丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

分割して考えるとすっきりと楽なんだ

2022-02-03 12:30:02 | 心の解放シリーズ
例えば、自分の嫌いな職場の先輩が、なにかをしてくれたとする。
例えば、資料を届けてくれたとする。
こんなとき、気持ちよくありがとうと言えるか?

ふだんからろくに話合わずに仕事を押し付けてきたり、
自分を頭ごなしに怒鳴ったり、ムリな注文をつけてきたり、恥をかかされたことなどが過去にあったとする。

こんなとき分割して考えると楽だ。

そういうところは、嫌だ。嫌いだ。キライでOK。
必要なことは、ちゃんと相手に言っていこう。

でも資料を届けてくれたことに関しては、ありがとう。

というふうに、分割して考える。
すると、ちょっと楽に、ありがとうと言える。

また、家庭でも。
おかーちゃん、料理作ってくれてありがとう。

でも毎日毎日、人の悪口を言ってくるのは、もう耐えられない。
嫌だ。聞きたくない。
これは、おかーちゃんが自分で相手に働きかけたり、断ったり、自分の気持ち言ったりして解決することだ。
私は当事者ではない。
だから、それをしないで(できないからって)私に悪口言って依存してくるのは不当なんだ。
私は、「聞きたくないんだ」「つらいんだ」と言ったり、または言わないでさっと離れたりしたほうがいいんだ。

依存させないほうが、相手のためにもいいんだ。
依存して、関係ない人(こどもなど)を味方につけて、相手(夫や舅姑)と戦うってことをする母親もいる。
これは、依存させるのを断つと、バランスが崩れる。
すると、おかーちゃんその他メンバーとの関係性も変わらざるを得なくなる。
関係ないやつ(私)が抜けてあげることで、
当事者同士がやっと仕方なく、向き合わざるをえなくなるから。

こういう毒親に悩んでいる方は多いと聞く。
こういうケースは、ためらわずに離れることが、相手のためでもあるんだ。
自分を守ることは相手のためでもあるんだ。

こんなふうに分割して考えるようにすると、自分が楽になるし、
依存・支配関係が是正されていくことにも繋がる。

生活費を稼いでくれて、ありがとう。
でも、私の部屋にずかずか入ってきたり、リビングを散らかすのはやめろぉー!
くさい靴下を、そのへんに脱ぎちらかすなぁ!
と言っていい。
言えると、生活費の部分には、心から「ありがとう♡」って言えるのね♪
自分が自由に使える金額は、堂々と、好きなものを買ってOK♪って。

この話に繋がってくるんだ↓
まず、ここでのテーマは
「あいつら」幇助的な仕事をするかどうか?

つねになんでもテーマごとに考える、ということなんだ。
すると、すっきりと楽なんだ。

体が大変な方は、「自分の希望する治療が受けられるかどうか」に焦点を当てて、いろいろ探してみてはどうだろうか。

昨日書いた、ワクチン接種後、お体が大変な方へのお話。
この場合も、テーマは「自分の希望の治療が受けられるか」だ。
受けられないなら、ほかを当たったほうがいいだろうし、希望通りの医療機関がみつかれば、めでたしだ。
ちょっと自分の希望と違うんだけど、断ると先生に悪いかなって、遠慮しちゃう方もいると思うんだ。
でも自分が楽になることが目的なわけだから、自分の意思を、感情を感じながら話していくってことだ。そうすることに罪悪感はいっさい不要なんだ。

また、私もブログに書いているけれど、政治的な先生もいらっしゃる。
ワクチンの後遺症には理解があるけれど、特定の政治家の支持を入れたり、改憲などを推進する発信をしていたり。
その場合も、分割して考える。

政治的なことは、ちょっと賛同できないので、あたしはそこはおつきあいはできません。
でも必要な治療をしてくれるなら、そこはお願いしますと。

他に頼れる病院がなく、体が大変ならば、そういうこともあるかもしれないなと思ってね。

あたしがあいつらだと書いてたから、必要な医療をしてくれる先生にかかるのを躊躇されている方がいたら、それもよくないと思ってね。

見極めるのは自分自身だ。
ここは、当事者同士がじっさいに会って話合わないとわからない。

ネットの評判と、実際のところが同じかどうかもわからない。

おばさんには言えない部分だ。

ワクチン反対や、おかしな政治にノーと言ってくれるのはありがたいけど、
それをガス抜きにして、最終的に大衆を体制側に誘導する意図があるかもしれない方もいるわけで、
そういう所は賛同できないけれど、そういう方しか、解決する医療をしていないならば、
「自分の希望する治療が受けられるかどうか」に焦点を当てて、
分割して、テーマをごとに、お世話になるか、離れるかを丁寧に見極める。
これが必要かなと思った。

そして今は、ご存じの通り、情報の分断がすごいから、
人によって、認識も感覚も全然ちがう。
さらに、社会も人の意識もファシズム的になってしまっているという状況だ。

こんな中で、考えが違っても、必要なところでは協力して、乗りきっていく必要がある。
こんなとき、分割して考える習慣がついていると、楽だ。

きわどい状況でなくとも、お家でも職場でもこれが身についていると、心が楽なんだ。

だいたいみんな、いろんなテーマをいっしょくたにして考えている。

それで嫌なヤツとも我慢してつきあわねば、と面従腹背でいたりするw

それだと、嫌なところで、ノーが言えないだろう?
イヤなところでは、ノーと言ったほうがいいわけだ。
この部分は、私はこうしたいんだと。
こわいような、悪いような気がするかもしれないんだけど、
自分の感情を感じながら言うと、相手からは相手のことも大事にしているように見えて
むしろ心が通じたりする。

すると、こわくないんだとわかる。
そして、味をしめてどんどん自由になっていく。(このおばさんのように・・・)





責任を見極めるとは?

2022-02-01 14:52:53 | 心の解放シリーズ
前回、あいつらとの戦い方について、書いた。
安全に、戦うには、

おばさんだったら、
自分・患者・職場の責任の見極めや、同意を取ること、
インフォームドコンセントに近いことを、できるかぎりしなはれと、
説教しちゃうだろうね。
安全な戦い方ってもんがあるんだよと。

ずいぶんカンタンに言っちゃったけど、
この部分を丁寧にやることが肝要だ。
ここは奥が深い。
これがめちゃくちゃだとトラブルになり、丁寧にやるといい結果になる。

家庭編:

例えば自分の夫が「あいつら」を幇助するように仕事をしていて、
このままいくと、大変やろな、責任を取らされる日が来るだろうな?どうしよう?と妻が思っているとする。

まず、ここでのテーマ
「あいつら」幇助的な仕事をするかどうか?

これはが決めて、夫がその結果まで責任を取ることだ。
だからに決める自由がある。

しかし、夫婦ならば、その結果、崩壊した場合、
配偶者にも当然影響があるわけだ。
まー、はっきり言っちゃうと、困るわけだw

だから、相手が今後、どういう方針でやろうとしてるのか、聞く権利があると思うんだ。
それによっては、パートナーも心の準備、いろいろな準備が必要だったりするわけだ。
パートナーとしてサポートしているのなら、今後どういうふうに支えていくかも考える必要があるかもしれない。

そして、話してみて、案の定このまま行くとヤバいと思った場合、
相手の決定権を認めたうえで、自分の意見として言う。
「私だったら~」
「門外漢の想像に過ぎないけれど」
「私はこうなのかなぁと思ったけど、実際のところはどう?」
とあくまで自分の考えにすぎないけれどという感じで話してみる。

きわどいところかもしれないけど、
相手の決定権や自由の領域を認めたうえで、そこに入りすぎないように、自分の気持ちや考えを言う。

テーマはなにか?
誰が決めて誰が責任をとることなのか?
自分に影響があるのか?ないのか?

