秋晴れ・・・何とも良い響きですね。聞いただけで、すっきり晴れ渡った澄んだ青空、少し色を錦に変え始めた木々をさわさわと渡る風・・・そんな様子が感じられます
こんな、本来は気持ちの良い秋に、小学校受験の時期はぶつかっているのですね その現実だけで毎日が不安ばかり。気分は重く、緊張が続くのだから、せめて、面接な考査に出かける日は、こんな秋晴れに恵まれて欲しい
お母様の、心からの叫び、心からの悲痛な願いでしょう。
でもね。
雨は、万物にとっての「恵み」です
あたたかい光は大切ですが、それ以上に、動物にも植物にも、「水」は欠かせないもの。
私たちは、太古の昔から、十分にそのことを知り、古今東西を問わず、恵みの雨を乞い、恵みの雨に感謝をしてきました
では、いったい、いつから私達は、「ここぞ!」という日に、晴天を望むようになったのでしょうか?
私は、あらためてそんなことを考えていて・・・気づきました
きっとそれは、人が「楽しみ」というものを求めるようになった時から、ではないか、と。
生きていく、という究極の行為に立ち戻れば、「ここぞ!」の日だからこそ、という理由で、晴天を望む必要がありません。
要するに、人は、楽に生きられるようになり、豊かになった時から、「ここぞ!の日の晴天」を望むようになったのでしょう。
雨もまた良し、です
私は、以前、自分の教室のブログの中で「雨の音」について書いたことがありますが、最初から雨を嫌われもの扱いするのではなく、「恵みの雨」と好意的に眺めると、たくさんのものを感じることができます。
レインコートを用意しなきゃいけない!
長靴を履かせていったら、どこかで革靴に履き替えないといけないの?
長靴を入れるならば、普通の上履き袋ではダメでしょう・・・
雨具を入れるために、また私が別のバッグを用意しないといけない・・・
靴下がぬれるかもしれないけど、どこで履き替えさせる?
交通機関に問題あるかもしれないから、もっと早く家を出ないといけないじゃない・・・
きっとみなさんは、ひと手間も、ふた手間も余分にかかってしまうことを考え、辟易となさっているでしょうね。確かに、ママにかかる負担は、かなり大きくなるのは事実です
でも、こんな時にこそ、発想の転換をしてみませんか?
ちなみに。
我が家の子どもが小学校受験の面接の日は、夕刻から関東地方に台風が再接近する・・・という日の午後でした
駅から15分あまりの道のり。親子3人、土砂降りの雨の中、私の靴が歩くたびに「グジュッ!グジュッ!」と鳴ると言っては笑い・・・パパの歩き方が内股だよ、と言っては笑い・・・
あの日から、15年以上の年月が流れた今も、とても奇異で滑稽だった紺装束3人の時間は、涙が出るほど懐かしい思い出になっています
お母様の笑顔が、子どもにとっての最高の環境です・・・これは、私の持論です
お母様が、「雨も、また楽しい」と本当に思われた瞬間、きっと、その気持ちはまっすぐに、本能的に我が子に届き、「うん、雨も楽しい」と思えるはずです。
傘に当たる雨の音・・・耳を澄ませば、案外、傘によって違う音がしているのですよ。
道路を、水しぶきを上げて通り過ぎる車のタイヤ。見ていると、おもしろい水しぶきの形です。
雨に打たれて、花壇はちょっぴり下向き加減ですが、木々は葉っぱがつやつやになっています。
町には、いろんな色、いろんな模様の傘がたくさんです。よく見ると、傘を開いた時にカーブも、いろいろな角度があるのをご存知ですか?
よくみなさんは、「感性の豊かな子どもに育て欲しい!」とおっしゃいますね。
感性は、幼い頃から本物を選んで、良いクラシック音楽を聴かせたから・・・素晴らしい芸術作品を、わざわざ展覧会に足を運んで見せたから・・・そういうことをしたから、豊かになる、というものではありません。
もちろん、素晴らしい芸術は、子どもの感性を豊かにしてくれに違いありません。ただ、それを聴きっぱなし、見っぱなしにしなければ、という注釈つきですが
でもね、そんな大変な労力を払わなくても、日常生活の中にはたーくさんの音、色、現象があって、それらの一つ一つを「心を込めて」眺めたり、聞いたりしていると、それらはすべて驚きと感動で感じることができるものばかりです
普段から、嫌われる雨も、風も、じつは、とっても素敵な天からの贈り物です
親の発想の転換は、とっても大事です。
そして、手抜きからは、手抜きされたものしか生まれてはきません。
面接の日、考査の日が雨だったら・・・
まずは窓を開けて、雨の音を聞いてみてください。そして、目を閉じて深呼吸。晴天の日にはない、雨の香がします
そして、「ああ、何て我が家は不幸なんだ・・・」などと思わず、心の中でつぶやいてみてください。
「雨・・・万物の恵みの雨」
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こんな、本来は気持ちの良い秋に、小学校受験の時期はぶつかっているのですね その現実だけで毎日が不安ばかり。気分は重く、緊張が続くのだから、せめて、面接な考査に出かける日は、こんな秋晴れに恵まれて欲しい
お母様の、心からの叫び、心からの悲痛な願いでしょう。
でもね。
雨は、万物にとっての「恵み」です
あたたかい光は大切ですが、それ以上に、動物にも植物にも、「水」は欠かせないもの。
私たちは、太古の昔から、十分にそのことを知り、古今東西を問わず、恵みの雨を乞い、恵みの雨に感謝をしてきました
では、いったい、いつから私達は、「ここぞ!」という日に、晴天を望むようになったのでしょうか?
