小学校受験の合否も、今では中学受験と同様に「考査当日にネットで」という形式も出てきました。
昭和の時代の合格発表は、多くが学校に出向き、「掲示された番号や氏名を見る」もしくは「受験票と引き換えに封筒を手渡される」ということでした。
ですから、発表時間から少し遅れて学校に出向くと、駅から学校への道で、すでに発表をご覧になった志願者家族とすれ違い、その表情からよけいに緊張感が高まったものでした
さて。
私は、どんなに古いと言われようが、何だか意味不明と今時の保護者の方に笑われようが、合否は「家庭と学校との『縁』」だと考えています
中学受験や高校受験、大学受験は、「縁」などというものではありません。そこにあるのは「点数だけ」です。
どんなに根性の曲がった子でも、どんなに母親がモンスターペアレントであっても、求められた点数に達していれば「合格」です。
しかし、小学校受験の合否は、本当に同様のものだと思われますか?
決して、合否には裏がある、という意味ではありません。
私は、幼児教室マナーズのホームページの中にも、「働くママ・ワーキングマザーの小学校受験」「0歳からの小学校受験」の中でも触れている通り、伝統ある私立小学校というものは、ご家庭と学校とのフィット感を非常に大事に考えています。だからこそ、親子揃っての面接があったり、願書の中に詳しくいろいろなことを記入したり、学校からのアンケートの小作文的なものを提出したりしているのです。
考査が始まり、発表が出始めると、幼稚園や保育園、お稽古ごとのあちこちで、意味も分からずに、ぺらぺらと言いふらしている子どもがいる・・・と聞きます
「ねえねえ、ぼくね、〇〇小学校に合格したんだよ、すごいでしょう」
「あのね、私、〇〇学園のテストに通ったの。でも、まだ△△小学校のテストも受けるの」
我が子が、そんなふうに、ところかまわず、誰かれかまわず、触れまわっている姿を想像してみてください どうですか?うれしいですか?
これは、私の勝手な価値観ですが、こういうことを平気で許しているご家庭は「品位に欠ける」と感じられてなりません
子どもは無邪気ですからね。うれしいこと、ほめられたことは、誰かに伝えたいと思うもの。それは非常に自然な行為です。
しかし、こと小学校受験に関しては、子どもが無邪気だからこそ、安易に合否を伝えてはいけない、と思うのです。
すでにご承知のことと思いますが、合否が出る、ということは、不合格も出ている、ということにほかなりません。そして、不合格者の数は、合格者の数よりもはるかに多いのですよ
「合格した~~~~」と飛び跳ねて喜んでいるご家庭の陰に、その何倍もの残念な結果に落胆し、涙しているご家庭があるのです。
多くの方々は、願書に書いたり、面接で述べられたのではありませんか?「人の気持ちのわかる、優しい子どもに育って欲しいと願っております」と。
合格した~~~と飛び跳ねて喜び(もしくは、「はい、これで一安心。さあ次」というふうに合格を軽んじる)、子どもにもそのことを伝え、平気でいるあなたは、「人の気持ちのわからない、人の気持ちに寄り添えない、傲慢な人」です
私は、教室の子ども達には「あなたの行く学校はね、天の神様が一つ、決めてくださるのよ。その時まで、一生懸命にお話を聞いて、一生懸命に考えて、がんばりましょう」と。
果たして、これがベストかどうかはわかりません。
しかし、少なくとも無邪気で悪意のない子ども達が、無意識のうちに人を傷つけてしまうような子どもにはなりません・・・ ぼくって、わたしって、すんごくおりこうさんだから、〇〇小学校にごうかくしたの、という空気をプンプンだして、傲慢に語る子どもにはならない・・・
小学校受験に限らず、じつは中学受験でも、高校受験でも、大学受験でも、そう、就職試験でも、相手のことを考えず、安易に「〇〇校に合格した~~~」とはしゃぐ子にはなってほしくないな、と思います。
「品位と優しさ」を大事にするご家庭ならば、きっとこの私の思いは、少しは伝わるのではないでしょうか。
昭和の時代の合格発表は、多くが学校に出向き、「掲示された番号や氏名を見る」もしくは「受験票と引き換えに封筒を手渡される」ということでした。
ですから、発表時間から少し遅れて学校に出向くと、駅から学校への道で、すでに発表をご覧になった志願者家族とすれ違い、その表情からよけいに緊張感が高まったものでした
さて。
私は、どんなに古いと言われようが、何だか意味不明と今時の保護者の方に笑われようが、合否は「家庭と学校との『縁』」だと考えています
中学受験や高校受験、大学受験は、「縁」などというものではありません。そこにあるのは「点数だけ」です。
どんなに根性の曲がった子でも、どんなに母親がモンスターペアレントであっても、求められた点数に達していれば「合格」です。
しかし、小学校受験の合否は、本当に同様のものだと思われますか?
