■■■ 第二章 臣民権利義務 ■■■
第二章 臣民権利義務
第二章は第一章に続き臣民の権利及び義務を掲げる。蓋し、祖宗の政治は、もっぱら臣民を愛重して、名づけて大宝(おおみたから)の称号をもってした。非常の赦しの時に検非違使を使わして、囚徒を抑える言葉に、公御財(おおみたから)となし御調物(みつぎもの)を備え進と云った。[江家次第]歴世の天子の即位の日には、皇親以下天下の人民を集めて、大詔を述べられ、その言葉に集まり侍る皇子等、王、臣、百官の人等、天下公民、諸々聞きなさいと詔され、史臣が用いる公民の字は即ち「オホミタカラ」の名称を訳した。その臣民にあって、自ら称えて御民と云う。天平六年に海犬養宿禰岡麻呂が詔に答えた歌に ミタミワレ、イケル、シルシ、アリ、アメツチノ、サカユルトキニ、アヘラク、オモヘハト 詠んだのはこれである。蓋し、上にあっては愛重の意を邦国の宝をもって表し、下にあっては大君に服従し自ずと顕れて幸福の臣民とする。これはわが国の典故旧俗に存在し、本章に掲げる臣民の権利義務もこれを源流とするのに他ならない。よくよく中古、武門の政治は武士と平民との間に等族を分かち、甲者(武士)を公権の専有者として、乙者(平民)の預からない事としたのみならず、その私権をあわせて乙者が享有(生まれながらに持っていること)する事が全く出来なかった。公民の義は、これに依って減絶して、伸びる事はなかった。維新の後に、数々の大令を出し、氏族の特異な権利を廃止し、日本臣民である者が始めて平等にその権利を持ち、その義務を盡くすことを得られた。本章に掲載するところは、実に中興の美果を倍殖して、これを永久に保ち明らかにするものである。
◆◆◆ 第十八条 ◆◆◆
第十八条 日本臣民たるの要件は法律の定むる所に依る(日本臣民であるための条件は法律の定めるところによる)
日本臣民とは、外国臣民とこれを区別するための言葉である。日本臣民であるものは、各々法律上の公権及び私権を享有している。この臣民である条件は、法律で定める必要があある。日本臣民であるには、二種類あり、第一は出生によるもの。第二は帰化又はその他法律の効力によるものである。
国民の身分は、別の法律で定める所による。但し、私権の完全な享有と、公権はもっぱら国民の身分に随伴するので、特に別の法律で定める旨を憲法に掲げる事を怠らない。故に別の法律に掲げる所は、即ち憲法の指令するところであり、また憲法における臣民権利義務の係属するところである。
選挙、被選の権、任官の権の類を公権とする。公権は憲法又は其の他の法律でこれを認定し、もっぱら本国人の享有するもので、外国人に許さないのは各国の普通の公法である。私権に至っては、内外の間に懸絶の区別をしたのは、既に歴史上の往時に属し、今日では一・二の例外を除く外は、各国でも大抵、外国人を本国人と同ようにこれを享受出来るようにする傾向がある。
◆◆◆ 第十九条 ◆◆◆
第十九条 日本臣民は法律命令の定むる所の資格に応じ均しく文武官に任ぜられ及び其の他の公務に就くことを得(日本臣民は法律命令の定める資格に応じて均しく文武官に任命され、及びその他の公務に就くことが出来る)
文武官に登用任命し、その他の公務に就くのは、門閥(出身)に拘わらず、これを維新改革の美果の一つとする。往昔は門地で品流を差別され、時には官が家に属し、族によって職を世襲し、賎類の出身者は才能があっても顕要の職に登用されることが出来なかった。維新の後、陋習を一掃して、門閥の弊害を除き、爵位の等級は一つも官に就く事の平等性を妨げる事はない。これは、憲法で本条が保ち明らかにするところである。但し、法律命令で定める相当の資格、即ち年齢、納税及び試験での能力の諸般の資格は、官職及び公務に就くための条件であるのみ。
日本臣民は、均しく文武官に任命され、その他の公務に就く事が出来るというときは、特別の規定がある場合を除き、外国臣民にこの権利を及ぼさないことを知るべきである。
◆◆◆ 第二十条 ◆◆◆
第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す(日本臣民は法律の定めに従って、兵役に就く義務がある)
日本臣民は日本帝国成立の分子であり、共に国の生存独立及び光栄を守る者である。上古以来わが臣民は、事ある時に自分の体や家族などの私事を犠牲にして、本国を防御することを以て丈夫の事とし、忠義の精神は栄誉の勧請と共に人々の祖先以来の遺伝に発し、心肝に浸透して、一般の気風を結成した。聖武天皇の詔に言うには大伴佐伯の宿禰は、常に言っているように、天皇の朝廷を守り仕える事に自己を顧みない人たちであり、汝等の祖先が言い伝えてきたことのように『海行かば水積く屍、山行かば草生す屍、王の辺にこそ死なめ、のどには死なじ(海に戦えば水につかる屍、山に戦えば草が生える屍になろうとも王のお側近くで死のう、それ以外ののどかな死に方はしない)』と言い伝えている人たちだと聞いている」と。この歌は、即ち武臣の相伝えて以て忠武を教育することの成せる事である。大宝以来軍団を設け、海内の壮丁で兵役に堪えうる者を募る。持統天皇の時に国毎に正丁の四分の一を取っ他事は、即ち徴兵の制度がこの事により始まったことを示している。武門執権の時代に至って、兵と農の職を分離し、兵武の事を以て一種族の事業とし、旧制が久しく失われていたが、維新の後、明治四年に武士の常職を解き、五年には古制に基づいて徴兵の例を領行して、二十歳に達した全国男子は陸軍海軍の兵役に当たらせて、平時の毎年の徴員は常備軍の編成に従って、それ以外に十七歳より四十歳までの人員は、悉く国民軍として戦時に当たって臨時召集する制度とした。これは、徴兵法が現在行われている所である。本条は、法律の定める所によって、全国臣民を兵役に服する義務を執らせ、類族門葉に拘らず一般にその士気身体を併せて平生に教育させ、一国の勇武の気風を保持して、将来失墜させないようにすることを期するのである。
◆◆◆ 第二十一条 ◆◆◆
第二十一条 日本臣民は法律の定める所に従い納税の義務を有す(日本臣民は、法律の定める所により、納税の義務がある。)
納税は、一国が共同して生存するための必要に供応する者であり、兵役と均しく臣民の国家に対する義務の一つである。
