(画像はルオー『嫉妬』ベルゲン美術館)
さて源氏物語の六条御息所をはじめとした登場人物は無明に苦しみながら最終的に救済されたのだろうか。答えは供養により「救済された」
葵の上
六条御息所の嫉妬はこの世にいる間に生霊となって懐妊中の葵の上を苦しめ、死に追いやる。
葵の上は六条御息所の生霊によって取り殺されたが、光源氏の心からの哀悼により成仏したと考えてよい。
経忍びやかに読みたまひつつ、「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。 (葵)
紫の上
三十六歳(源氏二十九歳)娘とともに伊勢から帰り、六条の旧邸に住んだのち発病して出家するが娘を源氏に託して逝去する。
六条御息所は世を去った後もあの世から無自覚、無自制のままに死霊となって紫の上に取り憑き危篤に陥らせる。
しかし紫の上は厚い信仰と源氏の供養によって極楽往生した。その証拠に二度と誰かの夢枕に立つことはない。
六条御息所
果たして六条御息所の霊は成仏できるのか。
自分が苦しむより、愛する家族が苦しむ姿を見るほうが辛いのはいつの世も同じだ。六条御息所は光源氏には手を出さず彼が愛する女性に憑りつき苦しませる。これが嫉妬の発動する常道らしい。
無明とはよく言ったものだ。人の根源に潜み自覚がなくしたがって意思では抑制できないものが嫉妬すなわち無明であり六条御息所の無自覚、無自制な嫉妬は次の一節にも表現されている。
この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、まもり強く、いと御あたり遠き心地してえ近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞きはべる。よし、今は、この罪軽むばかりのわざをせさせたまへ。修法、読経とののしることも、身には苦しくわびしき炎とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。
(「若菜下」二三七頁)
六条御息所は自分の罪を軽くするための供養を源氏に願う。若菜下巻
源氏は六条御息所の願い通り秋好中宮に精一杯の力添えをし、追善供養もする。そして六条御息所の娘の秋好中宮の追善供養によって決定的に成仏する。
いかなる人も供養による鎮魂以外にこれから逃れることは出来ないと教えてくれる。
紫の上
六条院で女楽が行われた後、 源氏は過去の女性関係を回想して紫の上を相手に論評する。六条御息所は紫の上に自分の悪口を言われたことが嫉妬を発動させる因になる。
紫の上は病になり、加持の調伏で六条御息所の死霊が出現するが、紫の上は翌日蘇生する。
わざとつらしとにはあらねど、 かやうに思ひ乱れたまふけにや、かの御夢に見えたまひければ、うちおどろきたまひて、 いかにと心騒がしたまふに、鶏の音待ち出でたまへれば、夜深きも知らず顔に急ぎ出でたまふ。
御法の巻における紫上の死の場面では、 死が六条息所の死霊によるものではないことが明らかにされる。
さきざきもかくて生き出でたまふをりにならひたまひて、 御
物の怪と疑ひたまひて夜一夜さまざまのことをし尽くさせたま
へど、 かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。
六条御息所は紫の上を憎く思っているわけではない。本心は 源氏に憑りつきたかったのだが仏神のご加護が強くて源氏には取り憑けなかったのだと述べる。(このあたり、嫉妬の強弱や発動相手にはなにかしら順番があるように思われる)
そして六条御息所の罪を軽くするために源氏が供養してほしい。そして娘の秋好中宮に供養をせよと伝えてほしいと頼む。死後(源氏五十歳)娘の秋好中宮によって追善供養が営まれることになり成仏した。(鈴虫巻)
他の亡くなった人は成仏したか。
女三の宮は男児出産後に出家し、 その受戒の際に六条御息所の死霊が現れる。その後は二度と物語には登場しない。女三の宮の出家生活は確実に極楽往生への道を歩み続けることを示唆する。
桐壺院は源氏による父院への深い愛と感謝の気持が法華八講の追善供養となり極楽往生した。
藤壺は二十九歳で出家する。三十七歳で崩御後、「朝顔」で源氏の夢枕に立ち恨み言を言う。光源氏は勤行した藤壺でさえ成仏できないことに衝撃を受け藤壺の罪を身代わりになって受けたいと思う。観想念仏で藤壺の鎮魂をする。源氏の身代わりになってでも救いたい強い思いで藤壺の成仏はなったと示唆される。
光源氏
光源氏は極楽往生した。死後に誰の夢にも出てこなかったことがその証明になる。他の登場人物は供養されたのちに成仏するのだが光源氏だけは嫉妬を発動させる原因者であるにも関わらず六条御息所の嫉妬が及ばない。
この人を、深く憎しと思ひきこゆることはなけれど、まもり強く、いと御あたり遠き心地してえ近づき参らず
このことは何を意味するのか。光源氏は悪心なく愛する女を心の欲するままに次々と変えていく。一旦は離れても花散る里のようにいつまでも大事にする。これは当時のモラルからもなんら責めるべきことではない。当時の理性から考えても嫉妬する筋合いはない。しかし無自制、無自覚な嫉妬、無明は発動してしまう。
光源氏にもとより責められるべき筋合いはないので神仏の加護により嫉妬から完全に守られている。つまり紫式部は光源氏を物語の中心に据えることで無明を物語りで明快に表現する格好のキャラづくりに成功していると言える。
しかし物語はそう単純ではない。光源氏も愛する女たちをつぎつぎと失う苦悩を十分に受ける。