弟のように良い関係を保ってきた。だが同胞団の一部は自分たちの考えを認めない者は神を敬っていないと主張し、両宗教の関係だけでなく、同胞団と他のイスラム宗派の関係さえおかしくなった」と言う。「モルシ政権は政治と宗教を分けられなかったのが失敗だった」と考えている。



★時事ドットコム:コプト教


◆時事通信 2013年7月13日


◼コプト教

エジプトを中心とするキリスト教の一派。起源は1世紀にさかのぼるとされるが、451年、カルケドン公会議で異端宣告を受けた。7世紀にイスラム教徒がエジプトを支配して以降、勢力は衰え、現在はエジプト人口の約1割。コプト教会教皇が代表を務める。エジプト出身のガリ元国連事務総長はコプト教徒。

(カイロ時事)
(2013/07/13-19:04)




【エジプト軍クーデター】
★軍は支持確保に自信 新政権移行は長期化懸念も


◆産経新聞2013年7月4日 10:30



▲3日、エジプト・カイロの大統領宮殿周辺で、軍による事実上のクーデターを祝う反モルシ大統領派ら(AP)

 【カイロ=大内清】エジプト軍が3日夜、クーデターによりモルシー大統領を排除したのは、たとえ民主化が一時的に後退しても、反モルシー感情が最高潮に達した国民からの支持を得られると判断したためだとみられる。ただ、今後の政治プロセスに関する「行程表」では、憲法改正に要する期間や大統領選の時期は示されておらず、新政権への移行は長期化する可能性もある。

 「この行程表により、2011年の『アラブの春』は再始動する」。3日夜、シーシー国防相の会見に立ち会った有力野党指導者、の1人、エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長はこう語り、軍の動きを評価した。

 軍との協議には同国のキリスト教の一派であるコプト教会の教皇タワドロス2世も参加しており、コプト政党も行程表を歓迎。モルシー氏の出身母体であるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団から分裂した若手グループのムスタファ・ナッガール氏らさえも「軍を信頼している」と述べ、行程表の現に協力する姿勢を明確にした。

 モルシー氏はデモ発生以降、民主的な手続きで大統領に選ばれた「正当性」を繰り返し強調してきた。しかし、多くの国民が信頼と畏怖の感情を抱く軍を敵に回したことで、国民や政治指導者らの支持を取り戻すことはできなかった。

 一方、行程表は、政権移行の時期や軍の役割については明示しなかった。

 ムバラク政権崩壊後に軍政を敷いた軍は当初、暫定統治の期間を「最長で6カ月」と設定したが、実際に民政移管を達成するまでに約1年4カ月を要し、その間に軍に反発するデモが相次いだ。軍には、再び批判の矢面に立たないよう、今後予想される政治的駆け引きの中で表向きは中心的役割を果たすことを避けたいとの思惑がありそうだ。

 ただ、憲法問題などでは各政治勢力間の綱引きにより手続きの長期化も予想される。政権移行が長引けば、政局の主導権をめぐる各党の争いが激しさを増し、混乱が深まる懸念は拭ぬぐえない。


分け隔て【奴隷制の面影とクイーンのフレディの生家 ザンジバル】

2013-07-17 00:05:20 | 今日の御言葉



わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、
わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、
人を分け隔てしてはなりません。


「ヤコブの手紙」 / 2章 1節 新約聖書 新共同訳



平和も戦争め家庭から始まります。
もし本当に世界平和を願っているなら、
まず自分の家庭が
相互に愛し合うことから始めてゆきましょう。
もし、喜びを広げてゆきたいなら、
まず、一つひとつの家庭が
喜びをもって生活することが必要なのです。


マザーテレサ
(マザーテレサ『愛と祈りの言葉』より)



★酸性液浴びせる事件続出、
外国人女性ら被害 タンザニア


◆CNN.co.jp 2013年9月15日
http://www.cnn.co.jp/m/world/35037249.html


タンザニア・ザンジバル(CNN) アフリカ東部タンザニアのザンジバル島で13日、カトリック教の聖職者が襲われ、酸性液体を浴びて入院する事件があった。同島でこの種の攻撃が起きたのは過去2カ月間で3件目。

地元警察が調べているが、逮捕者は出ていない。同聖職者はCNNの取材に応じ、ザンジバル市内のインターネットカフェを出た際、襲われたと述べた。タンザニア本土のダルエスサラーム市の病院で手当てを受けている。

同島では今年8月、18歳の英国人女性2人が路上で顔、手や胸に酸性液体を浴びる事件も発生。犯人はオートバイに乗った男2人だった。

ボランティアの教師として働いていた女性2人は、同島の観光名所として知られる世界遺産のストーンダウン地区で襲われていた。

タンザニアの地元メディアによると、ダルエスサラームでは今年7月、アラブ系の実業家が酸性液体の攻撃を受ける事件もあった。この実業家は同市の米国大使館近くにショッピングモールを建設していた。

