■■■ 第五章 司法 ■■■
第五章 司法
司法権は法律の定める所に依存し、正理・公道をもって臣民の権利の侵害を回復し、及び刑罰を判断する職司とする。昔は政治が簡朴で各国の政庁の設置は、未だ司法と行政の区別がなかった事は、史籍の証明するところである。その後、文化が進み、人事がますます繁きにいたって、始めて司法と行政との間に職司を分割し、その構成を異にし、その畛域を慎み、互いに相干渉しないことによって、立憲の政体至って大いに進歩をさせた。
◆◆◆ 第五十七条 ◆◆◆
第五十七条 司法権は天皇の名に於いて法律により裁判所之を行ふ(司法権は天皇の名により法律によって裁判所が行う)
裁判所の構成は法律を以て之を定む(裁判所の構成は法律によって定める)
行政と司法の両権の区別を明らかにするために、ここに之を約説する。曰く行政は法律を執行し又は公共の安寧と秩序を保持し、人民の幸福を増進する為に便宜の経理及び処分を為すものである。司法は権利の侵害に対して、法律の基準により之を判断するものである。司法にあっては、専ら法律に従属し便益を酌量しない。行政にあっては、社会の活動に従って便益と必要途によって、法律は其の範囲を限割して区域の外に濫越するのを防止するのに止まるだけである。行政・司法の両権は、その性質を異にすることは、このようなことである。故に行政の官あって司法の職を分かたなければ、各個人民の権利は社会の便益の為に随時移動することを免れなくなり、そしてその流幣は遂に権勢威力の侵犯を被るに至る事になる。
ただ、そうであるが故に裁判は必ず法律に依る。法律は裁判の単純な準縄である。そしてまた、必ず裁判所によりこれを行う。ただし、君主は正理の源泉であり司法の権もまた、主権の発動する光線の一つであることに外ならない。故に裁判は必ず天皇の名において宣告し、それによって至尊の大権を代表する。
裁判所の構成は必ず法律をもって定め、行政の組織と別にする。そして司法官は実に法律の基址に立、不覊の地位を有する者である。
わが中古の制度である刑部省の設置は、他の各省とともに太政官に隷属し、そして刑部卿は「鞫獄定刑名決疑○(言偏に獻)良賎名籍囚禁債負(訴えをただし、刑を決め、判決を下し良民との戸籍・囚禁・負債)」の事を掌る。判事は、刑部卿に属し「案覆鞫状断定刑名判諸争訟(鞫状(=尋問調書)を審査し、刑を決定し、諸々の訴訟に判決を下す)」事を掌る。これは民刑二事をあわせて一省に管轄させた。武門が盛んになると、大柄は一たび移り、検断の権は検非違使に帰し、武断をもって政治を行い封建の際には、概ねその陋習を因襲し越訴をもって大禁となるに至った。維新の初に刑法官を置き、司法の権は再び天皇の統攬に帰す。四年始めて東京裁判所を置く。
裁判の為に専任の庁を設けるのは、これをもって始となる。この年、大蔵省の聴訟事務を改めて、司法省に属す。五年、開市場裁判所を設けた。続いて司法裁判、府県裁判、区裁判の各等裁判を置き始めて控訴覆審を許可した。八年、大審院を置き、もって法憲の統一を主持するところとし、司法卿の職制を定めて検務を統理し、裁判に干預しないものとした。これより後、漸次改革して裁判の独立を期する針路をとった。これを司法事務沿革の概略とする。
欧州で前世紀の末に行われた三権分立の説は、既に学理上及び実際上で排斥された。そして司法権は、行政権の一支派として均しく君主の統攬するところに属し、立法権に対してこれをいう時は、行政権は概括の意義をもち、司法は行政の一部であるに過ぎず、更に行政権中に就き職司の分派を論ずる時は、また司法と行政と各々その一部を占めるものである。これは、蓋し近時の国法学者が普通に是認するところであり、ここでは詳細に論じることをしない。ただし、君主は裁判官を任命し、裁判所は君主の名義をもって裁判を宣告するのにかかわらず、君主自らは裁判を施行しない。不覊の裁判所をして専ら法律に依遵し、行政威権の外にこれを施行させる。これを司法権の独立とする。これは、三権分立の説に依るのではなく、不易の大則であることを失わない。