これをよく認識せずに、相手が責任をとるべきテーマに一方的に指図するとトラブルになる。
だから「これは夫の決めることだ」と念頭に置いたうえで、話を切り出すことが大事だ。
そのうえで、
私も聞いていいんだと、自分のことも認めて大事にしていると、
お互いを大事にしつつ、堂々と、平和的に話を切り出すことができる。

こんなふうにフェアで対等に、平和に、愛をもって話ができると、
お互いに安心感のなかで、本音を話すことができるだろう。

それによって、相手の認識がどの程度かもわかるだろう。
どの程度、自覚して、仕事に取り組んでいるのか。
まったくわかってないのか。確信犯的にやっているのか、なにか考えがあるのか。
完全に騙されてるのか。やらされているのか。おどされているのか。
洗脳が深いのか。なにか恐れていることがあるのか。
などなど、気が付くこともあるだろう。

だから平和に安心して話せることは、危機管理にもつながる。

今まで全然気が付かなかった相手の気持ちもわかるかもしれない。

それによって、相手に何を、どこまで言ってあげるのが適切かも、
話をしていくうちに、わかるだろう。

相手おかまいなしに、「こうするべきだ」と一方的に話しちゃうと、
相手は大事なことを話してくれないだろう。そして争いになる。

相手に押し付けない。

相手の生き方、やり方に提案(口出し?)してあげたいとき

私だったらこうするかな」「当事者でないから想像にすぎないんだけどね」
「あなたが決めることだけど」

という話し方だと角が立たない。あくまで私はね、と。
決めるのはあなただよと、相手に入り込みすぎず、相手の自由を認めている話し方だ。

三浦先生のお話のしかたもやはり参考になるなぁと、思いました。
「私自身は~と考えております」「私自身は~危惧しています」
という話し方をされている。

こんなふうに「わたし」を主にして自分の思いを話している限り、
受け入れたくない相手に押し付けなくて済むから安全なんだ。
そして、私の気持ちを感じながら話していると、相手のことを大事にしているように、相手からは見えるの。


まず、自分自身が責任が見えていない、めちゃくちゃな話合いしかできない状態で、
おまえ職場でそれをちゃんとやれ、とは言えないわけだw
家族といえども。

今は、非常にきわどい状況だ。

何が起きているか、気づいている人にしてみれば、多くの人の命がかかっていると切迫した気持ちだ。
テレビの報道どおりに世の中を捉えている人にしてみれば、
悲観主義の陰謀論者がうるさく命令してきてやだなぁと感じるだろう。

だからこそ、責任を見極めを丁寧にして、整理してから、相手に働きかけるということが必要なんだ。

そのうえで、期待したような結果にならなくても、いったん引く。
ごり押ししてもダメなんだ。
よけい拒否したくなるだけなんだ。
おばさんは、ダメなとき、撤収するのがめちゃくちゃ早いんだ。
もう自分か相手のどちらかがイライラや不快を少しでも感じたら、
ソッコーでその場から去る。
こうなるともう話合えないんだ。
戦うことにうつっていってしまって、無益な言葉の応酬になっていく
問題の解決より勝つことが目的になっていく。
無駄だし、不快になる一方だから、いったんやめたほうがいいの。

物別れに終わったら、後日またゆっくり心が落ち着いているときに話をしてもいい。
一発で決めようとしないのが、コツだ。
OK,また今度ねと、やめて、離れる。
2回目は状況が変わって、もっと具体的な話になるかもわからない。

時間をかけて、何度でも丁寧に、自分の感情を中心に感じながら、
きつさを感じたらやめたりしながら、
自分が楽な言葉で話合うことが、愛だ。

相手の決意が固いなら、それはもうムリなんだ。
崩壊するだろうと思える選択をしたがっていても。
そこまで経験したいという場合もあるんだ。
これまでのその人の築いてきたパターンというのがあって、こんなきわどい状況になってから変えるのは相当な恐怖がともなったり、難しい場合もたくさんある。
どうしてもムリな人も多いだろう。

また逆に、きわどい状況をつくって、
新しいパターンに取り組まざるをえない状況を、本人が作っているということもある。無意識に。
内心では、「もうやめなければならない」、頭では、「でもやめられない」と思っているならば。
頭と心の不一致が大きい人ほど、マイナスの状況をつくって、やめざるを得ない状況をつくり出すんだ。

自分がどっちに行きたいのか、本人ですらわかってないかもしれないんだ。

こういうのも、自分の感情を感じながら、相手の選択を認めながら、丁寧に話しているうちに、見えてきたりわかることがあるかもしれない。

相手が状況をたて直すことが難しい場合でも、
じゃあそれを踏まえて、自分はどうするか?という方向に視点をシフトしてみる。
すると、行くべき方向性が見えてくる。
ムリなのに、相手にやめさせようとやりあうと、共倒れになってしまう。
家庭内も修羅場となってしまうと必要な話が、なおさらできなくなっていく。

こんなふうに、家族であっても、それぞれなんだ。本当は。
クリアすべき課題は本当に人それぞれだ。
さっさとクリアしたい場合もあれば、じっくり時間をかけたい場合もある。
来世に持ち越したい人もいる。
本当はそれを認めることが愛なんだ。これが本当の自立なんだ。
べったり依存して小さな不満やケンカを積み重ねて、我慢することではなくて。

今までくっついて、依存関係、支配関係であったなら、
ちょっと責任を見極めて話をしていくだけで、
適度な風通しのいい距離感の対等な関係にシフトしはじめるかもしれない。
支配関係から本当の愛に、なるかもしれない。

今まで、支配関係であったならば、なおさら、
責任を見極めて話をすることを少しずつやっていかないと、
ある日、一気に崩壊してしまったとき、大変だ。
こうなったとき、いきなり自立できるか?
心がついていかず、ダメージが大きいだろう。

これからも協力しあっていけるか?いきたいか?
いずれ、問題が起きて、離れることになるのか?
あるいは自分はそろそろ自立していきたい気持ちなのか?とか。
共に暮らしている状態で、自立した愛の関係にいくのか?
離れた方がいいのか?

自分自身の気持ちや自由も大切にして考えてみる。
考えるというか、自分の本当の感情を感じてあげることだ。
それが一番信頼できる情報元であり、ナビなんだ。
あー、わたし、本当はこうしたかったのか、と感じてみて初めてわかる。

自分が決めて、自分が責任をとることも、相手と同様に、自由なんだ!

すこし離れている、それぞれが自分の意思で立っている状態が、愛の関係なんだ。
これだと、当たり前に、お互いに自由だと思っている。
くっついている関係になれている人は、少しさびしく冷たく感じるかもしれない。
でも本当は適切な距離まで少し離れている状態のほうが、心が通うことにだんだん気づくだろう。

自分がいやなことをされると、当然ながら頭にくる。
それはちゃんと言う。
「こうしてほしい」と。「同意をとってくれ」と。
相手の了解をとらないで、ずかずか割り込んだり、
話をするような関係は、支配関係だ。
「ちょっといい?」と言わない、言えない人、いるな。
そういう人には
「今これやってるから後にして」と言えばいい。

ちょっとやだなと感じたときに、我慢しないで、軽く言えるか。
こんなのも日々練習することで、犠牲者意識から抜けることができるんだ。
どういう言い方なら、楽に言えるか?シミュレーションしてみる。
(おばさんは、同意を取れない人に対しては、最近けっこうバシっと言うの。受け身の犠牲者意識の人は、家族など遠慮のない間柄では支配的だ。どこまでも自分勝手にやられると困るんでね。だからなんでも自分から言う。だんだん快感になってきちゃったw)

こんなふうに
相手に言えるようになることで、
自分を守ったり、自分を愛することができるようになっていくんだ
それができないと、人を愛せないんだ。
だから黙って我慢して耐えることは美徳ではないんだ。
これができないと、いつまでも犠牲者、悲劇のヒロインだ。
かわいそうな自分。
そうやってかわいそうな自分を見せて、相手に罪悪感を抱かせて、支配するってことを無意識にやっていたりする。
こんなことも「あ、やってる」と自覚しないと、いつまでも卒業できないんだ。

自分で自分を守って、救ってあげたらいいんだ。
相手に言う、働きかけることを学んで。
そしたらもう、自分の意思でやっちゃっていいんだよ。
誰かの自由や意思を妨害していないなら。

家庭で、そういったお互いの自由と選択を尊重する関係ができている方は、
職場でも、顧客や患者さんに対しても、

(再度引用)
責任の見極めや、同意を取ること、
インフォームドコンセントに近いことを、できるかぎりしなはれと

これを当たり前にやっているはずなんだ。
だからファシズムに使われたりなんて、しないはずなんだ。

人間の言動パターンは、けっこうどこでもいっしょだ。ワンパターンだ。

ということは、
自分自身が家族との関わり方を変えると、家族も変わらざるを得ない。
すると、家族が職場でも新たなパターンをやりはじめることになるんだ。
こうして、お客さんや患者さんも選択の自由を尊重するようになり、
インフォームドコンセントや同意を丁寧にとるのも、リスクを説明するのも、当たり前って感じになり、みなさんの幸せにもつながるの。

こうして社会貢献することになるの。
自分を大事にする、相手の選択も尊重する、そうやって相手に働きかけるってやるだけで。
これ、ほんとうだよ!


職場編:

これも三浦先生のやり方が参考になると思いました。

今日発表する内容は公式の学会で発表したもの。
その際に病院側のほうから病院の見解ではないというスタンスで発表するように指示がございました。本日は医療者以外の方もご覧になるということで所属名をお出ししないということにさせていただきました。

テーマは
ワクチンのデータを発表したい

ということだ。

誰が決めて誰が責任をとることなのか?
この場合、職場に、影響があるのか?ないのか?

先生がご自分の見解を、世間に発表して、その結果も先生が責任をとる。
でも、職場の見解とされるのは困るなーと職場が思っているかもしれない。

それも、
相手と話合わないと、職場の方針や考えの本当のところはなにもわからない。
だから、相手と話合うことが必要なんだけど、このときの意識が大事だ。
「自分が自由に発表するのはOKだ。
でも職場を困らせたいわけではないんだ」
という、お互いの意思を叶えたいというフェアで対等なスタンスで、話せるか?

