丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

責任を返すべき人に返して、ちゃんと整理すれば物事って勝手によくなるの♡おばさん~人生は種蒔き:自分で蒔いた種は自分で刈り取る:良い種を蒔き続ける☆Dr.Yさん

2021-04-03 21:30:53 | Dr.Yさんの心のお話
ときどき思うんだけど、
Dr.Yさんはいつも、おばさんの気分にぴったりのお話を動画で配信してくださる。
必要なお話を必要なときに配信してくださる。
Dr.Yさんって、まさか、エスパーなの?w

あ、毎日、こんなふうにブログ書いているから、先生から見たら、おばさんの気分、丸わかりなの?
みなさんにも丸わかりなの?
なんだか恥ずかしい。でもま、いまさらだよねw

とにかく、今回も深く、染み入るお話をありがとうございます。

人生は種蒔き:自分で蒔いた種は自分で刈り取る:良い種を蒔き続ける
動画説明欄より転載。赤、画像、おばさん追記。青、おばさんつぶやき。
「どのように生きれば、幸せな人生を送ることができるのか?」という問いに対して、最も簡潔な解答を申し上げるとしたら、「良いことをして、悪いことはしない」という一言になると思います。良いことをすれば、後になって良い結果を得ることになり、悪いことをすれば後々になってそれなりの結果が出るという傾向があるということは、紛れも無い真実だからです。
  英語の諺 に「You reap what you sow.」という言葉があります。意味は、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」即ち、「自分の身に起こることは全て自分の過去の行動がもたらしたものであるから、自分で責任を取りなさい」という意味です。 まさに、仏教用語の因果応報、「人は良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」ということと、同じような意味合いです。 

 また、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の言葉にも、「全ての因は我にあり」という言葉があります。物事がうまく行ったら、いつもみんなのお陰と考え、物事が上手く行かない時は、すべて原因は自分にあると考えました。上手く行ったときは慢心ぜず、上手く行かなかった時には、厳しく自分自身を反省することをしました。それが、人生を渡る秘訣ですと話しておられました。
〈おばつぶやき〉
これはね、自己肯定感が高くないとできないと思うの。
自己否定が強く、自分責めたり、人を責めている状態だと、本心からこの気持ちになるのはムリだと思うの。
後述するね。

  この「人生は種蒔き」という言葉に関しては、様々な解釈があります。 不幸な結果が現れた時に、「それは自業自得だから仕方ないよ!」というような単純な解釈ではなく、もっと奥深い人生の道標となるような言葉であることを、知っておく必要があります。
〈おばさんつぶやき〉
そうね。おばさんが悲劇だと思うのは、悪い種をいい種と思い込んでせっせと撒いている場合が多くあることだ。
なにがいい種で、なにが悪い種か、われわれは、まだわかっていないんだと思うの。
それが多くの人の苦しみの原因になっているように思うの。


 本日は、「人生は種蒔き」という言葉に秘められた、人間のあるべき姿についてお話ししたいと思います。  こんにちは、Dr.Yです。

  長い人生に於いては、物事がすべて順調に進み順風満帆の時もあれば、逆に必死で頑張っているのに予想外の結果となり波瀾万丈の時期もあります。
できれば、「一生安心して平和な生活を送ることができたら良いのに」そのように誰しもが願いますが、現実はなかなかそのようには行きません。
惨憺たる結果に涙し、「生きていることが辛い」そう思ってしまような試練を、人生のいつか誰しもが体験します。そしてそこから這い上がり、強く逞しく成長していくのです。
逆に、努力が報われて、良い結果を得て喜びに浸り、絶頂を噛み締めることもあります。弱い生き物である人間は、人生が試練の連続であれば、途中で挫けてしまいますので、絶望と絶頂と両方とも体験できるようになっているようです
人生とは、その繰り返しであり、人間は絶望と絶頂の波を乗り越えることで、強く逞しく優しく謙虚になれるのだと思います。

