今朝は晴れ、散歩に出るとき少し考えたのですが、フリースを脱いでジャンパーだけで、出かけました。パソコンの中の画像を外付けのハードディスクに移していて時間的におそくなってしまっていて、ポツポツ桜の谷沿いの道は土曜日だから、結構散歩する方が多いだろうと判断して、またもや左をとって広大山裾田圃に。
●端折りマークです。↓お陽さんも結構な角度でピョコン上がっていますから、朝日の景色を逃してしまったというところ。でも朝日はピッカリ斜めから差し陰翳を強めていますから、コントラストが利いています。写真家の方は朝と夕が一番とおっしゃっていて、私も石を彫る時は朝・夕が貴重な時間帯となります。太陽が上の時は、石の底を平らにしたりの下ごしらえなどにもっぱらあてています。というわけで、工事中の道のでこぼこが面白いですね。トラック、ユンボのキャタピラ、人の足跡。なんでこんな泥のところに足を踏み入れたんヤロか?そして、鹿の足跡。そしてイノシシの毛糸の編み物のようなビッシリとした行進あと。水たまりの中の島状になった所についたカラスの二つの足跡。遊び心の好奇心なのか、水のなかの何かをついばむためか、などと考えるのは楽しいものです。
いくつかをデジカメで撮影。デジカメはカシオのQV10?の頃から胸のポケットにかかさず。いったいどれほどの空の写真がある事でしょう。それでも「なんで、もっとパシャパシャ撮ヘンのん!後で消したらエエねん」といわれはしますが。それでも整理が大変。カードの容量が増えたので二ヶ月ぐらい、溜め込むともう大変。いままでのを整理して、挫折のくりかえしで、まるまる一年かかってしまいました。写真をとる方は実にまめですね。
あまり容量の多きのを購入するのも考え物。」「おおデカかの画素数でとればそんなん直ぐや」と声がきこえそうですが、私はugaの上の2Mか3M。だいたい画面にだしてビックリしてしまいます。せいぜい、絵はがき程度でいいのですが、少し贅沢。現像代もいらずなのにみみっちく貧乏性なのですね。「減らヘンのに」
登りつめると、今日は比良の山系が青霞。雛壇集落とのコントラストが綺麗ですがそう感興は呼びません。今朝も水回りの車、田圃に白鷺が。水がはいりだしてのことでしょう。田の泥水の色とは対象的。でも擦り込まれているのか、苗の中の白鷺の図が思い浮かんでしまうんですね。そして目は比叡山の山腹の桜や辛夷の白を確認します。辛夷はある標高で横並びに点々とし咲いていて面白い光景を作り出しています。円錐か紡錘型といいますかあの輝しき姿に引きつけられ。一度山中の入ったのですが、近くにいっても木々だらけで見られるハズがありませものね。根方には茶色く萎びようとする褪せた花びらだけ。その頃から「遠見の花樹」をと心懸けだしましたが、時にそれを軽く花樹のグーイと惹きつけられ、魅せられ「魔」があるんですね。ふらふらの、恋い病した憑かれたモノのごとく足を運ぶことが…そして破れる。
●またまた長くなりました。集落の外れに家があるんですね、「雛壇集落」なんて書いたら怒られそううですが、平らな所を田にするのは昔の常。いまはそいう事が無くなったことがいいのか悪いか。また脱線しそう。その家々の間の坂道の凄いこと、車道も冬場は大丈夫かと思うほどコンクリート横線溝の道、少し狭い道など転げ落ちるのではないかと思うほどの角度。その家に行く道はまた別にあると思うのですが、ともかく窺った所、その坂道を下り再び登ってゆく道が確認され、その家だけポツリとコンモリ小高い別空間をかもしていて、離れ屋敷状態。でもそれだけに一線を画しているのですね。まあ、そういう所が好きなのですが。それでも普段はそれほど目立つわけではありません、でもこの時期になると家の門代わりのような桜で俄然その存在がアピールされます。瓦屋根の黒というのもあります、多分白い土壁、はやくいえば昔ながらのといたてて目立たないごく普通木造建築の百姓家。それが当世風のしゃれた住宅ならそれほどとも思わないのですが、やはり絵になるんですね。年代ものの、そう上等とはいいがたいのですが地酒、まあ早くいえば絵本のお話のできる懐か味のある、別天地。