租税は古言に「ちから」と云い、民力を輸送するという意味であり、税を科するのは「おふす」と云い、各人に負わせるという意味である。祖宗は、既に統治の決意をもって国に臨まれ、国庫の費用はこれを全国の正供にとる。租税の法律の由来は、久しく孝徳天皇が祖・庸・調の制度を行い、維新の後に租税の改正を行う。これを税法の二大変革とする、その詳細は書籍に備わっているので、詳らかにこれを注釈することはしない。蓋し、租税は臣民が国家の公費を分担する物であり、徴求に供応する献饋の類ではない。また承諾に起因する徳澤の報酬でもない。
附記:フランスの学者は、その偏理の見方で租税の意味を論じている。千七百八十九年にミラボー氏がフランスの国民に向って国費を募る公文に言うには「租税は、受けた利益に報いる代価である。公共の安寧の保護を得るための前払いである」と。エミル・ド・ヂラルヂン氏は、説を発表して言うには「租税は権利の享受、利益の保護を得る目的のために国と名づけた一会社の社員より納める保険料である。」と。これは全て民約主義に淵源し、納税で政府の職務と人民の義務とを相互交換する物とするものであり、その説は巧みであると言っても、実に千里の誤りであることを免れない。蓋し租税は、一国の公費であり一国の分子である者は均しくその共同義務を負うべきである。故に臣民は独り現在の政府のために納税するべき物ならず、前世、過去の負債のためにも納税しなければならない。独り得た利益のために供給すべきだけでなく、その利益を享受しなくてもこれを供給しなければならない。よくよく経費は所及ばず倹省してほしいと思い、租税は所及ばず薄くあって欲しいと思う。これはもとより政府の本務であり、そして議会が財政を監督し、租税を議定するに於いて立件の要義もまたこれに他ならない。しかるに、もし租税の義務を以てこれを上下相酬の市道であるとし、納税の諾否はもっぱら受ける利益と乗除相関る者とするなら、人々は自らその胸の臆に断定して、年祖を拒む事が出来てしまう。そうなれば、国家の成立が危殆にならないようにと思っても、危殆に瀕してしまう。近頃の論者は、既に前節の非を弁論して余蘊なからしめ、そして租税の定義は僅かに帰着するところを得た。今、その一・二を上げると、「租税は国家を保持するために設けるものである。政府の職務に報いる代価ではない。なぜならば政府と国民との間には、契約が存在しないからである」(フランス、フォスタン・エリー氏)「国家は租税を賦課する権限がある。そして、臣民はこれを納める義務がある。租税の法律上の理由は、臣民の純然たる義務にあり、国家の本分とその目的とに欠くべからざる費用があるのに従って、国の分子である臣民はこれを供納しなければならない。国民は無形の一体として、国家である自個の職分のために資需を供すべく、そして各人は従ってこれを納めなければならない。なぜならば、各人は国民の一個の分子であるからである。彼の国民及び各個の臣民は、国家の外に立、その財産の保護を受けるための報酬であるとして、租税の意味を解釈するのは、極めて不提である誤説である」(ドイツ、スタール氏)ここに記載して、参考に当てる。
◆◆◆ 第二十二条 ◆◆◆
第二十二条 日本臣民は法律の範囲内に於いて居住及び移転の自由を有す(日本臣民は、法律の範囲内で居住と転居の自由がある)
本条は居住及び移転の自由を保明する。封建時代は藩の国境を画り、各々関柵を設けて人民が互いに其の本籍の外に居住することを許さなかった。並びに許可無く旅行及び移転をする事が出来ず、その自然の運動及び営業を束縛して、植物と同ようにさせた。維新の後、廃藩の挙と共に居住及び移転の自由を認め、凡そ日本臣民であるものは、帝国国内において何れの地を問わず、定住したり借住して寄留したり及び営業する自由を改めた。そして憲法に其の自由を制限するためには、必ず法律によって行い、行政処分の外に存在することを掲げたのは、これを貴重する意思を明らかにするためである。
以下、各条は、臣民各個の自由及び財産の安全を保明する。蓋し、法律上の自由は臣民の権利であり、その生活及び知識の発達の本源である。自由の民は文明の良民として、国家の昌栄を翼賛する事が出来るものである。故に立憲国家は皆、臣民各個の自由及び財産の安全を貴重な権利として、これを確保しない事は無い。但し、自由は秩序ある社会の下に生息するものである。法律は各個人の自由を保護し、また国憲の必要より生じる制限に対して、其の範囲を分割し、両社の間に適当な調和をなすものである。そして、各個臣民は法律の許す範囲において其の自由を享受し、綽然として余裕があることを得られるべきである。これは憲法に確保する法律上の自由なるものである。
◆◆◆ 第二十三条 ◆◆◆
第二十三条 日本臣民は法律に依るに非ずして逮捕監禁審問処罰をうくることなし(日本臣民は法律によることなく、逮捕監禁審問処罰を受けることはない)
本条は人身の自由を保明する。逮捕監禁審問は、法律に書かれている場合に限り、かかれている規定に従って、是を行う事が出来る。そしてまた、法律の正条によることなく何らの所為に対しても処罰する事は出来ない。必ず、此ようにして、其の後に人身の自由は、始めて安全であることを得られるべきである。蓋し、人身の自由は、警察及び治罪の処分と密接な関係を有し、其の間には分毫の余地もない。一方においては、治安を保持し罪悪を防御し及び検探糾治するのに必要な処分が素早く強力であることに拘らない。他の一方においては、各人の自由を尊重して、其の限界を峻厳して威権が蹂躙しないようにするのは、立憲制度においては、もっとも至重な要件とするところである。故に警察及び司獄官吏は法律に依らないで人を逮捕し、または監禁し、または苛酷な所為を施した者には、其の罰を私人より重くさせ[刑法第二百七十八条・第二百七十九条・第二百八十条]、そして審問の方法に至っては、またこれを警察官に委ねず、必ずこれを司法官に訴えさせ、弁護及び公開を行い、司法官または警察官が被告人に対して罪状を供述させるために凌虐を加えるものには重さを加えて処断する[刑法二百八十二条]。凡そ処罰の法律の正条に依らなければ、裁判の効力は無い物とする[治罪法第四百十条、刑法第二条]。これは全て努めて周囲緻密の意を致して臣民を保護し、そして拷問及びその他中古の断獄は歴史上の既往の事績として、復元、時には再生することを出来なくする。本条は更にこれを確保し、人身の自由を安固の途轍に入らせた。
◆◆◆ 第二十四条 ◆◆◆
第二十四条 日本臣民は法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権を奪はるることなし(日本臣民は、法律に定められた裁判官の裁判を受ける権利を奪われる事は無い)
