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「砂漠で死ぬ事は宿命だ。コーランにもそう書かれている」「書かれてなどいない「運命なんてないんだ!」
アリ首長「偉大なる男は、運命を自らの手で切り開く」
「運命なんてないんだ!」は真実であり、またロレンスの悲劇的最後から「運命なんてないんだ!」は真実でない。
この矛盾がなんとも言えず真実だと思えてくる。深い言葉だ。
「砂漠の英雄? とんでもない。彼は典型的な二重スパイだ」
チャーチル首相はロレンスを「現代に生きた最も偉大な人物」
作家のリチャード・オールディントンは「大うそつきの変質者」
見直してみて信じられないほど覚えていないことに驚く。家の中で流されていたビデオを横目で眺めていて見たように錯覚していただけかもしれない。
アラブが好きだというローレンスが英国とアラブの国家エゴの中に巻き込まれていく悲劇だ。
バリ島の三浦襄と重なった。バリを愛し現地住民から親しまれた日本人だがやはり国家エゴのなかで責任を感じ自決したひとだ。
作中ローレンスは不思議な言葉を吐く。アラブ人二人が死んだことを「楽しんでいた」と。一人は従者にした子供で砂地獄に引き込まれて死ぬ。他の一人は砂漠の行軍についていけず置き去りにされたアラブ人で、ローレンスは自ら命がけで助けるが彼は過去の怨恨で他部族のアラブ人を殺してしまいローレンス自身が処刑せざるを得なくなる。「運命からは免れない」との族長の言葉を耳にしながら。
カイロに戻った彼は報告の中で「楽しんでいた」と懺悔するが見ている方には何故そのような言葉が出てくるのか理解できない。
自らのこころの闇を告白しているのだ。大義も疑ってかからねば人の心の奥にある残虐性を発動しかねない。デヴィッド・リーンはそのことを表現したかったのだろう。
2006年にモロッコの砂漠を訪れた。車で暢気に旅をしたが砂漠で方向性を失ったときもあった。後で振り返るとわかる砂漠の恐ろしさを再認識させられた。
ダマスカス攻撃でローレンスの残虐性に火が付く。なんでもできると考えた男は結局肌の色から逃れられないと言い残して国にかえることにする。肌の色から逃れられないとは国を超えての愛がないとも。キリストになろうとした男が挫折してバイク事故で死ぬ。
デヴィッド・リーンも救いのない映画を作ったものだが深い真実を教えてくれる。