●端折りマークです。↓お陽さんも結構な角度でピョコン上がっていますから、朝日の景色を逃してしまったというところ。でも朝日はピッカリ斜めから差し陰翳を強めていますから、コントラストが利いています。写真家の方は朝と夕が一番とおっしゃっていて、私も石を彫る時は朝・夕が貴重な時間帯となります。太陽が上の時は、石の底を平らにしたりの下ごしらえなどにもっぱらあてています。というわけで、工事中の道のでこぼこが面白いですね。トラック、ユンボのキャタピラ、人の足跡。なんでこんな泥のところに足を踏み入れたんヤロか?そして、鹿の足跡。そしてイノシシの毛糸の編み物のようなビッシリとした行進あと。水たまりの中の島状になった所についたカラスの二つの足跡。遊び心の好奇心なのか、水のなかの何かをついばむためか、などと考えるのは楽しいものです。
いくつかをデジカメで撮影。デジカメはカシオのQV10?の頃から胸のポケットにかかさず。いったいどれほどの空の写真がある事でしょう。それでも「なんで、もっとパシャパシャ撮ヘンのん!後で消したらエエねん」といわれはしますが。それでも整理が大変。カードの容量が増えたので二ヶ月ぐらい、溜め込むともう大変。いままでのを整理して、挫折のくりかえしで、まるまる一年かかってしまいました。写真をとる方は実にまめですね。
あまり容量の多きのを購入するのも考え物。」「おおデカかの画素数でとればそんなん直ぐや」と声がきこえそうですが、私はugaの上の2Mか3M。だいたい画面にだしてビックリしてしまいます。せいぜい、絵はがき程度でいいのですが、少し贅沢。現像代もいらずなのにみみっちく貧乏性なのですね。「減らヘンのに」
登りつめると、今日は比良の山系が青霞。雛壇集落とのコントラストが綺麗ですがそう感興は呼びません。今朝も水回りの車、田圃に白鷺が。水がはいりだしてのことでしょう。田の泥水の色とは対象的。でも擦り込まれているのか、苗の中の白鷺の図が思い浮かんでしまうんですね。そして目は比叡山の山腹の桜や辛夷の白を確認します。辛夷はある標高で横並びに点々とし咲いていて面白い光景を作り出しています。円錐か紡錘型といいますかあの輝しき姿に引きつけられ。一度山中の入ったのですが、近くにいっても木々だらけで見られるハズがありませものね。根方には茶色く萎びようとする褪せた花びらだけ。その頃から「遠見の花樹」をと心懸けだしましたが、時にそれを軽く花樹のグーイと惹きつけられ、魅せられ「魔」があるんですね。ふらふらの、恋い病した憑かれたモノのごとく足を運ぶことが…そして破れる。
●またまた長くなりました。集落の外れに家があるんですね、「雛壇集落」なんて書いたら怒られそううですが、平らな所を田にするのは昔の常。いまはそいう事が無くなったことがいいのか悪いか。また脱線しそう。その家々の間の坂道の凄いこと、車道も冬場は大丈夫かと思うほどコンクリート横線溝の道、少し狭い道など転げ落ちるのではないかと思うほどの角度。その家に行く道はまた別にあると思うのですが、ともかく窺った所、その坂道を下り再び登ってゆく道が確認され、その家だけポツリとコンモリ小高い別空間をかもしていて、離れ屋敷状態。でもそれだけに一線を画しているのですね。まあ、そういう所が好きなのですが。それでも普段はそれほど目立つわけではありません、でもこの時期になると家の門代わりのような桜で俄然その存在がアピールされます。瓦屋根の黒というのもあります、多分白い土壁、はやくいえば昔ながらのといたてて目立たないごく普通木造建築の百姓家。それが当世風のしゃれた住宅ならそれほどとも思わないのですが、やはり絵になるんですね。年代ものの、そう上等とはいいがたいのですが地酒、まあ早くいえば絵本のお話のできる懐か味のある、別天地。