戦後民主主義は、自由と平和と豊かさであると理解していた。
ところが第二次安倍政権以降、戦後民主主義は見るも無残なありさまである。
選挙で勝てば、多数派が絶対と短絡し、少数者や社会的弱者の悲鳴には耳を貸さない。
社会の中での強者(それは大企業であり富裕層)には、減税や様々な特典を与え優遇している。
しかし大企業と雖もその帰趨を握っているのは株主だが、その最大の株主は、外資系のファンド勢力だ。
これが何とも悲しい現実。
経営者は利益を上げることに追い回されていて、従業員の給与など上げるわけがない。
安倍晋三元首相を「保守の守り神」みたいにあがめていた人たちがいたが、今回の旧統一教会問題の露呈で安倍神話は崩壊した。
安倍元首相が、旧統一教会の教義を心から信じていたとは思いたくないが、票のためにはこの反社会的な、さらには反日的な教団を利用していた。
そして悲しいことに、この程度のレベルの人間が唱える「保守の思想」を、若者が一番支持していたということだ。
いや、安倍に群がった保守論壇と言われるビジネス右翼の面々が最悪か。
自民党における保守主義の系譜は宮沢喜一首相ぐらいで消滅したのではなかろうか。
「私にとって一番大事なことは、日本が自由で、民主主義があって、ともかく平和である。そして国民がそこそこ生活できている。そのことが大事な事なんです。経済大国になるとか何とかいうことは、第二のことなんですね」
宮沢が首相を務めたのは平成3年11月から5年8月まで。
バブル崩壊の過程にあったが日本の国力が一番あったころだ。
もはや「保守」だ「リベラル」だという時代は過ぎたのかもしれない。
あまりにも格差が拡大した社会には不毛な論争であろう。
宮沢が大事にしていた「国民がそこそこ生活できている社会」を目指すべきなのだ。