  小学生までは、親は子供を守り、安全な場所で伸び伸びと育て、彼らの成長を見守ります。ですから、この時期には、ある程度の過保護・過干渉は必要なことです。 
 中学生以降は、自立させるためのトレーニングを積まなければなりません。自分で考えて行動し、自分で選択した結果に関しては、自分で責任を取る、という習慣を身につけなければなりません。親が「こうしなさい!」「そんなことをしてはいけません!」というのは、過保護・過干渉であり、子供の自立を阻害します
〈おばつぶやき〉
おーい!丸顔おばさんの父!このブログ見てるな?
あんまりネットができないから見てないと思ってたら、よーく読んでることが判明したのw
あんたこの前、「ブログに人工地震の話書くのはやばいんちゃうか」って言ったな?
それから、「中国共産党の悪事を書いているにもかかわらず、荊芥連翹湯という漢方を広めているけど、漢方は中国だろ?」って文句言ってたな。
それから「本当におまえが書いてるのか?バックに誰かいるんじゃないか?」なんて言ってたなw
まったく。。。ネットを丁寧に調べれば全部出ている情報なんだよ!
点と点を繋ぎ合わせれば、あいつらがおかしいことやってんな!って感じとることができるの。そういう感覚をみんなで鍛えていくのがこのブログの目的だ。
しょうがないだろ?大事なことが報道されないんだから。偏向報道とフェイクニュースとインチキばっかりで。
命と健康守んなきゃしょうがないだろ?国はあてになんないぞ。
こりゃ頭だけで思考だけで読んでる人のコメント↑だ。
あんまり工作員のコメントと変わらない・・・w
親なのに。

こういうことだ。こういうのを過干渉という。
おばさんは小学生ではない。もういいおばさんだ。
その人が決めて、その人が責任をとることに関して、あれこれ言いすぎる。
すごい支配の圧と否定的なエネルギーを込めて。
うん。
自覚ないんだよな。わかってる。これが悲劇だ。ここなんだ。
なにがいい種で、なにが悪い種か、われわれは、まだわかっていない」ってのは。
まぁ、おばさんほどのたくましいレベルに達していて、過干渉(責任の見極め)ができれば、こういうのは歯牙にもかけないけれど、ふつう、こんなふうにあれこれ言うと、相手の自然に湧き出た意思をそぐ。
こうして相手を無力にしていく。
おまえがあれこれケチつけて否定したその人の意思こそが創造の源。
自分の人生を生きる意欲と自信と喜びの源だ。
こういうのがこの社会もよくするんだぞ。
そりゃ、こういう親の言うことを額面どおりに受け取ってたら、引きこもりにもなるさ。
こういう人の言うことを真に受けて、まともにつきあってたら自信なんて持てないよ。
こどもでなくても、誰に対してもやっているだろう。
配偶者、友人、職場の人。人の責任に入りすぎる。その人の領域に土足で踏み込みすぎる。
これでは本当に心の通う関係が築けない。
調子よくつきあってても、うわっつらのノリだけの関わりしかできない。
そして心理的トラブルが多いから、いつしか疎遠になる。
もめることも多い。
そしてこどもなど、素直で繊細な人は、親からしょっちゅうそんなふうにされていたら、自己否定が強くなる。
自分が自然にやりたいと思ったことはやったほうがいい。(他人の責任や領域をおかしていなければOK)その結果の責任をとることが勉強だ。
たとえ失敗したとしても。失敗も経験させてあげることが勉強だ。それが愛だ。
経験しなきゃわかんないんだから。
これこそが人間をやっている意味だ。

にもかかわらず、
支配的な人にもっともらしいことをいわれたら、「こういうのダメなんだ」と思うだろう。言われた人は自信をなくしていく。だんだん自分の意思がもてなくなっていく。キレて反発したり、ひきこもっていく。
こうやって自分を信じられない子に育てている。
親子でそういう関わりをしているかぎり、いつまでたっても自分の意思で行動するということができない。
当然、自信もつかない。
こうやって子の人生を破壊している。

おまえの考えが正しいとは限らないだろう?私から見れば、問題だらけだ。
支配に生きて、感情を抑えて、思考優位でいる人に適切な見極めはできないからな。

バランスだ。カネを稼ぐことが悪いなどとはいってないぞ。わたしは。
過干渉や否定に気づいて、責任を返すべき相手に返すことを覚えれば、もっと稼げるようになるんだぞ。
これが「いい種をまく」ってことだ。
そして、本当に自分を信じることができていないのは、お父、あんただ。