◆◆◆ 第五十八条 ◆◆◆
第五十八条 裁判官は法律に依り定めたる資格を具ふる者を以て之に任ず(裁判官は法律で定めた資格を具える者を任命する)
裁判官は刑法の宣告又は懲戒の処分に由るの外其の職を免ぜらるることなし(裁判官は刑法の宣告、又は懲戒処分に由る以外は、その職を罷免される事はない)
懲戒の条規は法律を以て之を定む(懲戒の条規は、法律で定める)
裁判官は法律を主持し、人民の上に衡平の柄を執ろうとする(天秤ばかりを以ている姿を想像してください)。故に専科の学識及び経験は、裁判官としての要件である。そして臣民がたのみとし、その権利財産を託するのは、また実にその法律上正当な資格があることを頼むのである。故に本条第一項は、法律をもってその資格を定めるべきことを保明したのである。
裁判の公正を保とうと期待するなら、裁判官が威権の干渉を離れ、不覊の地に立ち、勢位の得失と政論の冷熱をもって牽束(拘束されること)を受けないようにしなければならない。故に裁判官は、刑法又は懲戒裁判の判決により罷免されることを除いて終身その職に有る者とする。そして裁判官の懲戒条規はまた法律を以て之を定め、裁判所の判決をもってこれを行い、行政長官の干渉する所とはならない。これは、憲法において特に裁判官の独立を保明するところである。
その他、停職・非職・転任・老退における詳節はすべて法律の掲げる所である。
◆◆◆ 第五十九条 ◆◆◆
第五十九条 裁判の対審判決は之を公開す但し安寧秩序又は風俗を害するの虞あるときは法律に依り又は裁判所の決議を以て対審の公開を停むることを得(裁判の対審(民事の口頭弁論、刑事の公判手続き)・判決はこれを公開する。但し、安寧と秩序及び風俗を害する恐れがある時は、法律により又は裁判所の決議により、対審の公開を停止する事が出来る)
裁判を公開し、公衆の前で対理口審するのは、人民の権利に対してもっとも効力がある保障となる。裁判官が自らその義務を尊重し、正理公道の代表とならせるのは、蓋しまた公開の助けに依るものが大いにある。わが国は従来白栖裁判の慣わしが、久しく慣用するところであったが、明治八年以来始めて対審・判決の公開を許したのは、実に司法上の一大進歩である。
刑事の審理に予審がある。ここに対審と言えば予審はその中に含まれない。安寧・秩序を害するとは、内乱外患に関する罪及び嘯聚教唆(多くの人を集めそそのかす事)の類の人心を煽起刺衝(煽りたて刺激する事)する者をいうのである。風俗を害すとは、内行の事を公衆の視聴に曝す時は、醜辱を流し風教を傷つけるものをいうのである。安寧・秩序又は風俗を害する恐れありというのは、それが果たして害が有るのか無いのかを判定するのは、専ら裁判所の所見に任せるのである。法律によるというのは、治罪法・訴訟法の明文に由るのである。裁判所の議決を以てというのは、法律の明文が無くても、裁判所の議を以てこれを決める事が出来るのである。対審の公開を停止するという時は、判決宣告は必ず公開するのである。
◆◆◆ 第六十条 ◆◆◆
第六十条 特別裁判所の管轄に属すべきものは別に法律を以て定む(特別裁判所の管轄に属すべきものは、別の法律によってこれを定める)
陸海軍人の軍法会議に属するのは、即ち普通の司法裁判所の外における、特別裁判所の管轄に属するものとする・其の他、商工の為に商工裁判所を設ける必要があるに至っては、また普通の民事裁判の外に特別の管轄に属するものとする。凡そこれは全て法律を以て、これを規定すべきであり、命令を以て法律の除外例を設ける事は出来ない。
もしそれ、法律の外において非常裁判を設けて行政の勢威を以て司法権を侵蝕し、人民の為の司直の府を褫奪(奪うこと)するような事は憲法が認めないところの事である。
