丸顔おばさんのブログ

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衆議院憲法審査会(2022年5月12日)その一/9条を変える話始めたよ。自衛隊を憲法に明記すると社会はどう変わるのか。

2022-05-14 15:35:47 | 憲法改正
衆議院憲法審査会は、いつも木曜日。前日の水曜日に憲法審査会のHPに予告が出るの。

日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件
(日本国憲法及び憲法改正国民投票法の改正を巡る諸問題)

って書いてあるから、
「あ、やっぱり今週もあるね。
たぶん前回の続きで国民投票法についてかな、参考人質疑だろうか?」と思って、
当日YouTube動画を検索したら、動画が出てこなくてね。
いつも立憲民主党のチャンネルでライブ配信してるんだけど、今回はしてないの。
で、がんばって検索したら、ひとつ、こちらのネトウヨのコメントつきのニコニコ動画からのものが出てきた。
そして、なんと、9条の話をしているの・・・。国民投票法ではなく。

これは、手をまわしただろう。立憲民主党に今回は配信するなって。
それで自民党ネットメディア局長してた新藤さんあたりがネトウヨを動員して自分の息のかかったところに配信させた?
そういうしょうもないところに命かけないで、議論の中身で勝負せんかい!
(見せれば支持を得られないの、わかってるわけだ)
この様子だと、ネット動画もそのうち出なくなるかもしれないな。

なぜ、こんなに大事な憲法の議論、
国民のひとりひとりが自分の意思で決めて投票する(国民投票)ことを、
このような動画でしか見せない?
本来はNHKが内容を全部放送するべきことだ。
メディアが大ニュースとして、とりあげるべきことだ。
いつも東京新聞だけがちょっと記事出して終わりだ。
昼ごろ、速報出して、夜、各党の主張の要約を出す。


ナチスに見習って、国民が知らないうちに憲法変えちゃう方針なんだもんな。
これ、一応非公式発言だったのか。
いまやすっかり有名ではないか。このとおりにやってるよって。
ま、みんな知ってるけどな。あなたがたとナチスのつながり。
麻生さんがナチスとのつながりを証明してくださったんだな。

では、いつものとおり、日本会議の重鎮の新藤さんのご答弁からです。

国民投票法・憲法改正で討議【国会中継】衆議院 憲法審査会 ~令和4年5月12日~

(自民党新藤幹事の答弁の途中からです)
拒否権を持つ常任理事国であるロシアの侵略行為をまったく止めることができない。
国連は機能不全だというゼレンスキー大統領の主張は、国連の限界を露呈したものだと思います。

いや。国連は、

国の防衛は国際平和秩序のみに頼るものではなく、自分の国は自分で守ると言う基本をないがしろにしてはいけません。

国連が問題を解決してくれて戦争が終わっちゃったら、お望みの第3次世界大戦できないからな。
そのためにプーチンさんが起こしてくれた戦争を、みなさんで有効利用しているわけだろう?
新藤さんたちは、念願の憲法改正から日本を参戦へ導くご担当だろう?

この基本に立ち返るならば、我が国は、GHQが引き上げ、主権を回復した昭和27年時点で国防規定と緊急事態条項を追加整備したうえで、国民投票を実施し、憲法改正を行うべきだったのではないか。私はそう考えてるんです。

あー、いっちゃったねw。本音。
日本国憲法は、最初から戦争条項を作るべきだったって。
明治憲法に緊急事態条項とそっくりの緊急勅令っていうのがあったんだよな。
過去に緊急事態条項を濫用して国民を弾圧、暴走し、戦争に突き進んだ歴史があるわけだ。
そして、戦後、GHQに憲法改正を指示されても、きみたちは天皇主権が残ったままの、明治憲法の一部を修正したものしか作れなかった。
緊急勅令も入れたままだったんだよな?
これをGHQに拒否されたことを根に持っている
がために、
また前近代的な立憲主義を無視した天皇の権限を強化し、国民の人権を後退させた憲法に戻そうとしている。

