ちょっとした驚きシリーズ。
先日、知人に紹介してもらった本を読んでみた。
「ミュータント・メッセージ」 by マルロ・モーガン
それなりに大成した年配の女性がオーストラリアに渡って、現地
先住民の生活を体験し、それを通して得たり感じたりした様々な
モノをレポートするという体系の本だ。主人公はアメリカの医者で、
現代人の心根と学者の眼で、太古から営まれて続けて来た悠久
たる歴史に挑戦する。文明社会に生きる我々には、まるで奇跡の
類に見える体験の数々。そして体験から発せられるメッセージ。
なかなか興味深い。
内容についてはもう少し咀嚼する時間が必要なので、レビューは
別の機会にして、内容を吟味する前に驚きがあった。
何が驚いたかというと、おいらはいつも何某かの本を読んでいる
のだけども、この本を紹介してもらった時に読んでいた本という
のが、とある推理小説。中年の女医さんがニューギニアに渡って、
文明を拒否した先住民の村で奇跡を体験するお話。
何か似てね?
単なる奇跡ではなくて、現代文明が解き明かしていないだけで、
元々人間が持っている能力の延長線上に起こる事象達ではないか、
というスタンスも似ているように思う。
現代社会に巣食う病巣の根源、明示はしないのだけども、両方の
筆者の思いは、同一の指摘として散りばめられていると感じた。
面白い偶然だよ。
しかし、この偶然をどう捉えるべきなのかな。
そもそも人間というのは、新しきを得る時に、既知の中から似た要素
を見つけ出し、差分を理解しようとする生き物である。
なので、偶然の一致を探すのは得意技と言える。
そう考えるとシンクロニシティとは、人類の思考プロセスの断面を切り
取っただけのもの、と理解することもできるだろう。
だから、2冊の本の共通項を探すこと、あるいは共通項に意味を見出
すこと、そんなことに価値は無いのかもしれない。
そうは言っても、様々な形を取っているとは言え、何らかの形で人類
は『運命』を肯定してきたのではなかったか。
偶然の中にこそ、運命を見出す生き物なのではないか。
そうでなければ、「必然」と「偶然」の定義が延々と議論されることは
無いはずだ。運命を、偶然の意味を、認識したいが為に定義しようと
しているに過ぎない。
・・・今回は、かなり強がってみた。
なんだかんだ言っても、今回の偶然を興味深く見ているおいらがいる。
藁にもすがりたい気持ちがあるのも事実で、おいらなりに今回の偶然
や内容から受け取ったメッセージがあるんだ。
ともあれ。
こういう偶然って続くというけど、次は何かな。
おいらに風が吹いているのかな。
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