ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

「韓流ブーム」

2007年09月07日 | ニュース・現実評論

先の記事「瀬島龍三氏の死、古い人、新しい人」を投稿しましたところ、ある方から(女性だと思います)次のようなコメントをいただきました。

引用


はじめまして
記事を読ませていただきました。
なるほど、戦前の日本だからこその人間形成があるんですね。

昭和50年ごろだったと思います
映画監督たちの対談で戦争映画の俳優選びで悩んでいました。
「日本は豊かになり俳優たちは、きらきらと明るく満ちたりと瞳の者ばかりだ、食いつようなハングリーな顔つきの俳優がいなくなって、兵士役がいなくなった。」

そうですよねえ~~
昔の戦争映画、兵士が女性の順番をずら~~~っと
並んで、はやく!といいながら並んでいる映画。
あの頃の戦争映画はみんな痩せて飢えた俳優さんがいました

・・・・・・ YM
 >

このコメントを読んだとき、すぐに、少し昔に『冬のソナタ』などのテレビドラマでブレイクした「韓流ブーム」の社会的な背景について少し思い当たる点のあることを連想しました。

それは、現代の日本女性の多くが潜在的に不満不信の感情をもっているらしいことです。これだけ社会は豊かになっても必ずしも多くの女性は幸福感を持って生きているようでもないらしいことです。そして、その背景に彼女たちの父や兄などの日本の男性観に対する潜在的で根源的な不信感があるようにも思いました。それで、私は彼女に次のようなコメントを返すとともに、「韓流ブーム」にある日本の社会的な背景の問題をさらに考えてみたものです。

引用

YMさん、はじめまして
コメントありがとうございました。

そうですね。そうして、戦後の日本人は、私たちの父であり兄であり弟でもあった戦前の日本人の醜い面ばかり教えられて育ってきたのですね。彼らにそうした面がなかったとは言いません。

それは日本人だけではなく、満州で私たちの母や姉が体験したように、ロシア兵も中国兵も極限状態におかれた弱い男の多くが同じように犯す過ちです。

気の毒な日本人兵士の「汚点」ばかりをあげつらうのは、きっと戦後の日本人女性の思いやりの深さなのでしょうね。
 
・・・・・・ SR

「韓流ブーム」が示すもの

まだこの流行がどれほどのものかよくわかりません。一時期ほどの勢いはなくなったかも知れませんが、それでも今も、GOOブログなどでは韓流スターという項目があるし、そうしたサイトなどへのアクセス数などから言っても、このブームの根はまだなくなってはいないのではないでしょうか。

ブームというのは熱病のようなものです。もともと何かを信じることなくしては人間は生きることのできない動物ですが、とくに女性についてそれが言えると思います。時には熱病のように信じるものを求めます。しかし、海外のイスラム教国やキリスト教国のように、これといった特別の社会的な伝統的な信仰文化というものを持たない現代日本の多くの女性たちは、そうした信仰の代用として、ブランド品やアイドルや「韓流スター」を追い回すか、あるいは、怪しげな新興宗教に夢中になるか、セックスの一時の快楽におぼれるなどして、その満たされない渇きを癒そうとするのかもしれません。

こうした現象にも、現代の日本社会のさまざまな問題点が浮き彫りにされているように思います。そこにはやはり事実として、その背景に現代の日本の男性の多くに魅力がなく、そのために日本女性の多くを満足させることができないでいるという現実があるのでしょう。

とすれば、それではなぜ日本の男たちは女性たちに魅力がないのでしょうか。先の記事で由美さんという方からコメントをいただいたとき、この問題についてふと思い当たるところのあるような気がしました。それは、先の太平洋戦争で日本が未曾有の敗北を喫して以来、その戦後にかっての日本の軍隊、軍人が徹底的に貶められたということがあったということです。もちろん、あれほど尊大で傲慢になって肩で風を切って歩いて偉ぶっていた者も多かったかっての日本軍人が、敗戦をきっかけに国民からすっかり信用を失ったのにも実際に無理もない一面もあると思います。

それに、とくに敗戦後は、社会主義や共産主義が大きく勢力を伸ばした時代であったし、そうした立場に立つ人々は、かっての日本軍や日本軍人を、そして、靖国神社などを「軍国主義」の象徴として、眼の敵にしてきたともいえます。そして、一方で日本の軍人たちは日本の男たちの象徴でもあったから、軍人と日本の男がさげすみの対象として二重に映ったとしても仕方がなかったともいえます。

それは、日本をアメリカにとって二度と敵対できない国家にするというマッカーサーの占領政策とも一致しましたから、あらゆる手段、あらゆる機会を利用して、戦前の日本軍と日本軍人に対して、その信用を失墜し、軽蔑の対象とするような政策がとられました。それにまた、旧日本軍のなかに実際ににそのように扱われてもしかたのない一面もありましたから、そうして、日本においては完全に軍人や軍隊は信用を失墜させられていったのだと思います。それに応じて日本の男もその価値と魅力を失っていったといえます。

