主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
第1 上告代理人津田玄児ほかの上告理由第2のうち職務命令の憲法19条違反
をいう部分について
1本件は,都立高等学校の教諭であった上告人が,卒業式における国歌斉唱の
際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること(以下「起立斉唱行為」という。)
を命ずる旨の校長の職務命令に従わず,上記国歌斉唱の際に起立しなかったとこ
ろ,その後,定年退職に先立ち申し込んだ非常勤の嘱託員及び常時勤務を要する職
又は短時間勤務の職の採用選考において,東京都教育委員会(以下「都教委」とい
う。)から,上記不起立行為が職務命令違反等に当たることを理由に不合格とされ
たため,上記職務命令は憲法19条に違反し,上告人を不合格としたことは違法で
あるなどと主張して,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を
求めている事案である。
2原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)学校教育法(平成19年法律第96号による改正前のもの。以下同じ。)
43条及び学校教育法施行規則(平成19年文部科学省令第40号による改正前の
もの。以下同じ。)57条の2の規定に基づく高等学校学習指導要領(平成11年
文部省告示第58号。平成21年文部科学省告示第38号による特例の適用前のも
の。以下「高等学校学習指導要領」という。)第4章第2C(1)は,「教科」とと
もに教育課程を構成する「特別活動」の「学校行事」のうち「儀式的行事」の内容
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について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わ
い,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めてい
る。そして,同章第3の3は,「特別活動」の「指導計画の作成と内容の取扱い」
において,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚する
とともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている(以下,この
定めを「国旗国歌条項」という。)。
(2)都教委の教育長は,平成15年10月23日付けで,都立高等学校等の各
校長宛てに,「入学式,卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について
(通達)」(以下「本件通達」という。)を発した。その内容は,上記各校長に対
し,① 学習指導要領に基づき,入学式,卒業式等を適正に実施すること,② 入
学式,卒業式等の実施に当たっては,式典会場の舞台壇上正面に国旗を掲揚し,教
職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱するなど,所定
の実施指針のとおり行うものとすること等を通達するものであった。
(3)上告人は,平成16年3月当時,都立A高等学校に勤務する教諭であった
ところ,同月1日,同校の校長から,本件通達を踏まえ,同月5日に行われる卒業
式における国歌斉唱の際に起立斉唱行為を命ずる旨の職務命令(以下「本件職務命
令」という。)を受けた。しかし,上告人は,本件職務命令に従わず,上記卒業式
における国歌斉唱の際に起立しなかった。そのため,都教委は,同月31日,上告
人に対し,上記不起立行為が職務命令に違反し,全体の奉仕者たるにふさわしくな
い行為であるなどとし,地方公務員法29条1項1号,2号及び3号に該当すると
して,戒告処分をした。
(4)定年退職等により一旦退職した教職員等について,都教委は,特別職に属
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する非常勤の嘱託員(地方公務員法3条3項3号)として新たに任用する制度を実
施するとともに,常時勤務を要する職(同法28条の4)又は短時間勤務の職(同
法28条の5)として再任用する制度を実施している。
上告人は,平成19年3月31日付けで定年退職するに先立ち,平成18年10
月,上記各制度に係る採用選考の申込みをしたが,都教委は,上記不起立行為は職
務命令違反等に当たる非違行為であることを理由として,いずれも不合格とした。
3(1) 上告人は,卒業式における国歌斉唱の際の起立斉唱行為を拒否する理由
について,日本の侵略戦争の歴史を学ぶ在日朝鮮人,在日中国人の生徒に対し,
「日の丸」や「君が代」を卒業式に組み入れて強制することは,教師としての良心
が許さないという考えを有している旨主張する。このような考えは,「日の丸」や
「君が代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人自身
の歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上ないし教育上の信念等ということがで
きる。
しかしながら,本件職務命令当時,公立高等学校における卒業式等の式典におい
