小学校受験 ママのモヤモヤ飛んでけー!

お受験という造語の中で揺れるママ達。小学校受験指導、20余年間の経験から、ズバリ!悩めるママ達に真のアドバイスを。

小学校受験 お母さん、初心に返って!

2008年06月29日 | お受験ママへのアドバイス
 この16年の間に、私には、忘れられないたくさんの生徒との思い出があります その中でも一つ、とても強烈な印象を残したお嬢さんとの思い出があります。

 彼女は、一般的に言う、非常に優秀なお嬢さんでした。
ペーパーも完璧、お話しもしっかりと正確にできました。そして、いつも笑顔を絶やさない明るいお嬢さんでありながら、決して受験をする子にありがちな「子役チック」な子ではない・・・申し分のないお嬢さん、として私は見ていました

 しかし、彼女のお母様には妥協はありませんでした。
まだまだ幼い下のお子さまを連れながら、私の教室の他に体操、お絵描き、プール、別のお教室・・・と、あっちこっちをまわり、受験のために奔走していらっしゃいました。
 幸い、そのお母様は、特に女児教育に大切なお行儀や躾にも厳しい方であり、ご自身も卒のない、とても洗練されたお母様でいらしたので、単なる「偏差値ママ」ではありませんでした

 そんなある日、そのお嬢さんが個人レッスンにやってこられました。当時、私の教室は、今よりももっともっと小さなお教室でしたので、ご要望があれば個人レッスンもしていたのでした。
 入り口でママにバイバイして、上履きに履き替えたとたん、彼女はニコニコ笑顔で私に近づき・・・
 「先生、抱っこして
というのです。えっ?と思いました。
 確かに、昔から私と生徒達の距離は近く、とても和気藹々でクラスをしていたからか、よく子ども達は私にくっついたり、まとわりついたりしていましたが「抱っこをしてしい!」というような「特別のリクエスト」はそれまでなかったために、私はかなり驚きました

 とにかく、まずはお席についてから、その子の話を聞くことにしました。
彼女の話しによると・・・私はママが大好きなのに、なかなか抱っこしてもらえなくて、とても寂しいのだ、と言うのです
 思えば、お母様はまだまだ幼い下のお子さまの育児に時間をとられ、その上、上の子の受験準備をご自分で納得のいくようにやっていくために、毎日のほとんどの時間を費やしておられたでしょう。
 大事な大事な我が子とは言え、その子が、「その時、ママに一番何を求めていたのか?」ということを察する余裕はなかったのではないか?と思いました
 
 私は、そのお嬢さんの言葉にとても心動かされ、時々我が子にするように抱っこをして椅子に座り、いろんなお話しをすることにしました
 最初は、10分ほど抱っこして、予定のカリキュラムをするつもりでしたが、何と、その子は10分ほど私に抱っこされ、ニコニコ顔でお話しをしているうちに、静かな寝息を立て始めたのでした。

 私は、その子の寝顔を見ているうちに、万感こみ上げてきて、涙がポロポロと流れ、どうしてもその子を起こすことが出来ませんでした
 その子のママを責める気持ちであったわけではありません なかなか上手くその時の気持ちを表現することは難しいのですが・・・とにかく、私はその時、一生懸命に子どものより良い教育を求めてがんばるママの姿にも、私の腕の中で笑みを浮かべたままで眠るお嬢さんの姿にも、深い愛情を感じたのは確かでした。
 予定していたカリキュラムは、後日、きちんと消化したことは言うまでもありませんが、その日の出来事は、小さな受験生と先生の「秘密」になりました

 数年後、下のお子さまも無事に受験を済まされ、そのお母様がほっとされた頃、ご一緒にお食事をしている時、しみじみと語られたママの言葉・・・
 「先生、私ね、この間の体育祭の振り替え休日に、久しぶりに子ども達を連れて動物園に行ったんです そして、ゾウのゾーンに来た時、何だか胸がぎゅっと締め付けられてしまったんですよ。子どもが受験をする時、私はいつも子ども達に絵を描かせると『ゾウの色は灰色でしょ!そんな変な色を塗ったら、ゾウに見えないじゃないの!ゾウは、は・い・い・ろ!!わかった』って、必死に言ってたんです。でもね・・・ゾウって、灰色ばっかりじゃないんですよね。あの日、私や子ども達の前で、上手に鼻を使ってバナナやリンゴを食べていたゾウは、薄茶色っていうか、赤みがかった黒っていうか・・・何で私はあの頃、あんなに必死に灰色、灰色って言ってたのかなあって思うと、おかしかったり、悲しかったり・・・

 小学校受験とは、受験生が幼い子どもであるために、親にとって過酷な時間になるものです。
 私が教室を始めた頃はまだまだ「青くて」、小学校受験を考えている家庭の母親は~~~あるべき!というようなことを、必死に語っていましたが、今ではそんな感情論?理屈?を振りかざす気持ちはなくなりました。

 けれど、たった一つだけ、お母様方にお願いをするとしたら。
過酷な小学校受験準備の渦中にある時でも・・・ときどき、志望校のことも、ペーパーの苦手科目も、面接のことも、ぜーんぶ忘れて、「ただのママと子」になる時間をぜひ持って欲しい!そう思っています