本条はまた、各人の権利を保護するための要件である。法律により構成・設置された裁判官は、威権の権勢を受けず、両造の間に衡平を維持し、臣民はその孤弱貧賎に拘わらず勢家権門と曲直を訴廷に争い、検断の官吏に対して情状を弁護することを得られる。故に憲法は法律に定めた正当な裁判官以外に特に臨時の裁判所または委員を設けて、裁判の権限を侵犯し各人のために其の権利を奪うことを許さない。そして各人は独立の裁判所に倚頼して、司直の父とする事を得る。
◆◆◆ 第二十五条 ◆◆◆
第二十五条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外其の許諾無くして住所に侵入せられ及び捜索せらるること無し(日本臣民は法律に定めた場合を除き、その許諾無しに住居に侵入されたり、捜索されたりする事は無い。)
本条は、住居の安全を保明する。蓋し、家宅は臣民各個の安静の地である。故に私人は、家主の承諾無く他人の住居に侵入する事が出来ないのみならず、警察司法及び収税の官吏、民事または刑事または矯正の処分を問わず、凡そ法律に指定した場合以外及び法律の規定に依らずに臣民の家宅に侵入し、または捜査することが有れば全て憲法の見地から不法の所為と看做すところであり、刑法により論じられることを免れるべきではない。[刑法第百七十一条、刑法第百七十二条]
◆◆◆ 第二十六条 ◆◆◆
第二十六条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外親書の秘密を侵さるることなし(日本臣民は法律で定められた場合以外は、親書の秘密をおかされる事は無い)
親書の秘密は、近世文明の惠賜の一つである。本条は刑事事件の捜査または戦時及び事変及びその他の法律の正条で指定された必要性の有る場合の他は、信書を開封しまたは破棄して、その秘密を侵す事を許さないことを保明する。
◆◆◆ 第二十七条 ◆◆◆
第二十七条 日本臣民はその所有権を侵さるることなし(日本臣民は、所有権を侵される事は無い)
公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る(公益の為に必要な処分は法律で定めた所による)
本条は所有権の安全を保明する。所有権は国家の公権の下に存率する物である。故に、所有権は国権に服属し、法律の制限を受けなければならない。所有権はもとより不可侵の権利であるが、無限の権利ではない。故に、城壁の周囲線から一定の距離において建築を禁止するのは、賠償を必要としない。鉱物は鉱法の管理に属し、山林は山林経済の標準により規定した条則に依らしめ、鉄道線より一定の距離において、樹木を植えることを禁止し、墓域より一定の距離においては、井戸を掘ることを禁止するような類は、全て所有権に制限があることの証徴であり、そして、各個人の所有は、各個人の身体と同じく国権に対して、服属する義務を負うものであることを認知するのに足ものである。蓋し、所有権は私法上の権利であり、全国統治の最高権のもっぱら公法に属するものと抵触するところはない。[欧州においてオランダの「グロシュス」氏は、その万国公法において、「君主はその国土に最高所有権を有する」説を称えた。近頃の国法学者は、その意を取り、そして国土の主権の意味を以て最高所有権の名に変えた。]。
上古で臣民は私地を献じ、罪があって領地を官に没収され、私地の売買を索める事は史籍に見える。孝徳天皇大化二年、処々の屯倉及び田荘を廃止して兼併の害を除き、そして隋唐の制度に倣い、班田の制度を行ったが、その後、所領荘園の弊害がしきりに行われて、封建の勢を成し、徳川氏の時に至って、農民は概ね領主の小作農であるに過ぎなくなった。維新の初、元年十二月に大令を発して、村々の地面は全て百姓の持地であるべきことを定めた。四年に各藩籍を奉還して、私領の遺物の跡をを始めて絶った。五年二月に地所の永代売買の禁止を解き、又地券を発行し、六年三月には地所名称の通達を発し、公有地・私有地の名称を設け、七年には私有地を改めて民有地とし、八年に地兼に所有者の名称を記載した。[地兼の雛形に「日本帝国の土地を所有する者は、必ずこの券状を有するべし」]。これは全て欧州にあって、或いは兵制改革を用いて領主の専権を廃棄したり、或いは莫大な金額を用いて小作農のために権利を償却した者であり、そして、わが国においては、各藩の推譲によって容易に一般の統治に帰し、以てこれを小民に惠賜することを得た。これは実に史籍にあって、以来各国にその例を見ないところであり、中興新政の紀念たるものである。
公共の利益のために必要なときは、各個の人民の意思に反して、その私産を収用し需要に応じさせる。これは即ち、全国統治の最高主権を根拠にするものであり、そして、その条則の制定は、これを法律に属させた。蓋し、公益収用処分の要件は、その私産に対して相当の補償をすることにある。そして、必ず法律を制定することを必要とし、命令の範囲外であるのは、憲法が証明する所である。
◆◆◆ 第二十八条 ◆◆◆
第二十八条 日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す。(日本臣民は、安寧秩序を乱さず、臣民の義務に背かない限り、信教の自由が有る)
中古に西欧で宗教に勢いがあった。これを内外の政事に混用して、流血の禍を発生させた。そして東方諸国は、また厳法峻刑をもって、これを防禁させようと試みたが、四百年来、信教の自由の説が始めて萌芽を発し、フランスの革命、北米の独立に至り、公然の宣告を得て、漸次各国がこれを認める所となり、現在各国政府は、或いはその国教を有し、或いは社会の組織又は教育において、仍一派の宗教に偏祖することに拘らず、法律上は一般に各人に対して信教の自由を与えている。そして、異宗の人を戮辱し、或いは公権私権の享受に向けて差別を設ける陋習は、既に史乗の過去の事として[ドイツの各邦に於いては1848年までしきりにユダヤ教に向けて政権を与えなかった]、またその跡を留めないまでになった。これは、信教の自由はこれを近世文明の一大美果として見ることができ、そして人類のもっとも至貴至重である本心の自由と、正理の伸長は数百年間の沈淪茫昧の境界を経過して、すべてに光輝を発揚する今日に達した。蓋し、本心の自由は人の内部に存在する者であり、もとより国法の干渉する区域の外にあり、そして国教をもって偏信を強いるのは、もっとも人知自然の発達と学術競進の運歩の障害になるものであり、何れの国も政治上の威権を用いて、教門無形の信依を制壓しようとする権利と機能とを持ち得ない。本条は実に維新以来取る進路に従い、各人無形の権利に向けて濶大な進路を与えた。