これも従わなければならないという意識が強い方は、
「自分が自由に発表するのはOKだ。」と自分自身が思ってなかったりする。
みずから「抑圧されているんだ」と卑屈になってしまったり、
そうかと思うと「おまえらまちがってる!」と職場の批判に走ったり。
(職場を改善したい場合はまた別だ。ここでは「ワクチンのデータを発表したい」というテーマを叶える目的で考える)
ふだんから自分をOKする、対等なんだという意識が育ってないと、
戦いモードで相手に働きかけてしまいがちだ。
これだと話合いもうまくいかないだろう。トラブルになっちゃって。
あるいは卑屈モードだと、本当に抑圧される一方という状態になりかねないんだ。
ここでも相手と無意識に綱引きしているんだ。
自分が卑屈で、自分の意思をOKできてなくて言えないと、相手はどんどん支配的にくるもんなんだ。

そうではなく、
「自分が自由に発表するのはOKだ。
でも職場を困らせたいわけではないんだ」
自分の自由を認める。相手の自由を認める。
それが当たり前って感覚ね。

このモードで、正直な気持ちを話すと相手に心が通じるんだ。
すると、
「職場の見解としないで、病院名を言わなければ、まあいいよ」、などと、
妥協点を見いだせたりする。

いいか/だめか、
ゼロか/100か、ではないんだ。

ここまではいいよ、とか、条件付きでならいいよ、とか
じつは、いろいろと、方法はあるはずだ。

こういう柔軟なやり方やアイディアなども、
従うか/批判するか、っていう戦う意識や、犠牲者的意識だと、なかなか出てこないのね。

平和だと、お互いに安心してるから、頭も心もやわらかーくなって、自由な発想が生まれてくるんだわ。

職場であれば、業務の責任ってことに焦点を当てながらも、
自分の責任の範囲内は自由にしてOKって意識で、
双方が納得できる妥協点をみつけていくってことだ。


ま、大前提として、
人とは違う、自分の思うことや感覚を、自分が心からOKできていないと。
人に認められないと、こわくて何もできない、となっていく。
認められなくても、叩かれてもOK。

他人がどうであれ、
どんな自分もOKしてあげるって感覚がないと、こういう発表をしようとも思わないのね。

それ以前に、なにが起きているかも、感じられないのね。


どんな自分もいいんだって心から思っているか。

スタートは、つねにここなのね。

自分を認めることなの。
じっさいどんな状態も意味があって、そうなってるの。
そこを見てあげる、認めてあげるってことなんだ。
いいとかダメとかは、本当はないの。
頭でそう思ってるだけで、すべては単なる状態なの。
頭で判定するのやめて、
「そうか、そうか、今そういう状態なんだ」っていつも言ってあげたらいいんだ。自分に。

これができてはじめて、他人のことも認めたり、愛したり、やっとできるんだ。
あ、他人もまた意味があって、そうなってるんだって、わかるんだ。




年末年始を幸せに過ごす

2021-12-30 16:48:53 | 心の解放シリーズ
今日も、あいつらの話書こうか?とも思ったんだけど、
やめました~。
だって、年末だし♪
昨日、街に出かけたんだけど、どう考えても、おばさんは平和なんだと分かった。
あいつらが何をしようとも。


こんなこと言ってるけどw


そうそう。そんなこともやりたいだろうよ。でっちあげてでも。
おばさんも書いちゃいましたよw
もう見え見えな感じだからな。

こんなとき、このおばさんの、確固たる平和感が、
あいつらにやられないで、したたかにいるコツだと思うんだ。
あいつらはもう余裕ない感じあるからな、

支持者が離れてきてるから助っ人まで出てきてフォローしているようだ。
もうむちゃくちゃやな。時の経過とともに真相は明らかになっちゃうのにさ。
告発もされてるし。
あいつらの変態虐待幇助のこの人も、有罪出たって。

あいつら、ここのところ、余裕がなくなってきている?w
今後も世の中がひどいことになればなるほど、みんながあいつらに気がつく。
あたしはこれがすべてだと思うんだ。難しいことしようとしなくとも。
みんなが気が付くだけでも、あいつらはいろんな謀略を好き勝手できなくなっていくから。
そして、はっきりいう人、まともなこという人が表に出やすくなる。
するとあいつらは最終的に、滅びるか弱体化するだろう。
だからそれまでは、やつらに振り回されないメンタルでなんとかしのぐことなんだ。
それは強く激しく戦う感じじゃないんだ。
そういうモードから離れて、のんきにいることだと思うんだ。
「のんき」という状態は、奥が深いんだ。

この年末年始を使って、自分自身をそんなモードにもっていくこともできるんだ。
例えば、
年末年始をハッピーに過ごすコツは、
いやな事、面倒くさいことをやめる、やめてもいいよって自分にしてあげることだと思うんだ。
やりたかったらいいんだけど。

お休みに入ったお父さんは、疲れがとれたら、
ふだんできないことをしたいという意欲が出て来るかな?
来年の抱負考える元気が出て来るかな?
そういう感じならいいんだけど、疲労感があるうちは、だらっとすることを自分に許すことだ。

正月だからあれやんなきゃと詰め込みすぎるお母さんは、
やんなくても大丈夫なことを見つけたらやめていい、あとでやる、先延ばしにするってことを自分に許すことだ。
もしくは疲れたら、ちょこちょこ休むってことだ。
これを心掛けるだけでもずいぶん心の平和が保てるんだ。

それで少し心と体が楽になったら、その余裕ある状態で、年末の空気を味わうことだ。
思考を止めて。
あれやんなきゃ、これやんなきゃと思ってるときは、味わえていない。感じていない。そういうモードだと思うんだ。思考に忙しくて。
思考と「感情を感じる」ことは同時にはできない私たちなんだ。
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だから、思考と「~なければならない」って考えるのを、ちょっと止める必要があるの。意識して。
で、年末年始こそは、身近な人といっしょに過ごすときだから、感情を豊かに、人と心が通うモードでいたいものだ。

てことは、思考と「~なければならない」って考えるのをそこそこにして、
時々止めて、ゆっくり休む、そして自分の心を感じる。
五感を感じるってことが大事だ。

ふだん食べないようなごちそうを食べるなら、「あ~幸せ」って味わうことだ。
じっくり。ゆっくり。
せかせかして、思考ばかりしてるとこれができないんだ。

だから思考が多すぎて真面目な人は、幸せを感じにくい状態であるともいえる。
感じることのなかに幸せがあるから。
思考を止めて、感じるってことを意識してやらないと、
いったいなんのためにふだんがんばってるのか、意味がわからなくなっちゃう。
幸せを感じられないし、家族とも心通う時間を過ごせなくなるから。

みんな、未来にゴールがあるような気がして、それまではと思って、
仕事を我慢してがんばったりしている。
いつかは楽になれるかなと思って、やりたいことを我慢したり、休むことをしなかったり。
でもゴールっていつだ?
今、幸せになることができるんだ。
今、幸せでなくて、いつ幸せや「楽」が来るんだ?
「今」の連続だけがずっとあるだけなの。
ゴールっていうのは思い込みなんだ。

だから「今」、ほっこり、じっくり、ゆっくり感じる。思考を止めて。
年末の雰囲気。おいしい。今年はなんだか寒いね~。でもみんながいてよかった。
元気なら最高、いっしょにすごせるなら最高って、しみじみ感じてみる。


昨日ね、久々ににぎやかな街に出たんだ。
それで家人が粉もんを食べたいというのでお好み焼き屋さんに行ったの。
開店まで少し時間があったから待ってたんだけど、
おばさんの前にいた家族がもめていて、おかあちゃんと娘さんがご機嫌ななめだった。

家族旅行で、ディナーに来たような雰囲気であった。

ふだんから話合えないのかもなぁ。お父さんがワンマンなのか?お母さんと娘が組んで、お父さんと戦うパターンかなぁと思った。

そういう家庭の定番のパターン、お家それぞれ、いろいろあるよなぁ。

おばさんは、そういう面倒なところから離れて、自分の感情や五感を感じている。
そして、相手の自由を認める。
いっしょにいるとしても、自分だけはそのモードでいるようにしてる。
おばさんの身内にも、しょっちゅうケンカしたり、人に当たり散らすヤツもおる。
昔はおばさんも若かったから、困ったもんやと心を痛めていたんだけど、
最近は「もめるのも、べつに自由でいいじゃない、好きにやったらいいよ」という感じだ。

