小学校受験 ママのモヤモヤ飛んでけー!

お受験という造語の中で揺れるママ達。小学校受験指導、20余年間の経験から、ズバリ!悩めるママ達に真のアドバイスを。

小学校受験 - お手伝いの意味を理解する

2012年07月17日 | お受験ママへのアドバイス
 子どもに対して「あなたは、お家でお手伝いはしますか?」というご質問を、よく面接でされることがあります。
 こんな時のためにと、「はい、○○○をして・・・そのあと、△△△をして・・・そして、□□□をします。お休みの日には、◇◇◇もお手伝いすることがあります」という答えを準備し、せっせと子どもには高度なお手伝いができるようにと、時間をかけて「訓練させている」親がいるようです
 しかし、実際には、こういう子どもに◎、100点、優がつくわけではありません。

 お手伝いは何のためにするのでしょう?
もし、あなたが我が子に小学校受験を考えていなかったとしても、「お手伝い」は子どもに大きな意味を持つチャンスになるものです
 
 お手伝い・・・手伝うのです。
本来は、誰かがすべき仕事を、自分が自ら名乗り出るか、指示、依頼されて、依頼者のお役にたつためにするお仕事です。それが、お手伝いです
 ですから「自分のおもちゃを片付ける」とか、「自分が着ていた洋服をたたむ」ということは、厳密にはお手伝いとは言えません。(あくまでも、厳密に言えば、です。自分が片付けないせいで、いつもお母さんが忙しい思いをしているから、自分で片付けられた日は、お母さんの役に立った、という・・・これは、苦笑を禁じ得ない理屈でしょう。)

 要するに、「お手伝いはしますか?」のご質問の意味とは・・・
 「あなたは、まだまだ幼いけれど、家族の一員として、しっかりと役目を果たしていますか?」
 「いつまでも赤ちゃんのように、家族の附属品、両親の附属品、おもちゃのようになっていませんか?」ということを問うているのです。

 子どもが家族の構成員としての自覚もなく、不完全で中途半端な難しいお手伝いを4つも5つもさせることは、親の自己満足にすぎません
 「うちの子ったらね、いつもお料理がしたいしたいっていうから、子ども用の包丁を用意して、エプロンもさせてるのよ、ほほほ」
 「夕食のあとはね、うちの子はいつも食器を洗っているのよ。」
 「土曜日はね、八百屋さんに行くのは息子(娘)の役目なのよ、ふふふ
こういうことは、言い換えれば「うちの子ったら、どう、偉いでしょう?あなたんちのお子さん、うちの子みたいに出来るかしら?」のような、傲慢な言葉、なわけですね

 お手伝いは、決して難しいことである必要はありません
そのかわり、必ず毎日、忘れることなく、自発的に、「自分の役目、自分の責任」としての意識を持ち、子どもがきちんとやり遂げられることをさせるべき、です。

 毎日、継続してお手伝いをしていれば、自然とそういう意識が育っていきます。
そうなれば、自分の体調が悪い時、お熱の時でも、子どもは「今日は~~ができない・・・どうしよう」と、自分が責任を果たせない悔しさ、申し訳なさを感じるようになっていくでしょう
 そういう責任感を自然なかたちで育てていくためにも、お手伝いはあるのです。

 「受験の面接のため」などという、薄っぺらな思いでお手伝いをさせることは、子どもの成長のチャンスを無駄にする行為ですし、あまりに恥ずかしいですね。
 何でも本質をつかみ、受験準備を「成長の糧の宝庫」と知るべきです。
 