決して、合否には裏がある、という意味ではありません。
私は、幼児教室マナーズのホームページの中にも、「働くママ・ワーキングマザーの小学校受験」「0歳からの小学校受験」の中でも触れている通り、伝統ある私立小学校というものは、ご家庭と学校とのフィット感を非常に大事に考えています。だからこそ、親子揃っての面接があったり、願書の中に詳しくいろいろなことを記入したり、学校からのアンケートの小作文的なものを提出したりしているのです。
考査が始まり、発表が出始めると、幼稚園や保育園、お稽古ごとのあちこちで、意味も分からずに、ぺらぺらと言いふらしている子どもがいる・・・と聞きます
「ねえねえ、ぼくね、〇〇小学校に合格したんだよ、すごいでしょう」
「あのね、私、〇〇学園のテストに通ったの。でも、まだ△△小学校のテストも受けるの」
我が子が、そんなふうに、ところかまわず、誰かれかまわず、触れまわっている姿を想像してみてください どうですか?うれしいですか?
これは、私の勝手な価値観ですが、こういうことを平気で許しているご家庭は「品位に欠ける」と感じられてなりません
子どもは無邪気ですからね。うれしいこと、ほめられたことは、誰かに伝えたいと思うもの。それは非常に自然な行為です。
しかし、こと小学校受験に関しては、子どもが無邪気だからこそ、安易に合否を伝えてはいけない、と思うのです。
すでにご承知のことと思いますが、合否が出る、ということは、不合格も出ている、ということにほかなりません。そして、不合格者の数は、合格者の数よりもはるかに多いのですよ
「合格した~~~~」と飛び跳ねて喜んでいるご家庭の陰に、その何倍もの残念な結果に落胆し、涙しているご家庭があるのです。
多くの方々は、願書に書いたり、面接で述べられたのではありませんか?「人の気持ちのわかる、優しい子どもに育って欲しいと願っております」と。
合格した~~~と飛び跳ねて喜び(もしくは、「はい、これで一安心。さあ次」というふうに合格を軽んじる)、子どもにもそのことを伝え、平気でいるあなたは、「人の気持ちのわからない、人の気持ちに寄り添えない、傲慢な人」です
私は、教室の子ども達には「あなたの行く学校はね、天の神様が一つ、決めてくださるのよ。その時まで、一生懸命にお話を聞いて、一生懸命に考えて、がんばりましょう」と。
果たして、これがベストかどうかはわかりません。
しかし、少なくとも無邪気で悪意のない子ども達が、無意識のうちに人を傷つけてしまうような子どもにはなりません・・・ ぼくって、わたしって、すんごくおりこうさんだから、〇〇小学校にごうかくしたの、という空気をプンプンだして、傲慢に語る子どもにはならない・・・
小学校受験に限らず、じつは中学受験でも、高校受験でも、大学受験でも、そう、就職試験でも、相手のことを考えず、安易に「〇〇校に合格した~~~」とはしゃぐ子にはなってほしくないな、と思います。
「品位と優しさ」を大事にするご家庭ならば、きっとこの私の思いは、少しは伝わるのではないでしょうか。