濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、
その暗さはどれほどであろう。
「マタイによる福音書」/ 6章 23節
新約聖書 新共同訳
あなたは
この世にのぞまれて生まれてきた
たいせつな人。
あなたがなんであり
どこの国の人であろうと
金持ちであろうと
貧乏であろうと
それは問題ではありません。
あなたは
同じ神さまがおつくりになった
同じ神さまのこどもです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/18/615d071098de303f7f450db91e6039ba.jpg)
http://blog.livedoor.jp/wien2006/lite/archives/52032211.html
▲40年ぶりに
バチカンを訪問したエジプトのコプト教皇タワドロス2世。
(写真左側 2013年5月10日)
★動乱エジプト:「政治と宗教、分けて」
少数派・コプト教徒、暫定政権に期待
- 毎日jp(毎日新聞)
◆毎日新聞 2013年7月12日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/2d70cc5dfcd7271b67a46a748a709ece.jpg)
▲カイロ市のコプト教徒集住地区。スカーフを着用しない女性が目立つ=2013年7月7日、宮川裕章撮影
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ae/6ae974efd754ae6a1f12259637c998e9.jpg)
▲エジプトの首都カイロ市内の地図
【カイロ宮川裕章】エジプトの軍事クーデターでイスラム組織「ムスリム同胞団」出身のモルシ前大統領が解任されたことで、全人口の約1割の少数派・コプト教徒(キリスト教の一派)は同胞団の影響力低下に胸をなでおろしている。カイロのコプト教徒集住地区を歩くと、軍事クーデターによる暫定政権に期待し、政治と宗教の分離を求める住民の切実な声が聞こえる。
カイロ中心部ショブラ地区。イスラム教のスカーフを着用しない女性が目立つ。約8万人の地区人口の約半数がコプト教徒という集住地域だ。6日、サントマリア教会の建物を撮影すると警備員が駆けてきた。「微妙な時期。信者を刺激しないでほしい」。前日、同胞団最高指導者のバディア氏が演説でコプト教を批判。別の地域ではコプト教会の聖職者が射殺される事件が起きていた。各教会は身分チェックを厳格化しているという。
昨年6月からのモルシ政権下では、イスラム教色を強めた憲法案が承認されるなど、政治のイスラム化が進みつつあった。コプト教徒がイスラム主義者の中傷の対象となるケースも増え、イスラム主義者が運営するテレビ局では「少数派のコプト教徒は2日間で殺せる」などと発言する出演者も現れた。米国やカナダに移住するコプト教徒が相次いだ。
同地区に住む医師、アタ・ソライメンさん(44)の両親、兄弟も既に米国に移住した。自分も、家族連れで出国しようとしたが、米大使館でビザが出なかったという。
ソライメンさんは、今回のクーデターを歓迎していた。「今は混乱が続いているが、ムスリム同胞団以外のイスラム教徒にもコプト教徒にも、団結して危機を乗り越えようとする空気が生まれている。新政府には政治に宗教を持ち込まない大統領を求めたい」と語る。
教会近くに住むイスラム教徒の主婦、スマード・ホスニさん(45)も思いは同じだ。「これまでイスラム、コプト両教徒は地域で兄弟のように良い関係を保ってきた。だが同胞団の一部は自分たちの考えを認めない者は神を敬っていないと主張し、両宗教の関係だけでなく、同胞団と他のイスラム宗派の関係さえおかしくなった」と言う。「モルシ政権は政治と宗教を分けられなかったのが失敗だった」と考えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/2e/8412f1a4fe92b47aeae7bec8def9a109.jpg)
★時事ドットコム:コプト教
◆時事通信 2013年7月13日
◼コプト教
エジプトを中心とするキリスト教の一派。起源は1世紀にさかのぼるとされるが、451年、カルケドン公会議で異端宣告を受けた。7世紀にイスラム教徒がエジプトを支配して以降、勢力は衰え、現在はエジプト人口の約1割。コプト教会教皇が代表を務める。エジプト出身のガリ元国連事務総長はコプト教徒。
(カイロ時事)
(2013/07/13-19:04)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/fd/358e706e3b47992341686e05aab33e1a.jpg)
【エジプト軍クーデター】
★軍は支持確保に自信 新政権移行は長期化懸念も
◆産経新聞2013年7月4日 10:30
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/84/6c4532163d6e3e94814e573e1e2c67b4.jpg)
▲3日、エジプト・カイロの大統領宮殿周辺で、軍による事実上のクーデターを祝う反モルシ大統領派ら(AP)
【カイロ=大内清】エジプト軍が3日夜、クーデターによりモルシー大統領を排除したのは、たとえ民主化が一時的に後退しても、反モルシー感情が最高潮に達した国民からの支持を得られると判断したためだとみられる。ただ、今後の政治プロセスに関する「行程表」では、憲法改正に要する期間や大統領選の時期は示されておらず、新政権への移行は長期化する可能性もある。
「この行程表により、2011年の『アラブの春』は再始動する」。3日夜、シーシー国防相の会見に立ち会った有力野党指導者、の1人、エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長はこう語り、軍の動きを評価した。
軍との協議には同国のキリスト教の一派であるコプト教会の教皇タワドロス2世も参加しており、コプト政党も行程表を歓迎。モルシー氏の出身母体であるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団から分裂した若手グループのムスタファ・ナッガール氏らさえも「軍を信頼している」と述べ、行程表の現に協力する姿勢を明確にした。
モルシー氏はデモ発生以降、民主的な手続きで大統領に選ばれた「正当性」を繰り返し強調してきた。しかし、多くの国民が信頼と畏怖の感情を抱く軍を敵に回したことで、国民や政治指導者らの支持を取り戻すことはできなかった。
一方、行程表は、政権移行の時期や軍の役割については明示しなかった。
ムバラク政権崩壊後に軍政を敷いた軍は当初、暫定統治の期間を「最長で6カ月」と設定したが、実際に民政移管を達成するまでに約1年4カ月を要し、その間に軍に反発するデモが相次いだ。軍には、再び批判の矢面に立たないよう、今後予想される政治的駆け引きの中で表向きは中心的役割を果たすことを避けたいとの思惑がありそうだ。
ただ、憲法問題などでは各政治勢力間の綱引きにより手続きの長期化も予想される。政権移行が長引けば、政局の主導権をめぐる各党の争いが激しさを増し、混乱が深まる懸念は拭ぬぐえない。