私事で恐縮ですが。
つい最近、私はとっても恥ずかしくて、驚くような経験をしました。・・・と言うのは。
4月26日の日曜日、私は石垣島で開催されたトライアスロンのレースに出場しました。私にとってのトライアスロンの初レースでした
50の手習い・・・として、ひょんなことからトライアスロンを始めることになった私は、約8ヶ月後にあたる、この今年の石垣島トライアスロンを目標にして、練習を開始しました。
中学1年生の夏、臨海学校で3キロの遠泳があり、それで初めて泳げるようになった私にとって、51歳の今日まで「泳ぎ」と言えば「平泳ぎ」でした。
今まで、何度もクロールに挑戦しましたが、どうしても息継ぎができず・・・別段、平泳ぎができれば、何も困ることもなく、クロールをしなければならない事情もありませんでしたので、結局、クロールを習得するには至りませんでした
しかし、さすがにトライアスロン挑戦を決めると、クロールの習得は不可欠です。所属したトライアスロンチームの専属コーチとの練習で、昨年の8月、やっと私はクロールで泳げる、という状態になりました。要するに、息継ぎができるようになり、2ビートのクロールを一応、習得したわけです
なかなか時間がなく、月に何度も練習をする、ということは出来ませんでしたが、それでもプールに行くたび、自分でもだんだんとクロールで泳ぐことに慣れ、問題なくスムーズに泳げるようになっていく自分を実感していました。そういう状態で、私は石垣島でのトライアスロンのレース当日を迎えました
大会前日の夕方に、本番のスイム会場での試泳の時間が設けられていましたが、私は苦手な「自転車での40キロ」への緊張感から、敢えてレース前日に試泳することを避けました。私はその時点では「泳げる、大丈夫」と高をくくっていたのでした。
ところがです。
翌日、午前8時、花火が鳴り、ファンファーレとともにレースが始まりました。私は緊張でいっぱいでしたが、それは「スイム」に対する緊張ではなく、あくまでもレースそのものへの緊張であり、特に自転車競技への緊張でした 海を前にした時には、ある意味、「さあ、いくぞー!がんばるぞー!」という思いのほうが強かったように思います。
いよいよ私のグループが海に入る順番がやってきました。プワーン、というホーンの音が鳴り、私のグループ140名が海にバシャバシャと入っていきます 私も腰のあたりに水が来るまで走り、そしてザバーンと飛び込みました。さあ、泳ぎ始めます
しかし
私は、ザバーンと飛びこんだとたん、その格好のままで、動くことができなくなりました ウエットスーツを着ているため、沈んでいくことはなく、身体は幸い、浮くことができます。
でも、私は動き出せない・・・なぜって???
私は、すっかりクロールを忘れてしまったのです
確かに、私は優秀なコーチに手取り足取りクロールを教えていただき、泳げるようになっていました。「早くはないけれど、きれいに、落ち着いて泳ぐことができていますよ!」と誉めてもいただきました。
それなのに・・・どうしても動かない・・・動けない・・・なぜなら、手と足を、どのように動かせばクロールだったのか、ちっとも身体が思い出せないのです
頭では、早く!早く!泳ぎださなくては進めない!何やっているんだ!いったい私はどうなっちゃったんだと焦り、頭が痛くなっていました。
でも、焦るばかりで、一向に泳ぎ出せません。私のまわりの人は、どんどんと進んでいきます
そのうちに、次のグループのスタートのホーンの音が聞こえ、バシャバシャバシャと水の音が聞こえたかと思うと、真後ろから、大勢の人が迫ってきます。私はもうパニックを起こしていました。何とか、とりあえず足と手を動かしてみますが、全く泳ぎになりません
私はパニックになりながらも、落ち着け!落ち着け!と言い聞かせ・・・そして、とりあえずは進むために、平泳ぎで泳いでみようと思いました。ところが、平泳ぎをしたとたん、ウエットスーツを着ているせいでしょうか、すぐに足がつり、泳げません。