相手の領域、自分の領域というものがあるんだ。
その人が決めて、その人が責任をとるならば、それはその人の自由なんだ。
あれこれ口出しすると、トラブルになる
んだ。
例えば、あいつらについて、ちっとも知ろうともしない人がいるとする。教えてあげても、うるさいなー、なに言ってんだ?という顔をされる。
そしたら、もうやめたほうがいいんだ。
それがその人の選択だから。
その人の自由だから。言いすぎると、その方の自由な意志を侵害してしまう。

もめるのも自由なんで、やめなさい、とか「おまえはあほか」と言ったりはしないんだ。
もめたいなら気の済むまで何年でも納得するまでやってみたらええ。

ふだんから相手の自由を認められない者同士が、長い休みや旅行などで、長時間いっしょにいると、まずもめるんだw

でもね、これはカンタンなの。
自分がだらっといることを許している人は、人のことも縛らないんだ。
自分を自由にしてあげるだけでいいの。そしたら人も自由でええねんと思えるように自然になるんだ。
これだけで、自分だけはそういうモードから抜けられる。
自分に厳しく、「~なければならない」と自分を縛っている人は、
人に対しても、あれこれ言いたくなるの。
自分に対する態度と人に対する態度は同じだから。

それで、相手がわがままだったりして不快なときは、
「あたしはあっちに行きますわ~」と別行動にしたりしてネコのように気ままだ。

普段から自分の「したい」という気持ちを核にして行動していると、あれしたい、これ見たいという欲求からの意思が出てくるから、自分の意思言って、したいようにするのが当たり前という感じになる

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すると、相手に振り回されなくて済むんだ。
支配的なやつやわがままなヤツに。
しゃべりたくないときはしゃべんなくていいし。
相手に合わせなきゃなんて思ってるとつかれちゃうし、それで相手が不快だとケンカになるんだ。
でも、最初から相手に合わせようと思ってないしw、
ひとりで味わっているだけで幸せなんだとわかってそうしていると、もめなくてすむ。
だから相手も好きにいたらええねんと思える。

これが、犠牲者意識から抜けている状態だ。

くっついてないのね。人と。

だから人ともめたり、闘うのが好きな人は支配者になったり犠牲者になったりして、人とくっついている、依存関係で自立してない状態だ。

いかにも強そうで、悪をやっつけてやるぜっていうモードの人は、けっこうあいつらの走狗であったりする。
現実世界もネット上も。家庭でもきっとこんな感じだろう。

あいつらから自立してる人はもっと軽いからさ。
そういうわけで、おばさんはすぐ見分けがつくんだw

そういう感覚の、わからない人は、
おばさんのような気まぐれなやつはヘンな人だと思うだろう。
それも相手が自分をどう思おうと、自由だからOKって思えるかどうかってことだ。

1人でも幸せ、相手と感じあえたならもっと幸せ。でも無理なときはさっと離れる。

こういうのを習得すると、自分がなにより楽で、
だんだん人は気にしなくてよかったんだと気が付く。
そしてつっかかってくる闘う人のメンタリティもだいたいわかるから、
そういう感じねwと
本当に気にならなくなっていく。


そんなふうに、昨日街で、いろんな人間模様を見ながら、
おばさんは平和だと、ひとり実感していたんだ。

家人もいたから、一人ではないんだけど、
自分の心の平和は自分で守れるし、
人に感情のおもりなんてしてもらわなくても、
こんなに幸せなんだよなぁと知ると、
相手にも「どんなでもいいよ」と言ってあげられる。
つまり自由を認めてあげられる。

こういうモードでいると、人ともめることがなくなっていく。
どんなでもいいよって認めてるからな。

どんな状況であっても自分を守れるという安心感と自信が出てくるの。

一言いうか、黙って離れる。
「今、これやってるから、あとにしてくれる?」
冷たいような、厳しいような、コワいような気がするかもしれないが、それが愛を守るということだ。
自分の領域を守る=相手の領域も守る、ことになる。


そういうモードでいると、あいつらが今後どんなことをしてきても
身近な人と平和に協力しあえるから安心だなと思える。

年末年始はそういう関係性をつくっておくチャンスだw

相手の期待に応えようと思わないほうが、結果的にいいことになるんだ!

またお嫁さんのほうも「わたしはこう思うんだ、こうしたいんだ」と言っていいのだ。てゆうか言ってくれ。ただそれだけだ。犠牲者タイプの人はなかなかこれができない。最初はちょっと怖いかもしれないけれど、自分の感情を感じながら、ぜひ言ってみてほしい。案外、その感情がちゃんと通じるのだ。それであっさり認めてくれたりする。(ムリな人もいる。その場合は距離をおいたほうがいい)
あ、こわくない!とわかる。それどころか、相手のやさしさが感じられてうれしくなったりする。
そういう経験が増えてくると、もしかしたら、いじわるな姑というのは、自分の心がつくった幻なのではないか、と気づくんだ。(仕事の上司などもいっしょだ。もちろんムリな人もいる)

そういう感じになっちゃえば、身内同士で協力しあえる。

来年は今年以上にいろいろ起こるかもしれないけれど、
それでも大丈夫だなという安心感と自信も生まれる。
なにより心が通う関係は幸せだから、精神的に潰れることがない。
心が潰れちゃうと、みずから破滅や崩壊を作っていってしまうからな、人間は。
あいつらが崩壊するより先に、自分の心がつぶれちゃうなんて残念すぎるからな。

でもそんなところから抜けるのは、案外簡単だってことさ!



心のフィルター

2021-12-24 14:01:02 | 心の解放シリーズ

誰にでも心のフィルターってもんがある。

人間なら、全くない人はいないだろう。

この心のフィルターを通して、物事を見ている。誰でも。

例えば、今なら、なにが起きているか気づいている人なら、
なんとしてもあいつらを打倒してくれなきゃ困ると思うだろう。
これ以上好き勝手やられてワクチン強制接種なんかされたら、自分の体も命もどうなるかわからない。

私自身もそう思っている。

こういった、願望、心の執着、自分のこれまでの経験からの実感、こんなフィルターを通して、世の中を見ている。

今、すごい世の中になってきちゃっていて、そんな強烈な願望があっても当然だし、いいんだけど、
それでも客観的に冷静に、起きている事実を、小説のあらすじみたいに把握するって視点を忘れると危ないと思うの。
客観的事実のみを実況中継するように。


こういう自分のフィルターをちょっと外して客観視することなしに、
「なんとしてもあいつらを倒さなければ!」とか
「いつも攻撃してくる工作員をやっつけてやる!論破してやる!」
とかの
自分の切実な願望や執着
②闘う、許せないという感情
にのまれている感じだと
大事な情報を見落としたり、ひどいデマに騙されてしまうことになりかねない。

そして、ネット上には、そういったみなさんの切実な願望を満たしながら、
根拠のない情報を撒き散らす工作員がご活躍だ。
「もうすぐトランプさんがみんなにカネを配ります」とか。。。
(ガス抜きともいう。素性をちょっと調べると、自民党の関係者や石原氏関連の芸能関係者やら統一教会、中国共産党の工作員もいる)
こういうのにハマるだろう。
絶望したくない!という強い思いが、心のフィルターの詰まりとなり、客観視できないと。
こういう工作員に、フォロワーもいっぱいいて、日本人、大丈夫かなと思った。
厳しい現実から目くらましする役目もあるからな。。。こういう人たち。

でも、こういうのに騙されたと気づくのもまた勉強だ。

結局自分で情報を取捨選択して、心で感じながら、自分の頭で考えるってするしかないんだって。
だれもあてになんないんだと悟って、自立していくのなら、悪いことではないと思う。
気づいて自立していくプロセスだ。

心のフィルターは誰にでもある。
けど、世の中がカオスになれば、より自分のフィルターのままに突っ走る方が増えるだろう。ここにあいつらがつけ込んでいる。
絶望したくないから、ウソでも騙してほしい・・・。こういう心理ね。
ホストにはまる女性みたいなw。

ひっかからないコツは、自分のそんな感情を感じ切ってあげることだ。
例えば、おばさんは、最近、悲しみが止まらなかった。
この記事を書いたあと。
多くの人に起こること、自分の身内の接種者に起こること、
元に戻るのか?いろいろ考えたら、悲しくなった。

悲しみが止まらない 杏里  

えらそうに

なんて言ってたけど、悲しいもんは悲しい。絶望も感じた。

こんなときは、出てくる感情を感じ切ってあげることが大事なの。
そうしてそのあとにたどりつく境地があるんだ。

悲しみとか怒り、恨み、つらみ、マイナスの感情はついつい抑えたり、無視したりしがちだ。そうではなく、意識して見てあげる。腰を据えて、向き合ってあげる。
感じてあげる。これが大事なの。
(一番多くの人が抑えているのが、親への恨みだ。そんなのいけないと思って無視して見ないようにしている。すると自分も親と同じような親になる。同じことを自分の子どもにする)

