変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー



どこかの政治家が国会の場で
発言していましたね。
これからの議論は曖昧とウソで固め、
過去の所業に対する悪口の応酬に終始。
悪口の根拠が真っ当に分析された形跡も見えず。

政治家が国会の場で発言した内容なんです。

これで
「恥を知りなさい。」
と言える心臓に感服です。

ボクなら恥ずかしくて生きていられません。

因みに、
ボクには特定の政党を支持する習慣はないし、
特定の政治家を非難もしないです。
政治家ですから、
政策と言動以外のその人自身には興味が
無いからです。
イデオロギーもこの場で明言しません。

さて。
何でこんな不愉快な出来事を
書き出したかと言うと、

人はどんな時に恥ずかしいと思うのだろう?

と思ったから。

基本的には、間違いを犯した時だろう。
それが、
初歩的だったり幼稚だったりすればする程、
恥ずかしさは増大する。

こんな単純なモノではないかもしれないが、
少なくとも1面は捉えているだろう。

ならば、
この国の将来が心配だ。
恥を恥とも思わない行動や発言が
目につくことが増えているように思う。

これは、
幼稚化に原因を求められるのではないか。
恥ずかしいことをしているとすら気付かない
幼稚さ、無知加減。

或いは、
単にボクが老人に近付いただけだろうか。

そう願いたいものだが。


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