私は、まるで溺れている人のように、しばらく無茶苦茶に手足を動かしました 途中、冷静になろうと、また平泳ぎを試みたり、少し立ち泳ぎをしたり・・・長い時間そんなふうにして、パニックをおさめようとしました。
きっと、5分以上、そんなことをしていたでしょうか・・・とてつもなく長い時間に感じられましたし、実際、レースの中での空白の時間は本当に長いロスの時間でした
そして少し気持ちが落ち着いた時・・・あらためて海に浮かび、手足を動かし始めました。やっと、クロールになりました 自分のイメージ通り、クロールができるようになったのでした・・・
大変、長い長い時間はかかりましたが、お陰様で1,5キロを泳ぎ切り、その後も自転車、ランニングと繋いでいくことができ、51,5キロのレースを完走することができましたが、すっかり大人に・・・それも51歳になった私は、このレースであらためて多くの教訓を得たのでした
なぜ、私がこんなにも、読んでくださる方々にとっては、どうでも良いようなトライアスロンのレースのことをわざわざ書いたのかと言えば・・・
私は、いつも自分の教室でお母様、お父様にお話をしています。
「わかった!と、できる、というのは違いますよ。」と・・・
たとえば、新しいカリキュラムを教えたとします。1回だけでは理解できなかった子どもも、2回、3回とさまざまな説明の仕方で学習を繰り返していくうちに、『あー、わかった』とうれしい顔をします。その子が、その新しいカリキュラムを理解した瞬間です
そして、実際に理解できたかどうかを確認するためにペーパーをしてみると・・・確かに正答を導き出すことができます。「わかった」わけですね
ところが、ひと月ほどして、そのカリキュラムをしてみると、半数近い子ども達が「これ、やったよね」と言いながらも、なかなか正答できないのです。
中には、完全に解き方を忘れてしまっている子もいるのです
こういうことから、私は常に言うのです。一度は確かに「わかった」としても、その「わかった」が完全な「できる・間違えない」に結びつくとはかぎりませんよ、と
要するに、「できる・間違えない」という身に付いた状態にするためには、何度も何度も繰り返し、繰り返し、やっていかなければならないのです。
その繰り返しが確実に「できる」状態を作っていくのですね
私のクロール・・・それは、まさに単なる「わかった」状態だったわけです
泳げるようになった、息継ぎもできるようになった、もう大丈夫・・・そう思っていましたが、たった1年にも満たないクロールの経験と、決して十分とは言えない練習量では、12歳の時に習い、その後40年近くも自らの泳ぎとして泳ぎ続けた平泳ぎのようには身に付いてはいず、完璧に習得するところまではいっていなかったのでしょう
だから、レースという緊張の中では全く思い出すこともできず、ひたすらパニックになるしかなかった・・・私が身をもって「わかる」と「できる」の違いを実証した恥ずかしい出来事でした
基本を繰り返すこと・・・これが本当に大切です
同じカリキュラムでも、次々に高度なことに挑戦させることよりも、何度も基本を徹底することのほうに意味があります 基本がしっかり身に付いていなくては、砂上の楼閣に成りかねません。
継続は力なり。必ず基本を繰り返しましょう
まどか先生の教室「幼児教室マナーズ」
小学校受験は、子どもが大きく成長するまたとないチャンスです。
知識の詰込み、繰り返す訓練、長時間の強要・・・そんな親子共に苦しい準備を「うれしくはないけれど、それが正しい準備」などと、ある意味での諦めの境地で取り組む受験準備ではなく、子ども自身の頭で考え、判断し、行動できる力「人間力」を育てる受験準備。それが、幼児教室マナーズが27年間実践し、成果をあげてきた「まどか先生メソッド」です。小学校に入学した後も、親子共にいつでも相談に帰っていける場所、それが幼児教室マナーズです