但し、信仰帰依は専ら内部の心識に属すと言っても、更に外部に向って礼拝・儀式・布教・演説及び結社・集会を行うに至っては、もとより法律又は警察上、安寧秩序を維持するための一般の制限を尊ばなければならない。そして、何れの宗教も神明に奉事するために法憲の外に立って国家に対する臣民の義務を逃れる権利を持たない。故に内部における信教の自由は、完全であり一つの制限も受けない。そして外部における礼拝・布教の自由は法律・規則によって必要な制限を受け、及び臣民一般の義務に服従しなければならない。これは憲法の裁定するところであり、政教が相互に関係する界域である。
◆◆◆ 第二十九条 ◆◆◆
第二十九条 日本臣民は法律の範囲内に於いて言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有す。(日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会及び結社の自由がある)
言論・著作・印行・集会・結社は、全て政治及び社会の上に勢力を行う物であり、そして立憲国家は、それを利用して罪悪を行い又は治安を妨害する者を除く外は、全てその自由を与えて思想の交通を発達させ、かつ人文の進化のために有益な資料としない事はない。但し、他の一方においては、これらの所為は容易に乱用すべき鋭利な器械である故に、これに由って他人の栄誉・権利を障害し、治安を妨げ、罪悪を教唆するに至っては、法律によりこれを処罰し、又は法律を以て委任する警察処分により、これを防制する事が出来るのは、これまた公共の秩序を保持する必要からである。但し、この制限は必ず法律により、そして命令の区域外にある。
◆◆◆ 第三十条 ◆◆◆
第三十条 日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規定に従い請願を為すことを得(日本臣民は敬意と礼節を守り、別に定めた規定に従って、請願を行う事が出来る)
請願の権利は、至尊仁愛の至意により、言路を開き民情を通ずる所以である。孝徳天皇の時代に鐘を懸けて櫃を設け、諫言憂訴の道を開かれた。中古以後の歴代の天皇は朝殿に於いて百姓の申文を読ませ、大臣・納言の補佐により親しくこれを聴断された。[嵯峨天皇以後はこの事は廃れた。愚管抄]これを史乗で考えると古昔の君主は、全て言路を洞通して冤屈を伸ばし解くことに勤めない事はなかった。蓋し、議会が未だ設けられず、裁判聴訴の法が未だととのはない時に当たって、民言を要納して民情を疎通することは、独り君主の仁慈の威徳であるのみならず、また政事上の衆思を集め鴻益を広める必要から出るものである。今は、諸般の機関が既に整備され、公議の府もまた一定のところあり、そしてなお臣民の請願の権利が存在し、匹夫・匹婦の疾苦の訴えと、父老の献芹の微衷とで九重の上に洞達し、阻障しないようにする。これは憲法が民権を貴重して民生を愛護し、一つの遺漏なきことが終局の目的とすることによる。そして、政事上の徳義はここに至って至厚であるということが出来る。
但し、請願者は正当な敬意と礼節を守るべく、憲法上の権利を乱用して至尊を干涜し、又は他人の隠私を摘発して、徒に讒誣を助長するような事は、徳義上のもっとも戒慎すべきところであり、そして法律・命令または議院規則により規定を設けるのは、このような事をさせないためである。
請願の権利は、君主に進める事に始まり、そして推し広げて議院及び官衙に呈出するのにおよぶ。その各個人の利益に係ると、また公益に係るとを問わず、法律上の彼我の間に制限を設けない。
◆◆◆ 第三十一条 ◆◆◆
第三十一条 本章に掲げたる条規は戦時又は国家事変の場合に於いて天皇大権の施行を妨ぐることなし(本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において天皇大権の施行を妨げるものではない)
本章に掲げた所の条規は、憲法において臣民の権利を保明するものである。蓋し、立憲主義は独り臣民のみが法律に服従するわけではなく、また、臣民の上に勢力を有する国権の運用を法律の検束を受けさせることにある、ただそれゆえに臣民はその権利・財産の安全を享有して、専横不法の疑懼を免れることができる。これを本章の大義とする。但し、憲法は、なお非常の変局のために非常の例外を掲げる事を怠らない。蓋し、国家の最大の目的は、その存立を保持する事にあり、練熟な船長は覆没を避け、船客の生命を救うために必要なときは、その積荷を海中に投棄させる。良将は全軍の敗北を避けるために、やむを得ざる時機に当たって、その一部曲を棄てる事ができる。国権は危難の時機に際して、国家及び国民を救済して、その存立を保全するために唯一必要な方法があると認められるときは、断じて法律及び臣民の権利の一部をぎせいにして、その最大の目的を達しなければならない。これは、即ち元首の権利であるのみならず、また、その最大の義務である。国家にもし、この非常権がないならば国権は非常時に際して、その職を全うする根拠がない事になる。
各国の憲法に或いはこの事を明示し、或いは明示しないに拘わらず、その実際において存立を保全する国権の権力を認許している。なんとなれば、各国全て皆、戦時のために必要な処分を施行するのは、疑う事の出来ない事実であるからである。但し、常変の際、間髪を入れることはできない。その必要でない時に徒に非常権に推托して、臣民の権利を蹂躙するような事は、各国の憲法が決して許さないことである。蓋し、正条に非常権を掲げ、及びその要件を示すのは、非常の時機のために憲法上に空缺を残すことをしないためである。ある国においてこれを不言に付すのは、臨機の処分を憲法の区域外に置き、議院の判決に任せ、その違法の責任を解こうとすることである。そして、近世の酷方角を論ずる者甲の方法のもっとも完全な事を賛称する。
◆◆◆ 第三十二条 ◆◆◆
第三十二条 本章に掲げたる条規は陸海軍の法令又は紀律に抵触せざるものに限り軍人に準行す。(本章に掲げた条規で、陸海軍の法令又は紀律に抵触しない物に限って、軍人にもこの章に准じて行う)
軍人は軍旗の下にあって、軍法軍令を恪守し、専ら服従を第一の義務とする。故に本章に掲げた権利の条規で、軍法軍令と相抵触する物は、軍人に通行しない。即ち現役軍人は集会・結社を行って軍制又は政事を論じる事は出来ない。政事上の言論・著述・印行及び請願の自由を有しないのも同じである。