最近、憲法審査会で定期的に吐き出しちゃうんだよね。積年の思いを。
こりないのねぇ。また戦犯にされちゃうよ?
(『「憲法改正」の真実』樋口陽一・小林節 著 p29より引用 より引用)
これが何を意味するかと言えば、現在、自民党内で憲法について集中的に考えている議員のほとんどが、戦前の日本のエスタブリッシュメント層、保守支配層の子孫とその取り巻きであるという事実です。
樋口:
戦前のエスタブリッシュメントの子孫といえば、安倍首相などは、まさにその典型ということになりますね。

緊急事態条項って、戦争条項だからね。

伊藤 真 弁護士が語る「加憲」の危険性②「緊急事態条項」  
3:55~
緊急事態条項は、戦争条項なんですね。
ですから戦争する国は、どこも緊急事態条項を持ってます。
戦前の日本もそうでした。だからありました。
戦後の日本は戦争しない国にしました。
だから緊急事態条項は持たない、ということなんですね。


それなのに、新藤さんは、「日本国憲法は、最初から戦争条項をつくるべきであった」と言ってはばからない。
そして、作ろうとしている。
てことは、また歴史を繰り返す。

残念ながら、こういった人たちが日本で権力を握っていて、
世界情勢の流れから今がチャンス!ということで、昔の戦争していたころの日本に戻そうとしている。
日本政府の飼い主の外国のあいつらからもGoが出ていると思われる。

日本国憲法について安全保障に関する規定は9条のみです。
その第1項は戦争の放棄。第2項は戦力の不保持と交戦権の否認を規定しています。

現行憲法
第 二 章   戦 争 の 放 棄
第 九 条
日 本 国 民 は 、 正 義 と 秩 序 を 基 調 と す る 国 際 平 和 を 誠 実 に 希 求 し 、 国 権 の 発 動 た る 戦 争 と 、 武 力 に よ る 威 嚇 又 は 武 力 の 行 使 は 、 国 際 紛 争 を 解 決 す る 手 段 と し て は 、 永 久 に こ れ を 放 棄 す る 。
② 前 項 の 目 的 を 達 す る た め 、 陸 海 空 軍 そ の 他 の 戦 力 は 、 こ れ を 保 持 し な い 。 国 の 交 戦 権 は 、 こ れ を 認 め な い


専守防衛、徹底した平和主義を示すこの規定は今後も大切にしていかなくてはなりません
この1項の戦争の放棄は、いわゆる侵略戦争の放棄を示すものであり、1928年のパリ不戦条約に始まり、1941年の大西洋憲章、1943年のカイロ宣言を経て、1945年の国連憲章に至る国際的な平和主義の概念であることは周知のとおりでございます。
そもそもいまや、戦争は国際法で違法とされており、
武力の行使ができるのは、個別、または集団的な自衛権を行使する場合。あるいは国連による集団安全保障措置による場合に限られております

だから、集団的自衛権を全面容認にしたいんだろう?
平成24年自民党改憲草案は、そうなっている↓。

第 二 章  安 全 保 障 
( 平 和 主 義 )
第 九 条 
日 本 国 民 は 、 正 義 と 秩 序 を 基 調 と す る 国 際 平 和 を 誠 実 に 希 求 し 、 国 権 の 発 動 と し て の 戦 争 を 放 棄 し 、 武 力 に よ る 威 嚇 及 び 武 力 の 行 使 は 、 国 際 紛 争 を 解 決 す る 手 段 と し て は 用 い な い 。
2 前 項 の 規 定 は 、 
自 衛 権 の 発 動 を 妨 げ る も の で は な い 。

これで、現在限定的に認めるとしてしまった集団的自衛権が全面容認となる。

その後、平成30年に出してきた自民党「条文イメージ・たたき台素案」では、
現行の9条はそのままに、9条の二をつけたして、この□内↓のような条文にすると言っている。

 
画像出典:自民党「条文イメージ・たたき台素案」より

平成24年改憲草案の九条の二は(国防軍)、さらに三もあるという恐ろしい内容だからな。
あれよりは一見マイルドに見えるけど、日弁連がこのたたき台についても説明してくれていて↓
以下、日弁連の資料より引用。赤、こちらで追記。
自 民党案は、「前条(9条)の規定」は「必要な自衛の措置」をとることを「妨げず」と 定めており、「必要な自衛の措置」の内容は限定されていません。 
そのため、憲法9条のこれまでの解釈にとらわれることなく「必要な自衛の措置」の 解釈を展開することが可能となります。
 そうすると、これまで憲法9条が果たしてきた、海外での武力行使や集団的自衛権の 行使を禁止するという機能が失われ、「必要な自衛の措置」として、「存立危機事態」に限 らず、集団的自衛権の行使を認める道を開き、広く海外での武力行使が容認される危惧 が生じます
 つまり、政府がこれまで維持するとしてきた専守防衛政策に根本的な変化をもたらし かねず、平和主義の内実を変容させるおそれがあると言えます。

