歴史、文化、何事にも成り立ちというものがある。
この成り立ちを歴史といい、そして歴史を成り立たせているものを文化という、のだと思う。その文化にも成り立ちがあり、それを歴史として扱うことはもちろん、文化の歴史を成り立たせているものすなわち文化の文化も、歴史を学ぶうえでは考慮すべきであろう。
では、文化を成り立たせるものとは何か? それが人の歴史に伴うものであれば、答えは"人"である。人の何がと問うならば、有史以降に限定するならそれは、人がいて社会ができて言葉を使うようになった後ということで、答えは"文字"ということができると思う。
そこで有史以降の文字の文化の成り立ちをこう分類してみた。
・技術化文化
・産業文化
・律令文化
・宗教文化
・資本主義文化
私はこれらを総じて外部記憶文化と呼んでいる。人類は外部記憶を利用することにより文明を拓き、産業を普及させ、法律を治め、宗教を浸透させ、資本主義的運営で現在の国家社会を築いた。それぞれは人が物事に取り組む段取り、基礎的な発見・探求 → 利用・表現・発信 → 理論化と周知 → 応用・発展的運用 → 合理化と再生産的普及へといたる、いわば人が歴史をつくる段取りを表している。
なぜこうなるのかというと、人の認識がこうなっているからというほかない。というか、歴史が与えられた情報で人がどう認識するかの説明であるべきなのだ。歴史に人でないものを介入させるのは間違いだというのは重要な考えだ。
私のイメージする文化史は次のように模式化される。私は二元論を人の認識をよく表す考え方だと思う。
この考え方のもとでは、歴史のどこをどう切り取っても、この基本構造が現われると考えなければならない。歴史を知るとはこの構造を見つけることだとも言える。
有記のいわゆる歴史は、それ以前の人の歴史から引き継がれた文字の文化つまり外部記憶文化として大別できる。さらに考えを進めるならば、歴史はもっと大きな分類のなかで、人類の起源、生物の起源、地球の起源、宇宙の起源まで到達しうる。しかしそれを語るには必要な情報が揃っていなければならない。発掘発見されたものだけで過去を探るには限界がある。失われた過去を補うには文化をもってするしかない。すべてのものには成り立ちがある。成り立ちを掘り下げ発祥順に並べたものが歴史だが、どこに並べどう繋いだらいいかを考えるのに文化の視点は欠かせない。その文化を成り立たせているのは人。人の成り立ちを知ることは、歴史を知るうえでの最も重要な鍵といえるかもしれない。
歴史は人がどう考えるかでしかないのかもしれないが、考え方しだいでわかるようになることはまだまだあるのだ。