出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm
第二章 臣民権利義務
第二章は第一章に続き臣民の権利及び義務を掲げる。蓋し、祖宗の政治は、もっぱら臣民を愛重して、名づけて大宝(おおみたから)の称号をもってした。非常の赦しの時に検非違使を使わして、囚徒を抑える言葉に、公御財(おおみたから)となし御調物(みつぎもの)を備え進と云った。[江家次第]歴世の天子の即位の日には、皇親以下天下の人民を集めて、大詔を述べられ、その言葉に集まり侍る皇子等、王、臣、百官の人等、天下公民、諸々聞きなさいと詔され、史臣が用いる公民の字は即ち「オホミタカラ」の名称を訳した。その臣民にあって、自ら称えて御民と云う。天平六年に海犬養宿禰岡麻呂が詔に答えた歌に ミタミワレ、イケル、シルシ、アリ、アメツチノ、サカユルトキニ、アヘラク、オモヘハト 詠んだのはこれである。蓋し、上にあっては愛重の意を邦国の宝をもって表し、下にあっては大君に服従し自ずと顕れて幸福の臣民とする。これはわが国の典故旧俗に存在し、本章に掲げる臣民の権利義務もこれを源流とするのに他ならない。よくよく中古、武門の政治は武士と平民との間に等族を分かち、甲者(武士)を公権の専有者として、乙者(平民)の預からない事としたのみならず、その私権をあわせて乙者が享有(生まれながらに持っていること)する事が全く出来なかった。公民の義は、これに依って減絶して、伸びる事はなかった。維新の後に、数々の大令を出し、氏族の特異な権利を廃止し、日本臣民である者が始めて平等にその権利を持ち、その義務を盡くすことを得られた。本章に掲載するところは、実に中興の美果を倍殖して、これを永久に保ち明らかにするものである。
◆◆◆ 第十八条 ◆◆◆
第十八条 日本臣民たるの要件は法律の定むる所に依る(日本臣民であるための条件は法律の定めるところによる)
日本臣民とは、外国臣民とこれを区別するための言葉である。日本臣民であるものは、各々法律上の公権及び私権を享有している。この臣民である条件は、法律で定める必要があある。日本臣民であるには、二種類あり、第一は出生によるもの。第二は帰化又はその他法律の効力によるものである。
国民の身分は、別の法律で定める所による。但し、私権の完全な享有と、公権はもっぱら国民の身分に随伴するので、特に別の法律で定める旨を憲法に掲げる事を怠らない。故に別の法律に掲げる所は、即ち憲法の指令するところであり、また憲法における臣民権利義務の係属するところである。
選挙、被選の権、任官の権の類を公権とする。公権は憲法又は其の他の法律でこれを認定し、もっぱら本国人の享有するもので、外国人に許さないのは各国の普通の公法である。私権に至っては、内外の間に懸絶の区別をしたのは、既に歴史上の往時に属し、今日では一・二の例外を除く外は、各国でも大抵、外国人を本国人と同ようにこれを享受出来るようにする傾向がある。
◆◆◆ 第十九条 ◆◆◆
第十九条 日本臣民は法律命令の定むる所の資格に応じ均しく文武官に任ぜられ及び其の他の公務に就くことを得(日本臣民は法律命令の定める資格に応じて均しく文武官に任命され、及びその他の公務に就くことが出来る)
文武官に登用任命し、その他の公務に就くのは、門閥(出身)に拘わらず、これを維新改革の美果の一つとする。往昔は門地で品流を差別され、時には官が家に属し、族によって職を世襲し、賎類の出身者は才能があっても顕要の職に登用されることが出来なかった。維新の後、陋習を一掃して、門閥の弊害を除き、爵位の等級は一つも官に就く事の平等性を妨げる事はない。これは、憲法で本条が保ち明らかにするところである。但し、法律命令で定める相当の資格、即ち年齢、納税及び試験での能力の諸般の資格は、官職及び公務に就くための条件であるのみ。
日本臣民は、均しく文武官に任命され、その他の公務に就く事が出来るというときは、特別の規定がある場合を除き、外国臣民にこの権利を及ぼさないことを知るべきである。
◆◆◆ 第二十条 ◆◆◆
第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す(日本臣民は法律の定めに従って、兵役に就く義務がある)
日本臣民は日本帝国成立の分子であり、共に国の生存独立及び光栄を守る者である。上古以来わが臣民は、事ある時に自分の体や家族などの私事を犠牲にして、本国を防御することを以て丈夫の事とし、忠義の精神は栄誉の勧請と共に人々の祖先以来の遺伝に発し、心肝に浸透して、一般の気風を結成した。聖武天皇の詔に言うには大伴佐伯の宿禰は、常に言っているように、天皇の朝廷を守り仕える事に自己を顧みない人たちであり、汝等の祖先が言い伝えてきたことのように『海行かば水積く屍、山行かば草生す屍、王の辺にこそ死なめ、のどには死なじ(海に戦えば水につかる屍、山に戦えば草が生える屍になろうとも王のお側近くで死のう、それ以外ののどかな死に方はしない)』と言い伝えている人たちだと聞いている」と。この歌は、即ち武臣の相伝えて以て忠武を教育することの成せる事である。大宝以来軍団を設け、海内の壮丁で兵役に堪えうる者を募る。持統天皇の時に国毎に正丁の四分の一を取っ他事は、即ち徴兵の制度がこの事により始まったことを示している。武門執権の時代に至って、兵と農の職を分離し、兵武の事を以て一種族の事業とし、旧制が久しく失われていたが、維新の後、明治四年に武士の常職を解き、五年には古制に基づいて徴兵の例を領行して、二十歳に達した全国男子は陸軍海軍の兵役に当たらせて、平時の毎年の徴員は常備軍の編成に従って、それ以外に十七歳より四十歳までの人員は、悉く国民軍として戦時に当たって臨時召集する制度とした。これは、徴兵法が現在行われている所である。本条は、法律の定める所によって、全国臣民を兵役に服する義務を執らせ、類族門葉に拘らず一般にその士気身体を併せて平生に教育させ、一国の勇武の気風を保持して、将来失墜させないようにすることを期するのである。
◆◆◆ 第二十一条 ◆◆◆
第二十一条 日本臣民は法律の定める所に従い納税の義務を有す(日本臣民は、法律の定める所により、納税の義務がある。)
納税は、一国が共同して生存するための必要に供応する者であり、兵役と均しく臣民の国家に対する義務の一つである。