小学校受験 「1」の理解

2008年06月26日 | 小学校受験のカリキュラム
 ひとことで「1」と言いますが、実際には、いろんな種類の「1」があります たとえば・・・ 
  ここにキャンディーが1個あります ・・・という時の「1」
  右から1番目 ・・・という時の「1」
  1番の椅子から、順番に座ってください ・・・という時の「1」
  このカードを、1回、右に回転させます ・・・という時の「1」
  さいころをふったら1が出ました。1個、進みましょう ・・・という時の「1」

 私達おとなは、それぞれの「1」が、どういう「1」なのかを十分に理解した上で、「1(いち)」という音を聞き、その意味をその時々で判断しています。
 しかし、子ども達は、おとなのように長年積んできた多くの経験がないため、「1」という音を聞いても、ピンくるというわけにはいきません。
 すでにこの時点で、大人は子どもの理解力について、誤解をしているのですねえ・・・
 なるほどねえ・・・と感じていただいた上で、お読みくださいね。

 子ども達が、特に理解しづらい(だから、間違えやすい)のが、この2つの種類の「1」です。
「1個、進む」という「1」と、「右(左、上、下)から1番目」という「1」です。この「1」の違いが、なかなかすんなりと理解できないものなのです

 ここで少々横道に逸れますが。
私は、昭和33年生まれです。そんな私が子どもの頃は、よく「すごろく」をして遊びました。
 季節の「お正月の絵」に登場するような、サイコロをふって、その出た目の数だけ進む(時には戻りもしますが)という非常にオーソドックスな「すごろく」もありましたし、一世を風靡した「人生ゲーム」のような、サイコロの代わりにルーレットを使った「すごろく」もありました
 まあ、何で数を決めても、出た数で進んだり、戻ったり・・・という遊び方は同じです。
 
 また、おじいちゃんの碁盤や将棋盤を使って、すごろく的な遊びをした記憶もあります。
 将棋盤を使うのは楽しかったですねえ 何か、大人の大事な遊び道具を使う、ということで、ちょっと偉くなったような気分も味わいましたし・・・
 将棋盤でのすごろくでは、サイコロ代わりに使ったのは将棋の駒でした。駒を3つだったか4つだったかを手に持ち、さいころを転がすようにコロコロっと将棋盤にばらまくのです。
 すると、ぺたんの倒れてしまうものもありますが、駒の中にはお行儀よく立ったり、横向きに立ったりするものもあります。その立ち方?倒れ方?で進む数が決められていて・・・ぺたんと倒れたら「1進む」、お行儀よく立ったら「2進む」、横向きに立ったら「3進む」・・・という具合に。

 そうです こんなことからも、私達の時代は自然に、出た駒の数を、計算したりしていたのですねえ。足し算を暗算でできるわけもなく、口に出しながら「この『歩』は寝てるから1進むでしょう」と言って、実際に1目進ませ、「この『角』は立ったから2でしょう」と言って、またそこから2目進ませ・・・というふうに。
 とにかく、当時は完全なアナログ時代ですから。パソコンの画面に向かい、クリック一つでルーレットがまわり、ルーレットが止まると、自動的に出た数だけ画面上で自分の駒が電子音とよもに進んでいく・・・なんて、「人任せ」な遊びはなかった、というわけです
 だからこそ、子ども達は机に座り、さあ!とペーパーを前にして学習させられなくても、案外、遊びの中で、「足す」や「進む」などということを、自然に遊びの積み重ねで会得していったのでした
 ・・・と、すっかり余談が長くなりましたが、この話の中にも、たくさんの意味が含まれていたことを、是非、お読み取り下さいね。
 
 さて、話をもとに戻し。
つまり、「1進む」は、すごろくで説明をすれば、今自分の駒のあるこころの「次」の目に1個進んで、やっと「1」進んだことになります。サイコロの目が「4」であれば、自分がいる「次」の目を「1」として、2、3、4・・・と駒を進ませます。これが「○個進む」ということです。
 観覧車の問題を解くときも、回転推理の問題を解くときも、この問題を解くときに必要なものは、回転を「こま数」に換算して理解する、という力です
 要するに、回転の問題は、実際には「何個進ませるか?何個進んだか?」ということを理解した上で、第2の対象物を同じ数だけ進める・・・というのが解き方です。おわかりになりますね。
 
 ところが、今の子ども達の多くは、先ほども申しあげたように「○個進む」ということが、感覚的に理解しがたいようです。そのために、多くの子ども達にとっての「1」は・・・
 ここに1個のキャンディーがある、という「1」であり、1番の椅子から順番に座りましょう、という時の「1」、と同じなんです。
 この「1」は、そこにものが存在するという「1」です。そこにある1個のものを数える時に、当然、それを指さし「1」と数えますし、「1番」の椅子を空けて、わざわざ2番の椅子から座りません。
 このことは容易に理解できるので、「1、進む」という問題の時も、ついつい、その感覚で、自分が今いるところ(マス目)を「1」として数え、次の目は「2」、その次の目は「3」・・・と、一個ずつずれて数えていってしまう、という間違いが生じてしまいます

