ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

対中戦略研究1

2012年02月10日 | 日米関係

日米関係参考資料

日経新聞2012/02/10社説

対中戦略で米国と突っ込んだ協議を

2012/2/10付

 まるで金縛りが解けたように、停滞していた在日米軍の再編が動きだした。中国軍の増強をにらみ、米国はアジア太平洋への軍事的なテコ入れを急ごうとしている。日本はどこまで米国の対中戦略の全体像をつかみ、共有できているのか、とても心配だ。

 日米は在日米軍の再編計画を見直し、これまでセットにしてきた米軍普天間基地の移設と沖縄の米海兵隊のグアム移転を切り離した。これにより米国は海兵隊を先行してグアムに移す。中国軍に対応するため、グアムのハブ基地化を加速する狙いだ。

 日本側によると、昨年12月の日米外相会談で、玄葉光一郎外相からこの構想を持ちかけたという。外形上はそうかもしれないが、実態はやや違う。

 玄葉外相から打診される前から米政府内では普天間移設と切り離し、海兵隊を先行移転する方向性が固まっていった形跡が濃い。

 いっこうに進まない普天間移設への対応をめぐり、米政府内では昨秋から真剣な議論が交わされていた。一部には「普天間の固定化という不安を招きかねない」と、切り離しに反対する声もあった。

 だが、中国軍の台頭に切迫感を強める戦略担当者らはこれ以上、海兵隊のグアム移転を遅らせられないと訴えた。昨年末の日米外相会談前には結局、普天間の切り離し論が優勢になっていたという。

 つまり、米政府は普天間問題を打開できない日本に見切りをつけ、グアム強化などの対中戦略を優先する決断をしたわけだ。このままでは米側は日本との協力をさほどあてにせず、対中戦略を進めることになりかねない。

 では、どうするか。日本としては在日米軍再編をめぐる今後の日米協議で、部隊の移設先やその人数だけでなく、その底流にある対中戦略の進め方についても突っ込んで協議すべきだ。

 特に重要な議題は、日本周辺の米軍の抑止力をどう保つかである。沖縄の海兵隊はグアムだけでなく、遠く離れたオーストラリアやハワイにも分散される方向だ。それで日本周辺の有事に即応できるのか、米側ときちんと擦り合わせてほしい。

 本来なら、田中直紀防衛相は司令塔を担わなければならない。しかし国会答弁で迷走する姿を見ると、心もとない。野田佳彦首相は指導力を発揮し、米側としっかり協議できる体制を整えるべきだ。

玄葉光一郎、在日米軍、田中直紀、野田佳彦



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2 コメント

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self-will (noga)
2012-02-11 01:08:35
太平洋戦争において、日本軍が十分な軍事力を示すことができていたならば、米軍は、沖縄に近づくことはなかった。したがって、沖縄戦もなかった。力を軽視する人間には、力量の判定はできない。テクニカル・ノックアウトの判定を下す能力のない指導者が権力を握っていると、民の命はいたずらに消耗するばかりである。力は正義である。力を軽視する風潮が人命を軽視する習慣につながっている。我々が自らの力を抑止力として十分に示すことができれば、正義はわが方についてくる。(Might is right).
昔、「コーラは○○○、ボクシングはヤマトダマシィ」という宣伝文句があった。
闘争には、大和魂が有効であるということであろうか。大和魂とは、負けじ魂のことなのか。大和魂を発揮して頑張れば、その結果は沖縄戦のようになるというものであろうか。

悪くないものを悪いと言わせようとする恣意がある。これも、腹芸か、大和魂か。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
さすれば、腹案ではなく、成案をもって問題は決着できる。

問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする (ちゃぶ台をひっくり返す)力は持っている。
だから無能力の我々は、常に耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲しなくてはならない。
和をもって尊しとなす。過ちは、繰り返しませぬから。
これは単なる感傷ではなく、我々自らの叡智をもって裏付ける行動に出なくてはならない。

日本人には意思 (will) がない。
意思は未来時制 (future tense) の内容である。
日本語には時制がない。
だから、日本人には意思がない。

英米人の子供には意思がない。
この点で日本人のようなものである。
思春期を迎え、言語能力が発達すると、意思を表すことができるようになる。
英米流の高等教育 (大人の教育) が可能になる。これは、さらなる英語の教育である。
日本語脳の持ち主には、大人の教育の意味は理解できない。
日本人は英米流の大学教育を高く評価もしないし、効果も上がらない。

子どもには意思がない。
だから、子供には保護者 (chaperon) がついてきて、それを代行する。
日本政府にも、意思決定が難しい。
だから、アメリカ政府が意思決定を助けてくれる。
日本人の誰もが指摘する通り、我が国の政府は、アメリカ政府のポチである。
日本人が、この道を脱却できるかどうかは、英米の高等教育の習得の成否にかかっているといえる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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コメントありがとうございます (そら)
2012-02-16 20:51:25
nogaさん、初めまして。コメントに気づくのが遅く、お返事とお礼が遅くなってしまいました。
nogaさんのサイトとブログのいくつかの記事も読ませていただきました。

とくに日本人と日本国について、言語構造と意識の関係から論考されているのは、貴重な観点だと思いました。

私自身も多少なりとも「概念」の立場から、様々の現象について論じ、考えようとしているので、論点も重なるところがあるように思います。

これからも、勉強させていただく存じます。貴重なコメントおありがとうございました。

そら



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