私は、あらためてそんなことを考えていて・・・気づきました
きっとそれは、人が「楽しみ」というものを求めるようになった時から、ではないか、と。
生きていく、という究極の行為に立ち戻れば、「ここぞ!」の日だからこそ、という理由で、晴天を望む必要がありません。
要するに、人は、楽に生きられるようになり、豊かになった時から、「ここぞ!の日の晴天」を望むようになったのでしょう。
雨もまた良し、です
私は、以前、自分の教室のブログの中で「雨の音」について書いたことがありますが、最初から雨を嫌われもの扱いするのではなく、「恵みの雨」と好意的に眺めると、たくさんのものを感じることができます。
レインコートを用意しなきゃいけない!
長靴を履かせていったら、どこかで革靴に履き替えないといけないの?
長靴を入れるならば、普通の上履き袋ではダメでしょう・・・
雨具を入れるために、また私が別のバッグを用意しないといけない・・・
靴下がぬれるかもしれないけど、どこで履き替えさせる?
交通機関に問題あるかもしれないから、もっと早く家を出ないといけないじゃない・・・
きっとみなさんは、ひと手間も、ふた手間も余分にかかってしまうことを考え、辟易となさっているでしょうね。確かに、ママにかかる負担は、かなり大きくなるのは事実です
でも、こんな時にこそ、発想の転換をしてみませんか?
ちなみに。
我が家の子どもが小学校受験の面接の日は、夕刻から関東地方に台風が再接近する・・・という日の午後でした
駅から15分あまりの道のり。親子3人、土砂降りの雨の中、私の靴が歩くたびに「グジュッ!グジュッ!」と鳴ると言っては笑い・・・パパの歩き方が内股だよ、と言っては笑い・・・
あの日から、15年以上の年月が流れた今も、とても奇異で滑稽だった紺装束3人の時間は、涙が出るほど懐かしい思い出になっています
お母様の笑顔が、子どもにとっての最高の環境です・・・これは、私の持論です
お母様が、「雨も、また楽しい」と本当に思われた瞬間、きっと、その気持ちはまっすぐに、本能的に我が子に届き、「うん、雨も楽しい」と思えるはずです。
傘に当たる雨の音・・・耳を澄ませば、案外、傘によって違う音がしているのですよ。
道路を、水しぶきを上げて通り過ぎる車のタイヤ。見ていると、おもしろい水しぶきの形です。
雨に打たれて、花壇はちょっぴり下向き加減ですが、木々は葉っぱがつやつやになっています。
町には、いろんな色、いろんな模様の傘がたくさんです。よく見ると、傘を開いた時にカーブも、いろいろな角度があるのをご存知ですか?
よくみなさんは、「感性の豊かな子どもに育て欲しい!」とおっしゃいますね。
感性は、幼い頃から本物を選んで、良いクラシック音楽を聴かせたから・・・素晴らしい芸術作品を、わざわざ展覧会に足を運んで見せたから・・・そういうことをしたから、豊かになる、というものではありません。
もちろん、素晴らしい芸術は、子どもの感性を豊かにしてくれに違いありません。ただ、それを聴きっぱなし、見っぱなしにしなければ、という注釈つきですが
でもね、そんな大変な労力を払わなくても、日常生活の中にはたーくさんの音、色、現象があって、それらの一つ一つを「心を込めて」眺めたり、聞いたりしていると、それらはすべて驚きと感動で感じることができるものばかりです
普段から、嫌われる雨も、風も、じつは、とっても素敵な天からの贈り物です
親の発想の転換は、とっても大事です。
そして、手抜きからは、手抜きされたものしか生まれてはきません。
面接の日、考査の日が雨だったら・・・
まずは窓を開けて、雨の音を聞いてみてください。そして、目を閉じて深呼吸。晴天の日にはない、雨の香がします
そして、「ああ、何て我が家は不幸なんだ・・・」などと思わず、心の中でつぶやいてみてください。
「雨・・・万物の恵みの雨」
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