私の教室では、常に子ども達に「新しいことを知るっていることは、とっても楽しいわね」「わからない、知らないってころに出会えて良かったね。これで、新しいことを学べるじゃない?」と話しています 子ども達も、嬉々として学び、一生懸命に取り組みます
本来、学ぶということは、とてもステキで、楽しいことなんですよね
小学校生活から始まる12年間、16年間の、延々と続く「学びの生活」。学ぶことが苦痛なこと、イヤなこと、辛いことになってしまうのは、あまりに悲しいではありませんか
小学校受験を目指す子ども達は、とても幼い時期から「机に座って学ぶ」ということをしています。
お母様達は、4,5歳児を相手に、平気で「お勉強」などをおっしゃいますが、なかなか、これはすごいこと、ですよ
それだけでも、かなりすごいことなのに、わが子が間違ったり、わからなかったりするたびに「こんなことじゃ、テストに受からないわよ」とか「また間違ったのね。ちゃんと賢くならないと、○○小学校には行けないわよ」などと怒鳴られる方がおいでになる・・・
でもね。果たして、そうでしょうか?
その問題が解けなかったら、本当にテストに受からないのでしょうか?
2度、3度同じ間違いをしたからといって、○○小学校には行けないのでしょうか?
そんなふうに怒鳴られるのは、ご自分が不安だから・・・でしょう?
全問正解するような子どもでないことに苛立ちを感じて、一人で焦るから、心ない「不確かなこと」を平気で言って、子どもを脅かし、わが子を怖じ気づかせ、学習への意欲を失わせる・・・
そのくせ、わが子の悲しい顔を見て、しまった!と後悔するママも少なくありません(もちろん、中には、わが子の悲しい顔を見て、よけいに苛立ちを増幅させ、ヒステリックにまたまた怒鳴る「ほとんど病気」のお母様もおいでになるのですが・・・)
何度も言うように、中学受験や高校受験と、小学校受験は根本的に違うものです。中学受験以降は、親の面接もなければ、親が志望理由を書いたり、アンケートに答えたり・・・ということはありません。
つまり、中学受験以降は、確かに子どもの「テストの出来、不出来」が、ストレートに合否に響きます。
しかし、小学校受験では、必ずしも「ストレートに響く」わけではないのです。そうであれば、親の面接や願書の志望理由等の必要はないでしょう。
子ども達のペーパー学習や、考査を見据えた巧緻性の学習、運動などは、考査の「一部」であり、子どもの考える力を育てる一つの手段です そりゃあ、出来ないよりも、出来たほうが良いですね その思いはよくよくわかります
しかし、例えば、何度も同じところで間違うお子さんに怒鳴るよりも、なぜ、間違うのか?何が理解の妨げになっているのか?を突き止め、それをクリアしてあげるほうが何倍も大切です
目的もわからず、たんに親に連れられて、習慣的に教室通いをする・・・確かに、これでは子どもは意欲的には学べないでしょうし、その日のカリキュラムの出来映えによって、やる気に大きな差が出てくるでしょう。
「なぜ、学んでいるのか?」そこを話してあげましょう
そして、その「なぜ学ぶか?」の答えは、「あなたが、もっともっといろいろなことを学んで、いろんなことが出来るようになったり、わかるようになったりして、今のあなたよりも、ずーっとかっこいいおにいさん、おねえさんになっていくためよ」
そうではありませんか?「私立の小学校を受験をするからよ!」などでは、答えにはなりません。
中には、小学校受験、ということを、すでに親からさんざん言われ続け、ボンヤリとではあっても、小学校受験のために勉強をしている、と思っているお子さんもおいでになるでしょう そんな場合でも、やっぱり、本当のこたえは、「よりステキなあなたになるため」のはずです。
そして、学校に関しては、「あのね、小学校にもいろんなところがたくさんあるのよ。ほら、あなたの知っている近所の○○小学校もあるし、Aちゃんが行ってる△△小学校もあるわよね。それで、今、お父さんとお母さんは一生懸命、あなたが一番幸せになれるような小学校はどこだろうか?と考えているのよ。だから、あなたは、小学校に行く準備で、いろんなことを勉強しているの。どんな小学校だって、がんばれる子どもをステキな子どもだって考えていらっしゃるもの。アリとキリギリスだって、ウサギとカメだって、がんばるってことは、大事な事だったでしょう?」というふうに伝える・・・実際、その通り、ですよね
今日の学びが、よりステキな子どもになるための貴重な時間・・・ そうであれば、子どもだって、きっとがんばれるのです
本来、学ぶということは、とてもステキで、楽しいことなんですよね
小学校生活から始まる12年間、16年間の、延々と続く「学びの生活」。学ぶことが苦痛なこと、イヤなこと、辛いことになってしまうのは、あまりに悲しいではありませんか
小学校受験を目指す子ども達は、とても幼い時期から「机に座って学ぶ」ということをしています。
お母様達は、4,5歳児を相手に、平気で「お勉強」などをおっしゃいますが、なかなか、これはすごいこと、ですよ
それだけでも、かなりすごいことなのに、わが子が間違ったり、わからなかったりするたびに「こんなことじゃ、テストに受からないわよ」とか「また間違ったのね。ちゃんと賢くならないと、○○小学校には行けないわよ」などと怒鳴られる方がおいでになる・・・
でもね。果たして、そうでしょうか?