やっぱりな。
「必要な自衛の措置」の内容は限定されていないから、集団的自衛権の解釈が可能だって。
最終的にどんな条文に決めて発議してくるかは、まだわからない。
しかし、24年草案、30年たたき台、どちらからも、集団的自衛権を全面容認としたい執念がうかがえる。

9条1項は世界平和の概念を反映させたものであるといえます。
一方9条の2項は、我が国独自の徹底的平和主義の概念を表したものであり、専守防衛とはこの精神のもとで自動的な防衛戦略の姿勢を示したものであります。

で、このあとに、自衛の内容を限定しない条文をくっつけて、
専守防衛を骨抜きにして、日本が攻撃されてなくても戦争に参加できるようにしたいわけだ。

我が国はこのような憲法9条1項2項のもとでどの国も保持していると認められる自衛権を行使するために、その実力組織として自衛隊を保持していることになります。
独立国家として国民を守る実力組織として、自衛隊は1945年の創設以来、日々の国防、災害時の活動などにおける献身的な努力で、国民の強い信頼を得ています。
一方自衛隊が合憲であるといいきる憲法学者は2割程度しかいないという調べもあります。
国会の中にも自衛隊を違憲の存在だと主張する政党がまだあります。
いざというときの備えとして現実に存在し、その役割に期待されていながら、国の基本法である憲法に位置付けられていない状態をいつまで放置するのでしょうか。

違憲疑いの解消が、9条を変える口実だ。
平成30年たたき台は、
9条の2
自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

と明記している。こう明記することで違憲疑いは解消だという。
でも「法律の定めるところにより」と書くことで、法律つくって軍事裁判所を置くことが可能になり、こうすることで、あとからガチで戦争できる軍隊とすることも、できる。
24年改憲草案は9条の2(国防軍)のところには、はっきり軍事裁判所のことも書いている。
これをはっきり書いちゃうと、議論も紛糾するし、民意が得にくいから、たたき台出して「法律の定めるところにより」としてしまったんだろう。
便利なんだ。「法律の定めるところにより」って文言。
これを加えるだけで、あとでなんとでもできる。

ましてや近年、中国の軍事力の増強、台湾や日本周辺での活動強化、北朝鮮による核やミサイル開発の進展、宇宙・サイバー空間の新たな安全保障上の脅威が増大しています。なのにさらに、ロシアによるウクライナ侵略は対岸の火事ではなく、国の防衛体制の充実は喫緊の課題になっています。

9条を変えて、集団的自衛権で参戦しても、安全にはならないだろう?

国防の具体的なことは憲法ではなく他で定めることだ。
でも、その防衛装備などの話し合いも、アメリカとちゃんとできてないだろう。

イージスアショア、断念した理由を国民に説明せずに、敵基地攻撃能力なんて言い出したからな。
あれやっちゃうと、失敗したり、先制攻撃ととられるリスクがあるけど、

政府見解では1発目の準備段階から自衛権の行使が可能とみる。防衛力の拡大に慎重な公明党や野党の反発を懸念した。
(中略)
2003年に石破茂防衛庁長官は日本を攻撃する意思表明と準備行為があれば敵国の基地を攻撃可能との見解を示した。「(ミサイルに)燃料を注入し始めた、準備行為を始めたような場合は(攻撃の)着手と言うのではないか」と語った。
日本のミサイル防衛は発射後に迎撃するシステムで対応する。イージス艦の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)と地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)の2段階で撃ち落とす。
政府・自民党にはイージス・アショアを含めても迎撃システムへの限界論があった。

最後のところは、本当かね?
元自衛隊の方が話してたけど、イージスアショアのほうがよっぽど現実的だって言ってたよ。敵基地攻撃能力のほうが技術的にも法的にも難しいということだったよ。それを聞いて、「意図的にやったな」とおばさんは思ったよ。

