あまり詳しい事情は書けませんが、10年前の9月11日、妊娠9ヶ月で行き倒れた私は病院のベッドで目覚め、同時多発テロでWTCが崩壊する様子をひとりみつめていました。
私的事情で途方にくれ、祖母に電話して泣き出す。すると祖母は、「あんたマスコミの人間でしょ。しっかりしなさい。歴史的な悲劇が起こっているのよ。テレビを観なさい。新聞を読みなさい。そして考えなさい。」と一喝され、いきなりしゃきっと気合が入りました。これも祖母の優しさだと思いました。
そして産休までの残り一週間を病院から会社に通いました。私が毎日同じ服で出社していることには妊婦ゆえ、誰も気付かなかったようです。
9.11の情報が交錯し、あわただしい雰囲気の中、引継ぎを終え、誰もいないフロアから紙袋を5個持って、転院する病院に「チェックイン」しました。
そして、そこに入院中に、もうひとつの悲劇、育児中だった同期(仲のいい友達だった)の突然の死を知りました。素晴らしい女性でした。彼女が残したお子さんは、いまどこで何をしているのでしょうか。幸せであることを祈ります。
前年、予定日に第一子を喪った私は、妊娠6ヶ月頃から、お腹の中にいる子供が死ぬ夢を毎日のようにみていました。(おそらく、離婚した前の夫も同じように苦しんでいたと思います。)
喪った子供への責任を感じ、亡くなった友人の力になれなかったことを悔やみ、生まれてくる子供の父親がいなくなる現実を嘆き、毎日夢を見て発作を起こし、最後には喋れなくなりました。
それでも、9.11について新聞を読みつづけることだけはなぜか止めませんでした。新聞を三紙購読しながら2ヶ月入院していた、旦那さんのいない?妊婦はさぞかし不思議な存在だったことでしょう。自分の身に起こったことよりも、もっともっとおそろしい事が起こった。
それを知らなければならない、という気持ちが私に正気を保たせたのだと思います。
そして2ヶ月の入院ののち長男が誕生しました。長男が「生きて」産まれたときは神様に感謝しました。そして5年間ふたりで寄り添って生き、5年前に再婚し、今の夫との間に次男が生まれました。
今は毎日、ふたりの子供たちの寝顔が待っています。毎日感じることですが、彼らの顔をみるとき「あたりまえの幸せのありがたさ」をかみ締めます。
我が家は、四歳の次男を除き、「家族とはあたりまえにあるもの」という意識はありません。
長男は5年間、ときには22時まで保育園にいたし、忙しいときは区の施設で週末を過ごしました。私は当時も今と同じ仕事をしていましたので、今の私がたったひとりで乳児から幼児にかけての子供を育てて、私が働いている間、子供はずっと預けられているとイメージしていただければわかりやすいと思います。当時の状況では、生きていくにはそうするしかなかったのです。
ですから、私たち家族は、「家族が普通に一緒にいられることが、いかに幸せなことか」をよくわかっていると思います。
重ねて言いますが、あたりまえの、ありきたりな幸せが、いま本当に有難い。
9.11だけでなく、3.11以降もさまざまな理由で理不尽に破壊される無数の家族のことを思うと言葉もありません。そうした方たちへ心よりの追悼と、残された人にいつか心の平安が訪れることを願ってやみません。