小学校受験 - 親の品格

2012年07月01日 | お受験ママへのアドバイス
  それは、都内のカトリックの女子伝統校で説明会のある日でした。
朝、電車に乗ると、明らかに説明会に向かう「紺の半そでワンピース姿」のお母様がお二人、対面シートになったシルバーシートに向かい合わせで座っていらっしゃいました 私は「どうしてわざわざこの方達は、このシルバーシートに座っているのだろう?」と、無神経さに心がざわつきました。
 まもなく、お隣のレーンに特急電車が入ってきて、各駅停車に乗り換える客がホームに降りてくると、何と、今度はそのお母様二人は立ち上がり、ドアのほうに体を向けて、大きな声で叫ばれました。「○○さん、こっち!こっちこっち!」
 知っている人達には、ああ紺色の装いの人達は、お受験というやつの人なんだな、と好奇の目で見られるわけですが、ご存知のない方達には、「若い女性の紺色集団」はかなり奇異に映るものです。要するに、そこに存在するだけでも「?」の対象である人が、シルバーシートに座り、今度は立ち上がって人を呼ぶ・・・みなさまも、その状況を想像してみてください
 ○さんが乗り込んでこられると、ご丁寧なごあいさつ。にこやかに・・・
 「おはようございます、うまくお目にかかれてよかったわ。今日は蒸し暑いですね
 「雨でなくて、良かったですね、足元が悪いと、こんな日はねえ・・・」等々・・・
 その方達の行いと、とても意識的に丁寧にご挨拶をされているそのギャップに、私は情けなさを感じました
 その後は、ひとしきりおしゃべり・・・敢えて付け加えますが、この対面式のシートには、もうお一人、乗客が座っておいででした。
 
 次の駅に停車すると、また別の「紺の装い」の女性が一人。空いた席に座られました。
座られるとき、手に長い日傘を引っ掛け、その手で携帯電話でメールを始められました。日傘は、下に垂れることなく、立っている乗客のほうに向けてピンと張り出しています そのお母様は、まったくそんなことには頓着せず、ずっとメールをされています。その間、つり革を持って立っている人に体に何度もふれ、顰蹙をかわれていたのは明白でした。

 幸いにも、二つ先の駅で下車した私は、その方達がどんな様子でそのあと存在し、どんな様子で下車されていくのかを見届ける必要はありませんでしたが、朝から、非常に不愉快になる出来事でした。
 私は思ったのです。シルバーシートに座り、受験話に花を咲かせていた非常識ママ達も、携帯メールママも、きっとわが子には・・・
 「あそこのお席はね、お年寄りや体の不自由な方達のために用意されたお席なのよ。覚えておいてね
 「電車の中ではね、他のお客様達にご迷惑をかけるのは絶対にいけないことなのよ。さあ、どんなことが、ご迷惑をかけることかな?言ってみて
 などと、したり顔で教えていらっしゃるだろうなあ・・・と。

 確かに、あの方達が向かわれた名門小学校の校長先生や、シスターや、関係者が、あれらのお母様達のその朝の愚行をご覧になる機会はないでしょう。けれど、知られることがなければ、そういう程度の母親で良いのでしょうか?
 
 子どもを育てる母として、また、小学校受験という関門を経験し、わが子を特別の環境に入れたいと考える教育的レベルの高い母として、そんな姿勢、そんな姿で良いのでしょうか?

 しっかりとした教育理念を持った伝統ある私立校では、毎年、多くの人材を世の中に輩出されています。私立校は、決して、「子ども達だけの環境」ではありません。
 わが子が合格をいただいたその日から、お父様もお母様も、子どもと同様に、家族として、その学校の看板を背負うことになるのです。その重さ、その意味を、受験に臨む前から、もっともっと、親が自覚すべきです。

 子どもの小学校受験を考えるということが、あらためて父として母として、社会人としてのご自分達の品格を問われることでもある、という認識のないご家庭が、ここ数年、急増していることを私は憂いています。
 古き良き時代・・・という言葉があります。伝統ある私立小学校は、そういう時代から存在していたのです。そして、そういう時代には、少なくとも、品格という面で、両親の良識を問わなければいけないような家庭は、もともと、私立校には縁のない存在だったはず、です。

 せっかくわが子のより良い環境を求め、私立小学校受験を考えたのであれば、あらためてご自分達の日常を見直し、家庭力のレベルアップや品性について、考えるチャンスにして欲しいと思います