この時期になると悩ましいのが「年賀状」をどうするかということだ。
喪中の挨拶で、親しき友や先輩方はあの世へ旅立ちそれなりに寂しい。
小説家の五木寛之は次のように語る。
年賀状が去年の半分になり、来年はさらにその半分になる。最後は年賀状というものも来なくなって、自分も世を去るのが理想ですよね。
アカゲラ
クリスマスローズ
雪の下でこの冬は過ごし来春花をつける。
わずか数か月前には、盛んに「絆」を強調していた宰相がいた。
五木寛之はさらに語る。
「玄冬期」を元気に生きていく第一歩は、人との絆みたいなものに期待しないというところから始まるような気がします。そこに非常に晴朗な、孤独の中の明るさとか、生き甲斐とか、そういうものが生まれて来るし、そういう覚悟が出来た人は、現在の家族との関係も、ベタベタした「庇護する者とされる者」でない関係が生まれてくると思います。
孤独を恐れないということは必要だ。
親鸞のように「煩悩具足の凡夫」という覚悟があれば孤独も乗り越えられよう。
雪の山見ぬ日となれば別哉(わかれかな) 一茶
弥太郎一茶は故郷の山々、黒姫山、戸隠山などと別れを告げて江戸へ向かう。時に15歳だった。
アカゲラとシメがにらみ合い、それとも仲良くするつもりか?