◆◆◆ 第六十一条 ◆◆◆
第六十一条 行政官庁の違法処分に由り権利を傷害せらたりするの訴訟にして別に法律を以て定めたる行政裁判所の裁判に属すべきものは司法裁判所に於いて受理するの限りに在らず(行政官庁の違法処分により権利を侵害されたという訴訟で、別に法律を以て定めた行政裁判所の裁判に属するべきものは、司法裁判所において受理するものではない)
行政裁判は行政処分に対する訴訟を裁判する事をいう。蓋し、法律は既に臣民の権利に向けて一定の限界をなし、以てこれを安定し揺るぎなくさせた。そして政治の機関である者もまたこれに服従しなければならない。故に行政官庁で、その職務上の処置により法律に違い又は職権を越えて臣民の権利を傷害した場合は、行政裁判所の断定を受けることを免れない。
よくよく訴訟を判定するのは司法裁判所の職任とする。そして別に行政裁判所があるのは何故か。司法裁判所は民法上の争訟を判定することを当然の職とし、そして憲法及び法律をもって委任された行政官の処分を取り消す権力をもっていない。なぜならば、司法権が独立を必要とするように行政権もまた司法権に対して均しくその独立が必要とされるからである。
もし、行政権の処置に対して司法権の監督を受け、裁判所が行政の当否を判定取捨する任にいたならば、即ち行政官は正に司法官に隷属するものであることを免れない。そして社会の便益と人民の幸福を便宜的に経理する余地を失う。行政官の措置は、その職務により憲法上の責任を有し、従ってその措置に抵抗する障害を除去し、及びその措置により起こった訴訟を裁定する権を有すべきは、もとより当然であり、もしこの裁定の権を有しない時は行政の効力は麻痺消燼して、憲法上の責任をつくすのに理由がなくなってしまう。
これは、司法裁判の外に行政裁判の設置を要する所以の一つである。行政の処分は、公益を保持しようとする。故に時には公益の為に私益を枉げることがあるのは、また事宜の必要にいずるものである。そして行政の事宜は、司法官の通常慣熟しないところであり、これをその判決に任せるのは、危道であることを免れない。故に行政の訴訟は、必ず行政の事務に密接練達なる人を得てこれを聴理しなければならない。これは、司法裁判の外に行政裁判の設置を要する所以の二つめである。ただし、行政裁判所の構成は、また必ず法律をもってこれを定める必要がある事は、司法裁判所と異なるところはない。
明治五年司法省第四十六号達は、凡そ地方官を訴えるものは全て裁判所において行わせたが、地方官吏を訴える文書が法廷に集まり、にわかに司法官が行政を牽制する幣端を見るに至った。七年第二十四号の達は、始めて行政裁判の名称を設け、地方官を訴えるものは、司法官に於いて具状して太政官に申稟させた。これは一時の弊害を救うに過ぎず、そして行政裁判所の構成は、これを将来に期待した。
本条に行政官庁の違法の処分というときは、法律又は正当な職権に由る処分は。これを訴える事が出来ないことを知るべきである。例えばこれは、公益の為に所有を制限する法律に処分を受けるものは、これを訴えることが出来ない。本条にまた、権利を障害された者という時は、単に利益を傷害された者は、請願の自由が有り行政訴訟の権利がないことを知るべきである。例えばこれは、鉄道を敷設する工事があり、行政官は規定の手続きに尊由して、その路線を定めたのに地方の人民が他の路線を取る利益があるとして、これを争う者がある。これは、その争いは単に利益に属して権利に属さないが故に、これを当該官庁に請願する事が出来るが、これを行政裁判に訴える事は出来ない。
出典
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm
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