相手国がミサイルに燃料入れたからということで、攻撃をする。
「燃料を入れてただけで、日本を攻撃しようとしていたわけではない」と相手は言ってくることが容易に予想される。
「先制攻撃だ」と言われるだろう。

そうなると外国は、敵国条項を盾に、日本を攻撃していいことになっているよな?
動画より)
日本が侵略政策を再現する行動等を起こした場合、安保理の許可がなくても日本に対して軍事制裁を下すことができるのです。
つまり、侵略政策だと判断されれば、平和的解決も話し合いも必要なく、軍事制裁を下すことが「国連」によって認められているのです。
日本が憲法9条を改正したらどうなるか?
「9条改正」が「旧敵国による侵略政策の再現」と見なされたら、周辺国は国連の「敵国条項」のもと、平和的解決も話し合いもせずに軍事的制裁を下すことができます。

だから、日本をつぶすために、
わざわざ法的にも技術的にもリスキーな敵基地攻撃能力をやらせ、
事実上、先制攻撃と変わらないことをさせ、その際、自衛権の行使だと言い張れるように憲法を変えたい、そんなふうに見える。
こういう自衛権を建前にした戦争を想定していると思われる。
こうして専守防衛は変わりませんといいつつ、9条のうしろになにか書き加えて、9条の内容は骨抜きにする。

このような安全保障体制の変化に対応するため、2015年、我が国は平和安全法制を整備し、存立危機事態における集団的自衛権の限定行使を可能としました
いかなるときも国民を守り抜くための防衛体制の整備は必須であり、必要かつ十分な準備を行うことに異を唱えない方はいないはずです。

有識者全員が違憲だと言った安保法制な。

しかし、国民がその必要性を認め、法律や予算でここまで整備をすすめている自衛隊は、基本法である憲法に位置付けられておらず、合わせて国防に関する規定も憲法になんらないことはおよそ不自然なことではないでしょうか。
なお、憲法改正を行うことが具体的な防衛体制の拡充に直接影響を与えるとは考えておりません。
それは防衛3文書と言われる、国家安全保障戦略、防衛大綱、中規模などの政策と関連防衛予算により整備されるものです。

だからべつに9条改憲が、国防に具体的に寄与するわけではないことは認めている。

じゃあどうなるのかっていうと、
日本が攻撃を受けてなくても参戦し軍事裁判所などを設置できる余地をつくり、
戦争条項である緊急事態条項を、戦争で発動すれば大本営の設置みたいになり、すべてが戦争中心で命令されるようになるだろう。
徴兵の可能性が出てくることも考えられる。
緊急事態条項発動ならば、協力義務を国民に課すわけだからな。
こうなると無限定に人権制限となる。
(緊急事態に感染症も入れてくるそうだからな。ワクチンも強制されかねない。)

これが、日本の安全のためだというのだけど、
集団的自衛権で日本が攻撃されてなくても戦争につきあわされ、敵対勢力からうらみを買い、
敵基地攻撃能力をやっちゃうと、先制攻撃だといちゃもんをつけられ、
敵国条項で世界から攻撃され放題となり、大変危険になるだろう。

私たち自民党が提案している、国防規定と自衛隊を明記する憲法改正は、我が国の法体系の整合性を確保し、75年前に占領下で制定された憲法を独立国家として完成させようとするものであります。

整合性が確保されてこなかったわけが、よくわかるな。
おまえたちが危険すぎる革命勢力であることは、海外のあいつらはよく知ってるから。
だから戦争法(緊急事態条項)が却下され、9条と人権を入れたわけだ。
そのおかげでこれまで戦争につきあわされなくて済んだ。

この完成は国民主権の最大の発露である憲法改正国民投票によって実現するものであり、これまで一度も行っていない、日本国憲法の改正はなんとしても実現させなければならない。
本日は憲法9条改正の意義と必要性について、私の思う所を述べさせていただきました。この重要な論点については、ぜひとも各党のご見解を伺いたいと願っております。今後さらに議論を深めたいとも思っています。
審査会に先立つ幹事会において、来週の定例日の開催を提案いたしました。

提案しなくていいよ~
憲法制定権力者である国民に隠れてこっそり行われる憲法審査会。

具体的な討議内容については筆頭間協議を行い詰めてまいります。
ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