ザンジバル島では最近、イスラム過激派の台頭が指摘されていた。英女性の被害などを受け、タンザニア政府は酸性液体や関連製品の購入規制を検討する方針を示した。

米中央情報局(CIA)の世界便覧によると、ザンジバル島は広範な自治権が認められ、住民の99%はイスラム教徒。一方、タンザニア本土ではキリスト教、イスラム教や伝統宗教の各宗徒の比率がほぼ均等している。







★奴隷制の面影とクイーンのフレディの生家
@ザンジバル


◆朝日新聞デジタル 2013年7月17日



▲奴隷たちが押し込められた地下室。手前のような鎖でつながれていた





▲解放された奴隷が手伝ってできた教会。12本の柱が上下逆さまに据えられている





▲教会の外観





▲スルタンの宮殿の調度品には、日本のものらしき大きなつぼも





▲博物館になっているスルタンの宮殿から海をのぞむ





▲別のスルタン宮殿。こちらも博物館だったが、建物の補修が必要になったため、いまは休館中





▲フレディ・マーキュリーの生家





▲シーガルの向こうに夕日が沈む=いずれも江木慎吾撮影

ザンジバルのストーンタウンは、ユネスコの世界遺産に指定されている。世界遺産に宿泊するのは、マリの不思議な土の町ジェンネについで2度目になる。

インド洋を隔てた国々とアフリカを結び、独特のスワヒリ文明、経済圏を形成した。奴隷貿易の中心地という歴史を背負い、その遺構も残る。ポルトガル、アラブ、インドにアフリカが混交する、さんごの石で築かれた独特の建築群は、厳しい建築基準によって守られている。

石の町の一角にある英国国教会に向かう。この教会は1873年から、解放奴隷が手伝って建てられた。敷地に建つ建物には地下室がある。奴隷たちが男と女に分けられ、鎖につながれて狭い空間に押し込められた。壁の縦長の切れ目から、わずかに外の光が差し込む。1人でいても息苦しく感じる。

奴隷は、この地まで大陸の産物や資材を運搬するために使われた。長旅の果てになお体力のある男たちは、さらに海外に向け、売られた。体力のない奴隷には死が待っていたという。

教会の内部には、キリストの12使徒を表す12本の支柱が、素人らしく逆さに据え付けられている。この地の奴隷制について警鐘を鳴らしたのは、宣教とアフリカ探検で有名なデビッド・リビングストンだった。

海に面した一等地に移動すると、ポルトガルが建てた石のとりでとともに大きな木造の建物が並ぶ。19世紀に建てられたオマーン王国のスルタンの宮殿は、中東というより英国やインドの影響を受けているように見える。いまは博物館になっているが、天井は高く、調度品も欧風のものが多く残されている。

ポルトガルが築いたとりでの前、海に臨む公園からながめると、岸にほど近いところに船が停泊している。かつて熱海と伊豆大島を結んだ双胴の高速船シーガルは、日本語の表記もそのままに、動けなくなっている。

日本での十数年の就航の間には、伊豆大島の噴火で島民の避難に活躍した。岸壁に衝突する事故も起こした。タンザニアに移ってザンジバルとダルエスサラームを結んでいたが、機関が故障した。

ストーンタウンの多くの建物は、ホテルに改装されている。そんなホテルの隣に、ロックバンド「クイーン」のボーカルだった故フレディ・マーキュリーの生家がある。ゾロアスター教徒の両親のもとに生まれ、インドの寄宿学校に通っていた時にファロクという本名から「フレディ」の愛称がついたという。

一家は1964年のザンジバル革命を機に英国に渡り、いま家は人手にわたっている。その入り口には、クイーン時代のフレディの写真が飾られている。

夜、寝ようとするころに町は騒がしくなる。ラマダン中は夜が明けきらないうちに食事をしなくてはならず、ちょうど真夜中ごろになると若者たちが通りに出て太鼓を打ち鳴らし、歌を歌う。周囲に起きるよう促す。

眠ろうとするときに、すぐそばでがなり立てられるので閉口する。情熱的に歌っているのかもしれないけれど、投げやりにがなり立てているようにしか聞こえない。


◼プロフィール
江木 慎吾(えぎ・しんご)

61年生まれ。社会部をへて00年代、ナイロビ、ニューヨーク支局に勤務。バルカン半島、中東、アフリカ各地の紛争取材を経験しつつ、小心さは変わらない。動作が緩慢でのんきに見えるが、気は短い。趣味は散歩。しばしば二日酔い。だめトラファン。