て,国旗としての「日の丸」の掲揚及び国歌としての「君が代」の斉唱が広く行わ
れていたことは周知の事実であって,学校の儀式的行事である卒業式等の式典にお
ける国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典におけ
る慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作
として外部からも認識されるものというべきである。したがって,上記の起立斉唱
行為は,その性質の点から見て,上告人の有する歴史観ないし世界観を否定するこ
とと不可分に結び付くものとはいえず,上告人に対して上記の起立斉唱行為を求め
る本件職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということ
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はできない。また,上記の起立斉唱行為は,その外部からの認識という点から見て
も,特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識されるものと評価
することは困難であり,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合に
は,上記のように評価することは一層困難であるといえるのであって,本件職務命
令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止し
たりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものと
いうこともできない。そうすると,本件職務命令は,これらの観点において,個人
の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきで
ある。
(2)もっとも,上記の起立斉唱行為は,教員が日常担当する教科等や日常従事
する事務の内容それ自体には含まれないものであって,一般的,客観的に見ても,
国旗及び国歌に対する敬意の表明の要素を含む行為であるということができる。そ
うすると,自らの歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となる「日の
丸」や「君が代」に対して敬意を表明することには応じ難いと考える者が,これら
に対する敬意の表明の要素を含む行為を求められることは,その行為が個人の歴史
観ないし世界観に反する特定の思想の表明に係る行為そのものではないとはいえ,
個人の歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行
為(敬意の表明の要素を含む行為)を求められることとなり,その限りにおいて,
その者の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定し
難い。
なお,上告人は,個人の歴史観ないし世界観との関係に加えて,学校の卒業式の
ような式典において一律の行動を強制されるべきではないという信条それ自体との
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関係でも個人の思想及び良心の自由が侵される旨主張するが,そのような信条との
関係における制約の有無が問題となり得るとしても,それは,上記のような外部的
行為が求められる場面においては,個人の歴史観ないし世界観との関係における間
接的な制約の有無に包摂される事柄というべきであって,これとは別途の検討を要
するものとは解されない。
そこで,このような間接的な制約について検討するに,個人の歴史観ないし世界
観には多種多様なものがあり得るのであり,それが内心にとどまらず,それに由来
する行動の実行又は拒否という外部的行動として現れ,当該外部的行動が社会一般
の規範等と抵触する場面において制限を受けることがあるところ,その制限が必要
かつ合理的なものである場合には,その制限を介して生ずる上記の間接的な制約も
許容され得るものというべきである。そして,職務命令においてある行為を求めら
れることが,個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求め
られることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由
についての間接的な制約となる面があると判断される場合にも,職務命令の目的及
び内容には種々のものが想定され,また,上記の制限を介して生ずる制約の態様等
も,職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影
響その他の諸事情に応じて様々であるといえる。したがって,このような間接的な
制約が許容されるか否かは,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生
ずる制約の態様等を総合的に較量して,当該職務命令に上記の制約を許容し得る程
度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当であ
る。
(3)これを本件についてみるに,本件職務命令に係る起立斉唱行為は,前記の