しかし、おばさんは、自分の親に好きにやらせてやろうと思ってるんだ。
やってみたらいい。
その責任をとらせてあげたい。最後まで経験させてやりたい。
それが一番彼のためだ。
自分がいいと思うように、納得するまでやってみたらいい。
あんたの周りにくっついている人たちも自分で選択している。
あんたに支配されることを。
これもまた本人の意思だ。納得するまで経験したらよろしい。

過干渉と引きこもりの観点から、心理的トラブルの仕組みと脱却法を書いた記事↓

おーい、丸顔の父。文句があるならコメントしてこい。
読者のみなさんが、読んでくださるからな。
あ、本名を書くとどこの誰だかわかっちゃうからな。

そしてな、あんたもまたそのまた親からおんなじようにやられている。
つまり、まだ親を超えていない。
親からやられた過干渉支配の否定的なパターンを自分の子にみごとに繰り返している。周囲の人にもやっている。
ここに気づかないで、親と同じパターンを繰り返し、酒を飲んでは親への恨みを言っている。

先祖代々繰り返してきたパターンに気づいて、自分を見つめ、自分の感情の傷を癒し、どうすればいいかわかったならば、あんまり親への文句は出なくなるからな。
だんだん自分と親や先祖をいたわる境地に自然になっていく。
そこのところのカラクリが分かると、恨みなどやたらと言えなくなる。

まー、ゆっくり好きなようにやったらよろしい。

やっぱり具体例があったほうがみなさんにわかりやすいから、あんたの話、書かせてもらったぞ。
こんなふうに恥部をさらして、たくさんの方の気づきに貢献することができたのなら、いいだろう。どこの誰だかわかんないし。
それよりも内面(精神)から崩壊してしまっている人が多い。これが問題だ。
これをみんなで啓発しあって少しずつ立て直していくことが先決だ。

親は、上手く行くためのヒントを与え、リスクを説明し、後はどうするのか?自分で考えて決めさせます。リスクに対するリスクヘッジの方法に関して、子供から聞かれた場合には、「私ならこうやって切り抜ける」と、自分の考え方をアドバイスするに止めます
必要な情報は与えるけれど、自分で考えて選択し、自分の責任に於いて行動し、その責任は自分でとりなさい
そのような指導をしなければなりません。
その時に子供に対して伝える言葉が、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」自己責任ということなのです。
〈おばつぶやき〉
おばさんは、今、自分の親にこれをやっている。責任は自分でとりなさい
必要な情報やヒントは与えるけれど。
おばさんからすれば、じーさんであっても赤ちゃんだ。育てている。
丸顔の父が親から育ててもらえなかった部分だからな。
気づいたヤツが育ててあげないとな。
子に対してだけでなく、夫婦でも友達同士でも職場の人同士でも、あらゆる人との関わりで、責任をちゃんとすると育て合うことができるんだ。
いくつになっても遅すぎるということはない。
むしろすこしずつでもやっていかないと年とともにキツくなる。
すごく高齢になって状況が激烈になるってのは避けたいだろう?

先生、ありがとうございます。そういうことです。
過干渉、支配関係が当たり前だった人は、
最初は、いろいろ手出し口出ししたいのを、がんばってひっこめることに葛藤があるだろう。
でも、ここをちゃんとしないと物事がいい方向にいかないんだ。
ここが分かっている人は、人にずかずか入らない。よけいなことは言わない。
そういうキャラに自然となっていく。
ゆったりじんわり感じながら人と接する感じになっていく。
そうやって穏やかに発展していってる。これなら破滅しない。
そうやって人と心を通じ合うって感じだ。
これはスローペースだ。
せかせかと、効率効率のデジタルな世の中だから、よけいに難しいのね。意識しないと。

でもね、ここさえ、ちゃんと整理して“責任を当事者に返す、入らない”ってことができると、勝手にものごとがいい方向に向かったりするの。
それは偶然起きることなんかも含めて。
予想もしていなかったことが起こったりするもんだ。
偶然起きているように見えることも、関係者全員の意識が起こしているのだと私は思っている。
だから責任めちゃくちゃな状態で思考だけでムリやりやったってダメなんだ。
責任をちゃんとしたら、あとは力を抜いてリラックスして楽にいたほうがいいんだ。
そして、この状態でだんだん自分の内面や感情を見る割合を増やしていけるといいんだ。

