小学校受験 ママのモヤモヤ飛んでけー!

お受験という造語の中で揺れるママ達。小学校受験指導、20余年間の経験から、ズバリ!悩めるママ達に真のアドバイスを。

子どもの二つの顔を知っていますか?

2009年07月28日 | お受験ママへのアドバイス
 入会の面談においでになった時、必ずお父様、お母様は、わが子の人となり、性格などをお話くださいます。
 「うちの子は、初めての環境では物怖じして、なかなか思うように振る舞えないのです
 「うちの子は引っ込み思案で、初対面の方とは全く口を利こうとはしません
 「うちの子は明朗闊達で、いつもリーダー的存在になっています
 「うちの子は人懐っこく、誰とでもうち解けます」などなど・・・
 
 ところが、おもしろいことに・・・
初回、お母様に手を引かれてやってきた新人君、新人ちゃん。確かにそのうちの「半分」のお子様は、ご両親がコメントをしてくださった「その子、そのもの」です。
 泣きはしないものの、今にも泣き出しそうな感じで、必死に不安をこらえている子・・・
 こんにちは!を言ったとたん、私のそばを離れず、初めての場所が物珍しく、うれしそうにいろいろと話してくれる子・・・
 けれど、残りの半分の子ども達は、親の観察、親の認識、親の思い、とは全く違う様子を見せてくれます・・・

 うちの子は、初めての場所には馴染めません!とお母様に言われていたお子さん。ママがお教室のドアを閉めたとたん、私の問いかけにニコニコと、とても気さくにお話をしてくれたり・・・
 うちの子は、どんな場所でも物怖じせず、積極的です!と言われていたお子さん。私と二人になったとたん、うつむいてしまって、ほとんど何も話さなかったり・・・

 親は、自分の子どもを「一番よく知っている。一番わが子のことをわかっている。」と思っていますが、実際には、「親と一緒の時の子ども」と「子どもの世界にいる時の子ども」とは、決して同じではないのですね

 厳しい家のお子さんが、お家ではとても「良い子」なのに、幼稚園の中では、結構、子分を引き連れて、陰のドンになってイタズラをする「問題児」というようなことは、決してドラマやマンガの中のことではありません。
 子どもも、4歳くらいからは、「親の前だからこそ良い子にする」というような、言ってみれば「表向きの顔」「体裁を整えた顔」を持つようになります。これは、決してその子に裏表があるのではなく、単純に、「親に好かれたい、親に誉められたい」という願望があるからなのですね。
 そうとは知らず、親は、家庭の中のわが子の顔、様子だけを見て、それが「すべて」だと思ってしまい、それが、わが子の人柄だと信じてしまう・・・
 
 小学校受験を考えた場合、私は、まだまだ柔らかい子どもの人となりを見て、志望校選びの決定打にする、ということには反対です。
 なぜなら、経験も少なく、一個の個人としてもほとんど固まってはいない子どもの性格や行動パターンなどは、各学校の確固とした教育方針のもと、いかようにも染まっていきます。
 しかし、すでに完成品である親のほうは、なかなか「変わる」ことはできません ですから、志望校選びで重要にすべきは、完成品である親が、その学校にフィットするかしないか?なんですね。

 とは言え。
子どもの世界の中にいる時の「わが子の姿」を知らず、親と一緒の時の、ある意味、子どもによって無意識のうちに親好みに「演じられた姿」だけがわが子のすべて・・・だと思い、学校選びを間違っては大変です

 信頼できる第三者、冷静にわが子を見てくれる第三者から、「子どもの世界での、わが子の姿」を聞き、二つの顔(どちらも、その子、です)を持つわが子の「真実」を知っておかなければならないでしょう

 この子のことは、私が一番知ってる もし、あなたがそう思っていたとしら・・・それは、きっと違いますよ
 きっとあなたのお子様にも、子どもの世界での自分の顔があり、その中でものびのびと生きているはず・・・

小学校受験 - 志望校選び 1

2009年07月03日 | お受験ママへのアドバイス
 「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」ということわざがあります。どんなに立派な馬でも、観賞用であればいざ知らず、その馬に乗り、それを足として使うならば、実際には乗ってみないとその馬の特性や自分との相性はわからないものだ、と言っているのですね。
 「人には添うてみよ」も同じ意味です。一緒にて、初めてわかってくる人柄、ひととなり、相性がある、ということでしょう。
 私は、学校とご家庭も、まさに同じことだと思います
 