租税は古言に「ちから」と云い、民力を輸送するという意味であり、税を科するのは「おふす」と云い、各人に負わせるという意味である。祖宗は、既に統治の決意をもって国に臨まれ、国庫の費用はこれを全国の正供にとる。租税の法律の由来は、久しく孝徳天皇が祖・庸・調の制度を行い、維新の後に租税の改正を行う。これを税法の二大変革とする、その詳細は書籍に備わっているので、詳らかにこれを注釈することはしない。蓋し、租税は臣民が国家の公費を分担する物であり、徴求に供応する献饋の類ではない。また承諾に起因する徳澤の報酬でもない。
附記:フランスの学者は、その偏理の見方で租税の意味を論じている。千七百八十九年にミラボー氏がフランスの国民に向って国費を募る公文に言うには「租税は、受けた利益に報いる代価である。公共の安寧の保護を得るための前払いである」と。エミル・ド・ヂラルヂン氏は、説を発表して言うには「租税は権利の享受、利益の保護を得る目的のために国と名づけた一会社の社員より納める保険料である。」と。これは全て民約主義に淵源し、納税で政府の職務と人民の義務とを相互交換する物とするものであり、その説は巧みであると言っても、実に千里の誤りであることを免れない。蓋し租税は、一国の公費であり一国の分子である者は均しくその共同義務を負うべきである。故に臣民は独り現在の政府のために納税するべき物ならず、前世、過去の負債のためにも納税しなければならない。独り得た利益のために供給すべきだけでなく、その利益を享受しなくてもこれを供給しなければならない。よくよく経費は所及ばず倹省してほしいと思い、租税は所及ばず薄くあって欲しいと思う。これはもとより政府の本務であり、そして議会が財政を監督し、租税を議定するに於いて立件の要義もまたこれに他ならない。しかるに、もし租税の義務を以てこれを上下相酬の市道であるとし、納税の諾否はもっぱら受ける利益と乗除相関る者とするなら、人々は自らその胸の臆に断定して、年祖を拒む事が出来てしまう。そうなれば、国家の成立が危殆にならないようにと思っても、危殆に瀕してしまう。近頃の論者は、既に前節の非を弁論して余蘊なからしめ、そして租税の定義は僅かに帰着するところを得た。今、その一・二を上げると、「租税は国家を保持するために設けるものである。政府の職務に報いる代価ではない。なぜならば政府と国民との間には、契約が存在しないからである」(フランス、フォスタン・エリー氏)「国家は租税を賦課する権限がある。そして、臣民はこれを納める義務がある。租税の法律上の理由は、臣民の純然たる義務にあり、国家の本分とその目的とに欠くべからざる費用があるのに従って、国の分子である臣民はこれを供納しなければならない。国民は無形の一体として、国家である自個の職分のために資需を供すべく、そして各人は従ってこれを納めなければならない。なぜならば、各人は国民の一個の分子であるからである。彼の国民及び各個の臣民は、国家の外に立、その財産の保護を受けるための報酬であるとして、租税の意味を解釈するのは、極めて不提である誤説である」(ドイツ、スタール氏)ここに記載して、参考に当てる。
◆◆◆ 第二十二条 ◆◆◆
第二十二条 日本臣民は法律の範囲内に於いて居住及び移転の自由を有す(日本臣民は、法律の範囲内で居住と転居の自由がある)
本条は居住及び移転の自由を保明する。封建時代は藩の国境を画り、各々関柵を設けて人民が互いに其の本籍の外に居住することを許さなかった。並びに許可無く旅行及び移転をする事が出来ず、その自然の運動及び営業を束縛して、植物と同ようにさせた。維新の後、廃藩の挙と共に居住及び移転の自由を認め、凡そ日本臣民であるものは、帝国国内において何れの地を問わず、定住したり借住して寄留したり及び営業する自由を改めた。そして憲法に其の自由を制限するためには、必ず法律によって行い、行政処分の外に存在することを掲げたのは、これを貴重する意思を明らかにするためである。
以下、各条は、臣民各個の自由及び財産の安全を保明する。蓋し、法律上の自由は臣民の権利であり、その生活及び知識の発達の本源である。自由の民は文明の良民として、国家の昌栄を翼賛する事が出来るものである。故に立憲国家は皆、臣民各個の自由及び財産の安全を貴重な権利として、これを確保しない事は無い。但し、自由は秩序ある社会の下に生息するものである。法律は各個人の自由を保護し、また国憲の必要より生じる制限に対して、其の範囲を分割し、両社の間に適当な調和をなすものである。そして、各個臣民は法律の許す範囲において其の自由を享受し、綽然として余裕があることを得られるべきである。これは憲法に確保する法律上の自由なるものである。
◆◆◆ 第二十三条 ◆◆◆
第二十三条 日本臣民は法律に依るに非ずして逮捕監禁審問処罰をうくることなし(日本臣民は法律によることなく、逮捕監禁審問処罰を受けることはない)
本条は人身の自由を保明する。逮捕監禁審問は、法律に書かれている場合に限り、かかれている規定に従って、是を行う事が出来る。そしてまた、法律の正条によることなく何らの所為に対しても処罰する事は出来ない。必ず、此ようにして、其の後に人身の自由は、始めて安全であることを得られるべきである。蓋し、人身の自由は、警察及び治罪の処分と密接な関係を有し、其の間には分毫の余地もない。一方においては、治安を保持し罪悪を防御し及び検探糾治するのに必要な処分が素早く強力であることに拘らない。他の一方においては、各人の自由を尊重して、其の限界を峻厳して威権が蹂躙しないようにするのは、立憲制度においては、もっとも至重な要件とするところである。故に警察及び司獄官吏は法律に依らないで人を逮捕し、または監禁し、または苛酷な所為を施した者には、其の罰を私人より重くさせ[刑法第二百七十八条・第二百七十九条・第二百八十条]、そして審問の方法に至っては、またこれを警察官に委ねず、必ずこれを司法官に訴えさせ、弁護及び公開を行い、司法官または警察官が被告人に対して罪状を供述させるために凌虐を加えるものには重さを加えて処断する[刑法二百八十二条]。凡そ処罰の法律の正条に依らなければ、裁判の効力は無い物とする[治罪法第四百十条、刑法第二条]。これは全て努めて周囲緻密の意を致して臣民を保護し、そして拷問及びその他中古の断獄は歴史上の既往の事績として、復元、時には再生することを出来なくする。本条は更にこれを確保し、人身の自由を安固の途轍に入らせた。
◆◆◆ 第二十四条 ◆◆◆
第二十四条 日本臣民は法律に定めたる裁判官の裁判を受くるの権を奪はるることなし(日本臣民は、法律に定められた裁判官の裁判を受ける権利を奪われる事は無い)