そして、このあと立憲民主党の答弁なんだけど、いつもより、切れ味がいまいちな気がした。
もしかして、新藤さん、開始直前に9条の話するって言ってきたの?
冒頭書いた通り、いつもと様子が違い、唐突なように感じたけど。
委員のみなさん準備不足だったのではないかと聞いていて思った。
国民民主党の玉木さんは、準備万端で臨んでいたようだけど。。。

なので、ここで協力な助っ人にご登場いただきたいと思います。
9条に自衛隊を書くと、日本はどうなるか。
よくご著書を引用させていただいている弁護士の先生です↓

伊藤 真 弁護士が語る① 「加憲」の危険性

まず危険性という点では、今ある日本国憲法の9条1項2項ですけども、これがまるで骨抜きにされて、空文のようになってしまうであろうということです。
どんな条文になるかまだ具体的には分からないですけども、
たぶん9条の2という形で今の9条そのままにしたうえで、
そのうえで、自衛隊を明記する条文を付け加えるということになるんだろうと思います。

たたき台はそうなっているもんね。

“我が国を防衛するため、必要最小限度の実力組織としての自衛隊を設けることを認める”とか、
“前条(9条)の条文は自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない”というような形で、9条のいわば例外として自衛隊を明記するという形になるはずなんですね。
そうすると、ひょっとしたら専守防衛の自衛隊、または災害救助でがんばってくれる自衛官のみなさんたちを応援する意味で自衛隊を憲法に明記するんだ、そう考える方がひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。ですがそれは、大きな間違いです。
どういうことかと言うと、残念ながら2015年に安保法制、戦争法ができてしまいました。それによって自衛隊は海外に出かけて行って、人を殺し、殺される、そういう組織になってしまった集団的自衛権という権限を行使できる、そういう組織になった。日本が攻撃を受けてないのに海外へ出かけて行って、簡単に言うと、戦える。そういう組織になってしまったんですね。
そのいわば海外に行って戦える自衛隊、それをそのまま今回は憲法の中に明記して、憲法上固定化して、これでいいんだ、正しいんだっていうことを、憲法にはっきり書きこむというわけなんですね。

こういう解釈を憲法で固定化してしまう。
新藤さんの言う、「憲法を独立国家として完成」させるとは、こういうことみたいだ。

百歩譲って専守防衛の安保法制ができる前の自衛隊を書きこむというのなら、これは自衛隊専守防衛ですよということが言えたのかもしれないが、
今の自衛隊はその平和安全法制、戦争法ができたあとの自衛隊ですから、集団的自衛権も行使する、そういう自衛隊を憲法に明記するということになります。
この安保法制によって米艦の護衛ですとか米艦に対して給油するとか、南スーダンに出かけていく、さまざまなことをやってしまっているんですが、それがさらに集団的自衛権の行使は、もっと危険な戦闘行動に後方支援という名のもとの武力行使、それに突き進んでいってしまう。
それが憲法上正当化されてしまうということなんですね。
とくに私が問題だと思うのは、自衛隊を憲法に明記するということは、憲法改正の手続きで、書かれるわけです。それは、国民投票で自衛隊が明記されることになるんですね。
日本で初めて、国民の直接の意思によって憲法に書きこまれた組織が自衛隊、ということになるんです。
これは、ものすごく強い、民主的な正当性を自衛隊という組織に与えることになってしまいます。
例えば警察も消防も海上保安庁も、これらは憲法には書いてありません。
初めて自衛隊という組織が憲法上の組織になるんですね。
しかも、国民の直接の意思によって書きこまれた組織だ、ということになりますから、すると、自衛隊が大手をふるって、さまざまな場面のところで前面に出てくる。
例えば、予算の獲得。
「憲法の自衛隊、防衛のため必要でしょ」軍事費、防衛費がどんどん膨らんでいくでしょう。その反面医療費等々、福祉関係はどんどんますます削減されていく。
その予算を軍事予算を広げていく正当化根拠に使われる。