感情を抑えて、すべてを気合いで自分がなんとかがんばってやらねばならぬ、なんて思ってると過干渉しちゃうの。
がんばってるとき、キツさを感じているとき、もう過干渉や支配に足を踏み込んでいる。

楽でひっかかりがないとき、それはOKという無意識からの声だ。

だから我慢はするな、自己犠牲はやめてくれと、おばさんはよく言っている。

  元気で長生きをするためには、日々健康的な生活を心がける必要があります。食事・運動・心の持ち方・環境などに配慮しながら、身体に対して良いことをして、悪いことをしないということを、実践し続ける必要があります。
  飽食の短命に終わらないためには、身体の声を聴き、身体が喜ぶような食事をし、身体に負担をかけないように、身体を鍛えることが大切です。身体に対して良いことをしていれば、健康的な老後を送ることができ、身体に対して悪いことをし続ければ、健康が蝕まれることになります。健康な身体を維持するためにも、まさに、「良い種を蒔けば、良い稔りを刈り取ることができ、悪い種を蒔けば、後々悪い稔りを自ら刈り取る」ということが通用する訳です。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」自分の健康も自己責任ということになるのです。

  人生には様々なチャレンジがあります。努力をして、直ぐに結果がでるような小さなチャレンジもあれば、努力しても結果が出るまでに何年もかかるような大きなチャレンジもあります。例えば、夕ご飯はご馳走を作って家族を喜ばせようと考え、レシピを調べて、ご馳走を作る。これは、小さなチャレンジの良い例です。日々の生活の中の潤滑剤として、こうした小さなチャレンジは必要だと思います。  しかし、人生に於いては、直ぐには叶えられない大きなチャレンジに挑戦することも大切です。自分のお店を出して、順調に行ったらスタッフを雇い、店舗を拡大し、ファンが増えたら地域に支店を展開する。そして、軌道に乗ったら、全国展開し、さらには海外にも進出する。このように、数十年かけて叶えるような大きなチャレンジもあります

  人生の多くのチャレンジは、努力して直ぐに結果が現れる訳ではありません。努力をしても、中々結果が出ない。諦めようか?それとも、もう少し頑張ってみようか?挫けそうな自分に対して、必要な言葉に、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」というものがあるのです。
 良い種を蒔いたら、いつかは良い芽が出て、素晴らしい稔りを獲るだろう。野菜や果物や穀物は、半年足らずで稔りを獲ること何できるけれども、人生に於けるチャレンジの殆どは、いつ芽が出て、いつ刈り取ることができるのか?分からないものです。
  道のりが長ければ長いほど、そして道のりが険しければ険しいほど、達成された時の喜びは大きいものです。良い稔りを獲ることを夢見て、日々努力し続ける事で、大きな喜びを得ることができるのだと思います。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」チャレンジする人の胸に刻んでおきたい言葉でもあるのです。
嘗て(かつて)蒔いた良い種が育ち良い稔りを得て、それを刈り取りながら、また良い種を蒔く。それが理想的な人生なのです。

  人生も後半に差し掛かると、若い時に蒔いた良い種と悪い種の結果を自ら刈り取る機会が増えて参ります。良い種を蒔いておいて本当に良かった!悪い種を蒔いたためにこのような状況にあり、反省している。そんな体験から、嘗て(かつて)蒔いた種の稔りを刈り取りながら、日々良い種を蒔いて生きるように心がけています。

  周りの人に対して何かを施して差し上げる時に、それに対して見返りを求めるのが、取り引きであり、ビジネスの本質です。それに対して、何かを施して差し上げること自体が喜びであり、見返りを求めないのが「真心」すなわち「愛」です。

 自分と家族の生活を支えるという役割を果たすために、ビジネスとして仕事をし、お金を稼ぐことは、社会人としての義務です。しかし、それとは別に世の中の役に立つことをすることも、人として生きる上で大切なことだと思います。