本条はまた、各人の権利を保護するための要件である。法律により構成・設置された裁判官は、威権の権勢を受けず、両造の間に衡平を維持し、臣民はその孤弱貧賎に拘わらず勢家権門と曲直を訴廷に争い、検断の官吏に対して情状を弁護することを得られる。故に憲法は法律に定めた正当な裁判官以外に特に臨時の裁判所または委員を設けて、裁判の権限を侵犯し各人のために其の権利を奪うことを許さない。そして各人は独立の裁判所に倚頼して、司直の父とする事を得る。
◆◆◆ 第二十五条 ◆◆◆
第二十五条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外其の許諾無くして住所に侵入せられ及び捜索せらるること無し(日本臣民は法律に定めた場合を除き、その許諾無しに住居に侵入されたり、捜索されたりする事は無い。)
本条は、住居の安全を保明する。蓋し、家宅は臣民各個の安静の地である。故に私人は、家主の承諾無く他人の住居に侵入する事が出来ないのみならず、警察司法及び収税の官吏、民事または刑事または矯正の処分を問わず、凡そ法律に指定した場合以外及び法律の規定に依らずに臣民の家宅に侵入し、または捜査することが有れば全て憲法の見地から不法の所為と看做すところであり、刑法により論じられることを免れるべきではない。[刑法第百七十一条、刑法第百七十二条]
◆◆◆ 第二十六条 ◆◆◆
第二十六条 日本臣民は法律に定めたる場合を除く外親書の秘密を侵さるることなし(日本臣民は法律で定められた場合以外は、親書の秘密をおかされる事は無い)
親書の秘密は、近世文明の惠賜の一つである。本条は刑事事件の捜査または戦時及び事変及びその他の法律の正条で指定された必要性の有る場合の他は、信書を開封しまたは破棄して、その秘密を侵す事を許さないことを保明する。
◆◆◆ 第二十七条 ◆◆◆
第二十七条 日本臣民はその所有権を侵さるることなし(日本臣民は、所有権を侵される事は無い)
公益の為必要なる処分は法律の定むる所に依る(公益の為に必要な処分は法律で定めた所による)
本条は所有権の安全を保明する。所有権は国家の公権の下に存率する物である。故に、所有権は国権に服属し、法律の制限を受けなければならない。所有権はもとより不可侵の権利であるが、無限の権利ではない。故に、城壁の周囲線から一定の距離において建築を禁止するのは、賠償を必要としない。鉱物は鉱法の管理に属し、山林は山林経済の標準により規定した条則に依らしめ、鉄道線より一定の距離において、樹木を植えることを禁止し、墓域より一定の距離においては、井戸を掘ることを禁止するような類は、全て所有権に制限があることの証徴であり、そして、各個人の所有は、各個人の身体と同じく国権に対して、服属する義務を負うものであることを認知するのに足ものである。蓋し、所有権は私法上の権利であり、全国統治の最高権のもっぱら公法に属するものと抵触するところはない。[欧州においてオランダの「グロシュス」氏は、その万国公法において、「君主はその国土に最高所有権を有する」説を称えた。近頃の国法学者は、その意を取り、そして国土の主権の意味を以て最高所有権の名に変えた。]。
上古で臣民は私地を献じ、罪があって領地を官に没収され、私地の売買を索める事は史籍に見える。孝徳天皇大化二年、処々の屯倉及び田荘を廃止して兼併の害を除き、そして隋唐の制度に倣い、班田の制度を行ったが、その後、所領荘園の弊害がしきりに行われて、封建の勢を成し、徳川氏の時に至って、農民は概ね領主の小作農であるに過ぎなくなった。維新の初、元年十二月に大令を発して、村々の地面は全て百姓の持地であるべきことを定めた。四年に各藩籍を奉還して、私領の遺物の跡をを始めて絶った。五年二月に地所の永代売買の禁止を解き、又地券を発行し、六年三月には地所名称の通達を発し、公有地・私有地の名称を設け、七年には私有地を改めて民有地とし、八年に地兼に所有者の名称を記載した。[地兼の雛形に「日本帝国の土地を所有する者は、必ずこの券状を有するべし」]。これは全て欧州にあって、或いは兵制改革を用いて領主の専権を廃棄したり、或いは莫大な金額を用いて小作農のために権利を償却した者であり、そして、わが国においては、各藩の推譲によって容易に一般の統治に帰し、以てこれを小民に惠賜することを得た。これは実に史籍にあって、以来各国にその例を見ないところであり、中興新政の紀念たるものである。
公共の利益のために必要なときは、各個の人民の意思に反して、その私産を収用し需要に応じさせる。これは即ち、全国統治の最高主権を根拠にするものであり、そして、その条則の制定は、これを法律に属させた。蓋し、公益収用処分の要件は、その私産に対して相当の補償をすることにある。そして、必ず法律を制定することを必要とし、命令の範囲外であるのは、憲法が証明する所である。
◆◆◆ 第二十八条 ◆◆◆
第二十八条 日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す。(日本臣民は、安寧秩序を乱さず、臣民の義務に背かない限り、信教の自由が有る)
中古に西欧で宗教に勢いがあった。これを内外の政事に混用して、流血の禍を発生させた。そして東方諸国は、また厳法峻刑をもって、これを防禁させようと試みたが、四百年来、信教の自由の説が始めて萌芽を発し、フランスの革命、北米の独立に至り、公然の宣告を得て、漸次各国がこれを認める所となり、現在各国政府は、或いはその国教を有し、或いは社会の組織又は教育において、仍一派の宗教に偏祖することに拘らず、法律上は一般に各人に対して信教の自由を与えている。そして、異宗の人を戮辱し、或いは公権私権の享受に向けて差別を設ける陋習は、既に史乗の過去の事として[ドイツの各邦に於いては1848年までしきりにユダヤ教に向けて政権を与えなかった]、またその跡を留めないまでになった。これは、信教の自由はこれを近世文明の一大美果として見ることができ、そして人類のもっとも至貴至重である本心の自由と、正理の伸長は数百年間の沈淪茫昧の境界を経過して、すべてに光輝を発揚する今日に達した。蓋し、本心の自由は人の内部に存在する者であり、もとより国法の干渉する区域の外にあり、そして国教をもって偏信を強いるのは、もっとも人知自然の発達と学術競進の運歩の障害になるものであり、何れの国も政治上の威権を用いて、教門無形の信依を制壓しようとする権利と機能とを持ち得ない。本条は実に維新以来取る進路に従い、各人無形の権利に向けて濶大な進路を与えた。