思う存分悲しむの。すると、不思議なことに、だんだん落ち着いてくるの。

すると、やっと、物事をクリアな視界でさっぱり客観的に見ようかなって気分になってくるんだ。

客観視するなんていうと、クールに感情を排除しなければならないと思うだろう。
逆だ。
感情を感じきってあげてないから、心のフィルターが詰まりまくっている状態で見ることになるんだ。

だから、適切に見ることができないんだ。洗脳もされるんだ。だまされるんだ。

で、心が落ち着いて、実況中継のように起きていることを客観視できたら、
今度は、「相手(あいつら)の目的はなんだろう」って感じるの。
相手の目的も、自分の感情を感じていないとわかんないの。思考だけでは。
だから思考だけの人はカンタンにだまされるんだ。
(思考だけで感情を感じていない状態だから、つまり自分への愛情不足だ。こういう方が多い。これだと工作員にも主要メディアにも洗脳され放題だ。ホストにも搾取され放題だ。全部、自分への愛情不足が原因だw)

「相手の目的」を感じるってことができるようになると、あいつらがやってることの意味がわかったりするの。
ふつうの人間関係でも傷つきにくくなっていく。
相手の意地悪な目的がわかって、そういうのもかわせるようになるから。

そして過去のいろんな出来事と繋がったりするの。
あぁ、あれはそういうことだったのかって。
そして、これから先に起こることも、ある程度、読めたりするの。

そんなにも大事な感情であるにもかかわらず、
日ごろから、自分の感情を抑えて生きてる人が大半だ。
抑えなければ大変なことになると思い込んでいる。
そして感情の力を知らない。

感情を抑えてもムダなんだ。
抑えてても、感情はつねにあるわけだから、しらずしらずのうちに、それに振り回され続ける。
そして似たような問題を量産していく。
なんでそうなるのか、本人は分からない。
感情を抑えて、感じなくしているからなおさら。
でも、感じてあげると、苦しい感情も昇華されていくんだ。
無視していると苦しいのが滞るんだ。
感情は、なかなかのエネルギーだ。
自分の感情の実感が自分の現実を作っている。
(プラスの感情は、すごいパワフルだろう?いくらでも前向きに運ぶ力がある。
マイナスもまたパワフルだ。無視してると破壊的な方向に行くけれど、感じてあげることでちゃんと癒されるの)
だから、無視して感じないで、抑えてると、危ないの。
苦しくもなる。
こんなふうに生きている人は、心のフィルターも詰まっていく一方なの。

心の安心を得るためにネットを見る人も多いだろう。
希望の持てる情報がほしくて。
でもその際、自分のマイナス感情にのまれている状態だと、それを満たしてくれる、あいつらのウソツキ工作員の餌食となる。
適当なところで、あいつらを支持するよう誘導を入れてくる。
ひどいことやられているのに、救世主だと刷り込まれる。

でも、自分で自分の感情のおもりができていないから、
そういう工作員がウソをささやいて代わりに、ウソ情報で励ましてくれるわけだ。
癒してくれるわけだ
工作員もニーズがあるから活躍できる。

世の中の闇や悪を言う前に、自分の心の闇をしっかり見てあげることだ。

これからすごい世の中になって、それでもこういうのを妄信する方が多くなると、これから大変だろう。
こういう方が多いと、あいつらは羊たちの面倒を見るためとばかりに、
これからも工作員もたくさん送り込むだろう。
よって世の中がなかなかよくならない。
民意が自立して賢くなることでしか、あいつら打倒はムリだから。
なぜなら
人々と支配層の意識の綱引きで、社会が決まるから。
人々が自立してくれば、あいつら退治が少し見えてくる。
自分が自立することなしに、ただ救世主を待ち望む。
これもまた依存だ。他力本願だ。だからあいつらに支配されっぱなしなんだ。
だから似非救世主が出てきてしまうんだ。
だって人々がそれを望んでるんだもん。

トランプさんを支持されている人の多くは、トランプさんがDSを打倒してくれることを期待して応援してる人が多いだろう。
私も不正選挙のころは期待して応援していた。
あのときは、不正を覆して、ワクチンを止める最後のチャンスだった。

最近、トランプ支持と反ワクチンを打ちだしている、フォロワー多数の大型アカウントの方が言ってることを聞くと、
トランプが救世主というのが前提になっている。
状況がどうであろうとトランプさんを応援するというのを決めているわけだ。
彼のしてきたことなどの客観的な事実を無視して支持というのは、、
独裁へ導いてしまうように自分には思える。

独裁者が出るかどうかも人々との意識の綱引きで決まる。
今後出て来るかもしれない独裁者は、人間かAIかわからないけれど。
ヒトラーそっくりのメルケルさんが言ってたではないか。

ホロコーストQ & A より
「ナチスの政権獲得から80年にあたる2013年には、
メルケル首相が次のようなスピーチをしました。
『ナチスが生まれたのは、一部のエリートだけの責任ではない。
だまっていた市民にも責任がある』。」

おまえが言うな、と誰もが思うけれど、
これではまたこう言われてしまうだろう。あいつらに。
「おまえたちが望んだんだろう?」と。
「たとえ、ワクチンを推進してたくさんの人が被害にあおうと、
陰でネオナチの都合のいいように便宜をはかって、
社会の分断をつくり出し、恐怖社会になろうと
救世主だと言って支持したではないか」と。

そのウラには、「絶望したくない、希望を持ちたい」という人々の切実な願望と依存、他力本願が隠れている。
だから、「彼こそがDSを退治してくれる人だ」と、そうでない事実が出てきても言い続けている。ニーズがあるから。
しかし、こういった状態でも支持という結論に持って行くためには、
詭弁をでっちあげるしかない。
ここで、DS打倒を渇望するみんなの喜ぶデマやプロパガンダ、詭弁をでっちあげる。
こうしてみなさんの心のスキマを埋めて差し上げる。

絶望したくない思いばかりが強すぎると、こういうのに依存していく。
それがフォロワー数にあらわれている。

こんな感じだから、
自分たちで問題を解決するために、具体的にどうしようか?という視点が、なかなか生まれないんだ。
だからよけーに絶望していく。当たり前だ。
みずからが、あいつらやその工作員に依存して、心のスキマを埋めてもらってるようでは
まず、起きていることが把握できない。
当然、
自分でできることは?
解決するには?
という方向に行くことはない。
誰かがやってくれる、退治してくれー!という他力本願なわけだから。

よってどんどん、DSの思い通りに洗脳もされるし、やられてしまう。
DS打倒を望みながらも。

あいつらきっと、羊たちバカだな~って思って見てるだろう。

自立するしかないんだ。
少しでも今という時を、被害少なく、無難に乗り切りたいのなら。

そのためには自分の感情のおもりは自分でする。

それからさっぱりした心で客観的に物事を見る。

それから責任に照らして、問題の根本原因を探る。
そこでやっと問題解決が見えてくる。

そうしていると、へんな工作員のお花畑トークなんて聞いてるヒマないし、つまらなく感じると思うけどね。

だから、ここが出来ていない人とは、建設的な話ができない。話も通じないんだ。

コロナとワクチンで、あいつらに気づいた人も増えたけど、
初心者のみなさんは、こういうのにはまってしまう方が多いみたいだ。

やがて己自身も工作員のサポートをするようにもなるだろう。
言論がやつらの受け売りになるだろうからな。
するとどんどん話が出来なくなっていく。

あいつらがへんなことやっていることに気づいたのはいいけど、
周りに注意喚起して嫌われる人が多いというのを主要メディアが報道し、
バカな陰謀論者とレッテルを貼り、叩いているけれど、
客観視がいっさいない、お花畑プロパガンダをいきなり人に話せばそうなるだろう。

こういうお花畑陰謀論と、今実際に起きていること、証拠が出ていることと、分けて考えないと、そりゃトラブルの元だ。

実際に起きている、証拠あることであっても、相手が嫌がっているのに押し付ければトラブルになる。

お花畑陰謀トークもあいつらの手下がやっているわけだけど、
それを他人に押し付けてトラブル起こした人を叩いているのもあいつらだ。
こんなふうに永遠に罠にはまり、叩かれの繰り返しだ。

だから、今、人々の認識が本当にいろいろで、プラスの関わりやコミュニケーションが難しい。
前からあまりできていなかった我々だけど、さらに難しくなった。

それでも自分が自立していく方向にいれば、いつか同じように自立されている方と、繋がれるかなと希望をもっているけれど、今はまだ難しいと感じる。

自立されている方は、人と100%意見が同じなんてことはありえないことを知っているから、さっぱりしている。
相手の自由も認めているし、自分自身も自由だ。
そして丁寧に物事を立体的に感じて見ているから的確で、おもしろい。
だからさっぱりしているけど、仕事ができる。心も通じ合う。
だから問題を解決するにはどうしようか?という話ができる。

