世の中には、人のことを考えない傲慢な人がたくさんいます
受験のような非日常に身を置き、緊張や興奮が続くと、普段ならば見えていることが見えなくなったり、気遣えることが気遣えなくなったり・・・要するに、自制心や理性が働かなくなっている状態では、その人の本性が見えてしまいます
緊張の中で迎えた面接や考査。
A家では1校の不合格と3校の合格をいただきました。
1校目の合格発表で不合格だった時には、ご両親は奈落の底につき落とされたような気分になりました。この後の受験が、すべてこれと同じ結果になるのではないか、と、どう心を立て直そうとしても、不合格の文字が目の前にチラつきます。
我が子は何も知らず、健気に、いつものように遊んでいます
夫婦で話し、お教室の先生ともたくさんお話をして、やっとママのお気持ちは前を向けるようになり、次の学校の考査に向かいます。
幸いなことに、2校目からは、合格続きで・・・A家のママは、すっかり自分が意気消沈していた時の気分を忘れてしまいました
複数の合格が、1つの残念な結果を消し去りました。
これは、素晴らしいこと、ですね。
いつまでも不合格を引きずり、「ああ、どうしてだったのか?私の面接での受け答え?パパの態度?うちの子の小さな声?」etc.etc. そんなことを考えことは、本当に無意味です。
そんな考えてもどうもならないことをいつまでもしつこと考えるのは、時間の浪費であり、ひたすらマイナスの行為です。
もちろん、反省すべき点が明らかにあったのであれば(でも、それが合否と関係あるかどうかは、不明ですから)反省をし、前進すれば良いですね
さて、A家のママ。
あまりの嬉しさに興奮状態。かと言って、「聞いてくださ~い うちの子は、○校にも△校にも、□校にも合格したのですよー、ほーほっほっほっ・・」と、まわりにふれまわけにもいきません。
だから、今度はネットの掲示板を見て回り、我が家の場合はこんなふうにして・・・合格をいただきました、友人から聞いた話によると、~~した子どもはダメだったらしくうちわるの子は~~して・・・合格をしました」と、合格談を書きまくります。
頻繁に書き込んだサイトをチェックをしていると、あっちでもこっちでも「知らない人」、それも匿名の人」から「おめでとうごあいます!」と書かれてあります。
またまた、A家のママは、もっともっと調子に乗ってしまい、今度は不合格だった学校で「ちょっと気になったこと」「少し気に障ったこと」等を書き始めました。
「・・・そうよ、絶対におかしい!○にも△にも□にも合格だったんだもの。そう、あそこの学校の~~~って、おかしかったわよ、そうよね」
どうですか?
こんなふうに、ネットの中のブログの中に書かれた架空の人物「Aさん」を想像していると、いかにこの人が身勝手で、浅はかで、悲しくつまらない人であるか、がわかりますね。
一度、A家の受験を、自分の身に置き換えて、考えてみてください。絶対に自分はこういうことはしない1と言い切れますか? そうであれば、安心です。
受験というものは、笑った人の何倍も、泣いた人がいるのです。
もし、泣いた人であれば・・腹いせに何かダークな行動に出て、自分の切ない思いに終止符を打つのではなく、転んでもただでは起きない「親の強さと賢さ」を、あらためて身に着けてください。そして、この受験をバネにして、いろいろなことに気づき、次なる精進を初めてください
もし、笑った人であれば・・・泣いた人がいることを、絶対に忘れないこと。
毎年、合格コレクターのような行為をする人の話を聞きます。体は一つ。何校から合格をいただいても、進学する学校は1校っだけなのに・・・
親の傲慢さは、そのままで醜い子どのも傲慢さになります。
ついこの間まで、同じように準備をしていたお仲間達の幸せを祈りませんか?
中学受験以降は、確かに、問題を解き、点数を採ることで合格に近づきます。でも、小学校受験の合格は、やはりぺーぱーの点数だけではなく、学校との相性やフィット感など、そういう様々なことも感じられたのではありませんか?
