桜の開花予想・・・毎年、3月も下旬を迎えると、桜前線が北上して、天気予報では開花予想が発表されます。何となく、それは心うきうきするトピックス、ですね
そこで、受験を考えるご家庭へのご提案です
これから、ほぼ毎日、親子で観察のできる(見ることのできる)桜の木を一本、決めてください そして、もう明日から、その木を親子で観察していってください
蕾が膨らみ、チラホラと花が咲き始め、そして満開の時期を迎えます もしかしたら、その桜は、他の桜の木と一緒に、大人の「お花見」の会場になるかもしれませんね。夜ともなると、ぼんぼりに火が灯り、とても賑やかになる・・・そうなれば、どうして、大人達はそのように桜の木の下で楽しい時間を過ごすのか、是非、教えてあげてください
もしその桜が、公園でひっそりと咲く桜であっても、そこだけはまるで光があるように、白く浮かび上がる素晴らしさを楽しんでください
やがて、桜の花は桜吹雪となって散っていきます。でも、その風の中に舞う花びらのはかなさ、美しさも格別ではありませんか?風が吹き、一斉に花びらが舞い始めると、息を飲むような光景で、まるで映画のワンシーンのように感じます・・・
最後は、桜は青々と新緑の葉を茂らせ・・・そして、何事もなかったように、他の木々の中の1本に戻ります。
1本の桜の木を、約1か月半、観察し続けることで、それはそれは大きな意味を持ちます
私の教室でも、こういうふうにご提案をすると、急に真顔で「絵日記を描かせます!」とか「観察記録を親子で作ります!」のようにおっしゃるご家庭がありますが、どうぞ、そんな「教育ママゴン」的な発想で、このお勧めをお聞きにならないでください
私のこの「桜の木の観察」のご提案には、壮大なロマンと奥の深さがあるのです
大事なことは、親子でそろって「目と心で桜を愛でる(めでる)」ことです
そういう、ゆったりとした季節を感じる時間を持つことが、第一のポイントです そして、毎日愛でることによって、親子で一緒に「自然の力」「生きているもののパワー」そして、「自然の不思議」を身を持って感じていただきたいのです
たとえば・・・花の名前を100個知っていたとしても、それが何なのでしょう?
花を愛でて、「ああ、きれいだなあ・・・」と、心があたたかくなり、自然と微笑む感性がなければ、そこに意味はありません それが、図鑑で覚える花の名前100個と、実際に愛でて、感じる思いの深さ、重さの違いです。
潤いのある暮らし・・・その中で、確実に子どもの情緒や感性は育っていきます
また同時に、そういうご両親やご家庭の「ゆとりとうるおい」というものが、本来、私立校が持っている豊かさであり、また、考査を藤してご家庭に求められていることでもあります
ここに一つ、のある卒業生のお母様の声をご紹介します。数年前、私のホームページの「卒業生の声」のために書いてくださった原稿です。そこに登場するWちゃんは、今春、中学生になられます
「どうぞ、お子様と一緒に、この素敵な季節を楽しんで下さいね」ある日のお教室でのまどか先生のお話です。
先生のアドバイスに従い、保育園の登園時に通る公園の桜並木から1本を『Wちゃん(息子の愛称)の桜』と決めました。
硬かった蕾が少しずつ膨らむ様子。
夕方に見つけた少し開いた桜の花。
そして徐々に満開へと向かい、ピンクに染める桜の樹。
桜吹雪の中での帰宅。
新緑の季節を迎える頃、その観察は終了します。
しばらく変化の見られない桜の樹を、ちょっと困った様子で見上げていた息子の顔。
ある朝、満開の桜の幹に嬉しそうに手を添えていた時の表情。
そして、今日の桜報告を笑顔で聞いていた主人の顔・・・
小学校に入学し、あの『Wちゃんの桜』の公園を通ることもなくなりました。
それでも毎年のように「ママ、公園の桜はもう咲いてるかなあ?」と、ちょっぴり懐かしそうに話す息子の表情を見るたびに、あの頃を鮮明に思い出します。
時間に追われ通過するだけの公園でしたが、私たち家族にとって素敵な想い出の樹となり、場所となりました。
特別なお勉強ではなく、子どもと過ごすこんな時間こそが、家庭では大切なことだと教えて下さった先生に、心から感謝しています。」
感謝云々はともあれ・・・こういうふうに、幼い頃に育んだ心というものは、人の柱の部分に刻まれていきます。
どんなに偏差値が高く、優秀と呼ばれる若者になっても、幼い頃から「読み、書き、そろばん」的な要素ばかりを求められ、その部分だけで評価され、そして、そういうことに長けていることが「自分の賢さ」だとしか思えないような家庭に育った、薄っぺらな子ども達は、所詮、大人になっても、情緒の部分に多少欠けていることが多いものです
今の日本には、そういう偏差値人間がいかに多いことか・・・こういう「豊かさ」の欠如した人間は、日本人としてのアイデンティティーも不足しているため、立派な国際人と呼ばれるに相応しい知識も知恵も持っていない、悲しい「脳ミソ人間」になってしまいます
たかが桜・・・などと思わず、どうぞ、親子で桜を楽しんでください 身の周りのもの、すべてが大人も子どもも学ぶことのできる価値あるすばらしい材料であることをお忘れなく