一方で、依存や支配に生きている人は、見方がザツだ。
ザツな見方にプロパガンダをくっつけて拡散。
すぐ闘うし。支配してきたり、依存してきたり、関わるとつかれる感じだ。
エネルギーを奪い合う関係だ。
そして物の見方も平面的。薄っぺらいからつまんないのね。
でも、こうやってお小遣い稼いでいる工作員もいる。
そしてトラブルも多い。
もー、これだと無意識にあいつらの走狗として役目を果たしていくだろう。

医師や専門家であっても例外でないだろう。
こんなのがネット上に跋扈しているな。
それをみんなが批判。毎日こんな感じだ。

批判は、よい。誰も批判しなくなったらおしまいだろう。
でも過度に激しいのは、問題の解決ではなく、「闘うこと」が目的になってしまっている。
自分の切実な願望や執着
②闘う、許せないという感情

この2つめだ。
闘う意識もまた、のまれてしまうと、ごっついフィルターとなり客観視できなくなっていく。

これもまた、怒りは当然だ。
身内がなにかあったり、医療従事者の方、商売を妨害された方、、、怒りを感じて当然だ。

これも当然なんだと、自分の感情をしっかり感じ切ってあげてくれ。
私も怒っている。みんな怒っている。
怒りの感情がたまっていると、関係ない人に仕返ししちゃったりするの。うっぷん晴らしともいう。こういう関わり方も依存、支配だ。
そこが解消されてくると、ニュートラルな視点が帰ってくるはずだ。

自立している人はね、自分の考えは言ったらおしまいで、
意見の異なる者を攻撃したり、人とやりあったりはしない。
そういう人は問題解決に焦点が当たってるから、建設的な話をしたい。
攻撃なんて意味ないと知っている。
そして問題を的確に捉えている一方で、こうしたらいいのでは?という解決策や希望もちゃんと見えているから、関わってて楽しい。希望が湧く。
しかしまだ、そういう話ができる人は、そう多くない。

少し気づいていて、闘う姿勢で発信している人はわりとおられる。

でも、これだと戦って勝つことが目的になっている。
そうではなく戦いから降りて、自分の心を見てほしい。
でないと、問題解決までたどり着けない。
フィルターの詰まりは自分の心を感じてきれいにしてあげないと、だんだん客観視できなくなっていく。
相手に勝てば、一瞬すっとするかもしれないけれど
フィルターはきれいにならないんだ。
感情が残っていて、闘いから降りないかぎり、また似たような敵とやりあうだろう。

そして、
いつまでもニュートラルな心で物事を見ることができないだろう。

敵の言うことに、大事な情報があっても受け入れないだろうから。

闘いから降りて初めて、「敵だ」「味方だ」という認識をとっぱらって、ニュートラルな目線になる。
そこでやっと客観的に情報や物事を見ることができるようになる。

だから闘いから降りないと、あいつらに勝てないだろう。
闘って、消耗するだけで終わるだろう。

多少、周囲に問題提起や情報発信はできるけれど。
そこで終わってしまって、人々を救うまでいけない。

最近の勇者たちを見ててそんなふうに思った。

また、
ちょっとこっちの意見を言っただけで、自分が批判されたと受け取る人も多い。

とくに年配の男性に多い。おばさんの周りね。

これだと建設的に話合うのはムリだ。

これは、離れるしかない。

プラスの関わりがムリだからな。

相手が自分と同じ意見でないと許さん、ぷんぷんっていうのはさw

自立できないだろう、いっしょにいたら。
従うか、争うか、しかないからなw

いろんな意見でいろんな生き方があってOKって前提がなく、
自分と違すぎる人に出会うとどうしていいかわかんなくなっちゃうのねww

これだと、家族とも子どもとも職場でも、支配関係しか築けないだろう。
そしてそうなっていて、問題が解決できず苦しいだろう。

でもそういう人は根性だけはあったりするw

だからワクチンのことなどは、当然話しても通じないけど、
きっとこの人は何か起きても気合いで生き延びるんだろうなぁと思った。

だから悲しみが止まらなかったおばさんなんだけど、止まったのねw

厳しい生き方がしたくて、根性だけはあるんだから、
あんたはなんとかがんばればいいねってwww

本当に、人はいろいろだ。
そして、こんな時代にあっても、本当は自由だ。。。

今のこれも、ひとりひとりのこれまでの選択の結果だ。
それがカタチになっているんだね。


















検査しまくる作戦みたいだな。監視管理社会・世界政府に向けて/冬の健康対策/絶望は思考の作り出す幻だ!w

2021-12-18 08:23:24 | 心の解放シリーズ
あいつら、オミクロンでまた騒がせたいんだね。
オミクロン出ましたって最初の報道を見たとき、
「まーた年末年始に向けて仕掛けてきたな」って思った。
だいたい今までもGWとか長期の休みを狙って仕掛けてきてたからさ。
自由に移動をさせたくない。
みんなで集まって、心温まる楽しい時間を過ごすのを妨害したい。
集まって情報交換して、多くの人が謀略に気づいちゃって団結して抗議されたら困る?w

けど、弱毒で、みんながあんまり心配ないと気づいてきちゃってて、
どうすんのかと思ってたけど、検査させまくる作戦みたいだなw


2021年12月14日
 東京都医師会の尾崎治夫会長は14日の定例記者会見で、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」への対策として、ワクチンの2回接種と併せて、抗原検査やPCR検査で陰性を確認する取り組みを進めるよう提唱した。複数人での飲食など、感染リスクの高い行動を取る場合は、ワクチンの2回接種と、検査による陰性確認の両方を終えていることを条件とするよう呼び掛けた。

ワクチンを打ってようがいまいが、検査をしまくりたいようだ。
ワクチン皇帝もこう言っている↓
12/16(木) 18:55
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は最近、「パンデミックの急性期は2022年には終わるだろう。世界は潜在的変異株に対処する準備がいつにも増してよくできている」と付け加えた。 ビル・ゲイツ氏は、コロナがインフルエンザより約10倍致命的だが、ワクチンと抗ウイルス剤がこの数値を50%減らすことができると推算している。

重症になるコロナは来年でおしまいにするけど、これからも変異株でおどかして、ワクチンと抗ウイルス剤でおさえましょうってやるつもりなんだなと思った。
こういうやつ↓で。ファイザーも飲み薬出すって言ってるね。

アメリカではオミクロンの感染者の8割が接種した人だったという。
ワクチン打っても感染するんで、検査しますってしたい。
これは、あれにつながるんだと思った・・・
今年6月ごろにアメリカがこういう法案↓をやろうとしていると聞いた。

(引用記事より)
我々は先に、将来のパンデミックの取得することができますので、新しい疾病の発生を報告するための体制を整備していることが必要となります。この法案は、ータを収集し、傾向を特定し、流行を特定し、病気の監視を提供するための国際的な「センチネル監視」システムの確立を要求します。各国は、すべての新しい症例を 3 日以内に報告する必要があります。この法律はまた、連邦政府に、外国の国々がこれらの目標を遵守することを奨励し、悪質な行為者を罰するために必要な手段を提供するでしょう。
この法律は、パンデミックにつながる健康問題の発生について国際社会を意図的に誤解させた
国々の主権免除を剥奪することも認めています。米国市民は、損害賠償のために米国の裁判所で外国に対して訴訟を起こすことができます。

パンデミックを口実に、ウイルスの監視管理を強化し、国の主権をはく奪する法案だ。

現状を見ると、
「結局ウイルスはゼロにはならないから、監視管理は必要だよね」という口実と、
中国共産党の責任追及を口実に、
二度とこういうことをやらせないために、アメリカで監視管理を徹底する法案を提出すると言ってた。他国にもこれをやらせるという内容だった。
国際疫病永遠発生予防法案(Never Again International Outbreak Prevention Act)」
だからなんでも口実にして、支配管理を強めようとしている。

この法案はまだ成立はしてないようだけど。
2021年11月9日
最後に、共和党が主導する上下両院の並行法案は、中国がCOVID-19の起源を調査しなかったとされる国営中国科学院の関係者に制裁を科すものである。これらの法案が支持を得る可能性は低いが、下院の別の法案である「二度とない国際的流行防止法」は初期の段階で超党派の支持を得ており、公衆衛生上の緊急事態に関する情報を意図的に隠したり歪曲したりした外国政府関係者に対してより広く制裁を課すことを可能にするものである。

で、最近、WHOがパンデミック条約を作ろうとしていることが判明した。
これもパンデミックを理由に国権をはく奪する条約だ。

アメリカ、WHOともに、世界政府、監視管理社会にむけた流れだな。
このために、オミクロンを口実に、検査しまくる方針を打ち出しているんだなと思った。

てわけで、あいつら、これからもずるずるコロナ騒ぎを続けたいようだ
お正月もさ、

あ~、音楽家も来られないのね。
おばさんは音楽が好きなの。
こういう感じだと、音楽を楽しむ雰囲気じゃなくなっちゃうよね。
だんだんあのころに似てきちゃってるじゃない。