 私はホワイトボード上に描いて説明をするだけではなく、時には一人ひとりの前に座って、紙の上に絵に描いたり、実際に、私が床に描いた箱の中に立ったりしながら、
 「あのね、私が、こうして『1!』っていって、次の箱に動いていきます。いい?移動するわよ、ハイ、1 ねっ、1個進んだでしょう?どう?私が動きもしないで、自分がいる場所でピョンって跳んだだけでは『1』進んだってことにはならないよねえ。」
 などと説明すると、手を叩いて、そうだそうだ!と大笑いをします
 ところが、実際に、ペーパーの上で観覧車の問題や、回転の問題をさせてみると、やっぱり、結構、この間違いを繰り返すものです どうしても「○個、進む」時の「1」の意味が、感覚的に希薄であることが原因なんです
 また、カリキュラムの中には、方眼を使った問題もあって、「右(左、上、下)から○番目」という時には、最初のマス目を「1」と数えています。これも、子ども達をさらに混乱させる一つの原因になっているでしょう。

 今回の話しは、あくまで「子ども達が、なぜ間違うのか?」の解説をしただけで、間違えさせないコツのようなものは書いていません。
 なぜなら・・・ごめんなさい 瞬時に間違いをさせないようなコツは、この問題にはないからです 
 また、もっと言えば、どのような問題も、完全な根本的な理解がなければ、わかったような気になるだけで、実際には砂上の楼閣。

 このような「1」の意味の違いというものを、しっかりと、生活の中のさまざまなもの、状況を利用し、「なるほど」と理解させなければ、確実な「わかった」は生まれません。
 それこそ、今さらですが、すごろく遊びをして、「○個、進む」に慣れさせて、観覧車や回転の問題をする時に、そのすごろくの時のことを話題にしてもいいですよね。「急がば、回れ」です
 
 私は敢えて、お母様方に「なぜ、子どもは混乱するのか?なぜ、子どもは間違ってしまうのか?」の解説をします。
 まずは、お母様が「むー、なるほどねえ・・・だから、間違うのか」ということを理解できなければ、上手くリードすることさえ出来ないでしょう。
 我が子相手に、「何で間違うの」と、何度も同じセリフで、怖い顔をして怒鳴るよりも、まずは、「何で間違うのかしら・・・?」という間違いのポイントを探る方が、問題解決の近道、ですよ


小学校受験 お手伝いします!

2008年06月23日 | お受験ママへのアドバイス
 はじめまして

 このたび、小学校受験の準備を、まさに「今」、現在進行形でなさっているご家庭のお役に立ちたという思いから、このブログを開設することを思い立ちました
 そして次に考えたこと、それは、ブログのタイトルをどんなものにしようか?ということでした。
 たとえば。
「小学校受験のおたすけブログ」「お受験家庭の駆け込み寺」「ヒントがいっぱい小学校受験」etc.etc. 
 もちろん、真剣に考えていて頭に浮かんだタイトルなのですが、どうも奇をてらっていたり、大袈裟だったり、私の力を過信したり・・・で、ピンときません
 結局は、私の気持ちを素直に、ストレートに表現しよう!そう思いなおし、考えみて・・・このブログのタイトル「お受験 ママのモヤモヤ飛んでけー!」が浮かんだ、というわけです

 私は、横浜市港北区、東横線の菊名に、小学校受験準備のための教室を開校し、今年で15年になります 
 初期の頃にお預かりしたお子様達は、すでに今では大学生 今でも時々お目にかかりますが、男の子は立派でまぶしく、女の子はチャーミングなお嬢さんに成長されました
 そんな彼らにも、「1,2,3,4・・・むー、わかんなくなっちゃった。1,2,3・・・」とペーパーの中のリンゴの絵を数えては○を描いたり、「お話しの記憶」がうまくいかず、ポロポロと涙を流していた時代があったのだなあ・・・と思うと、私は胸がいっぱいになります

 私が長年の経験で実感していることは。
教室で、机に向かっているどの子ども達もとても真剣である、ということ
 そして、その愛するわが子達をサポートするお父様方、お母様方も、本当に一生懸命である、ということです。

 ただ、ちょっとしたコツを見逃しているために、空回りをしていたり
 あまりに熱心にのめり込んでしまったために、親子関係の本質を忘れ、ボタンの掛け違いをして親子関係をこじれさせてしまったり

 そんな状況を見るたびに、私の胸は痛みます。

 私立小学校受験、小学校受験、お受験・・・ここ数年、急速にこういう言葉は、世の中に定着してきたように感じています。同時に、受験者数も急増し、受験準備も加熱の一途をたどっています
 こんな時期だからこそ、私の経験を少しでも役立てていただき、ママも消耗することなく、子ども達もちょっと大変だけれど楽しいと感じられるような小学校受験にしていただきたいと、心より願っています。

 そして、受験が終わった時。
小学校受験の準備をしたからこそ、子どものみならず、ご両親も含めた家庭全体が、「以前より、我が家は上等になっていた」と実感していただけたら・・・こんなに素敵なことはありません。