つい最近、私はとっても恥ずかしくて、驚くような経験をしました。・・・と言うのは。
4月26日の日曜日、私は石垣島で開催されたトライアスロンのレースに出場しました。私にとってのトライアスロンの初レースでした
50の手習い・・・として、ひょんなことからトライアスロンを始めることになった私は、約8ヶ月後にあたる、この今年の石垣島トライアスロンを目標にして、練習を開始しました。
中学1年生の夏、臨海学校で3キロの遠泳があり、それで初めて泳げるようになった私にとって、51歳の今日まで「泳ぎ」と言えば「平泳ぎ」でした。
今まで、何度もクロールに挑戦しましたが、どうしても息継ぎができず・・・別段、平泳ぎができれば、何も困ることもなく、クロールをしなければならない事情もありませんでしたので、結局、クロールを習得するには至りませんでした
しかし、さすがにトライアスロン挑戦を決めると、クロールの習得は不可欠です。所属したトライアスロンチームの専属コーチとの練習で、昨年の8月、やっと私はクロールで泳げる、という状態になりました。要するに、息継ぎができるようになり、2ビートのクロールを一応、習得したわけです
なかなか時間がなく、月に何度も練習をする、ということは出来ませんでしたが、それでもプールに行くたび、自分でもだんだんとクロールで泳ぐことに慣れ、問題なくスムーズに泳げるようになっていく自分を実感していました。そういう状態で、私は石垣島でのトライアスロンのレース当日を迎えました
大会前日の夕方に、本番のスイム会場での試泳の時間が設けられていましたが、私は苦手な「自転車での40キロ」への緊張感から、敢えてレース前日に試泳することを避けました。私はその時点では「泳げる、大丈夫」と高をくくっていたのでした。
ところがです。
翌日、午前8時、花火が鳴り、ファンファーレとともにレースが始まりました。私は緊張でいっぱいでしたが、それは「スイム」に対する緊張ではなく、あくまでもレースそのものへの緊張であり、特に自転車競技への緊張でした 海を前にした時には、ある意味、「さあ、いくぞー!がんばるぞー!」という思いのほうが強かったように思います。
いよいよ私のグループが海に入る順番がやってきました。プワーン、というホーンの音が鳴り、私のグループ140名が海にバシャバシャと入っていきます 私も腰のあたりに水が来るまで走り、そしてザバーンと飛び込みました。さあ、泳ぎ始めます
しかし
私は、ザバーンと飛びこんだとたん、その格好のままで、動くことができなくなりました ウエットスーツを着ているため、沈んでいくことはなく、身体は幸い、浮くことができます。
でも、私は動き出せない・・・なぜって???
私は、すっかりクロールを忘れてしまったのです
確かに、私は優秀なコーチに手取り足取りクロールを教えていただき、泳げるようになっていました。「早くはないけれど、きれいに、落ち着いて泳ぐことができていますよ!」と誉めてもいただきました。
それなのに・・・どうしても動かない・・・動けない・・・なぜなら、手と足を、どのように動かせばクロールだったのか、ちっとも身体が思い出せないのです
頭では、早く!早く!泳ぎださなくては進めない!何やっているんだ!いったい私はどうなっちゃったんだと焦り、頭が痛くなっていました。
でも、焦るばかりで、一向に泳ぎ出せません。私のまわりの人は、どんどんと進んでいきます
そのうちに、次のグループのスタートのホーンの音が聞こえ、バシャバシャバシャと水の音が聞こえたかと思うと、真後ろから、大勢の人が迫ってきます。私はもうパニックを起こしていました。何とか、とりあえず足と手を動かしてみますが、全く泳ぎになりません
私はパニックになりながらも、落ち着け!落ち着け!と言い聞かせ・・・そして、とりあえずは進むために、平泳ぎで泳いでみようと思いました。ところが、平泳ぎをしたとたん、ウエットスーツを着ているせいでしょうか、すぐに足がつり、泳げません。