でもオミクロンは弱毒。
マスコミがつくり出す雰囲気に騙されて、
社会の雰囲気に同調して気持ちまで沈むことはない。

ワクチンを接種された方は不安かもしれないな。
免疫が低下すると言われていて、それが起こりつつあるような報道が見られる。

正直、こわいことを考えればキリがない。そういう情報もある。
来年はいったいどうなっちゃうんだろうと。

でも、わかんないよ。
仮にあいつらが人の免疫がなくなるように作っていたとしても、そのとおりになるかどうか。

とりあえず、この冬を乗り切りたい。

免疫が落ちている私たちだ。

たしかに接種された方は感染しやすいかもしれない。
でもオミクロンは弱毒。
3回目、ブースター打たなくて大丈夫だと思いますという先生の動画。

追加接種しなければ、免疫はそのうち復活するかもわからない。
大丈夫になっていく可能性のほうも忘れずにいたい。

あいつらの謀略的には追加接種させまくって、数年かけて免疫をなくしていくとしたいんだろう。
でも人間の体の元に戻そうとする力、無難にバランスをとろうとする力。これもあなどれない。
遺伝子が変わっちゃう可能性ももちろんある。遺伝子ワクチンだから。
でも残っている自分の遺伝子ががんばってくれるかもわからない。

謀略的にはわれわれを人間以外のものに、トランスヒューマンにしたいんだろう。
でも人間も地球の一部。壊されても調伏する力がある。

この戦いだ。
病の恐れ、洗脳をあおって、自然の力を壊したい勢力
VS
元に戻そうとする、バランスをとろうとする私たちの自然の力。

そして、接種していない人も、コロナに感染したことがあれば、ちょっと分からない部分があると思う。(知らずに感染してるかもしれないわけだけど)
なぜならコロナの遺伝情報のなかにHIVのタンパクが入っているというからだ。
(ツイート添付動画より。記事↑にリンクあり)
リュックモンタニエ氏:HIVのウイルスの研究をされてノーベル賞受賞した権威ある博士。
ウイルスの遺伝情報のなかにHIVのたんぱくが入っているにはどういうことだ?
だから人工ウイルスだ、と言っていた。ウイルスの遺伝情報のなかにHIVの遺伝情報が入っているわけだ。
そのHIVのたんぱくが挿入されたウイルスの遺伝子情報をもとにして作ったmRNAワクチンが作り出すスパイクたんぱくっていうのは、本当に大丈夫なのか?
ワクチンを接種することによって我々の細胞のなかにHIVの遺伝子情報が入り込む可能性があると。
それがヘタすると免疫不全を誘発する可能性がきわめて高いと。つまり免疫機能が破壊されて、些細な病気でヘタすると死に至る危険性をはらんでいると警鐘を鳴らしている。

だからねぇ、遺伝子組み換えは起こらないといわれていたんだけど、それはワクチンのmRNAは3,4日で分解され、自分の体が作るスパイクタンパクも2週間で消失するという前提のもとに言われてたわけだよな?
でも5か月後もスパイクタンパクがあった。。。
こんなに長期にわたって残ってしまうのならば、やはり逆転写で体内にスパイクタンパクの遺伝子が組み込まれる可能性が高いのではないか?
体内に逆転写酵素があってそういうことが起きていると論文が出ているからな。

だから接種していない方も、みんなが全体的に免疫が落ちている可能性があると思うんだ。

私自身、昨年2020年の6月ごろ、コロナとおぼしき症状にみまわれた。
そんな季節に風邪ひいたことは、今までなかった。
その後数か月間、治ってからも喉が定期的にイガイガしたりを繰り返し、だんだん消えてきたけれど、こんなふうに長く体内に潜んでいるならば、ちょっと遺伝子を変えちゃったり、免疫を低下さている可能性もあるんだなと思った。

あまり心配はしていないんだけど、接種していなくても、やはり免疫強化につとめたいもんだなと思った。


〈最近のおばさんの体調管理法〉

やっぱりね、食べ過ぎてると、免疫も落ちるんだなと実感しているの・・・w
最近パンにはまって、よく食べてたの。
ハマる前は糖質をほとんどとらない食生活だったの。
それでハマって食べてたら、やっぱり体が重くなってくるのね。
頭の回転も悪くなるの。
私の場合、糖質制限してたほうが、体も頭も軽くて元気なの。
(中年以降は糖質、炭水化物はあまりいらないみたいだね)
で、食べ過ぎていたら、昨晩悪寒がしてね。
葛根湯を2袋飲んで寝ました。
これはDr.Yさんが教えてくれた方法だ。
これ↑を書いたころは市販薬でサイトカインを起こす可能性が指摘されていたので
その注意喚起を書いたけど、今はもう大丈夫ではないかと思われる。
でも漢方のほうが自分は体にやさしい気がするので、最近は漢方薬です。

そしたら朝起きて、元気です。
今まであまり風邪ひかなかったんだけど、体がよごれてくると免疫も落ちるのかもなと思った。腸と免疫と関係あるっていうもんね。

そして、コロナが心配なときは荊芥連翹湯を飲んじゃうと安心かと思います。

「入れる・出す」の両方がちょうどよくできていると、体も快適で、免疫もあがるはず。
私は、デトックスや少食はわりと今までやってきているんだけど
それだと、栄養を入れるほうが足りなくなったりするのね。

私の場合は、あまり肉類を食べなくても平気なたちなんだけど
どうしても鉄分が足りなくなるのね。
それでヘム鉄のサプリメントをとるようにいたら、調子がいい。
(女性はたいてい足りていないというから、ベジタリアンの方でもし不調があれば、鉄不足、あるかもな。それでおばさん、最近は肉も適量とるようにしてます。
植物性の食べ物にも鉄は含まれているんだけど、吸収が悪いそうだ。
それで、動物性のヘム鉄を飲んでいる。鉄不足は心の安定とも関係があるそうだ。うつっぽい方は鉄不足もあるかもしれない)

そして、ヘム鉄をとるようになったら、なぜかお通じもよくなってね。
胃から鉄の吸収を促進する物質が出ていたり、胃酸(塩酸)に鉄分の吸収を促進する働きがあったりするらしい。
胃の調子がよくなったのかもしれない。
すると腸もつながっているわけだから、関係してくるのかもしれないなーと思った。
こんなふうにうまくツボにはまると、問題や長年の体質があっさり解決しちゃったりする。

私はたぶんSIBOと言われる状態なので、サツマイモとか果物の糖質や食物繊維をとりすぎると、かえってダメなんだ。

こんなふうに人によって、よいといわれる健康法が当てはまったり当てはまらなかったりがあるから、自分の体を研究して、快適にしてあげたらいいと思うんだ。

てわけで、やっぱり食事と適度な運動が免疫には大事だなと思った。

そのうえで、鼻うがいを相変わらずやってます。
最近は習慣になっちゃって、やらないと気持ち悪いのね。

で、体調があやしいと思ったら、はやめに市販の漢方薬を2倍量飲んじゃってます。

重曹もアルカリなわけなんだけど、体が酸化してるとよろしくないのね。
肉、油、糖質が多いと、酸性によりがちだ。体が炎症しやすい、病気しやすい状態だよね。

あと最近、スピルリナという葉緑素のサプリメントも飲んでます。
これも体をアルカリ寄りにしてくれて、葉緑素がデトックスに役立つと思います。
栄養も豊富だし。
今後、食糧不足になったときに備えて、備蓄にもいいかなと思ってね。
野菜はなかなか備蓄がむずかしいから、こういうのをちょっと買いだめして、
日ごろから飲んで循環させてます。賞味期限あるからね。
あと、パスタと缶詰を備蓄してます。
パスタは数時間水につけておくと柔らかくなって、ちょっとフライパンで加熱して水を入れて煮ると、カンタンに食べらて、非常時によいかと思ってね。
この方法だと茹でなくて済むから楽だよ。
備蓄もインスタントばかりだと体がつらいのでね。
------------------------〈健康のお話、ここまで〉

こんなふうに自分の体をいろいろ研究して、快適にすることに成功すれば
免疫もあがっちゃうだろう。
みんな体の状態が違うから、ぜひご自分に合った方法を探してみてください。
仮に、よくないもの(あいつらウイルスとかあいつらのやばいお薬とか毒素とか農薬とか添加物)が入っちゃったとしても、ちゃんと出す力もあるからな。
生きていれば、体調が悪くなることもあるけど、うまくツボにはまって復活して元気いっぱいになることもあるんだ。
年は関係ない!おばさんは若いときより今の方が元気だw

とりあえず今生きてるなら、命ある限り、生きていくわけだ。

絶望することもあるかもしれないけど、絶望とは、自分がそう思っているだけであって、本当に望みが全然ないかどうかは、わからないんだ。
また、自分が頭でこうしたいとか、こうだったらいいのに、と希望していることが本当にベストかどうかもわからないんだ。