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とおり,上告人の歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに
対する敬意の表明の要素を含むものであることから,そのような敬意の表明には応
じ難いと考える上告人にとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の
表明の拒否)と異なる外部的行為となるものである。この点に照らすと,本件職務
命令は,一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる
行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史
観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で,その
限りで上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面があるものと
いうことができる。
他方,学校の卒業式や入学式等という教育上の特に重要な節目となる儀式的行事
においては,生徒等への配慮を含め,教育上の行事にふさわしい秩序を確保して式
典の円滑な進行を図ることが必要であるといえる。法令等においても,学校教育法
は,高等学校教育の目標として国家の現状と伝統についての正しい理解と国際協調
の精神の涵養を掲げ(同法42条1号,36条1号,18条2号),同法43条及
び学校教育法施行規則57条の2の規定に基づき高等学校教育の内容及び方法に関
する全国的な大綱的基準として定められた高等学校学習指導要領も,学校の儀式的
行事の意義を踏まえて国旗国歌条項を定めているところであり,また,国旗及び国
歌に関する法律は,従来の慣習を法文化して,国旗は日章旗(「日の丸」)とし,
国歌は「君が代」とする旨を定めている。そして,住民全体の奉仕者として法令等
及び上司の職務上の命令に従って職務を遂行すべきこととされる地方公務員の地位
の性質及びその職務の公共性(憲法15条2項,地方公務員法30条,32条)に
鑑み,公立高等学校の教諭である上告人は,法令等及び職務上の命令に従わなけれ
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ばならない立場にあるところ,地方公務員法に基づき,高等学校学習指導要領に沿
った式典の実施の指針を示した本件通達を踏まえて,その勤務する当該学校の校長
から学校行事である卒業式に関して本件職務命令を受けたものである。これらの点
に照らすと,本件職務命令は,公立高等学校の教諭である上告人に対して当該学校
の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱
行為を求めることを内容とするものであって,高等学校教育の目標や卒業式等の儀
式的行事の意義,在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い,かつ,地方
公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で,生徒等への配慮を含
め,教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るも
のであるということができる。
以上の諸事情を踏まえると,本件職務命令については,前記のように外部的行動
の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあ
るものの,職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等
を総合的に較量すれば,上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認めら
れるものというべきである。
(4)以上の諸点に鑑みると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を
侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。
以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7
月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501
号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年
(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁,最
高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5
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号1178頁)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の
判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用するこ
とができない。
第2 その余の上告理由について