 私は、志望校決めをするためにご相談においでになるご両親に、必ずこう申しあげます。
 「ぜひ、直感を大事にしてください

  たとえば、週に○回も英会話の授業がある・・・
  ネイティブの先生が1クラスに2名もつくそうだ・・・
  作家が来て、作文教室を開催してくれる・・・
  プロのアスリートが体操の時間を特別に指導してくれる・・・
  海外での研修がある・・・
  各種理科的な実験を中学の理科教室を使って催す・・・etc.etc. 
 今では、私立の小学校はさまざまな工夫をし、目玉となるような企画をしたり、新しい試みをしたり・・・と、本来の教育「プラスα」の部分を打ち出し、ご両親にアピールをする!そんな時代になってきています。こういうことは、伝統校の場合でも例外ではありません。
 この背景には、当然、教育に熱心に取り組むという真摯な姿勢の現れであると同時に、少子化の世の中で、私立校が生き残りをかけて、創意工夫をしなければならない、という事項もあるのでしょう。
 ・・・となれば、この「プラスα」の部分は、一般的な業種で言うところの「サービス的要素」も含まれていて・・・そうであるならば、この部分は、チラシの中の「目玉商品」的な意味を持っている、とも言えるでしょう。
 私が言おうとしていることを、わかりやすくお伝えしたいために、敢えて、こういう「例え」を使い説明をしていますが、こういう例は「教育や学校を何と心得る」とお叱りを受けてしまうかもしれませんね。
 しかし、物事を的確に理解するためには、時には目先の違った見方をし、広い視野で考えなければならないと思っています。そうしなければ、特に学校や教育という問題の場合は、それが聖域視される分野だから、無条件に「尊く」「すばらしく」見えてしまいかねない、という危険性があるのです

 以前、1年生に進学され、半年ほど過ぎた頃に、あるお母様から頂戴した近況報告のメールを読み、とてもほのぼのとした気持ちになったことがあります
 そのお母様は、それこそ「ネイティブの先生の英語の授業」「○○の規格」「△△の試み」という目玉商品的な学校が打ち出す試みにいたく感動され、そこに大きな価値を認めて、その学校を志望校に決められた、という経緯がありました。ご両親揃って、それに対する「惚れ込みよう」はかなりなもので、側で見ていると、さすがに「そこまで傾倒してしまっては・・・」と、かなり不安になり、心配したものでした
 しかし、そのお母様が書いてこられた内容は、私の予想とはかなりかけ離れたものであり、本当に心和む、すてきなものでした・・・

 「・・・先生達は、お一人お一人がとてもあたたかく、子ども達を見てくださる眼差しの真剣さ、柔らかさを実感し、送り迎えをしている当初は、親として涙の出る思いでした。何気ない子どもへの言葉かけにも愛情がこもっていて、毎日、私は感激しています。この学校の空気が、わが子をやさしく包み、成長させてくださっているのだと感じています・・・」

 いかがですか?
「ネイティブの先生の英語の授業」「○○の企画」「△△の試み」のような、とても現実的な、具体的な取り組みにヒットされていたはずなのに、このメールの内容は、何と抽象的な表現が多かったことか・・・
 このお母様は、実際に「わが子の学校」となった「かつての志望校」で数ヶ月、その中の人間として過ごし、初めて、その学校の持つ「価値・意義・品格」という、目に見えない尊いものを五感で感じ、そして、それに魅せられていかれたのでしょうね

 志望校選び・・・確かに、「何が気に入ったか?」「何が気に入らないか?」というような、具体的なことをはっきりとさせることは重要です。
 けれど、実際には、そういう見方だけでは、学校を知ることはできません。その学校を理解しよう!と努めることは大切なことですが、○○が良い、△△はいけない・・・という知り方だけではなく、もっと、「何となく・・・好き」「何となく・・・好きになれない」というような、『五感で感じること』を大事にしてみてください

 箇条書きにできるようなことだけで、その学校を理解することはできません。極端な言い方をすれば、その学校のお世話になるようになり、その学校の「中の人間」となって、そこで時間を重ねて・・・初めて、その学校の「良さ」というもの「問題点」というものを感じられるようになるものです。
 「馬に乗り、人に添い、学校に入ってみて」、やっと理解できるもの・・・でしょう。
 だからこそ、安易に「良いポイント」「悪いポイント」を書き出すようにすることで、その学校をわかったように思うのではなく、直感を信じてみることのほうが、その学校とご家庭との肌合いが感じられる・・・そういうことだと思います