今もコロナでこんなこと↓をされている。これを軍事費でもやられるだろう。


そしてそれ以外にも学問、研究、技術、さまざまな分野のところで「防衛を優先しなさい、軍事を優先しなさい、国防、憲法に書いてあるでしょ、防衛を優先しなさい」こう言われるようになる。
自衛官の募集などについてもこれは「憲法に書いてある自衛隊ですよということ。
もちろん教育の現場のところでも、「自衛隊のやってることをしっかり教えましょう。国防のための組織ですから」
すなわち、国防というものが、大手をふるって私たちの社会のなかに出てきて、人権をさまざまに制限する根拠に、憲法上の国防という概念が使われるようになります。

こういうことは、あまり誰も言っていない。
社会の雰囲気がまるっきり変わるだろう。
それくらい憲法に明記するということは、それだけ強いということだ。
だから大事であっても、正論であっても、あえて憲法には書かないこともあるわけだ。
書いちゃうと縛られる。
だから、道徳的なことなんて書くと思想統制のようなことになるから、ふつうは書かない。

その意味を考えると、憲法に自衛隊を明記することの意味が見えてくる。

昔の軍国主義の復活って感じの社会になるのだな。

今の私たちの憲法には、国防という言葉は憲法上ありません。
ですから、ある人の人権を制限するときに国防を理由に制限って、これ基本的にできないんですね。
ところが憲法の中に、国防のため「自衛隊」っていうのが明記されると、自衛隊が正当性を与えられるだけでなく、国防というものがとても強い正当性を与えられることになるのですから、国防を理由にさまざまな人権が制限されてくる
思想・良心の自由もそう、表現の自由もそう、信教の自由もそう、そして、学問の自由もそう。
ありとあらゆる人権が国防の名の下で制限。不当な制限がなわれていく、そういう危険性につながっていく最初の一歩ですから、これはとても、そういう意味では危険だと考えます

これ、伊藤さんは、具体的な条文の内容に踏み込むことなく、
ただ「自衛隊を明記」したらどうなるかだけを話してくださっているからな。
ただ「自衛隊」と憲法に書くだけでもこうなるだろうということだ。
てことは、条文次第ではもっとすごい社会になるってことだ。

憲法審査会にもどります↓
5:10~
次に奥野総一郎くん(立憲民主党):
いきなり冒頭9条の話が出てまいりました。

ほら、なんだか想定外だったような感じでおっしゃっている。不意をつかれたか?

(中略)
自民党案のように9条1項2項を残したうえで、9条の2をさらに設けることで、ふたたび自衛隊がなにをする組織なのか、もうちょっと言うと、フルスペックの集団的自衛権を行使できるのかどうか、こういう議論が再燃します。

そうそう。

憲法13条との関係でフルスペックの集団的自衛権というのは認められない。問題があるというふうに私は思います。

現行憲法
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 

憲法9条の下で許容される自衛権の発動については、憲法13条で保障されている生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の保護のため
①我が国に対する急迫不正の侵害が存在すること、
②これを排除するため他に適当な手段がないこと、
③自衛権行使の方法が必要最小限度の実力行使にとどまること、
という3要件に該当する場合に限定されていた。
本閣議決定(2014年7月1日集団的自衛権の行使が憲法上容認されるという閣議決定  )は、他国への武力攻撃であっても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合には、武力行使が可能であるとして、従来の政府解釈を拡張したが、他国への武力攻撃によって「国民の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が危殆化され、武力行使による防衛が必要となる場合は想定し難く、政府も十分な論証をしていない。したがって、本閣議決定は、集団的自衛権の行使を正当化できておらず、憲法解釈の範囲を逸脱し違憲であり、本閣議決定を基礎に制定された本法制も違憲である。

そもそも現行憲法下で自衛権が認められたのは13条があるからだったんだね。
集団的自衛権行使のときは13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」とは関係ないから認められないということのようだ。
だって日本が攻撃されてなくても、戦うわけだからね。そりゃそうだね。

(中略)
憲法改正賛成ですかと聞くと、漠然と賛成と言う方は多いんですが、それをじゃあ最優先の課題かと聞くと、順位がぐっと下がってくるわけですよ。

おばさんはね、漠然と賛成して、あとで後悔しないかい?とみなさんに問いたい。
それだけだ。
みんなが変えたくて、民主主義で決まったなら受け入れます。
でもみんながだまされて決まっちゃうのは嫌なんだ。

その二へ続く。