論旨は,違憲をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの
又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由の
いずれにも該当しない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官竹内行
夫,同須藤正彦,同千葉勝美の各補足意見がある。
裁判官竹内行夫の補足意見は,次のとおりである。
私は,本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約と
なる面があることを前提とした上で,このような制約を許容し得る程度の必要性及
び合理性が本件職務命令に認められるか否かの点について,これを肯定的に解する
ものとする法廷意見のアプローチ及び結論に賛同するものであるが,若干の意見を
記しておきたい。
1間接的な制約の存在を前提とするアプローチ
思想及び良心の自由は個人の内心の領域に係るものであり,「日の丸」や「君が
代」が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たしたとする上告人のような個
人の歴史観ないし世界観は,内心にとどまる限り,絶対的に自由であり法的に保護
されなければならない。そして,一般的,客観的に見た場合には,卒業式における
起立斉唱行為は儀礼的な所作であって,上記のような個人の歴史観等を否定するも
のではなく,また,そのような個人の歴史観等を直ちに露顕させるものであるとも
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解されないとしても,そのようないわば第三者的な見地だけから本件職務命令が思
想及び良心の自由についての制約に当たらないとの結論に到達し得るものではな
い。思想及び良心の自由は本来個人の内心の領域に係るものであるから,当該本人
自身において起立斉唱行為が敬意の表明の要素を含む点において自己の歴史観等に
由来する行動と相反する外部的行為であるとして心理的矛盾や精神的な痛みを感じ
るのであれば,そのような状態は思想及び良心の自由についての制約の問題が事実
上生じている状態であるといわざるを得ない。そして,そのような間接的な制約が
許容されるか否か,許容される場合があるとすればなぜ許容されるかということに
ついて,審査が行われなければならない(この点において,私はいわゆるピアノ伴
奏事件判決(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷
判決・民集61巻1号291頁)における那須弘平裁判官の補足意見の基本的視点
に共感するものである。)。
2外部的行動に対する規制
個人の歴史観ないし世界観が,内心にとどまる限り,社会規範等と異なるところ
があっても,その間の抵触が問題とされることはない。他方,人がその歴史観ない
し世界観に基づいて行動する場合には,その外部的行動が社会による客観的評価の
対象となり社会規範等に抵触することがあり得るのであり,そのような場面におい
ては,外部的行動が社会規範等により制限されることがある。この場合において,
制限の対象はあくまでも外部的行動であるが,そのような外部的行動に対する制限
を介して,結果として,歴史観ないし世界観についての間接的な制約となることは
あり得るところである。本件はそのようなケースであり,本件職務命令により制限
の対象とされるのは,上告人の卒業式において起立斉唱をしないという行動であっ
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て,その歴史観ないし世界観ではない。
このような場合に,表見的には外部的行動に対する制限であるが,実はその趣
旨,目的が,個人に対して特定の歴史観等を強制したり,あるいは,歴史観等の告
白を強制したりするものであると解される場合には,直ちに,思想及び良心の自由
についての制約の問題が生ずることになるが,本件職務命令がそのようなものであ
るとは考えられない。
なお,以上に述べたような外部的行動に対する制限を介しての間接的な制約とな
る面があると認められる場合においては,そのような外部的行動に対する制限につ
いて,個人の内心に関わりを持つものとして,思想及び良心の自由についての事実
上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮がなされるべきことは当然であろ
う。
また,本件のような思想及び良心の自由についての間接的な制約に関して,その
必要性,合理性を審査するに当たっては,具体的な状況を踏まえて,特に慎重に較
量した上での総合的判断が求められることはいうまでもない。このこととの関連
で,一言触れておくと,思想信条等に由来する外部的行動について,当該行動と核
となる思想信条等との間の関連性の程度には差異があるとの見方を採用した上で,
本件上告人の起立斉唱行為の拒否は本人の歴史観等と不可分一体なものとまではい
えないと解し,そのような解釈に立って合憲性の審査を進めるという見解がある
が,そのようなアプローチは私の採るところではない。人の外部的行動が歴史観等
に基づいたものである場合に,当該行動と歴史観等との関連性の程度というものは
およそ個人の内心の領域に属するものであり,外部の者が立ち入るべき領域ではな
