会津の大内宿にいってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/35/63c4107a12760de6a47671f39702f78e.jpg)
江戸時代に関東と会津を結ぶ下野街道の
交通の要衝だった大内宿は、宿場として、
また荷駄運送の駅所として賑わっていたそう。
いまは観光客で賑わっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a5/815c28ce6657dcb92b66dd121de9cc70.jpg)
会津藩主の参勤交代の際もこの街道を通ったり
由緒正しい場所のよう。
やがて、明治になり、日光街道
( いまの国道118と121号)が
大川沿いに開通すると、人、物の流れが新しい道路に移り、
大内宿は時代に取り残されていきました。
(´・ω・`)
しかし、大内宿は時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すことに。
昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
そして地元のみなさんの必死の努力により、
江戸時代の家並みや郷愁を望む、会津の名所となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c6/c75a8f913098c0f789488ae84cfd54cd.jpg)
さて、大内宿と言えば「高遠そば」。
長ネギを箸がわりに用い、薬味をかねてご提供する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/68/a12be149a98051a3ace0df82829b991f.jpg)
我が家はこれを食べずに、
普通の十割蕎麦を食べました。(^^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/70/dca9b45d46b3370b6300684f826c2f07.jpg)
「ネギを箸かわりに使う」
ことについての疑問は次回に持ち越されることに。
さて、大内宿は、以前も今も、
人を呼ぶ取り組みを熱心に行い、それが比較的成功
(それでも苦しいと思いますが)している場所です。
それでも年間100万人の観光客が集まる大内宿の
「生き残りをかけた、一生懸命さ」が、
強く心に残りました。
大内宿では、年配のおじさま方が炎天下で駐車場整理、
「来てくれて有り難うございます」
「良かったらまた来てください」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/23/3794f69a326917dcfc90ba978be970bd.jpg)
「楽しませていただき、こちらこそ有り難うございます。
応援しています」
と思いながら、過ごしました。
一方で、あちこちでこんな言葉もみかけ・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/21/5931f65d2d5527d047bfe74a7df7839c.jpg)
ここもまた被災地であるということを
強く感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/d0/eb684ca0aad88f139ae4e04ef10ca85e_s.jpg)
行きも帰りも蕎麦の花が綺麗でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/fc/123ed12f019e2c032ad43978c457f105.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/91/bb0a45fb519d39072a24fcc40ebc61ee.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ca/7a8e07ca93f74c2f0614ff5336a2a41b.jpg)
〒969-5207
福島県南会津郡下郷町大字大内字山本43
0241-68-2932
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/35/63c4107a12760de6a47671f39702f78e.jpg)
江戸時代に関東と会津を結ぶ下野街道の
交通の要衝だった大内宿は、宿場として、
また荷駄運送の駅所として賑わっていたそう。
いまは観光客で賑わっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a5/815c28ce6657dcb92b66dd121de9cc70.jpg)
会津藩主の参勤交代の際もこの街道を通ったり
由緒正しい場所のよう。
やがて、明治になり、日光街道
( いまの国道118と121号)が
大川沿いに開通すると、人、物の流れが新しい道路に移り、
大内宿は時代に取り残されていきました。
(´・ω・`)
しかし、大内宿は時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すことに。
昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
そして地元のみなさんの必死の努力により、
江戸時代の家並みや郷愁を望む、会津の名所となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c6/c75a8f913098c0f789488ae84cfd54cd.jpg)
さて、大内宿と言えば「高遠そば」。
長ネギを箸がわりに用い、薬味をかねてご提供する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/68/a12be149a98051a3ace0df82829b991f.jpg)
我が家はこれを食べずに、
普通の十割蕎麦を食べました。(^^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/70/dca9b45d46b3370b6300684f826c2f07.jpg)
「ネギを箸かわりに使う」
ことについての疑問は次回に持ち越されることに。
さて、大内宿は、以前も今も、
人を呼ぶ取り組みを熱心に行い、それが比較的成功
(それでも苦しいと思いますが)している場所です。
それでも年間100万人の観光客が集まる大内宿の
「生き残りをかけた、一生懸命さ」が、
強く心に残りました。
大内宿では、年配のおじさま方が炎天下で駐車場整理、
「来てくれて有り難うございます」
「良かったらまた来てください」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/23/3794f69a326917dcfc90ba978be970bd.jpg)
「楽しませていただき、こちらこそ有り難うございます。
応援しています」
と思いながら、過ごしました。
一方で、あちこちでこんな言葉もみかけ・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/21/5931f65d2d5527d047bfe74a7df7839c.jpg)
ここもまた被災地であるということを
強く感じました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/d0/eb684ca0aad88f139ae4e04ef10ca85e_s.jpg)
行きも帰りも蕎麦の花が綺麗でした。
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〒969-5207
福島県南会津郡下郷町大字大内字山本43
0241-68-2932