そこで、受験を考えるご家庭へのご提案です
これから、ほぼ毎日、親子で観察のできる(見ることのできる)桜の木を一本、決めてください そして、もう明日から、その木を親子で観察していってください
蕾が膨らみ、チラホラと花が咲き始め、そして満開の時期を迎えます もしかしたら、その桜は、他の桜の木と一緒に、大人の「お花見」の会場になるかもしれませんね。夜ともなると、ぼんぼりに火が灯り、とても賑やかになる・・・そうなれば、どうして、大人達はそのように桜の木の下で楽しい時間を過ごすのか、是非、教えてあげてください
もしその桜が、公園でひっそりと咲く桜であっても、そこだけはまるで光があるように、白く浮かび上がる素晴らしさを楽しんでください
やがて、桜の花は桜吹雪となって散っていきます。でも、その風の中に舞う花びらのはかなさ、美しさも格別ではありませんか?風が吹き、一斉に花びらが舞い始めると、息を飲むような光景で、まるで映画のワンシーンのように感じます・・・
最後は、桜は青々と新緑の葉を茂らせ・・・そして、何事もなかったように、他の木々の中の1本に戻ります。
1本の桜の木を、約1か月半、観察し続けることで、それはそれは大きな意味を持ちます
私の教室でも、こういうふうにご提案をすると、急に真顔で「絵日記を描かせます!」とか「観察記録を親子で作ります!」のようにおっしゃるご家庭がありますが、どうぞ、そんな「教育ママゴン」的な発想で、このお勧めをお聞きにならないでください
私のこの「桜の木の観察」のご提案には、壮大なロマンと奥の深さがあるのです
大事なことは、親子でそろって「目と心で桜を愛でる(めでる)」ことです
そういう、ゆったりとした季節を感じる時間を持つことが、第一のポイントです そして、毎日愛でることによって、親子で一緒に「自然の力」「生きているもののパワー」そして、「自然の不思議」を身を持って感じていただきたいのです
たとえば・・・花の名前を100個知っていたとしても、それが何なのでしょう?
花を愛でて、「ああ、きれいだなあ・・・」と、心があたたかくなり、自然と微笑む感性がなければ、そこに意味はありません それが、図鑑で覚える花の名前100個と、実際に愛でて、感じる思いの深さ、重さの違いです。
潤いのある暮らし・・・その中で、確実に子どもの情緒や感性は育っていきます
また同時に、そういうご両親やご家庭の「ゆとりとうるおい」というものが、本来、私立校が持っている豊かさであり、また、考査を藤してご家庭に求められていることでもあります
ここに一つ、のある卒業生のお母様の声をご紹介します。数年前、私のホームページの「卒業生の声」のために書いてくださった原稿です。そこに登場するWちゃんは、今春、中学生になられます
「どうぞ、お子様と一緒に、この素敵な季節を楽しんで下さいね」ある日のお教室でのまどか先生のお話です。
先生のアドバイスに従い、保育園の登園時に通る公園の桜並木から1本を『Wちゃん(息子の愛称)の桜』と決めました。
硬かった蕾が少しずつ膨らむ様子。
夕方に見つけた少し開いた桜の花。
そして徐々に満開へと向かい、ピンクに染める桜の樹。
桜吹雪の中での帰宅。
新緑の季節を迎える頃、その観察は終了します。
しばらく変化の見られない桜の樹を、ちょっと困った様子で見上げていた息子の顔。
ある朝、満開の桜の幹に嬉しそうに手を添えていた時の表情。
そして、今日の桜報告を笑顔で聞いていた主人の顔・・・
小学校に入学し、あの『Wちゃんの桜』の公園を通ることもなくなりました。
それでも毎年のように「ママ、公園の桜はもう咲いてるかなあ?」と、ちょっぴり懐かしそうに話す息子の表情を見るたびに、あの頃を鮮明に思い出します。
時間に追われ通過するだけの公園でしたが、私たち家族にとって素敵な想い出の樹となり、場所となりました。
特別なお勉強ではなく、子どもと過ごすこんな時間こそが、家庭では大切なことだと教えて下さった先生に、心から感謝しています。」
感謝云々はともあれ・・・こういうふうに、幼い頃に育んだ心というものは、人の柱の部分に刻まれていきます。
どんなに偏差値が高く、優秀と呼ばれる若者になっても、幼い頃から「読み、書き、そろばん」的な要素ばかりを求められ、その部分だけで評価され、そして、そういうことに長けていることが「自分の賢さ」だとしか思えないような家庭に育った、薄っぺらな子ども達は、所詮、大人になっても、情緒の部分に多少欠けていることが多いものです
今の日本には、そういう偏差値人間がいかに多いことか・・・こういう「豊かさ」の欠如した人間は、日本人としてのアイデンティティーも不足しているため、立派な国際人と呼ばれるに相応しい知識も知恵も持っていない、悲しい「脳ミソ人間」になってしまいます
たかが桜・・・などと思わず、どうぞ、親子で桜を楽しんでください 身の周りのもの、すべてが大人も子どもも学ぶことのできる価値あるすばらしい材料であることをお忘れなく