いのみならず,そのような関連性の程度を量る基準を一般的,客観的に定めること
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もできない。あえてこれを量ろうとするならば,それは個人の内心に立ち入った恣
意的な判断となる危険を免れないこととなろう。本件上告人があえて起立斉唱をし
ないという行動を採ったのは,それが自己の歴史観等に基づく行動と両立するもの
ではないと確信しているからであると解されるのであり,私は,本件上告人の起立
斉唱行為の拒否が,その内心の状態に照らして,上告人の歴史観等と不可分一体な
ものではないとの判断を下す何らの根拠も有していない。
3国旗,国歌に対する敬意
法廷意見が本件職務命令による上告人に係る制約が許容され得るとした判断に賛
同するに当たり,次の二つの点を特記しておきたい。
第一は,国旗及び国歌に対する敬意に関することである。一般に,卒業式,国際
スポーツ競技の開会式などの種々の行事や式典において国旗が掲揚されたり,国歌
が演奏されたりするが,そのような際に,一般の人々の対応としては,通常,慣例
上の儀礼的な所作としてごく自然に国旗や国歌に対する敬意の表明を示しているも
のと考えられる。そして,国際社会においては,他国の国旗,国歌に対する敬意の
表明は国際常識,国際マナーとされ,これに反するような行動は国際礼譲の上で好
ましくないこととされている。先年,ある外国における国際サッカー試合の前に慣
例により「君が代」が演奏されたとき,その国の観客が起立をしなかったというこ
とがあり,これが国際マナーに反するとして我が国を含め国際世論から強く批判さ
れたことがあったのは記憶に新しい。他の国の国旗,国歌に対して敬意をもって接
するという国際常識を身に付けるためにも,まず自分の国の国旗,国歌に対する敬
意が必要であり,学校教育においてかかる点についての配慮がされることはいわば
当然であると考える。
-11
第二に,上告人は教員であり,学校行事を含めて生徒を指導する義務を負う立場
にあるという点が重要である。国旗,国歌に対する敬意や儀礼を生徒に指導する機
会としては種々あるであろうが,卒業式や入学式などの学校行事は重要な機会であ
る。そのような学校行事において,教員が起立斉唱行為を拒否する行動をとること
は,国旗,国歌に対する敬意や儀礼について指導し,生徒の模範となるべき教員と
しての職務に抵触するものといわざるを得ないであろう。本件職務命令による上告
人に係る制約の必要性,合理性を較量するに当たっては,このような観点も一つの
事情として考慮される必要があると考える。
裁判官須藤正彦の補足意見は,次のとおりである。
私は,法廷意見に同調するものであるが,その理由について以下のとおり補足す
る。
1 基本的視点
(1)特定の思想の強制や禁止,特定の思想を理由とする不利益の付与は,憲法
19条で保障された思想及び良心の自由を侵すものとして絶対に許されない。ま
た,この趣旨から,特定の歴史観ないし世界観(以下「歴史観等」という。)又は
その否定と不可分に結び付く行為の強制も,特定の思想又はその否定を外部に表明
する行為であると評価される行動や特定の思想の有無についての告白の強制も,い
ずれも許されない(この点につき,最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年
2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁参照)。
(2)この意味で,内心における思想及び良心の自由の保障は絶対であるが,特
定の思想が内心にとどまらない場合は,外部的行動との関わりにおいて他の利益と
抵触するため,それは常に絶対というわけではない面がある。例えば一夫多妻制や
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一妻多夫制が正しいとの歴史観等を有することは絶対に自由であるが,これに従っ
て重婚に及んだ者は処罰される(刑法184条)。この場合,国家はその者の歴史
観等に対する否定的評価を刑法に取り込んでいるとみることも可能であるように思
われ,そうすると,その疑いもなく少数の者は外部的行為の介在によって思想及び
良心の自由につきいわば直接的制約を受ける(以下では,このような直接的制約を
「いわゆる直接的制約」と呼ぶことがある。)こととなるが,憲法19条は明らか
に刑法184条を許容しているといえる。
(3)一般に,外部的行為を,社会一般の規範等が個人に要求する場合,それが
元来ある歴史観等や信条などについて否定的評価をするものではなく,その趣旨,
目的が別にあるにもかかわらず,ないしは,その外部的行為の要求が一般的,客観
的にも歴史観等や信条などを否定するような意図を含んでいるとはみられないにも
かかわらず,その外部的行為が,個人の歴史観等やそれに基づく信条などに由来す
る外部的行動と異なり,その者はそれには応じ難いというときがあり得る。この場
合,外部的行為を要求することを通じて,結果として個人の思想及び良心の自由
(内心の自由)についての制約を生じさせることになる。これは,前記のいわゆる
直接的制約に対して,間接的制約と呼ぶことができるが,本件は主として社会一般
の規範等に当たる本件職務命令による間接的制約の問題といえる。