だから、小学校受験の合格とは、勝ち取ったものではなく、与えていただいたもの・・・私は常々、そう実感しています
いかがでしょう。願書に書いたのではありませんか?「人の痛みのわかる優しい人に育ってほしい」と。
今こそ、親であるあなたが、人に対して優しい気持ちを向ける時です
傲慢で、浅はかな親達から発せられる「気」「空気」は醜く、さもしく、恥ずかしいものであることを知ってください
「幼児教室マナーズ」のホームページが新しくなりました。 是非一度、ご覧ください。
受験のような非日常に身を置き、緊張や興奮が続くと、普段ならば見えていることが見えなくなったり、気遣えることが気遣えなくなったり・・・要するに、自制心や理性が働かなくなっている状態では、その人の本性が見えてしまいます
緊張の中で迎えた面接や考査。
A家では1校の不合格と3校の合格をいただきました。
1校目の合格発表で不合格だった時には、ご両親は奈落の底につき落とされたような気分になりました。この後の受験が、すべてこれと同じ結果になるのではないか、と、どう心を立て直そうとしても、不合格の文字が目の前にチラつきます。
我が子は何も知らず、健気に、いつものように遊んでいます
夫婦で話し、お教室の先生ともたくさんお話をして、やっとママのお気持ちは前を向けるようになり、次の学校の考査に向かいます。
幸いなことに、2校目からは、合格続きで・・・A家のママは、すっかり自分が意気消沈していた時の気分を忘れてしまいました
複数の合格が、1つの残念な結果を消し去りました。
これは、素晴らしいこと、ですね。
いつまでも不合格を引きずり、「ああ、どうしてだったのか?私の面接での受け答え?パパの態度?うちの子の小さな声?」etc.etc. そんなことを考えことは、本当に無意味です。
そんな考えてもどうもならないことをいつまでもしつこと考えるのは、時間の浪費であり、ひたすらマイナスの行為です。
もちろん、反省すべき点が明らかにあったのであれば(でも、それが合否と関係あるかどうかは、不明ですから)反省をし、前進すれば良いですね
さて、A家のママ。
あまりの嬉しさに興奮状態。かと言って、「聞いてくださ~い うちの子は、○校にも△校にも、□校にも合格したのですよー、ほーほっほっほっ・・」と、まわりにふれまわけにもいきません。
だから、今度はネットの掲示板を見て回り、我が家の場合はこんなふうにして・・・合格をいただきました、友人から聞いた話によると、~~した子どもはダメだったらしくうちわるの子は~~して・・・合格をしました」と、合格談を書きまくります。
頻繁に書き込んだサイトをチェックをしていると、あっちでもこっちでも「知らない人」、それも匿名の人」から「おめでとうごあいます!」と書かれてあります。
またまた、A家のママは、もっともっと調子に乗ってしまい、今度は不合格だった学校で「ちょっと気になったこと」「少し気に障ったこと」等を書き始めました。
「・・・そうよ、絶対におかしい!○にも△にも□にも合格だったんだもの。そう、あそこの学校の~~~って、おかしかったわよ、そうよね」
どうですか?
こんなふうに、ネットの中のブログの中に書かれた架空の人物「Aさん」を想像していると、いかにこの人が身勝手で、浅はかで、悲しくつまらない人であるか、がわかりますね。
一度、A家の受験を、自分の身に置き換えて、考えてみてください。絶対に自分はこういうことはしない1と言い切れますか? そうであれば、安心です。
受験というものは、笑った人の何倍も、泣いた人がいるのです。
もし、泣いた人であれば・・腹いせに何かダークな行動に出て、自分の切ない思いに終止符を打つのではなく、転んでもただでは起きない「親の強さと賢さ」を、あらためて身に着けてください。そして、この受験をバネにして、いろいろなことに気づき、次なる精進を初めてください
もし、笑った人であれば・・・泣いた人がいることを、絶対に忘れないこと。
毎年、合格コレクターのような行為をする人の話を聞きます。体は一つ。何校から合格をいただいても、進学する学校は1校っだけなのに・・・
親の傲慢さは、そのままで醜い子どのも傲慢さになります。
ついこの間まで、同じように準備をしていたお仲間達の幸せを祈りませんか?
中学受験以降は、確かに、問題を解き、点数を採ることで合格に近づきます。でも、小学校受験の合格は、やはりぺーぱーの点数だけではなく、学校との相性やフィット感など、そういう様々なことも感じられたのではありませんか?
だから、小学校受験の合格とは、勝ち取ったものではなく、与えていただいたもの・・・私は常々、そう実感しています
いかがでしょう。願書に書いたのではありませんか?「人の痛みのわかる優しい人に育ってほしい」と。
今こそ、親であるあなたが、人に対して優しい気持ちを向ける時です
傲慢で、浅はかな親達から発せられる「気」「空気」は醜く、さもしく、恥ずかしいものであることを知ってください
「幼児教室マナーズ」のホームページが新しくなりました。 是非一度、ご覧ください。