先にコメントを寄せてくださった由美さんなども、そうした教育を受けた戦後世代の典型の女性のように思います。軍人といえば「売春宿」の前で眼の色変えて列をなす男たちというイメージです。そうして、そんな我が夫の、また父であり兄であり弟の姿を、潜在意識の中に育てていった多くの日本の女性にとって、日本人男性は不信と軽蔑の対象になっていったのだと思います。

しかしそれは、何も現代の太平洋戦争だけではないと思います。戦国時代の武士たちにしても、フビライハンに征服された十二世紀のロシアの男たちにしても、すべて戦争に敗れた男たちは妻子をまともに守ることができませんでした。だから、敗残兵の男たちには妻や娘たちから見離されてもやむを得ない面があります。戦後しばらくの間は、生活のためもあって、多くの日本人女性たちが国際結婚によって海外に渡っていったこともあります。もちろん、大和撫子としての矜持を守った日本女性も多くいたことは言うまでもありません。

そしてまた、戦後の日本は「平和憲法」を後生大事に戴くことによって、戦争のできない国になりました。戦争に懲りた多くの国民がそれを歓迎したことも事実です。その結果、一方では、たとえば北朝鮮に同胞が拉致されても、日本の男たちは、政治家たち、軍人たちも、長い間、見て見ぬふりをし傍観を決め込むしかなかった。それに気づいていた日本の女性は、口に出して言うかどうかはとにかく、そんな男たちの姿にも愛想も尽かしたでしょう。日本の男たちは、自国の防備でさえアメリカの青年たちに任せっぱなしで、それで自分たちは何をしているのかというと、ただひたすら商売に眼の色変えて忙しく、あるいは怪しげな海外ツアー、エロ、グルメなどの生活で娯楽と享楽三昧です。

そんな日本の男たちと比べて、韓国の俳優たちは、みんな兵役の義務を果たして、そこで国家の中に生きるということに気づかされ、そして凛とした一人前の男として鍛えられて帰ってくるのですから、日本の女性たちが、韓国人スターに血道をあげるようになるのも無理はないでしょう。

実際こうした問題も深刻だと思いますが、さらに「韓流ブーム」にはもう一つの問題も、示されていると思います。それは、テレビや新聞などの日本のマスメディア文化の問題です。

それは、はっきりいって、NHKをも含む日本のテレビ局、プロデューサーが、まともなドラマ制作能力をまったく失って、視聴者の要求にこたえられなくなっているという事実です。どうしてそうなったのか、その理由はいろいろあると思いますが、もっとも大きな理由は、NHKと民放各局とともに、現行の電波法の上にあぐらかいて独占的で無競争の刺激のないインセンシティブな体質になってしまったためだろうと思います。かっての国鉄も、郵便局も、電電公社もすべて、ある業界を既成の企業・利益団体だけが独占して、そこに競争の原理が働かなくなると、その業界は腐敗し堕落し、顧客に対するサービスなど、どこ吹く風というようになります。かっての社会主義国のように、まともな仕事をしなくなります。


今、NHK、民放ともどもテレビ局は、仕事を下請けに丸投げして利ざやを搾取して生きています。彼らには、力のある脚本家を育てて、面白いドラマつくりに取り組もうという意欲もなければ、優れた面白い娯楽と芸術が両立するような質の高いテレビ・ドラマの製作に励もうという意欲も能力も、つめの先ほどもありません。

それが気の毒な日本女性をして、韓国製のテレビドラマに向かわしめていることになっています。彼女たちには、日本のテレビ局に、面白く楽しいドラマを見せるように要求することもできないのです。ですから、最近の「韓流ブーム」は、テレビ局と日本の男たちとに対する事実上の批判でもあります。女性たちにはそうした形でしか、自分たちの批判を表すことができないからです。

今日のようなテレビ文化の社会では、テレビ局の公共的な使命はとても重要です。ひところベストセラーになった、藤原正彦氏の『国家の品格』なども、テレビ・マスコミの「下品格」の反動として出てきたと考えてもよいものです。そして、残念ながら今なお、このテレビ局の改革はまったく手付かずのままで、そのために、女性のみならず男性も、ほんとうに面白い「日流ドラマ」を見ることもできません。

戦後六十余年たった最近になってようやく、「男たちの大和」や「硫黄島からの手紙」や「出口のない海」などのいくつかの映画で、かっての日本軍人たちのよい面、男らしい一面も少しずつ描かれ始めてはきていますが、それでもなお、兵役の義務も果たさず、実際に、自分の国も女性も子供たちも守ることのできない、お金とエロだけが生きがいのような多くの日本の男たちに、女性たちは何の魅力も見出せないようです。そして、やはり男らしい「韓流」になびいて行くのだろうと思います。


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