もっとも,このように一般的,客観的観点からは間接的制約と評価されても,そ
れを受ける者にとっては,当該外部的行為を要求されることで,自己の歴史観等の
核心部分を否定されたものと,あるいはその外部的行為を自己が否定する歴史観等
を外部に表明する行為と評価されるものと受け止めて,精神的葛藤を生じることが
ある(直接的か間接的かという区別は,当人自身の主観としては無意味であろ
-13
う。)。
また,外部的行為の要求が一律に強制される場合,当該要求が一律に強制される
べきではないという信条を有する者にとっては,その信条の直接的な否定となり,
これはそのような信条に係るいわば直接的制約ともいえる。その信条に賛否が分か
れているような問題が含まれる場合は,特に精神的葛藤を避けられないのである
が,本件はその信条に係る制約の問題をも付随的に含む(以下では,このような信
条に係る制約を「信条の制約」と呼ぶことがある。)。
もとより,憲法における思想及び良心の自由の保障は,個人の尊厳の観点からし
て,あるいは,多様な思想,多元的な価値観の併存こそが民主主義社会成立のため
の前提基盤であるとの観点からして,まずもってその当人の主観を中心にして考え
られるものであり,このような憲法的価値の性質からすると,間接的制約や信条の
制約の場面でも,憲法19条の保障の趣旨は及ぶというべきである。思想及び良心
の自由は,少数者のものであるとの理由で制限することは許されないものであり,
多数者の恣意から少数者のそれを護ることが司法の役割でもある。思想及び良心の
自由の保障が戦前に歩んだ苦難の歴史を踏まえて,諸外国の憲法とは異なり,独自
に日本国憲法に規定されたという立法の経緯からしても,そのことは強調されるべ
きことであろう。
(4)しかしながら,外部的行為が介在する場面での思想及び良心の自由の保障
は,必ずしも絶対不可侵のものとしての意味のそれではない。けだし,社会一般の
規範等に基づく外部的行為の要求が間接的制約を生ずるがゆえに絶対的に許されな
いのであれば,結局社会が成り立たなくなってしまうと思われ,憲法は社会が成り
立たなくなってしまう事態まで求めるものとは思われないからである。したがっ
-14
て,このような外部的行為を介しての間接的制約の場面では,その規範等に間接的
制約を許容し得る程度の必要性,合理性がある場合には,憲法自身が,それを内在
的制約としてなお容認しているものとみるのが相当であると考える。信条の制約の
場合も同様であり,その信条が歴史観等に由来するものであればそれとその信条と
が不可分一体であるという意味において,また,それが単なる社会生活上の信条で
あれば正にそのことのゆえに,間接的制約に準じて,その制約を許容し得る程度の
必要性,合理性がある場合には,なお容認しているものと思われる(以下では,
「間接的制約等」を間接的制約と信条の制約とを併せた意味で用いる。)。なお,
この制約を許容し得る程度の必要性や合理性は飽くまで憲法論におけるそれである
以上,その必要性,合理性の根拠はできるだけ憲法自体に求められるのが望ましい
と思われる。同時に,必要性や合理性は広い意味に捉え得るので,特に外部的行為
の方法,態様などの点に関しては,憲法論で捉えるよりも,裁量統制の観点から,
当該外部的行為の拒否を理由とする不利益処分が裁量の範囲を逸脱するものとして
違法と評価されるか否かとの判断方法で捉える方が適切であるという場合も現実に
は多いと思われ,その意味で一種の棲み分けがなされることになろう。もっとも,
例えば,対象となる当人の歴史観等に係る間接的制約等が容易に予見される状況で
あるのに,これを最小限にとどめるような慎重な配慮を著しく欠くという場合や,
違反に対する制裁が初めから過度に重いものしか定められていないような場合など
は,憲法的価値そのものを否定するものとして,制約を許容し得る程度の必要性,
合理性は認められないといえよう。
(5)上記の判断枠組みについていえば,それは,思想及び良心の自由が外部的行為の介在によって社会一般の規範等と抵触する場合の調整の在り方として,一般
-15
的,客観的な見地の下に,その規範等の趣旨,目的や思想及び良心の自由について
の制約の有無に加え,制約の直接性,間接性,思想及び良心の核心部分との遠近,
制約の程度等をも検討し,それらを前提とした上で,間接的制約等についての必要
性,合理性を考量すべきものとする考え方である。これについては,思想及び良心
の自由の保障が元来当人の主観を中心にして考えられることとの整合性が一見
問題となるように思われないでないが,この判断は,飽くまで法的判断として主観を前提とした上での客観的な評価を行う作用であって,その判断方法自体は異とするに足りない。思想及び良心の自由につき,外部的行為の介在による規範等との抵触の場合の調整の在り方としては,前記のいわゆる直接的制約のような場合には,いわ
ゆる厳格な基準などによるべきことと思われるが,間接的制約等の場合には,上記
の判断枠組みは,必要性,合理性の考量が安易になされないことを必須の条件とし
て,適切な方法と考える。この場合の制約は,憲法自身が容認する内在的制約であ
るが,憲法13条の公共の福祉による制約と趣旨において共通するといえよう。今
後は,その必要性及び合理性の内容について深く掘り下げていくことが現実的であ
ると思われる。
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