そういうのを、いったん置いといて、思考をやめてみる。

絶望とは、思考の作り出す幻かもしれないんだ。
当たってないかもしれないんだ。
そして、人間の思考とは、あまり賢くないんだ。
堂々巡りで問題解決にたどりつけないの。
問題が解決するときとは、思考をやめて、感情にかえれたときだったりするの。
あー、おこるべくして起きてたんだ。って自分の感情に戻った時に気づいたりするの。
すると自分や他人を否定したり責める必要なんてなかったんだと気づくの。
自分のことをダメだと思ってたけど、意味があってこうなってたんだって。


つまり自然がいいの。なんでも。自分の心も、体も。
自然の状態に、あるがままに戻れたとき、ちゃんと癒されるの。心も体も。

だから、自然にいることこそ、あいつらに打ち勝つ秘訣だ。

自然にいるとき、楽なはずだ。だから、楽にいることなんだ。
すると勝手に元気になる。今のあいつらの暴走する時代も乗りきれる。
がんばりすぎ、自分をいじめすぎなんだ、多くの人は。
これだと、安全性がわからないワクチンでこわくても、打たなきゃいけないような気分になる。
結局、人は自分の感覚になじむ選択をしてしまうものなんだ。
頭で考えて不合理であったとしても。
今も、戦時中も、そういう方が多く自ら犠牲になる選択をしたと思うんだ。
多くの人がそういう状態になってしまい、それが集合意識になってしまうと、
大変な社会となる。

思考を止めて、感情や五感を感じているとき、自然で、楽だ。
あるがままの自分だ。
このとき、愛の状態だ。思考は支配の状態だ。
そして、感情や感覚にいるとき、直感が冴え渡っていく。
あいつらの謀略もすぐわかる。
野生動物が人間よりおりこうなのは、こういう状態だからではないだろうか?
私たちも、野生モードに意識して帰ることが、体も心も元気にいる秘訣だ。

どうしても年末は忙しい。やることがいっぱいで。
だから意識して、しんどいことをやめてみる。
なるべく楽にいる。そのほうが家族ともいい時間が過ごせると思うんだ。
(おばさんは年末の大掃除はやらないの。わざわざ寒くて忙しいときにやらなくても、あったかい季節にやればいいかなって思ってw)

今を味わうの。
それは具体的には、めんどくさい思考や仕事を止めて自分の感情や五感を感じている。つかれたら、休む。
なるべく気持ちいい場所にいようって。自分の心地よいようにって。

そうしていると希望に気づいたりもするんだ。
プラスに焦点が当たってくるんだ。
思考では絶望していたのに。
頭で、未来はどうなるのだろうかと考えてもいいけど、それは未定だし、思考のつくり出したものにすぎない。
思考は過去に行ったり、未来に行ったりする。
だから思考が過剰だと、だんだん「今」にいられなくなっちゃうんだ。
(楽しくないのね、これだと)

「今、どうするか」、この選択で、未来も変わっちゃう。
過去も未来も変えることができないわけだ。
「今」しか変えたり選択したり、扱うことができないんだ。

だから、今、自分の感情に戻って、楽に、心地よくいるってことなんだ。

例えば、ワクチンやコロナで絶望していたら、それをちょっと置いといて
上記、書いたような自分の体が楽になる食べ方を研究して試してみたりしてみる。
で、めでたくツボにはまって、体が元気に快適になったとする。
そしたら、なんだか大丈夫かもしれないなって気になっていくと思うんだ。
実際そうなる可能性が高まると思うんだ。

個人レベルではこういう感じ。
そして、ひとりひとりの意識が、集合意識というものを作っている。
これが社会もつくっていく。

そう言う意味で、おばさんがうれしく思うのは
最近、憲法改正について建設的なお話をする人が増えてきてくれたことだ。

右翼の工作員と思しき人が、「みんなが改憲の危険について教えてくれたおかげでわかったよ」、とつぶやいていた。
そして、人権削除について、97条は削除されるけど11条は残ってる、この意味は?と質問されていて、詳しい方が返信してくれていた。

これが、おばさんはうれしかった。

右翼の方は、本音では改憲推進したいはずだ。本当は改憲のワナも知ってて、知らなかったフリしてる可能性もあるw

でも、みんなの声や問題を無視して推進しちゃうと、フォロワーさんが減ったりバッシングを受けるだろうしムリやろなと悟ったと思われる。

以前のような、中身の話をせずに「改憲反対は売国奴だー!」みたいな薄っぺらな攻撃的な感じではなく、ちゃんと中身を見据えた話が増えてきている。
そうすると攻撃したり戦ったりする感じではなくなっていくのね。
「あー、なるほど。そういうことか。教えてくれてありがとう」ってなっていくから。

教えてあげてる人も改憲に詳しい方で、ふだんはツイッターで激しく改憲に反対しているんだけど、
とても親切に説明してくれていた。
おばさんはただそのやりとりを目にしただけなんだけど、
ネットの交流もすてたもんじゃないなと思ってね、これなら希望があると思ったよ。

この流れが大きくなっていくと、あいつらはもう、思い通りにできなくなっていくの。

こんなふうにみんなが自分で調べて、わかったことをマイペースで発信している。
教え合う。そこに攻撃したり戦うような意識は皆無だ。
こんなふうに、平和的にあいつらのたくらみが共有されていくと未来が変わるんだ。

工作員もいるけれど、みんなの意識が変わるとこんなふうに変わらざるを得なくなるのね。
だから戦わなくても大丈夫なの。ほっといても大丈夫。
ただ、自分が意見や思いを楽に発信する。このくらいのほうが広がっていきやすいの。思いや意識が広がるのね。戦わないで、楽な方が。
継続もムリなくできるしね。

こんなふうに、民意が平和的におりこうになっていって、
あいつらのいろんな謀略がうまくいかなくなっていくと、
だんだん今まで妨害されていた心ある人が表に出てきやすくなる。

すると、ワクチンの問題も解決される可能性が高まっていくと思うの。

知恵ある人が解決策を考えてくれて、
それが妨害されることなく表に出てこられる可能性が高まっていく。。。

こんなふうに、一見関係なさそうにみえることも、すべて繋がっているんだ。
健康問題と改憲のツイッターと。。。
すべての物事は人々の意識がつくっているって視点で見れば。
いろんな分野のいろんなことが、同じパターンで展開されているものなの。
で、意識が変わると、パターンも変わるの。

すこしずつ、おりこうで平和で、人と人が心通い合うパターンに変えていくことができるの。

個人レベルで、楽で平和なほうに多くの人が行ければ、集合意識も勝手に変わるの。

だからおばさんは、今はあいつらが暴走してるから仕方なく、
こわいことも書くんだけど、あまり書きすぎなくてもいいなって最近思うの。

プラスとマイナス、両方、つねにあるのね。
希望と、マイナスに行く可能性と、両方の可能性がある。
だから絶望とは、片方だけしか見てないから、思い込みであるともいえるの。
両方を見たいの。
そしてプラスの方に行くには、今を楽に味わって、感情や感覚を感じているってことなの。
すると、もっと快適にするためにこうしようって行動するようになっていくの。
その元気もだんだん自然に湧いてくるの。
(まだ行動したくないなら、まだ休む必要があるってことなの。それが自分を愛するってことなんだ。)

すると、今はまだ小さいかもしれないけど、このプラスの方に焦点を当てて、豊かにしていけばいいのねって、マイナスから抜ける道筋がわかったりするんだ。

みんなの、ひとりひとりの意識がたよりなんだ。
自分ひとりではどうしようもないってのは、だれもが同じなんだ。

でも人の意識って、広がっていくのね。
プラスにもマイナスにも広げていくことができるの。
マイナスに広げるのは、ずいぶんやった。。。
そして、こうなった。
じゃあここからプラスに広げていけるかな?っていうのを今みんなで挑戦しているんだと思うんだ。
これは何千年も犠牲者意識であいつらに支配されてきた我々にとっては、革命的なことだ。
でも、これをやってみたかったのではないか?
思う存分マイナスを経験しつくして、もーおなかいっぱいです、わかりました、勘弁してくださいとなったところで、
やってみたかったんじゃないだろうか?

昔は、苦しくても歯を食いしばって耐えるのがすばらしいっていう価値観が強かったと思うんだ。根性あるのがすばらしい、みたいな。
支配全盛で、それが当たり前で、個人の幸せなんてなかったんだもんね。
我慢強いのがいいんだ、みたいな。
切腹したり、戦争したり、そういう時代だったしそういう価値観だった。
当然、個人レベルでも戦うし、他人をいじめるし、支配する。

それと比べると、これでも人類は進化していると思うんだ。

意識の進化は、戦わない、そんな必要ないって気づくことからだから。
ここに気づかないと本当の平和とか愛にいけないのね。

でも今後、そういう人が増えれば増えるほど、やりやすくなってなっていくだろう。

我々の集合意識が現実をつくっているとはこういうことなんだ。