エッセイストの渡辺幸一さんが書いた「タヌキとケイタイ」という小文がある。
かいつまんで述べると、
京浜東北線に乗っていて混雑していた。そこへ5~6人の老婦人のグループが乗って来た。その中に足の不十な人がいたので、別の女性が「この人足が悪いのです。どなたか席を譲っていただけませんか」と声をかけた。
私が座っていたらすぐ譲るのだがあいにく立っていた。
私が驚いたのは、付近に座っていた若者たちの反応だった。
さっと目を閉じてタヌキ寝入りを始めたり、やおらケータイを取り出してメールをチックしたり、老婦人の呼びかけを無視したのだ。
この小文は2008年に描かれたものだが、おそらく今でも似たような状況ではなかろうか?
北海道はもう秋です。
マム(キクの別名)
タヌキ寝入りというのは伝統的な日本人のお家芸で、都合が悪くなるとこの手を使う。
最近の政治家は「記憶に在りません」という手もよく使う。
ケイタイという新しい通信手段が出来て便利になったような気もするが、何か大切なものを失っていないだろうか?
シュウメイギクが咲き始めた。
ペチュニアが元気だ。