私は、まるで溺れている人のように、しばらく無茶苦茶に手足を動かしました 途中、冷静になろうと、また平泳ぎを試みたり、少し立ち泳ぎをしたり・・・長い時間そんなふうにして、パニックをおさめようとしました。
きっと、5分以上、そんなことをしていたでしょうか・・・とてつもなく長い時間に感じられましたし、実際、レースの中での空白の時間は本当に長いロスの時間でした
そして少し気持ちが落ち着いた時・・・あらためて海に浮かび、手足を動かし始めました。やっと、クロールになりました 自分のイメージ通り、クロールができるようになったのでした・・・
大変、長い長い時間はかかりましたが、お陰様で1,5キロを泳ぎ切り、その後も自転車、ランニングと繋いでいくことができ、51,5キロのレースを完走することができましたが、すっかり大人に・・・それも51歳になった私は、このレースであらためて多くの教訓を得たのでした
なぜ、私がこんなにも、読んでくださる方々にとっては、どうでも良いようなトライアスロンのレースのことをわざわざ書いたのかと言えば・・・
私は、いつも自分の教室でお母様、お父様にお話をしています。
「わかった!と、できる、というのは違いますよ。」と・・・
たとえば、新しいカリキュラムを教えたとします。1回だけでは理解できなかった子どもも、2回、3回とさまざまな説明の仕方で学習を繰り返していくうちに、『あー、わかった』とうれしい顔をします。その子が、その新しいカリキュラムを理解した瞬間です
そして、実際に理解できたかどうかを確認するためにペーパーをしてみると・・・確かに正答を導き出すことができます。「わかった」わけですね
ところが、ひと月ほどして、そのカリキュラムをしてみると、半数近い子ども達が「これ、やったよね」と言いながらも、なかなか正答できないのです。
中には、完全に解き方を忘れてしまっている子もいるのです
こういうことから、私は常に言うのです。一度は確かに「わかった」としても、その「わかった」が完全な「できる・間違えない」に結びつくとはかぎりませんよ、と
要するに、「できる・間違えない」という身に付いた状態にするためには、何度も何度も繰り返し、繰り返し、やっていかなければならないのです。
その繰り返しが確実に「できる」状態を作っていくのですね
私のクロール・・・それは、まさに単なる「わかった」状態だったわけです
泳げるようになった、息継ぎもできるようになった、もう大丈夫・・・そう思っていましたが、たった1年にも満たないクロールの経験と、決して十分とは言えない練習量では、12歳の時に習い、その後40年近くも自らの泳ぎとして泳ぎ続けた平泳ぎのようには身に付いてはいず、完璧に習得するところまではいっていなかったのでしょう
だから、レースという緊張の中では全く思い出すこともできず、ひたすらパニックになるしかなかった・・・私が身をもって「わかる」と「できる」の違いを実証した恥ずかしい出来事でした
基本を繰り返すこと・・・これが本当に大切です
同じカリキュラムでも、次々に高度なことに挑戦させることよりも、何度も基本を徹底することのほうに意味があります 基本がしっかり身に付いていなくては、砂上の楼閣に成りかねません。
継続は力なり。必ず基本を繰り返しましょう
まどか先生の教室「幼児教室マナーズ」
小学校受験は、子どもが大きく成長するまたとないチャンスです。
知識の詰込み、繰り返す訓練、長時間の強要・・・そんな親子共に苦しい準備を「うれしくはないけれど、それが正しい準備」などと、ある意味での諦めの境地で取り組む受験準備ではなく、子ども自身の頭で考え、判断し、行動できる力「人間力」を育てる受験準備。それが、幼児教室マナーズが27年間実践し、成果をあげてきた「まどか先生メソッド」です。小学校に入学した後も、親子共にいつでも相談に帰っていける場所、それが幼児教室マナーズです