その問題が解けなかったら、本当にテストに受からないのでしょうか?
2度、3度同じ間違いをしたからといって、○○小学校には行けないのでしょうか?
そんなふうに怒鳴られるのは、ご自分が不安だから・・・でしょう?
全問正解するような子どもでないことに苛立ちを感じて、一人で焦るから、心ない「不確かなこと」を平気で言って、子どもを脅かし、わが子を怖じ気づかせ、学習への意欲を失わせる・・・
そのくせ、わが子の悲しい顔を見て、しまった!と後悔するママも少なくありません(もちろん、中には、わが子の悲しい顔を見て、よけいに苛立ちを増幅させ、ヒステリックにまたまた怒鳴る「ほとんど病気」のお母様もおいでになるのですが・・・)
何度も言うように、中学受験や高校受験と、小学校受験は根本的に違うものです。中学受験以降は、親の面接もなければ、親が志望理由を書いたり、アンケートに答えたり・・・ということはありません。
つまり、中学受験以降は、確かに子どもの「テストの出来、不出来」が、ストレートに合否に響きます。
しかし、小学校受験では、必ずしも「ストレートに響く」わけではないのです。そうであれば、親の面接や願書の志望理由等の必要はないでしょう。
子ども達のペーパー学習や、考査を見据えた巧緻性の学習、運動などは、考査の「一部」であり、子どもの考える力を育てる一つの手段です そりゃあ、出来ないよりも、出来たほうが良いですね その思いはよくよくわかります
しかし、例えば、何度も同じところで間違うお子さんに怒鳴るよりも、なぜ、間違うのか?何が理解の妨げになっているのか?を突き止め、それをクリアしてあげるほうが何倍も大切です
目的もわからず、たんに親に連れられて、習慣的に教室通いをする・・・確かに、これでは子どもは意欲的には学べないでしょうし、その日のカリキュラムの出来映えによって、やる気に大きな差が出てくるでしょう。
「なぜ、学んでいるのか?」そこを話してあげましょう
そして、その「なぜ学ぶか?」の答えは、「あなたが、もっともっといろいろなことを学んで、いろんなことが出来るようになったり、わかるようになったりして、今のあなたよりも、ずーっとかっこいいおにいさん、おねえさんになっていくためよ」
そうではありませんか?「私立の小学校を受験をするからよ!」などでは、答えにはなりません。
中には、小学校受験、ということを、すでに親からさんざん言われ続け、ボンヤリとではあっても、小学校受験のために勉強をしている、と思っているお子さんもおいでになるでしょう そんな場合でも、やっぱり、本当のこたえは、「よりステキなあなたになるため」のはずです。
そして、学校に関しては、「あのね、小学校にもいろんなところがたくさんあるのよ。ほら、あなたの知っている近所の○○小学校もあるし、Aちゃんが行ってる△△小学校もあるわよね。それで、今、お父さんとお母さんは一生懸命、あなたが一番幸せになれるような小学校はどこだろうか?と考えているのよ。だから、あなたは、小学校に行く準備で、いろんなことを勉強しているの。どんな小学校だって、がんばれる子どもをステキな子どもだって考えていらっしゃるもの。アリとキリギリスだって、ウサギとカメだって、がんばるってことは、大事な事だったでしょう?」というふうに伝える・・・実際、その通り、ですよね
今日の学びが、よりステキな子どもになるための貴重な時間・・・ そうであれば、子どもだって、きっとがんばれるのです