マイケル 敵を憎むな。判断が鈍る
2009-09-18 08:56:53
マフィアをある種のタイプとして描くのではなくドン・コルリオーネやマイケルの人間性を描き出そうとしている。これが大ヒットの理由だろうなと思いながら観る。しかしこの映画あまりにもドン・コルリオーネやマイケルに親近感を持つように描かれている。当時のマスコミにマフィア賞賛とか言われなかったのだろうか。あるいは作り物の映画として創作するものに対してはこの種の批判は少ないのだろうか。日本で言えば時代劇を観るのと同じ感覚なのかも知れない。
20年ほど前に業界のパーティーである女性から「ゴッドファーザーは大好きです。もう何回観たかわからないぐらい観ました。ビデオもパート3までもっています」と言われたことがある。女性からみても面白い映画なのだと感心したことが記憶に蘇る。
マーロンブランド演じるドン・コルリオーネはもうこれ以上適役は見あたらないほどはまっている。この映画の為に役者になったのかと思うほどのはまりようだ。その後時を経て報道される彼や家族にまつわる奇妙な事件に接すると、この役者の心の暗部と多面性が2重写しになって蘇る。
パート1はドン・コルリオーネと彼が最も愛した末っ子マイケルの間の父親と息子の愛情がテーマの物語だと理解した。裏社会で五大ファミリーの一つのドンとなった老境のコルリオーネは息子マイケルに彼の生き方を「後悔していない」という。
これは裏返せば相当の心の葛藤の末にたどり着いた言葉だろう。つまり裏社会で生きてきたことに対する後悔と自問の時期が相当あったと憶測させる。
息子マイケルに「表の顔になって人々を操れ。上院議員や知事になれ」と言い聞かせる。このシーンがこの映画が社会に受け入れられた理由のポイントではないか。台詞こそないが観るものに暗黙に「俺は時代と環境の中でやむを得ずこの道を選ばざるを得なかった。だから後悔していないが本当は違う生き方をしたかった。おまえは父の思いを実現してくれ」とメッセージを伝えている。これこそ別の意味での後悔だろう。観客にくどくどと云わず、メッセージを伝えるところが上手い。
ドン・コルリオーネのところに新興勢力のソロッツォが麻薬取引と保護を持ちかける。「酒と女は人間の本質に根ざしているが麻薬は薄汚い」と拒絶する。その後撃たれて回復したドン・コルリオーネが5大ファミリーを集めた会議で麻薬を扱わないように説得する。結局条件付きで賛成されるのだが、このあたりの描き方でマフィアものでありながら社会性をキープしようと努めている点が伺える。
同時に末っ子マイケルへのひとかたならぬ愛情を示す台詞もはく。「私は迷信ぶかい。・・・事故や自殺その他どんな原因であれマイケルが死ぬようなことがあればこの中の一人を恨む」冒頭の娘の結婚式でも家族との写真をとるときにマイケルが遅れていないと「マイケルが来てからだ」と云う。ドンが撃たれて入院中にマイケルが来ると嬉し涙とかすかな笑みを浮かべる。粗暴で、ドンの器でない長男ソニーや軟弱なフレッドも可愛いがマイケルには将来を期待している演出がそこここにあり実にうまい。(これひょっとしてカラマゾフ兄弟の影響受けている?長男ソニーはドミトリー、次男はイワン、3男のマイケルはアレックス)
後悔していないと云いながらも深い意味では後悔しているドン・コルリオーネが息子や娘達に見せる情愛がこの映画のテーマだと納得した。