バリ島で出会った人たちには勤め人としての経験ではとても巡り会えない、平凡な人生とはいえない人も多くいた。かつて観た映画で、名声を馳せた音楽家が集まる養老院風の豪華マンションでのさまざまな人生模様を描いたものがあったが滞在したサヌールの周りにも名声を馳せた音楽家ではないがこの映画と似たような人生体験をもった人々がいた。
バリで出会った人々も10数年を経て懐かしく感じるようになってきた、生な出会いからくるアクが抜けてほろ苦い味だけが残る年月が経ったのだ、こうなったら書き頃なのだろう。フィクションの形で書き留めておきたい。
妻子と別れてオーストラリアからやってきた男がいた。つまり家庭を捨てどうしてもやりたいことがあると言い置いてやってきたのだが、彼の若い頃に流行ったヒッピーに憧れてやってきたのだ。息子はハリウッドである程度名を知られる存在になった。男はカフェや土産物店を経営して繁盛している、つまり成功者なのだ。女性スタッフに対するセクハラの噂も聞こえてくるがどこまで信憑性があるのかわからない。
男は毎朝カフェの特定の椅子に座り海を眺めているが、その横顔はバリの強い太陽を長年に渡り浴びたせいで(白人は日焼けにめっぽう弱い)深いシワが刻まれ、孤独を一層滲ませている。その後にカフェを畳み、思い出と金を手にしてオーストラリアに帰ったと聞いた。別れた息子とうまくやれるとは思わないが人生の帳尻を合わせるために数十年住み慣れたバリを去り、とにかく故郷に帰っていった。この男を孤独な結末とは言えない、オーストラリアで孤独と穏やかな思い出だけで余生を生きるのもひとつの選択だ。
クタの寿司屋に勤める大阪出身の日本人職人も何回か通ううちに小学生の息子と別れたことを寿司を握りながら話しだす。妻のことはあまり触れたがらないが想像はつく。寿司屋のオーナーはスイス人で、高給につられてやってきたのだが報酬条件に食い違いがあったので思うほどのものは得られない。
定期的にジンバランの魚市場で魚を買いに来るが、朝早いと仕入れにやってくる彼と顔を合わせることがある。「今日はクエのいいのが入った、あの店にいいものが入ってるよ」と指さして教えてくれる気のいい男だ、彼に言わせると寿司種ではクエが最良だそうだ、白身で鯛の味がする。しばらくすると魚市場で顔を見なくなった、日本に帰ったのだろう。今頃は「美味しい条件につられてバリにいったけど、えらい目に会いましたは」と話のネタにしているかもしれない、この職人にとって大切なチャレンジの一コマになったのだ。そんな夢と失敗のできる土地があっても悪くない。
バリに滞在する年老いたドイツ人がバリの30代女性を愛人にし、愛人は月に数回部屋に来ては朝に帰ることを既に1年以上続けている。バリの30代女性には乳飲み子がいるが両親に預けてくるので見かけたことはない。愛人はスタッフの視線が冷たいことを気にしていたので夜更けてから訪れることが多かった。バリ人スタッフは愛人になったバリの女性に、ジャワ人女性には見せない露骨な蔑みの視線を投げかけるのだ。
ある日年老いたドイツ人はコンドミニアムの一室を引き払い、ウブドに一軒家を買って移っていった。まわりの目が気になるためだろうとホテルのスタッフは噂しあった。
引っ越しをした後のある日、通信販売で買った素性の知れないバイアグラを飲んで奮戦中に脳溢血を起こして病院に担ぎ込まれ、そのまま寝たきりになる。年老いたドイツ人はバイアグラをネットで購入すると安価であると日頃からプールでなかば自慢気味に話していた。
愛人はバリ人のボーイフレンドに英語でメールを書いてもらい、入院費の請求を娘にすると心配した娘はドイツから飛んできた。娘は突きつけられた入院費の請求額を見てその高額に驚く。後は娘と愛人の戦いとなるが年老いたドイツ人と娘は為す術がない。
老いたドイツ人は過剰な快楽を求めたがための不幸な結末を迎えたのだと考えてはいけない、老いたドイツ人は十分に幸せを味わったのだ、老人が快楽を求めて悪いワケがない。
全身入れ墨の男性がプールサイドで幼い娘と遊んでいる。タトーが街なかに溢れるバリでもひときわ目立つその全身入れ墨は日本ではほとんどの人が引いてしまうだろう、日本では暴対法以降はプールで入れ墨を晒すことはかなわない、しかしこのバリでは「あれ、この人は筋物かな」と頭をかすめるが、お互いの娘同士が遊びはじめると親同士も世間話を始める。
娘がバリのインタナショナルスクールに通い始めると日本のヤクザの親分の娘もスクールにいることも珍しくない、しかし誰もそんな事を気にしない、いや気にしていても態度には出さない。ヤクザの親分の娘も日本の小学校ではいこごちが悪かろうが、バリの地ではハンディーにならない、そんな土地が世界のどこかにあってもよいだろう。
家族から逃げる地としてバリを選んだ男たち、勝ち組を名乗りたくてバリを選んだ男たち、あらたな出会いを求めてバリを選んだ男たち、日本の差別意識からバリを選んだ家庭など、あるいはビジネスと海を求めて住み着いた人たち、純粋にバリを愛して住み着いた人とさまざまだ、しかし共通しているのは人生の前向きなチャレンジだ。