四国の香川県三豊郡詫間町須田の一角でかつて土砂崩れがあった。このあたりは海岸線からすぐに山が迫っていて道路沿いの家の裏はすぐに急斜面でミカン山を背負った形になる。客観的に冷静に土砂崩れのあった場所を思い返してみるとその一角だけが傾斜が急であり、かつては道路のみが海岸線に沿っていたが民家をたてるために崖を削ったのだ。つまり危険を承知で無理をした建築で、起こるべくしておきた土砂崩れではあるのだが不幸中の幸いでそこに住んでいた老夫妻は逃げ終えて助かった。
老夫婦の夫は何年も寝たきりになっていてそこを土砂崩れが襲ったために避難するのに困難を極めたと10年ぶりに再会した夫人は話してくれた。それも今からもう30年以上前の話になる。突然の轟音と揺れが家を襲い家が崩壊していくなかで大柄な夫を小柄な夫人がどうして家の外に引っ張りだして逃げたのか。
寝たきりの夫を助けて避難しようとしたとき夫は「このまま死なせてくれ」と言った。数年の寝たきり生活はこの夫には死ぬより悲惨で苦痛だったのだろう。あるいはこの夫人にかける苦労がしのびなかったのだろうか。かつては生に対する執着は人一倍あると見えたこの夫が土砂に埋もれて死ぬ方を選ぶ。「このまま死なせてくれ」といった言葉が記憶の底から泡として浮かび上がった。