今思うと、この世に生れ落ちた瞬間から、おいらは虎キチ。
未だ解明されていないが、DNAレベルで塩基配列の中に刻み込まれた
虎因子があるに違いない。
プロ野球がお休みのこの時期、魂が、細胞が、六甲おろしを奏でようと
する。
高らかに歌いあげよう。
誇らしげに口ずさもう。
野球を本格的にやっていたわけではない。
少年として、野球遊びには興じていた程度。
タイガースの帽子をかぶっていたのは当然。
そう言えば、阪神ファン以外の人間がいる、という事実に驚愕したのは
中学に入った頃だったか。おいらが初めて経験したパラダイムシフト。
聖地、甲子園には幾度も足を運んだ。高校野球を含めて。
地元の恩恵がある。
今は知らないが、当時の夏の甲子園大会では、地元高校は予選が
甲子園なこともあった。
我が母校は平凡な高校だったので、強豪ひしめく兵庫県大会を勝ち
抜くのは夢のまた夢。それでも、甲子園で母校を応援する栄誉を得た
のだ。地元って素晴らしい。
初めて甲子園に行ったのは、親に連れられてだったろうか。
友達とも行ったし、アルバイトをしてた頃もあったなぁ。
スタンドでコーラを売っていた。売り子である。
ビンを20本かついで、スタンドに出て行くのである。売りきっては補充に
戻る、の繰り返し。
給料は歩合だったので、実入りはウデ次第。
3本の指に入る位のやり手だったものさ。
どうしても勝てないヤツがいたのも事実だが。
なんにせよ、裏の攻撃中に立ったまま売るようなマナーの悪い売り子
はいなかった。当時の甲子園じゃ殺されて消滅してたのかな。。。
夏の甲子園大会、高校野球のテレビ番組編集のバイトもしてたっけ。
こちらでは、出来の悪いスタッフだったようだ。
あの時の仲間は、マスコミ関係に就職したんだろうなぁ。
おいらには声がかからなかったが。見る目ねぇぞぉ、A放送。
初めて阪神の優勝を目の当たりにしたのは、掛布が現役時のあの優勝。
燃えた。
当時、大学入試に失敗して浪人中だったおいら。
そんなことも忘れて、燃えまくった。
みんな燃えていた。
忘れられない思い出がいっぱいある。
毎年、それらはどんどん積み重なっていく。
忘れてしまった思い出もいっぱいあるんだろうけども。
今年はどうなるかな。
去年の借りを、ロッテに、パリーグに、返さねばなるまい。
開幕まであと一ヶ月ちょっと。
待ち遠しいなぁ。
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