相当昔になりますが、かのマイケルムーア監督が、「ボウリング・フォー・コロンバイン」という映画を製作しました、コロンバイン高校銃乱射事件を題材に、アメリカの銃社会を鋭く批判しました。アメリカは建国以来、銃による自衛する権利を保証してきました。先住民を銃で滅ぼし、西武の開拓では常に銃をそばに置く生活でした。以降その精神や習慣は変わらないようです。カナダや英国でも銃の所有は認められてるのです。どうやら、全米ライフル協会という圧力団体が、政治力で武器所有の排除を阻む元凶のようでありました。
秋葉原通り魔事件は12年前の6月8日におきました。乗用車で人をはね「ダガー」と呼ばれる短剣(武器)で7人の方が亡くなりました。犯人は12年経つ今も永らえており、いまだに再審請求などの延命工作をしております。これは法の抜け穴であり、関係者の責任逃れです。死刑に値する犯罪を犯し、冤罪の可能性もない事犯の死刑囚は、速やかに執行すべきでしょう。亡くなった人は浮かばれません。遺族は何と思うでしょうか。こんな奴に税金を使って生かしておく法が間違っているのです。これを機にタガーの所持は禁止されました。ワタシはサバイバルナイフもこれに準じるべきだと思います。
さらに言えば、精神鑑定で心神耗弱とかなんとかで、無罪とか減刑するのはなしにすべきです。狂ってるとすれば直りません。死ぬまで治らないのですから死刑です。心神耗弱で人を殺めることはありません、計画的でよほどしっかりしていなければ武器を手に殺すことは出来ません。あのオウムの松本死刑囚を長生きさせたのも、司法の怠慢であります。
ダガーは、刃渡りの長さに限らず、武器として作られています。明らかに銃刀法の趣旨からいってとっくに規制し、所持を原則禁止すべきなのです。包丁やナイフやその形状や目的が異なります。
人を殺傷できるから、危険で規制するという理屈は通用しません。車は簡単に人を殺傷しておりますが、走行する機能は、むしろ安全を優先しております。農作業に使う「鉈(なた)」鎌、野菜切り包丁などもその気になれば十分殺傷能力があります。「かけや」やハンマー、バールなどでもいわゆる鈍器です。
先日は大学生が「ボウガン」で二人の親族を殺しました。ボウガンは商品名でクロスボウというのが正式な名称、弓矢・アーチェリーも似たようなもので「スポーツ用品」として普通に入手できます。しかし、これらは狩りと戦争の為に作られた殺傷能力の高い武器であります。ならば、ライフル競技やバイアスロン・クレー射撃などに使うならスポーツ用品で市販されましょうか?火薬を使う殺傷力が強いのが基準なら、エアガン(空気銃)はなぜ規制されるの?
要するに、日本の法律が古いままに全面見直ししないからいけないのですね。ワタシは、クロスボウもアーチェリーなどの弓は「武器」として銃刀法(これも名前が古い)の対象にすべきだと思います。武器としての構造を有しそれを目的に作られたもので殺傷能力があるすべてを、「武器禁止法」を作って、原則販売所持禁止・規制すべきなのです例外は流鏑馬に使う、伝統的な弓矢にとどめるべきでしょう。
福岡の飲酒ひき逃げ事件や東名高速でのあおり運転で、ようやく道交法が手直しされました。
「人が死ななければ法律を改めないのか?」
今度の、女子レスラーの自殺で、匿名の書き込みやらツィートなどの制限や投稿側の記録の保存が取りざたされています。
どれもこれも、立法・司法関係者の想像力不足・努力不足、怠慢であります。前例主義・判例主義が、国民の生活や安全そして未来を阻む根源であるということに気づくべきだとつくづく感じます。
数だけは世界有数の、口ばっかりの国会議員、今回のコロナに関わらずボーナス満額支給です。コロナ対策になんの役に立ったとも思えません。「くその役にも立たない」と憮然としております。
世が世であれば、ワタシは鍬を手に取って世直しの先頭に立ちたい気分であります。
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