  日祭日に小動物園に行くと、山羊やウサギに餌をあげている人が大勢います。本来ならばこちらが餌をあげて、動物が餌を食べる訳ですから、餌を貰う山羊やウサギが、餌を与える人間に対してお金を払うというのが、道理だと思われます。しかし、実際にはそうではありません。皆んなお金を払って餌を購入して、動物が餌を食べる仕種を見て楽しんでいます。このように、相手が幸せな気持ちになれるように施して差し上げる、それが自分の幸せという気持ちは、私たちが生きている上でとても大切なことなのです。
〈おばつぶやき〉
人間には本来、そういう気持ちが備わっているんだ。
支配から抜けて、自分の感情を愛することを始めて、心が癒されていくと、自然に相手を大事にしたり喜んでくれてうれしいなというふうになるの。
そういうふうに人の心はできてるんだ。
だからとりあえず自分を愛することをすればいいんだ。
人のためにムリして我慢して尽くそうとしなくていいんだ。
自分の感情を感じてあげてください。
そうできないときもあるかもしれないけれど、必ずそこに戻ってください。
そしたら自然に人にやってあげたいなという心境に気づいたらなっている。

支配に生きていて、心がいっぱい傷ついているのにそれを抑えて生きている(無自覚の人多数)と、勝ち負け意識全開の生き方になっていくのね。他人を押しのけて生きる感じ。
そして自分がそうしなければならないと思っているから
こどもに対しても競争社会で勝つことを強要したりしてね。
あ、以前Dr.Yさんが動画を配信してくれていたね。
わたしはこの動画、好きなんだ。先生のご経験と実感がこもっていて。
勝ちも負けも、本当はないのにね。
こんなのも、人間の脳が作り出した幻なんだ。
学歴に限らず、つねに人と比較して勝ち負け意識でいる方は多いと思うんだ。
自分のこどもと人さまの子を比較して劣等感感じたり、その反対に自慢して優位に立とうとしたり。
こんなのも、幻だ。ただ、そういう意識状態でそういうふうに脳を使っているというだけだ。人間の真相はそんな単純なことではない↓んだ。


  枯れ木に灰を撒いて、花を咲かせた「花咲か爺さん」のように、周りの人たちを喜ばせる為に、様々な種を蒔くことは豊かな人生を送る上でとても大切なことなのです。

  自分が生きている間に芽が出て、花が咲き、実がなるかどうかは分からないけれど、いつかは花を咲かせて、皆んなを喜ばせてくれることを願い、先人たちは草木を植えて下さいました。  私たちは、毎年春になると満開の桜を見て感動します。そして、散りゆく花びらを見て儚(はかな)さ、移ろいやすさに胸をうたれます。  見事に咲いた桜の花に、お疲れ様と言える人間であると同時に、見ず知らずの多くの人たちを喜ばせたいと思い、植えて下さった先人に対しても、感謝の気持ちを持てる人間になりたいものです。

  良い種を蒔いたら、いつか芽が出て、良い稔りを獲ることができる。果たして自分が生きている時に刈り取ることができるのかどうか?分からないけれど、良い稔りを誰かが刈り取り、喜んで下さることを願って、毎日良い種を蒔く。こういう気持ちを多くの日本人が持てるようになれば、世の中はもっと良くなるはずです。このように、自分で蒔いた良い種が良い稔りを獲た時には、誰かに刈り取って頂きたい」という思いも大切な考え方なのです。