但し、信仰帰依は専ら内部の心識に属すと言っても、更に外部に向って礼拝・儀式・布教・演説及び結社・集会を行うに至っては、もとより法律又は警察上、安寧秩序を維持するための一般の制限を尊ばなければならない。そして、何れの宗教も神明に奉事するために法憲の外に立って国家に対する臣民の義務を逃れる権利を持たない。故に内部における信教の自由は、完全であり一つの制限も受けない。そして外部における礼拝・布教の自由は法律・規則によって必要な制限を受け、及び臣民一般の義務に服従しなければならない。これは憲法の裁定するところであり、政教が相互に関係する界域である。
◆◆◆ 第二十九条 ◆◆◆
第二十九条 日本臣民は法律の範囲内に於いて言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有す。(日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会及び結社の自由がある)
言論・著作・印行・集会・結社は、全て政治及び社会の上に勢力を行う物であり、そして立憲国家は、それを利用して罪悪を行い又は治安を妨害する者を除く外は、全てその自由を与えて思想の交通を発達させ、かつ人文の進化のために有益な資料としない事はない。但し、他の一方においては、これらの所為は容易に乱用すべき鋭利な器械である故に、これに由って他人の栄誉・権利を障害し、治安を妨げ、罪悪を教唆するに至っては、法律によりこれを処罰し、又は法律を以て委任する警察処分により、これを防制する事が出来るのは、これまた公共の秩序を保持する必要からである。但し、この制限は必ず法律により、そして命令の区域外にある。
◆◆◆ 第三十条 ◆◆◆
第三十条 日本臣民は相当の敬礼を守り別に定むる所の規定に従い請願を為すことを得(日本臣民は敬意と礼節を守り、別に定めた規定に従って、請願を行う事が出来る)
請願の権利は、至尊仁愛の至意により、言路を開き民情を通ずる所以である。孝徳天皇の時代に鐘を懸けて櫃を設け、諫言憂訴の道を開かれた。中古以後の歴代の天皇は朝殿に於いて百姓の申文を読ませ、大臣・納言の補佐により親しくこれを聴断された。[嵯峨天皇以後はこの事は廃れた。愚管抄]これを史乗で考えると古昔の君主は、全て言路を洞通して冤屈を伸ばし解くことに勤めない事はなかった。蓋し、議会が未だ設けられず、裁判聴訴の法が未だととのはない時に当たって、民言を要納して民情を疎通することは、独り君主の仁慈の威徳であるのみならず、また政事上の衆思を集め鴻益を広める必要から出るものである。今は、諸般の機関が既に整備され、公議の府もまた一定のところあり、そしてなお臣民の請願の権利が存在し、匹夫・匹婦の疾苦の訴えと、父老の献芹の微衷とで九重の上に洞達し、阻障しないようにする。これは憲法が民権を貴重して民生を愛護し、一つの遺漏なきことが終局の目的とすることによる。そして、政事上の徳義はここに至って至厚であるということが出来る。
但し、請願者は正当な敬意と礼節を守るべく、憲法上の権利を乱用して至尊を干涜し、又は他人の隠私を摘発して、徒に讒誣を助長するような事は、徳義上のもっとも戒慎すべきところであり、そして法律・命令または議院規則により規定を設けるのは、このような事をさせないためである。
請願の権利は、君主に進める事に始まり、そして推し広げて議院及び官衙に呈出するのにおよぶ。その各個人の利益に係ると、また公益に係るとを問わず、法律上の彼我の間に制限を設けない。
◆◆◆ 第三十一条 ◆◆◆
第三十一条 本章に掲げたる条規は戦時又は国家事変の場合に於いて天皇大権の施行を妨ぐることなし(本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において天皇大権の施行を妨げるものではない)
本章に掲げた所の条規は、憲法において臣民の権利を保明するものである。蓋し、立憲主義は独り臣民のみが法律に服従するわけではなく、また、臣民の上に勢力を有する国権の運用を法律の検束を受けさせることにある、ただそれゆえに臣民はその権利・財産の安全を享有して、専横不法の疑懼を免れることができる。これを本章の大義とする。但し、憲法は、なお非常の変局のために非常の例外を掲げる事を怠らない。蓋し、国家の最大の目的は、その存立を保持する事にあり、練熟な船長は覆没を避け、船客の生命を救うために必要なときは、その積荷を海中に投棄させる。良将は全軍の敗北を避けるために、やむを得ざる時機に当たって、その一部曲を棄てる事ができる。国権は危難の時機に際して、国家及び国民を救済して、その存立を保全するために唯一必要な方法があると認められるときは、断じて法律及び臣民の権利の一部をぎせいにして、その最大の目的を達しなければならない。これは、即ち元首の権利であるのみならず、また、その最大の義務である。国家にもし、この非常権がないならば国権は非常時に際して、その職を全うする根拠がない事になる。
各国の憲法に或いはこの事を明示し、或いは明示しないに拘わらず、その実際において存立を保全する国権の権力を認許している。なんとなれば、各国全て皆、戦時のために必要な処分を施行するのは、疑う事の出来ない事実であるからである。但し、常変の際、間髪を入れることはできない。その必要でない時に徒に非常権に推托して、臣民の権利を蹂躙するような事は、各国の憲法が決して許さないことである。蓋し、正条に非常権を掲げ、及びその要件を示すのは、非常の時機のために憲法上に空缺を残すことをしないためである。ある国においてこれを不言に付すのは、臨機の処分を憲法の区域外に置き、議院の判決に任せ、その違法の責任を解こうとすることである。そして、近世の酷方角を論ずる者甲の方法のもっとも完全な事を賛称する。
◆◆◆ 第三十二条 ◆◆◆
第三十二条 本章に掲げたる条規は陸海軍の法令又は紀律に抵触せざるものに限り軍人に準行す。(本章に掲げた条規で、陸海軍の法令又は紀律に抵触しない物に限って、軍人にもこの章に准じて行う)
軍人は軍旗の下にあって、軍法軍令を恪守し、専ら服従を第一の義務とする。故に本章に掲げた権利の条規で、軍法軍令と相抵触する物は、軍人に通行しない。即ち現役軍人は集会・結社を行って軍制又は政事を論じる事は出来ない。政事上の言論・著述・印行及び請願の自由を有しないのも同じである。
出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm
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