   先程の松下幸之助の話しに戻りますが、物事が上手く行ったら、いつもみんなのお陰と考え、物事が上手く行かない時は、すべて原因は自分にあると考えるのが理想的な生き方です。そうすることで、上手く行ったときは慢心せず、上手く行かなかった時は、厳しく自分自身を反省することができます
〈おばつぶやき〉
自分を責めたり人を責めたりしていると、できないんだ。
物事がうまくいかないとき、夫婦で、お互いに相手のせいにしているのをよく見かける。
実際には、夫の視点から見た場合の問題・妻の立場から見た場合の問題・こどもの立場から見た場合の問題、、、とそれぞれ別々に取り組むべき課題がある。
おんなじ問題に向き合っているように見えて、それぞれの立場から見える景色、取り組むべき課題は全然違う。
だから、例えば子どもの問題であっても、見るべきは自分なんだ。
自分自身を見ないで、子どもばっかり見ててもダメなんだ。
自分の言動パターンに気づいて改善すれば、こどもも、妻も勝手に変わるの。変わらざるを得ないの。
こういうふうにすべての物事は起きている。
だから人を責めてるうちは、改善はムリだ。自分自身と向き合う気がないってことだから。
そして人を責めている人は自分も責めている。
こういう状態の人に、その方の本質的な改善について言ってあげようとしても聞く耳持たないんだ。「自分が責められた」と受け取ってしまうのね。
こんなふうに実はものすごく罪悪感や恐怖心が強いんだ。
それは全部、不要なの。
だってそういうことじゃないから。
カンタンなの。楽なの。
責任を当事者に戻してあげるの。
そしたら物事は自然にいい方向に向かうの。
相手も伸びて、力がついていくの。そうやって成長していくの。人って。
あなた自身も問題に悩まなくて済むから、エネルギーをもっと発展する方向に使えるの。
お金儲けが好きな人はもっと稼げるようになるの。
人助けが好きな人は、もっと多くの人を助けられるようになるの。

  日本の将来のために、良い種を蒔けば、いずれは芽が出て、後世の人たちが良い稔りを獲ることを信じて、日々良い種を蒔き続けられる人間でありたいものです。  どのように生きれば、幸せな人生を送ることができるのか?」という質問に対しての答えとして、「良い種を蒔き、いずれは良い稔りを獲て、自分でそれを刈り取る。そしてまた良い種を蒔く。将来の自分のために、そして知らない誰かのために。」  
〈おばつぶやき〉
ちょっと気づくってことが大事なんだ。すこーしずつでいいの。
べつに死ぬまでに必ずこうしなければならないっていうゴールがあるわけじゃないの。
気づいた時点で大成功なの。そこからはもうプラスに行くから。その後すぐに死んだとしても、来世、そこからスタートだからなw
そして残された人が、その続きを引き継いでいくでしょう。

昨日喫茶店から出たら、暗くなっていて、目の前の桜がライトアップされていて、思いのほかキレイだった。







2021/4/2の京都河原町の高瀬川沿いの桜。

これだって、いつか分からないけど、だれかが植えてくれたのね。
それを、あぁきれいだなって今みんなが見ているのね。

また、皆様のお役に立てるようなお話しをしたいと思います。
  Dr.Yでした。 #人生 #種蒔き #自分で蒔いた種 #自分で刈り取る #自己責任

先生、ありがとうございました。
いつもコワいくらいにおばさんの気持ちにぴったりのお話の配信、感謝いたします。

思えば荊芥連翹湯の動画のときからそうでした。

わたし自身は、仮にコロナっぽい症状に見舞われたとしても、荊芥連翹湯飲んで、なんとかよくなって病院に行かずにすむならそれが一番だと思ってるんだ。
肺炎や重症化しなきゃいいわけだから。

喉のイガイガなどがあるときに飲むと、けっこうすぐよくなる。悪いものを出してくれている感じがする。もともと鼻炎やにきびのお薬だもんね。出す力が強そうだ。

医学的なことはわかんないけど、検査で陽性が出ても本当にコロナか疑わしい点があるにもかかわらず、入院拒否したら罰則などと言い出している。
ちょっと今、未知の点が多すぎるから、いろんなことが信用できない。
医療関係者のみなさんも良心からいろいろ問題だと思っていたとしても、従わざるをえないことがいっぱいあるわけだ。
そういうわけで病院行ったら行ったで、具合悪いのにいろんなストレスがありそうだから、
どうしてものとき以外は行きたくないの。わたしは。



それから荊芥連翹湯は日本生まれの漢方だぞ!お父!
そしてそういうことじゃないだろう?
仮に中国のものだとしたって、体が助かって安全なら、なんだっていいだろう!
あんたが飲む飲まないは自由だ。
でも必要な人もいるからな。
それから悪いことしてるのは共産党政府であって、
国の文化や国民や先人の叡智に罪はないだろ!
しっかり心の目を開いて物事を見てくれ。

心の目をしっかり開かないと、こういうやつら↑といっしょになってしまうぞ。

参考:

あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。

新型コロナウイルスの院内感染防止に成功した漢方薬、荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)を広めております。先生の論文も出ております